追想の山々 1014    up-date 2001.04.22

武尊山(2158m) 登頂日1988.6.29  単独
 
旭小屋(7.00)−−−不動峰(8.25)−−−前武尊山(9.15)−−−沖武尊山(10.30-10.50)−−−前武尊山(12.00)−−−不動峰(12.45)−−−旭小屋(13.45)
             梅雨空の下、心細さにおそわれて

心細さに襲われながら夢中で山頂を往復しました。歩き終わって見ればコースタイム11時間50分を6時間25分という速さでした。

武尊山には1988年6月に群馬県旭小屋からと、1995年10月に新潟県山口側からの二回登っていますが、これは最初の登頂記録です。



武尊山は、ことのほか奥深い山であった。  
梅雨のさなか、この山域には私のほかに誰ひとり歩いている者はいないかもしれない。深い霧が静かに漂っている。樹木も熊笹も、そして道も、先日来降りつづく雨で水気をたっぷ りと含んで、山全体が重たく静寂の底に沈んでいた。かすかな風にブナやツガの梢から落ちる雨滴が、笹の葉にパラパラと軽い音をたてるだけだ。 

登山道は背丈をこえる熊笹に深くおおわれ、隠された踏み跡にルートをたぐっていると、たとえようもない孤独感がおそってくる。こんなとき単独行である私の胸は、淋しさと心細さにしめつけられる。このまま引き返してしまいたい衝動にかられる。「頑張らなくては。これはガンとの戦いなんだ」という自分と、登山をやめて帰りたいという弱い自分が葛藤を展開する。

 
昨年、夏を過ぎたころ日本100名山登頂に取りかかった。あれから10ヶ月、この武尊山で10座目となった。
うっとうしい梅雨空にうんざりしていた6月下旬、たいした雨にはならないのを確かめて出かけた。  
木立と霧に隠れた川向こうの旭小屋の場所がわからず、うろうろしてしまった。
小屋裏から登山道に取りついた。降るとも降らぬともいえないどんよりとした空模様が気になる。 雲間がわずかに明るくなったような気もするが、霧雨にけむって気分も重い。滑りやすい足元に注意 しながら順調に不動峰まできた。不動峰は巨岩の峰頭で鎖に助けられて通過する。
この岩峰を下った先からは、ルート整備はされておらず、熊笹こぎを強いられるきびしい登高となった。背丈を越える熊笹とずぶずぶと足首までもぐるぬかるみに悩まされ、笹露で全身濡れネズミだ。

鎖場、ヤセ尾根等スリルのある場面も随所にあらわれる。先日皇海山で道を失った教訓もあり、神経を集中してルートをたどる。気持ちにゆとりがないまま、どうにか前武尊山にたどりついた。ガイドブックによれば、まだここから沖武尊山まで3時間もかかる。笹薮によるルート不明瞭、天候の不安で登頂の自信がしぼんでいく。とにかくもう少し進んだ上で、無理だったら引き返してもいい。弱気を振り払って前へと向かった。

剣ケ峰、家の串、川篭岳、沖武尊と2千米を越す鋸歯状の険阻な岩峰がつづき、鎖を頼りに蟹の横ばい、蟻の戸渡りなどの悪場を一つ一つ越えていかなければならない。霧が視界を閉ざし、ただ目先と足元のみに神経を集中して歩きつづけた。霧で視界もなく、ただただ歩くことに夢中だった。
気がつくといつの間にか岩稜を渡り終えて、主峰の沖武尊山のピークに立っていた。前武尊山から主峰沖武尊山まで、3時間のはずが、たった1時間15分で歩いてしまった。にわかには信じられず、ここがほんとうに沖武尊山なのかもう一度確かめたほどだった。
途中あきらめないでよかった。山頂を踏むことが出来た。まだどこかに潜んでいるガン巣に強力ミサイルを、一発ぶちこんでやったような勝利の快感があった。

頂上も深いガスで展望はまったくない。早々に下山にかかった。再び往路のあの岩峰を戻っていかな ければならない。残雪からの雪解け水に喉を潤したあの水の美味さは忘れられない。
山頂をあとに10分も歩くと空の一画が少し明るくなった。振り返ると沖武尊山から獅子ケ鼻山への頂稜が鮮やかに現れていた。ガスが急速にとび去って西の方角がぽっかりと開けた。押しこめられていた重圧感から解き放たれ、思わず快哉を叫びたいような爽快感 がみなぎる。重畳と重なり合う山々を目の前にして、ずいぶん山奥深く 入っていることを実感した。

山中一人の登山者にも会わず、心細く、ときには寂しくて不安で、また熊笹に苦しめられ、何回となく滑っては転び、スリルと変化の多いコースだったが、 歩き終えてみればこれまで一番の充実した山行となった。
1995.10.14 山口側登山口からの登頂記録はこちら