追想の山々 1022    up-date 2001.06.16


奥白根山(2578m) 登頂日1989.10.10  (妻同行)
菅沼登山口 (7:10)−−−弥陀ケ池(8:30〜8:35)−−−白根山(9:35〜10:05)−−−五色沼(10:55〜11:05)−−−弥陀ケ池(11:30)−−菅沼登山口(12:35)
弥陀ケ池と奥白根山
初回の奥白根山は、猛烈な強風に追い返されて、山頂を踏むことができなかった。
2回目は日光湯元から登頂した。登頂はしたものの、あいにくの濃霧にたたられ、山頂からの下山口が確認できずに、不安な思いをした。
今回は3度目、絶好の快晴に恵まれた。


10月の声を聞いて早くも奥日光からは降霜の便りが届くようになった。
晴天特異日と言われる10月10日、妻を伴って奥白根山を訪ねた。菅沼の駐車場は、白いガラスの微粒をまぶしたような霜が降りていた。草も落葉も、そして石ころも、みんな寒々と霜におおわれていた。  

東京を4時出発。
まだ7時前なのに、駐車場にはもう何台も自動車が停まっていた。見あげる空は高く澄み、そよとの風も感じない。  
菅沼の湖面を湯煙のような水蒸気が這っている。湖岸の紅葉も今が盛り、濃淡満艦の錦繍は迫りくる冬を前にあでやかな演出を見せ、その出来栄えを誇っているように見える。  

駐車場から林道を5分も辿ると、笹原の細道が登山道へと導 いてくれる。小径の水溜まりは凍りつき、菅や笹の葉は朝の霜を置いて凍えている。平坦な小径はすぐに樹林の急登へとつづいて、いよいよ本格的な登りとなる。じぐざぐを一歩々々登っていけば、間もなく陽の届かなかった山間から、まぶしく光り華やぐ中腹へさしかかる。
ときに岩の露出を攀じ、また木の根の張り出しを足場にして高度を稼ぐ。  
妻の脚に合わせたゆったりペースでも、休まずに歩けば休憩している人を何人も追い越していく。原生樹林は一歩毎に、この体につく俗塵を洗い落とし、大気は都会の煤で汚れた臓器を蘇らせてくれるようだ。  

ときおり樹林の切れ間から背後の展望が望める。無風、鏡のような湖面は登山口の菅沼、丸沼、そしてくっきりと双耳のピークを垣間見せるのは尾瀬の燧ケ岳だ。  
緩急の傾斜を繰り返した後、樹林が切れて山上の池畔の縁に立った。弥陀ガ池である。岸近く薄く張りつめた氷が、今朝の寒さをしのばせる。標高2250m地点。500m余を登ったわけだ。 
ここから疎林を僅か登れば森林限界となり、池越しに遮るもののない奥白根山の山容が望めるようになる。  
昨年、この山に二度訪れたが、一度は強風雨に登項できず 追い返され、二度目は濃いガスの中で視界はなく、今日初めてその姿を目にすることができた。好天時に是非登項を果た したいという願いが叶えられた。

弥陀ガ池を後に落葉したダケカンバの林を過ぎると、道は頂上に向かって急峻に突き上げていた。青い空、気持ちも弾む明朗な道、一歩毎に展望が開け奥白根の岩峰が迫ってくる。  
がれ場の急登に変わる。足を止めて登ってきた高みを確かめるように振り返ると、弥陀ガ池が足下に、菅沼、丸沼はかなたに遠かった。燧ケ岳が目の高さにせり上がり、至仏山がそれに対峙している。  

塩をまぶしたほどの雪が残る岩魂のはざまを、岩登りもどきに慎重に攀じ登って山稜に出た。岩稜を少し行ったところが一つのピークになっていた。このピークも合わせて複雑な地形の山頂部一帯は登山者で賑わっていた。
雲ひとつない快晴、絶好の眺望日和である。ガスに巻かれた前回登頂時の記憶と、今いるこの山頂は全く 別物だった。
燧ケ岳、至仏山のほかに、眼下には五色沼、その向こうに大真名子・ 小真名子・女峰山・男体山・そして中禅寺湖がいぶし銀に光っ ている。皇海山も見える。武尊山は黒々と目の下にあった。  
目を転ずれば遥かに平ケ岳と苗場山、頚城山塊、飯豊連峰・・・・。
北アルプスも存在を誇示していた。  

三角点標石と山名標識の立つピークは、最初のピークからわずかに下ってもう一度登ったところにあった。  
山頂には秋の優しい日が降り注いでいた。三回目にして ようやく果たせた爽快な山頂だった。  
しばし山頂での眺望と憩いを楽しんだあと、急斜面を下り避難小屋を経て五色沼に降り立った。かすかな漣をたてる水面を挟んで奥白根山の岩峰が荒々しい。草は狐色に、沼畔のカラマツは黄金に染まっている。写真を撮ったりしてから五色山の中腹を巻くように尾根をひとつ越えると、 再び弥陀ガ池である。
今日の登山に満足して往路を辿り、出発地の菅沼登山口に帰りついた。
1988年6月、敗退の記録はこちらへ