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1988.3.13 雪山  1993.12.24 雪山 1997.9.1阿弥陀岳 2003.2.14 雪山  2010.8.30 夏山  2016.08.26 夏山

八ケ岳 赤岳(2899m)
【1日目】美濃戸口駐車場(15.50)−−−美濃戸山荘・泊(16.45)
【2日目】美濃戸山荘(4.55)−−−行者小屋(7.10.-7.25)−−−休憩10分−−−文三郎道分岐−−−赤岳(9.26-9.45))−−−天望荘10.20-10.30)−−−地蔵尾根の頭−−−行者小屋(11.30―11.55)−−−美濃戸(13.40-13.55)−−−美濃戸口(14.45)
山梨・長野県 2016.08.25〜26  H女史同行  赤 岳 一等三角点
夏山(79歳)・・・・6年ぶりの赤岳

6年ぶりの八ケ岳。今回は九州より遠来のH女史同行。女史は日本百名山に挑戦中、現在72座まで記録を伸ばし、最後の追い込み体制に入っている

赤岳山頂

◆一日目の予定は美濃戸口から登山口にある美濃戸山荘まで。
マイカーを美濃戸口に残して美濃戸山荘までは徒歩。10何年か前、山荘まで車で入ったことがある。そのときは道はかなり荒れていた記憶がある。軟弱なマイカー、車体をこすったりしたくないので今回は徒歩にしたが、未舗装ながら普通の車でも問題なく走行可能だった。
この日の山荘は客が少なく、二人連れの客がわれわれと合わせて二組だけ、大部屋料金で小部屋を使わせてもらえた。

◆二日目、空には月が輝いている。朝食は弁当にしてもらい、足元が見えるようになる4時55分山荘を出発、南沢コースへ入る。シラビソと林床の苔というのは、奥秩父などと似た、しっとりとした八ヶ岳山麓の雰囲気が漂う。第一ポイントの行者小屋までの高低差は約650m、急登はないものの不規則の段差のつづく道、ひたすら足を前に進める。
なかなか八ヶ岳の姿が現れない。ようやく大同心、小同心の尖頭が目に飛び込んでくると行者小屋は近い。

山頂直下の岩稜帯

赤青黄色のテントが並ぶ行者小屋前で、逆光のシルエットで黒々とした横岳と赤岳、そして朝陽を正面から受ける阿弥陀岳を目にしながら朝食。ここまで2時間余、標準的なタイムだ。赤岳ルートの文三郎尾根の頭には登山者の姿が小さく見える。
朝食を済ませ、元気がよみがえったところで急登のつづく文三郎尾根に取り付く。山頂までの高低差は約550m。高度が上がるにつれて勾配は増していく。鉄製の階段や手すりを利用して一歩また一歩と上を目指す。山頂小屋で朝を迎えた登山者が次々と下ってくる。頭上にあった阿弥陀岳が視線と同じ高さになっていくのが励みだ。
ようやく急登が終わって稜線の一角に立つ。これまで見えなかった八ケ岳最南部に近い権現岳の凛々しい姿が目に飛び込んできた。霞んではいるが北・中央・南アルプスの連嶺も雲と見まがいながらも確認できる。
これから赤岳山頂までフィックスされた鎖が頼りの登りとなる。鎖をしっかりと握り、足を置く岩を確認し、体を持ちあげていく。一歩一歩に慎重を期すが、それほど長くは続かない。

赤岳山頂の下り、後方へ横岳・硫黄、天狗岳とつづく

登りついた岩頭が日本の山高度順36番目、2899mの赤岳頂上、4回目の登頂となった。初めて登頂のH女史の方が余裕ある登頂だった。霞がかかって富士山は望めないかと思ったが、たなびく一筋の雲の上にその姿を見せてくれた。遠望は不十分だったが、北へつづく八ヶ岳連峰は手にとるように望める。手前から岩稜の横岳、その先にはおおらかな硫黄岳がつづき、さらに北八ケ岳の東天狗と西天狗、いちばん奥には別名諏訪富士の蓼科山。
霞がなければ、もっと時間をかけて山座同定を楽しむところ、何しろ南・中央・北アルプスと言う日本を代表する高峰群を視野に入れる八ケ岳、3000m近いピークでこれほど展望の地を得ている山はないと思っている。

◆日本百名山73座目を無事踏破、満足感に浸るH女史をカメラに収め、山頂を後にした。
下山は北へ向かう急尾根を下る。高低差200mを落ち込むように下り、地蔵尾根の頭から行者小屋へのルートへ入る。以前、積雪期にこの尾根を恐怖に駆られて下ったのを思い出す。思い出しただけでも足が震えそうだ。それほど怖かった。
登りには使いたくないような急峻な尾根を無事に下りきり樹林帯へ入ると、ようやく解放感に浸ることができた。山荘で作ってもらった昼食をとりながらしばしの休憩。
行者小屋から美濃戸山荘までの下りが、思ったより長く感じたのは足に疲れがたまってきていたためだろう。美濃戸山荘で一休みしてから車道をたどって駐車した美濃戸口へと向かった。



八ヶ岳赤岳(2899m)〜横岳(2835m)〜硫黄岳(2742m) 登頂日2010.8..30 晴れ
自宅===(マイカー)===美濃戸駐車場(5.00)−−−美濃戸山荘(5.05)−−−行者小屋(6.55)−−−文三郎道稜線(7.50)−−−赤岳(8.15-8.30)−−−天望荘(8.45)−−−三叉峰(9.35)−−−横岳標柱(9.45)−−−硫黄岳山荘(10.10)−−−硫黄岳(10.40-11.00)−−−赤岳鉱泉(12.00)−−−林道終点(12.45)−−−美濃戸(13.20)
山梨・長野県 2010.08.30  日帰り  単独行  赤 岳 一等三角点
硫黄岳 三等三角点
夏山(73歳)
久しぶりの南八ケ岳だった。
赤岳山頂からの富士山
未明4時半過ぎ、美濃戸口へ着く。ここから歩くつもりだった。とこころが美濃戸への車道ゲートが開いたままだ。進入していいのだろうか。これまでゲートが開いていた記憶がない。そういえば真夏に八ケ岳へ登るのは初めてだが、従来から夏は開放だったのかもしれない。

美濃戸山荘手前、“やまのこ村”という山荘の駐車場へ入ることができた。料金は日帰りで1000円、安くはないが片道1時間の節約は大きい。しかし路面状況は悪い。車床の低い私のミニバンは、腹をこすりはしないかとヒヤヒヤ運転だった。

5時5分、歩くには支障のない明るさになっていた。南沢コースで行者小屋へ。
沢沿いのなだらかな道がしばらくつづく。30分ほど歩いて、沢に巨岩の押しだしたのが見える先で山腹ヘの登りに取りつく。寒いくらいで汗もかかない。4日前の西穂高の暑さには参ったが、今日は気持ちよく歩けそうだ。
樹林が切れたケ所でシルエットの大同心が見えてきた。厳しい急登もなく1時間50分で行者小屋着。思ったより時間がかかった。車道歩きの節約で時間にゆとりがあり、ゆっくり歩こう思っていたこともある。仰ぎ見る赤岳はまだ黒色に近いシルエットだ。対照的に早朝の日差しを受けて阿弥陀岳は鮮やかな濃緑色。
これで山頂までの高低差1200メートルのうち約半分の650メールとを稼いだことになる。
夏山最盛期を過ぎたせいか、行者小屋のテン場はテント数も少ない。

文三郎尾根へ入る。 積雪期、緊張したのを思い出させる鉄梯子や金網で作られ階段の連続する急登あたりまで登ると、今朝行者小屋から山頂へ向かった人たちが何人も降りてくるのに出会う。
快晴、刷毛ではいたようなわずかな雲があるのみ。標高が上がるにつれて展望も開けてくる。立ち止まってはカメラのシャッターを切る。

小屋から文三郎の頭まで55分、400メートルの高度を稼ぐ。山頂までは残り百数十メートル、あと少しだ。
展望は絶佳、目の前に権現岳など八ケ岳南部方面、遠く北アルプスをはじめ興奮を誘う展望が広がるがる。ゆっくり眺めるのは山頂に着いてからだ。

赤岳山頂直下の岩場 右端は赤岳、左の凹凸の山は横岳の岩稜
峨々険阻な岩塊を、ペンキ印や鎖を頼りにしてひと踏ん張りすると神社の祀られた狭いピーク、一等三角点赤岳山頂である。まさに360度の大パノラマ、山名を一つ一つ指呼しながら眺めていたら時間が足りない。見える山々を大雑把に拾っていく。
何といっても眼を見張るのは富士山、実に大きい。6合目あたりから下には雲海がたなびいている。南ア、中ア、御岳、乗鞍、北ア、遥かに加賀白山、頚城の山々、浅間、西上州の山々、赤城、両神山、奥秩父、横岳から北方の蓼科へ・・・眼下には諏訪湖も見えた。

さて、今日の予定は赤岳のみだったが、車が美濃戸山荘まで入れたので往復2時間も得した。横岳、硫黄岳まで縦走することに変更。展望はこの先歩きながらいくらでも楽しめる。

15分の山頂ステイで、石車に気をつけながら、つんのめるような急坂を一気にコルまで下る。コル付近にある天望荘は素通り、地蔵への下降口も足を止めずに通過。この先アッブダウンのつづく横岳の岩稜が待っている。

かつて積雪期に横岳の岩稜を歩いているが、それほど緊張したという記憶はない。
どれが横岳の最高ピークかわからないような岩のピークをいくつも通過していく。今日の足ごしらえはジョギングシューズ。岩場はジョギングシューズに限る。フリクション(摩擦)はよく効くし、それに抜群に軽い。以前は雪山など特別な山を登るとき以外はもっぱら山歩きはジョギングシューズだった。

横岳山頂、左端に富士山がのぞめる
杣添尾根分岐(三叉峰標柱がある)のすぐ上のピークに立ってみると、横岳岩稜ももう終盤、この先に見えるのが最後の岩峰らしい。その岩峰に“横岳2829m”の標柱が立っている。ガイド地図に“奥の院”と表示されているそのピークだ。
ここまで何回となく赤岳、阿弥陀岳、富士山などを振り返り、前方の北アルプスなどの山々に足を止めて見入った。

10時にもなると遠望する山岳稜線上には、定石のように雲がわき上がってきた。

横岳から険しい岩場を下って、赤茶けたなだらかな砂礫地となる。そこはコマクサの群生地、咲き忘れていたのを思い出してか、遅れ馳せながら咲く花が何輪か涼風に揺れている。ここまでの道中もトウヤクリンドウ、イブキジャコウソウ、ミヤマコゴメグサなど、何種類かの花を目にしたが、山の花期はでに終わっていた。

コルに建つ硫黄岳山荘、そて硫黄岳の火口縁へとつづくなだらかな礫岩帯。峻険な横岳からは様相が一変する。山荘から硫黄岳山頂までの標高差は、わずかに100メートルほど、それが意外に負担感が大きい。そろそろ疲れが溜まってきた証拠だろう。

一面岩片を敷き詰めたような広々とした硫黄岳山頂、大きなケルンが立っている。遮るもののない広場のような頂で本日最後の山岳展望を楽しむ。
硫黄岳山頂、右に阿弥陀岳と左に赤岳
神奈川県から来たという男女3人、シャーターを頼まれたのを機に、気さくなその3人としば
しのおしゃべりタイム。そのために三角点まで行くのを忘れてしまった。
赤岳には既に雲が影を落として、重たい翳りの中に入っていた。

すさまじい爆裂火口を覗いたりして20分ほど硫黄岳に滞頂、赤岳鉱泉への道を下る。これが以外に長く感じる。コースタイム1時間10分、疲れてきた足には実に長い。赤岳鉱泉まで1時間を要してしまった。
一服しようと思ったが、鉱泉から20人か30人のツアー登山が出発するところだった。その後についてしまったら追い越すのも一苦労、立ち止まりもしないで、歩き始めた先頭のリーダーをすり抜けるようにして前に出た。少し休みたかったのをガマンしたために、疲れたままの脚では思うようにスピードが上がらない。歯がゆさを感じながら、それでも途中何人も追い越し、林道まで降りてきた。
この林道もけっこう長く感じる。しかし休むことなく歩き続け、やれやれ歩ききったという思いで美濃戸へ着いた。鉱泉から1時間20分、脚力の落ちたのを痛感する下りだった。




雪山 硫黄岳(2670m)・横岳(2829m)登頂日1993.12.24-25 単独
●.美濃戸口(11.00)−−−美濃戸(12.00)−−−赤岳鉱泉小屋(13.30)・・・泊
●赤岳鉱泉小屋(6.30)−−−赤岩の頭(7.45)−−−硫黄岳(8.00-8.10)−−−横岳標柱ピーク(9.00-9.05)−−−奥の院(9.25)−−−地蔵尾根分岐(10.00)−−−行者小屋(10.30)−−−美濃戸(11.30)−−−美濃戸口(12.05)
行程 8時間05分 長野県 硫黄岳 三等三角点
≪八ツ岳雪稜登山≫(56歳)
横岳にて
12月も下旬に入ると、八ヶ岳は本格的な冬山に変わる。アイゼン、ピッケルでの山行は、私にとっては一つの憧れである。北アルプス等に比べれば積雪は少なく、好天に恵まれる確立も高い。まさに冬山入門向きの山岳で、この季節の山岳雑誌には必ず入門コー スとして紹介記事が掲載される。

24日(金)防寒具だけはしっかり用意して、新宿発7時のあずさで出発。茅野駅着9時18分。40分の待ち合わせで美濃戸口行きのバスに乗車。真っ青な冬晴れのもと、八ヶ岳連峰が白銀に眩しく光っている。昨日降った雪が田畑も集落も白一色の世界に変えていた。途中地元の老人を乗せたり降ろしたりしながら、バスは八ヶ岳山麓深く高度を上げて行く。終点美濃戸口には定刻の11時に到着。

スパッツを着けると、すぐに雪道を踏んで美濃戸へ向かう。つま先上がりの車道を1時間で美濃戸着。阿弥陀岳を眺めながら小休止。
行者小屋への南沢コースを右に分け、左手の北沢コースをとって赤岳鉱泉小屋へ向かう。しばらくは車の轍の残る広い林道を行くが、やがてトタン囲いの小屋から山道となる。
北沢沿いの道は30センチ前後の積雪、トレールはしっかりついているし、陽はさんさんと降りそそいている。気分の浮き立つようなスノートレッキングだ。下山して来る登山者と何人か行き違う。
バス終点の美濃戸口から今日の赤岳鉱泉までの標高差は700メートル、アイゼン、ピッケル等で荷物がやや重いので、気負う事なくゆっくりゆっくり歩く。
美濃戸から2時間コースのところ、1時間30分で赤岳鉱泉へ到着した。小屋従業員の話では、昨日、一昨日と山は強風と雪で荒れに荒れていたとのこと。宿泊の受付を済ませてからスケッチブックを携えて外へ出た。吸い込まれそうな藍色の空、雪をかぶった針葉樹林の整然とした梢、白亜の殿堂のごとく端然と聳える主峰赤岳。“来てよかった”山に抱かれる幸せのようなものを感じる。
スケッチをしながら、硫黄岳への登山道をしばらく辿ってみた。好天に繰り出した登山者で、ルートの雪はすっかり踏み固められていた。

この夜の宿泊者は少なかった。知らない者同志、赤々と燃えるストー ブを囲んでとりとめもない山の話に興じる。ただ何となく聞いているのも楽しい。
凍てつく外に出て見ると、残照が雪嶺を茜に染め、中空には月が輝いていた。暖かいコタツにぬくぬくとした夜だったが、いびきの三重奏にはいささか参った。

朝6時半、明るくなるのを待って小屋を出た。アイゼンを着けて昨日途中まで辿った硫黄岳へ向かう。放射冷却が効いて冷え込みが厳しい。踏み固められた雪がバリバリに凍っている。キュッキュッとアイゼンが気持ち良く効く。雲が浮かんで昨日ほどのビーカンとはならなかった。たちまち汗がにじんでセーターを脱ぐ。
日の出前の岩稜が障壁のように灰色にくすんで見える。針葉樹の樹林帯は風を遮って更に汗が滴り、ジャケットも脱いでしまった。
樹林帯を抜けると赤岩の頭そして硫黄岳が目の前に迫ってきた。樹林に遮られていた風が待ち構えていたように吹き付けてきた。着衣の汗がたちまち霜を振ったように真っ白になって行く。積雪は多いものの、トレールがしっかりしているので歩行には全く支障がない。小屋から1時間15分、約600メートルの高度を上って赤岩の頭へ到着。コースタイムより30分以上早かった。雪は風に飛ばされて地肌が露出している。遠望はもうひとつというところで、見えるのは浅間山から四阿山方面、北八ヶ岳と蓼科山、主峰赤岳や阿弥陀、そして目の前に硫黄岳の荒々しい火口壁。
吹き付ける風にたちまち体が冷えて行く。目出帽をかぶり、完全防寒態勢を整えて15分ほど先の硫黄岳へ。

硫黄岳山頂には緊急時二人ほどは入れる石室がある。だだっ広い山頂で沢山のケルンが立っている。赤茶けた火口壁が殺いだように落ち込み、見るからに不気味だ。ここは風衝帯で、穏やかな今日でも風は相当強い。強風時には立っているのも難しいだろう。
写真を撮ったりしてから横岳へのコルヘ向かった。半分雪に埋まりかけたコルの硫黄岳小屋前で休憩をとった。小屋の鐘を鳴らすと、凍った早朝の大気を切り裂き、澄んだ音色が風に乗って流れて行った。

いよいよ横岳を越えて行く険しいルートとなる。緊張してコルを後に雪の斜面に取りつく。ガイドブックには経験者同行、もしくはアンザイレンすべきだと書かれているところである。しかし意外なほど楽に歩くことができた。それでも油断して滑落でもすれば一巻の終りだ。慎重に足を運ぶ。難所には鎖や梯子が設置されてる。
コルから1時間弱、快調なペースで『横岳』の標柱の立つピークに登り着いた。

横岳山頂
このあと誤った足跡につられてしまっ た。先の切れ落ちた露岩の頭に出たところで誤りに気がついた。引き返すと別の踏み跡が下方に見える。踏み跡目がけて斜面を慎重に下りかけると、大きな声が聞こえてきた。稜線に立つ登山者だった。「その道は違う。もう少し下にトラバース道があるから、それを行くのだ」と、大声で教えてくれた。
教えてくれたトラバースが、露岩を巻く道だった。ガイドブックにも『間違って直進しやすいところ』と書かれていた鉾岳だった。

少しガスがかかってきたが、奥秩父方面や富士山が遠望できる。赤 岳と阿弥陀岳、その間には権現岳も頭をのぞかせている。横岳の険しい部分を無事歩き終わり、白一色の山々を眺めていると、ほっとすると同時に、ああ、今冬山にいるのだという実感が湧いて来た。
地蔵尾根分岐へは樋状の雪の詰まった急斜面下るとすぐだった。  目前には赤岳が覆いかぶさるように迫り、登高意欲を誘うが、登山計画を思い付きで変更したりして、何かあったときには言い訳ができない。御馳走を前にしてお預けされるような気持ちで、予定の地蔵尾根コースを行者小屋へと下った。

行者小屋からは南沢コースを美濃戸へ。2時間コースを半分の1時間で美濃戸に到着、茶店の野沢菜漬けのサービスで一服してから、バス停の美濃戸口へ向かった。
夕方4時過ぎの最終バスでと思っていたが、午後1時発のバスになお1時間の余裕をもって美濃戸口へ帰着した。


雪山 八ヶ岳赤岳(2899m) 登頂日2003.2.14-15 晴れ
長野県・山梨県 2003.02.14〜15 単独 マイカー
コース 長野市自宅(7.45)−−−美濃戸口(9.20)−−−美濃戸(10.20-25)−−−林道終点(11.15)−−−赤岳鉱泉小屋(12.10)泊

赤岳鉱泉小屋(7.00)−−−行者小屋(7.35)−−−文三郎のコル(7.35)−−−赤岳(9.15-30)−−−地蔵の頭(9.45)−−−行者小屋(10.45-11.10)−−−美濃戸(12.10)−−−美濃戸口(13.00)
恐怖の地蔵尾根下降(66歳)
地蔵尾根下降口から赤岳を振り返る

マイカーで美濃戸まで入る予定で出かけたが、美濃戸口から先は通行止めとなっていた。近年にない大雪のためだろうか 。  
凍てついて、つるつると滑る車道を1時間歩いて美濃戸へ到着。この日の宿泊小屋となる赤岳鉱泉へは北沢コースをとる。積雪量は多いようだが、歩行に必要な幅だけは踏み固まっていて問題なく歩ける。アイゼンをつけて下って来る人に2、3出会ったが、氷化箇所は少なくアイゼンを必要とするほどでもない。
動くものが目に止った。カモシカが木の芽先を食べていたようだ。静止したまましばらく一頭と一人は静止して視線を会わせていた。

上空を雲が覆いつくして小雪が舞ってきた。
12時10分、予定より早く赤岳鉱泉小屋へ到着。初日の歩行時間は約3時間。
3時過ぎから晴れ間が広がり、やがて雲一つない快晴に変った。小屋から30分ほどの中山乗越展望台へ出かけて、夕暮れどきの展望を楽しむ。傾いた夕日に照らし出された主峰赤岳を始めとする大同心、小同心、横岳の迫力ある岩稜の上には夕月がかかっていた。最後の残照が横岳の岩壁を赭々と染めて日は暮れていった。

私の日本300名山踏破は、そのほとんどが誰の手も借りない単独行によるもの、4座のみ複数行となったことが気にかかっていた。その一つが赤岳、一度登って勝手知った山を今度単独で登ってもたいして意味はないが、それでも単独で登っておきたいという思いで今回の山行となった。

この日は金曜日、小屋はがら空き、宿泊客は11人だけで、そのうち写真目的が3人という淋しいような夜だった。
翌朝7時、アイゼンを装着して小屋を出発。硫黄−横岳−地蔵の頭−赤岳−文三郎−行者小屋というコースを予定していた。地蔵の頭までは積雪期に歩いた経験済みのコース。『放射冷却で冷え込んだなあ』そんなことを考えながら、手の指先が痛いほどに凍えるのを感じながら無意識に足を運んで気がつくと中山乗越へ来ていた。硫黄岳へのコースとは全然ちがう。何と言うことだ。小屋まで戻ってやりなおそうかどうしようか迷ったが、ここまで来てしまったのだから逆回りで縦走することに方針を変える。

行者小屋から文三郎コースの登りに取りつく。緩い登りがすぐに急登に変わる。アイゼンが雪面によく食いこんで気持ちいい。標高が上がるにしたがい、気温もいっそう低くなってきたのが分かる。足の指先、手の指先が痛くなってきた。
氷化した雪面は一歩誤れば大事故直結、アイゼンをひっかけないよに、足元に細心の注意を払っての登高がつづく。阿弥陀岳に反射する朝日がまぶしい。垂れた鼻水がそのまま細い棒ように、凍ってぶら下がっている。街中では見せられない格好も、ここでは気にならない。
このコースは、私が山登りを始めた初期、今から15年前の3月、何でも体験しておきたいという願望から、プロのガイドについて登ったことがある。降雪直後だった。あのときより雪面氷化などでルート条件は悪いように思われるし、また疲労感が強い。肩で息をしながらようやくという感じで文三郎の分岐に到着。立ち止まって一息入れながら眺望に見入る。眼前に聳える純白の阿弥陀岳と、峨々として険しさをそば立てる権現岳が印象的だ。
赤岳山頂から阿弥陀をのぞむ
いよいよ赤岳山頂への岩稜の登りが始る。岩稜のために雪がつきにくいのか、要所要所の鎖が使えるので助かる。それでも険しさは決して甘いものではない。 慎重の上にも慎重を期して這いあがって行く。そう、ここは歩いて登るというより、這い登り、攀じ登るという方があたっている。拒絶するような凍った岩の狭い隙間を、足がかりを確保しなが少しづつ山頂に近づいて行く。いよいよ峻険となった岩場を抜けると、その先にはもう高みはなかった。赤岳一等三角点の山頂だった。
私が本日最初の登頂者となったようだ。風は比較的弱い。上空はピーカン。絶好の展望日和。岩かげてテルモスの湯を飲んでから、めくるめくような360度遮るもののない大パノラマに見入った。日本のヘソに立っている気分だ。山名を一つ一つ上げたらきりがない。15年前ここに立ったときは、わかる山は富士山くらいのもの、漠然と北アルプスがわかる程度だった。今はその連嶺の一つ一つが指呼できる。中空に浮かび立つ富士山、噴煙を上げる浅間山、中部山岳の主だった山々はすべて視界にあると言って過言ではあるまい。
しばし写真を撮ったりして陶酔のひとときを過ごした。
横岳

このあと横岳から硫黄岳方面のルートが気にかかる。トレールがしっかりしていればいいのだが。とにかく地蔵の頭まで下ることにする。地蔵尾根からの登山者と出会い様子を尋ねると、地蔵の頭までの最後の急登がかなり厳しかったということで、やや不安が広がる。
地蔵の頭で横岳方面へのルートを目で追ってみると、トレールはあるが入山者は少ない気がする。鎖場や岩場のハシゴが雪に隠れていたら単独の通過は難しくなる可能性もある。立ち往生の危険を予感し、無理を避けて地蔵尾根を下ることにした。積雪期に2回下った経験済みのコースだ、大丈夫と自分に言い聞かせて勇を鼓舞する。

しかしその地蔵尾根は前の2回とは様変わりの難物だった。下降を始めるとすぐに落ち込むような急なヤセ尾根となる。立ち木一本、潅木の枝一つない、ただ雪だけの急斜面の先は、激しく落ち込んで見ることができない。見えないということがかえって恐怖心を煽る。もちろん鎖も雪の下だ。

ところによっては軟雪の箇所もあるが、概ね雪面は氷化していて、カカトでステップを切って下るということはできない。ピッケルの通らないほど固いところもある。登りならアイゼンの前爪を利かせてもう少し楽に登れるだろうが、下りではそれができない。後向きになり、ピッケルを深く突き刺し、一歩、また一歩と足を下ろして行く。まったくぶざまな姿だが、私にはこんな降りかたしかできない。
一歩足を下ろす。雪が体重に耐えてくれるだろうか。不安を感じながらその足に体重を移す。大丈夫だった。また次の一歩、無事。夏場でも連続する鎖にすがって登り降りするコースだ。下に樹林や潅木林が見えれば、万一落ちてもそこで止る可能性があるが、何にもないというのは、こうも不安なものかと思う。
こんな経験は過去に2度、一度は北アルプス岳沢から奥明神沢の凍てついた急斜面、もう一つは毛勝山の40度近いアイスバーンの急斜面。この地蔵尾根もそれと匹敵するものだった。もしここで落ちたら、妻や子供にはまだいろいろと言っておかなくてはならないことがあった・・・・そんな馬鹿馬鹿しいことを頭によぎらせながら、恐怖心と戦いながら少しづつ下って行った。
胃の痛くなるようなストレスに耐えてうやく樹林帯に入ったときは「ああ、生きて降りることができた」それが実感だった。

私のようなビギナーは、地蔵尾根は登りにとるべきコースだったと反省。
行者小屋前の日だまりで、安堵の休憩をとり、それから南沢コースを美濃戸へと下った。
帰宅の途中、原村“もみの木温泉”で、厳しかった地蔵尾根を反芻しながら汗を流すと、はじめてこの山行の充実感が広がってきた。

雪山 八ヶ岳赤岳(2899m) 登頂日1988.3.13 ガイド同行 晴れ
美濃戸(6.00)−行者小屋−文三郎道−赤岳−地蔵尾根−行者小屋−美濃戸(15.00)
所要時間 7時間 1日目  2日目 
                  雪の岩稜初体験−ガイド同行−(51歳)
好天に恵まれた赤岳山頂
はじめて本格的な雪山登山の機会を得て、八ヶ岳主峰“赤岳”へ登頂することができました。

雑誌「山と渓谷」で、それなりの条件さえととのへば、冬山であっても力量に応じた山があり、登るのも可能だということがわかりました。
ヤマケイのガイド案内“初歩の冬山訓練”に参加、八ヶ岳阿弥陀岳登頂が具体化することになりました。
ガイドは日本山岳ガイド協会のS氏です。
S氏の指示により、雪山に必要な一応の装備を整えました。
ピッケル・ オーバー手袋、 ジャケット、ヘルメット、12本爪アイゼン、シットハーネス、目出帽子、カラビナ、重登山靴、ウールの手袋、テルモス、シュリンゲ
買い揃えた道具を目にしているだけで緊張してきます。

S氏の自動車で中央高速道路を、登山口の美濃戸に向かいました。美濃戸着が夜中の12時。生徒は私ともう一人の若い青年、自動車の中で朝5時まで仮眠して明朝の登山に備えました。
シュラフにもぐりこみ1、2時間は眠ったでしょうか、寒さで目が覚めました。ここは真冬と同じです。冬季用シュラフでないため、自動車の中とはいえ厳しい寒さが襲ってきます。結局朝までとろとろと、まどろむ程度で眠ることはできませんでした。
5時を過ぎて外は白み始めてきました。早く体を動かして寒さから解放されたい。寝る前にあるものをもっと着込めばよかったのに、夜中にはそれも面倒で丸くなって我慢してしまいました。S氏と青年は冬用のシュラフで寒さ知らずだったようです。

寝入っている二人を起こし、朝食に握り飯を押し込む。目出帽が見当たらない。装備は慎重にチェックしてきたのにどうしたことか。ザックの中を隅々まで探したが出てこない。マフラーで頭から顔まで覆ってしまうことにして出発しました。
前日までは低気圧の通過で、台風並の強風雨が吹き荒れた悪天候が嘘のように、上空には青空が広がり、風も殆ど感じない。いい登山日和となりました。
歩きはじめるとS氏のペースはかなり速い。私も足には自信がありましたが、ついて行くのが大変なくらいです。
初心者をいたわるような甘い言葉はかけてくれません。登山道はがりがりに凍てついています。30分程で早くも汗が流れ出てセーターを脱ぐ。
阿弥陀岳の急峻な山稜が、厚い雪の衣に覆われて吃立している姿が、強烈な迫力で目に飛び込んできた。汽車の窓から見る雪山や、スキー場でみる雪景色とは異質の厳しさが実感をもって伝わってきます。
凍った道を行者小屋目指して黙々と足を運びます。振り向けば乗鞍、穂高、槍が一望のもとに銀嶺を輝かせているのが見えます。

約2時間の登りで行者小屋に到着。眼前に八ヶ岳連峰の岩峰がパノラマとなって展開している。右から阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳と連なり、雪も寄せ付けぬ岩壁がいかにも荒々しい景観です。
行者小屋の回りには数張りのテントが張られています。赤岳への稜線にはラッセル登攣中のパーティも見えます。昨日までの雪がかなり深いようです。
S氏から「せっかくここまで来て阿弥陀岳では物足りないでしょう、もしよければ八ヶ岳主峰の赤岳を案内してもいいですよ、二人とも歩きかたはしっかりしているし、天候条件もいいから注意さえして歩けば大丈夫」との言葉です。阿弥陀岳より主峰の赤岳の方がいいに決まっています。予定を急拠変更、赤岳をめざすことなりました。
赤岳山頂 右がガイドの重野氏

しかし行者小屋から見る赤岳への岩稜は、私のようなビギナーにはいかにも急峻で困難なものに見えます。 アイゼン歩行だって始めてです。防寒具点検、アイゼン装着、ピッケルを握ればいよいよ本物の冬山登攀開始です。
ラッセルされた後のルートをたどるので、急登ながらかなり楽だと思います。一歩一歩高度を上げていきます。気分はかなり高揚しています。
阿弥陀岳が目の高さまで迫ってきました。赤岳の黒々とした岩稜が、凄みを帯びて目の前にあります。稜線に出るとたたきつけるように強風が下から吹き上げています。昨日までの荒天名残りの風です。岩の表面はガチガチに凍っています。これからが本当の雪山岩稜登攣です。私なりに気合を入れなおしました。
アイゼンを効かせて慎重に足を運びます。赤茶けた岩と岩の間の細いルートを、鎖に頼り、岩角に指をかけ、胸を突く傾斜との戦いです。まさにこれは「登る」のではなく「攣じる」というのが実感でした。無心でS氏について行くのが精一杯です。 疲労感も強い。一歩一歩がきつくなってきました。肩で息をしながらS氏に遅れまいと頑張ります。

それにしても8千メートル級のヒマラヤを無酸素で登っただけあって、その心肺機能はすごいものがあります。楽々と足を運んで行きます。 狭い岩稜を抜けると、突然目の前を遮るものがなくなりました。目の中いっぱいに広がった山岳景観、日本中の山脈みがすべて見えるのではないかと思える程の大パノラマが、一気に飛び込んできました。声もなくたたずんでしばらくその大展望に見とれました。
これ程贅沢な眺望がまたとあろうか。阿弥陀岳、横岳が指呼の距離にある。ついに雪山の頂上に立てたという感慨が胸に広がる。

風を避けて東面の雪の上で小休止の後下山にかかりました。
後ろ髪を引かれる思いで無人の北岳山頂小屋の横から急斜面の雪稜を一気に赤岳石室まで下る。ここからは膝から腰までもぐる新雪でした。落ち込むような急傾斜の地蔵尾根を下っていきます。ラッセルの跡はあるものの、足はどんどん雪にもぐってしまいます。もう一人の連れが滑落!と思った瞬間S氏が横っ飛びに抱きつき、あやうく確保した場面もありました。

行者小屋まで戻って今歩いて来たルートを振り返ると、改めて深い感慨が湧いてきました。
アイゼン、スパッツをはずし、セーターを脱ぎ、緊張感から開放されて美濃戸への帰途につきました。

3月とは言うものの、3000メートル近い山は冬のさなか、この山行で多くのことをまなぶことができました。この先、冬の雪山を登ることはないかもしれませんが、雪山がなんであるか、それを知ったことは貴重な財産となりました。