追想の山々1006 up-date 2001.02.28
奥多摩小袖乗越(10.55)−−−七ツ石山(12.55-13.30)−−−雲取山(2.45)−−−雲取山荘(3.15-−−翌朝(6.20)−−−雲取山(6.40)−−−七ツ石山(7.55)−−−日陰名栗山−−−鷹の巣山(9.15)−−−六ツ石山(10.20)−−−奥多摩駅(12.10) | |||||
所要時間 | 1日目 4時間20分 | 2日目 5時間50分 | |||
はじめて登った冬の山(50才)
雲取山は日本百名山ですし、知名度もあるわけですが、私にとっては穂高岳や槍ケ岳などとは異なったジャンルの山という印象でした。言葉を変えれば未知の世界の山とでも言うのでしょうか。寄りつきがたいもの、取りつきにくいという感じでした。 前年の9月に日本百名山を意識して、まず最初に大菩薩嶺、次いで谷川岳、そして両神山と登ってきました。 しかし今度計画した雲取山は真冬の山です。私には経験のない厳冬期ということです。プランニングの段階から、相当な緊張とプレッシャーを感じていました。 どのように使うのか知りませんが、ガイドブックに書いてあるとおり、4本爪の軽アイゼンも用意しました。 奥多摩駅に降り立ち、タクシー相乗りで小袖乗越へ。同乗の彼等のあとから出発しましたが、すぐに追いついて、あとは一人旅となりました。 自分のペースがまだわかりません。無理のないペースでのんびり歩いているつもりですが、ほかの登山者を次々に追い抜いてしまいます。早すぎるのだろうか、心配になってきます。 山では遠く距離感があるように見えても、また遥かの高みに思えても実際に歩くとさほどでもないと言うことも知りました。 徐々に傾斜も強まってきて、七ツ石小屋へは本格的な登りとなり、ひと汗かかされます。さらにきつい勾配をひと頑張りして七ツ石山ピークです。ここから小雲取山をへて雲取山頂に至るトレイルは明瞭で、防火帯として切り開かれた広いかやとの尾根道がいかにも明朗です。このうえなく気持ちがいい。それを眺めていると、出かける前にあれこれ案じたことなどとうに忘れていました。 七ツ石山からは一旦下って広いかやとの尾根道を軽快に進みます。このあたりから雪に覆われている筈でしたが、暖冬のためか頂上付近を除いてほとんど雪は見えません。 雲取山々頂は寒風で長居はできず、早々に雲取山荘へと向かいました。山荘への北面の道に入ると、雪もかなり残っていて、スリップに気をつけながら慎重に足を運びます。 雪に囲まれた山小屋がみえてきました。煙突から白い煙が上がっています。これが冬の山小屋だ。 何かそれらしい雰囲気が漂っています。例年なら1メートル以上の雪があるというのに、たった30センチ前後のクラストした雪があるだけです。ほっとするのと同時に、何だかちょっとがっかりです。 山荘のコタツで一息いれてくつろぎにながら、周囲を好奇の目で見渡します。冬山に来る人は、きっと特殊な経験者ばかりかと想像していたのに、単独行者、おばさんグループ、孫娘を連れた年配者等、予想外の顔ぶれに驚きました。そんなに簡単に、誰でも冬山へ登れることが不思議にさえ感じました。 コタツに足を突っ込み、毛布を二枚、布団二枚かけて寝ましたが、寒さで目が覚めてしまい、その後も忍び入る寒さに眠ることができませんでした。厳寒の高山でテン泊する登山者は、寒くないのだろうか。そんなことを考えて朝を待ちました。 夜の帳が少しづっ上がって東の空が白み始めるころ、肌をさす寒さの中、外に出てみると無数の星が信じられないほどにキラキラと上空にまたたいています。眼下遠くには大東京の灯が宝石箱をひっくり返したかのように、さまざまな彩りで輝きを放っています。あの東京砂漠とは思えないこの美しさはどうでしょう。 土間のストーブが赤々と燃えている山小屋の朝です。 軽アイゼンにスパッツという冬山のいで立ちでご来光に間に合うように山荘を早発ちしました。手袋をはめていても手が凍えます。 小屋でつけ方を教えてもらった四本爪の軽アイゼンが役に立ちました。 雲取山頂には既に数人が寒さに震えて日の出を待っていました。 東の空がオレンジ色に染まり、やがて黄金色となりそれが更に輝きを増していく。富土山が紅色に染まって行く。南アルプスの高峰が一斉に輝いて存在を強調しはじめる。そしてここ雲取の頂にも陽光が届く。浅間山、両神山、大菩薩連嶺、奥秩父、奥多摩の諸峰が(あるいは山名は違ったかもしれません)澄明な朝の大気の下に夜明けの唄を奏でるようでした。 山頂を後に、七っ石山、鷹の巣山、、六ツ石山とピークを一つづつ丹念に踏んで行きます。 ときおり雲取山を振り返っては、歩いてきた距離感を楽しみ、白銀の富士を眺めながら下って行きました。 実は小雲取から少し下ったところで、よそ見をしていて段差を踏み外し、右足首を軽く捻挫してしまいました。はじめての小さなアクシデントです。後の行程に不安を感じましたが、かばいながら歩いているうちに痛みも和らぎ、当初計画どうりの縦走を終わることができました。 今振り返れば、あんなに心配して出かけたのがおかしいほどですが、やはり始めはそう言うものなんだと思います。 当時の私にとっては、小さな小さな冒険と言えるほどの山でした。 |
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1995年2月18日〜19日 三つ峰口からの雪山縦走 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/kai-060.htm |