追想の山々1034  up-date 2001.06.23

鳥海山=新山(2141m) 登頂日1989.06.10 晴れ 単独
東京渋谷==夜行バス==酒田〓〓汽車〓〓象潟駅==タクシー==鉾立(9.30)−−−賽の河原(10.10)−−−御浜(10.30)−−−七五三掛(11.00)−−−伏拝岳(11.40)−−−ご本社(12.00)−−−鳥海新山(12.15)−−−千蛇谷−−−七五三掛(13.10)−−−御浜(13.40)−−−鉾立(14.20)==タクシー==象潟駅
所要時間 4時間50分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
鳥海山には1989年に鉾立から、1996年に祓川から、2回登っていますが、最初の鉾立コース登頂時の記録です。

容姿の端麗さ随一の山(52歳)
突然霧が消えて鳥海山が姿をあらわした(扇子森にて)
鳥海潮(鳥の海)は残雪の下だ。御浜小屋から扇子森への緩やかな登りにかかる。ガスに隠れた山頂が、ちぎれた雲の隙間からときどき扇子森の円頂越しに秀麗な姿をあらわす。夢中で扇子森の円頂の上まで駆け上がった。鳥海山が無情なべールに邪魔されないうちに、写真におさめておきたかった。
霧は濃くまた薄く、山腹からはい上がって行く。カメラを構えてチャンスを窺い何枚かシャッターを切ることに成功、満足感に浸ってしばし鳥海山に見惚れていた。
雪が消えたばかりの足元には、ミヤマキンバイが黄色い花びらを風になびかせ、つぼみを膨らませ始めたハクサンイチゲの群落の中には、気の早いのが幾株かもう白い花を開いている。足の踏み場もないほどに咲き敷いたお花畑の景観が目に浮かぶ。あたりには豊富な残雪が斑状に広がり、地肌の部分より雪の方が多いように見える。 

梅雨に入り天気情報とにらめっこの毎日。東北北部から北日本方面はいい天気になりそうだ。
東京の街は梅雨の雨がじとじとと滅入るように降り続いている。都市間高速バス、渋谷発PM10時30分の酒田行き、愛称は“ミルキーウェイ”とかわいい。リクライニングもゆったりのデラックスバスで料金はJR67割と割安。
睡眠薬代りに風邪薬と酒1合、これでスタートから30分もしないうちにすやすや夢の世界に誘いこまれてしまった。ときどき目が覚めたがそれでも朝4時近くまで夢うつつ。
外が明るくなってきた。カーテンの隙間から、北へ向かうバスのはるか彼方の地平線、天と地の境あたりに、水平に窓を開いたように明るく透明なオレンジに染まった空、おお、晴れてくれた。左手の海原は限りなくつづく日本海。

残雪の山が目を引く。左右均等にゆっくりと据を下ろした藍色の姿は、女性的で海に聳え立っ女神とでも形容しようか。あれが東北きっての名峰『鳥海山』だろうか、間もなくそれを確信。全容が見えるということは、山の周辺は天気がいい何よりの証。いい山旅になりそうだ。鶴岡で何人かの客を降ろしたバスは、終点酒田駅へ。鳥海山はさらに近づき、山容は尚一層魅力を増して迫ってきた。今から気分は高揚状態。終点酒田駅で下車、ここから象潟までは鉄道となるが、1時間待たなくてはならない。帰りは今夜9時半の渋谷行き、焦りがちな気持ちをなだめて待った。

秋田行きの鈍行列車は、わずかの乗客を乗せてのんびりと、ごっとんごっとんと進む。鳥海山の山裾を巻くようにして伸びる軌道は、終始鳥海山が道連れ、語りかけるように、喰い入るように目を離さない。
途中、前の座席に3〜4歳の女の子を連れた若い母親が乗ってきた。高揚した気分を抑えきれずに話しかける。
「鳥海山は奇麗な山ですねエ」
「うん、本当によく見えるね、天気でよかったね。高さが2237mとなっているが2238mが正しいのでねえかと、問題になってるんだ」
「鳥海山には登ったことがありますか。登山口の鉾立までタクシーで行くのに吹浦(ふくら)からと象潟からとどっちがいいかわかります?」
「そっちから登ったことはねえからよくわからネ」
朴訥とした東北弁で、冬の寒いことだの、雪は上から降るのではなく、下から巻き上げるように降るとか、目の前も見えない地吹雪の怖さとか、ぽつんぽつんと語ってくれた。三つか四つ目の駅で「んじゃ、気いつけてね」と言って、女の子の手引いて降りていった。ほのぼのとした温かさを分けてもらった嬉しい気分で、窓越しに二人の後ろ姿を見送った。

大都会では、行きずりの人はお互いにただの物体としての存在でしかないが、ここでは面識もない初老の男と、若い母親が屈託もなく言葉を交わすことができる。交わす言葉の中には温かさがにじんでいる。
列車が北へ進むにつれて、わずかに山腹に絡むだけだった雲が、中腹から上を完全に包んだように見える。何ということだ。想定外の残雪歩きか・・・

象潟駅で下車。駅前タクシーで鉾立へ向かう。標高が上がってくるとビンクの花が目につく。帰宅後調べると「タニウツギ」というしらい。鳥海ブルーライン5合目の鉾立の保養センターや山荘が見えるが、そのすぐ上には厚い雲が重くのしかかる。鉾立からは眼下に由利平野と日本海、その先に男鹿半島が横たわっている。
保養センターで水を貰う。感じの良い親切さで、水筒に水を汲んでくれた。「大平山がよく見えたか」などと声をかけてくれたのもうれしかった。又、見知らぬ人が「鳥海山は始めてか?すぐそこの山荘にいるから帰りにお茶でも飲んで行け」と親切なことばをかけてくれる。東北人の素朴な人情がしみてくる。 

案内板と登山口の表示のある石段を登って登山道に入る。道はよく整備されてコンクリートの階段が展望台まで続き、観光客もここまでは気軽に登って来ることができる。展望台から見る奈曽渓谷の断崖の眺めは雄大だ。雲がなければ断崖の上に鳥海山が顔を覗かせている筈だ。振り向けば海岸から競り上げてきた鳥海山の裾野に広がる樹林、さらに由利平野から男鹿半島まで見とおすことができる。

さらに奈曽渓谷の断崖に沿ってしばらく進むと、白糸の滝が見えて来た。樹林を抜け出ると残雪帯に変わる。雪の下から石畳の登山道が顔を出しているところもある。少し下りぎみになったところが賽の河原で見渡す限りの雪原。いつか上空の雲は切れて陽光が降り注ぎ雪の反射がまぶしい。サングラスを持って来ればよかった。暑い、汗びっしょり。少しきつくなった勾配を頑張ると、雪が消えて岩礫や草原の尾根にたどりついた。ここが7合目の御浜だ。時計を見るとガイドブックの約半分の1時間程で来てしまった。それほど急いだ積もりはないが、残雪上を最短距離で歩けたためかもしれない。

御浜小屋に荷上げヘリコプターが盛んにピストン輸送を行っている。
ふと見ると岩を背にした日だまりにミヤマキンバイの黄色い花、すぐ近くにはようやく花びらを開き始めたばかりのハクサンイチゲ、岩にへばりつくようにして咲くのはコケモモだろうか。コバイケイソウは緑の芽を勢いよく伸ばしはじめている。

千蛇谷の雪渓

1759mの扇子森で鳥海山を目にする。最高の気分で明るいプロムナードを行く。七五三掛で道は尾根コースと千蛇谷雪渓コースとに分れる。尾根コースの方がきついようだが、今日は布製の登山靴、濡れたくないので尾根を選択。様子を見て帰りは千蛇谷コースをとることにした。
岩稜の尾根は傾斜もきつく足場も良くないが、外輪山の断崖と鳥海山を手に取るように見ながらの登高も悪くない。礫岩の登山道の脇までハイマツが迫り、チシマザクラ、岩陰に咲くコケモモの花を目にすることができる。
文殊岳、伏拝岳、行者岳と外輪山を半周して鉄梯子を二つ下り、雪渓をニカ所トラバースして御本社に着いた。途中鉄梯子からのトラバース道がわからず、踏み跡のない急峻な雪渓はかなり怖かった。布の軽登山靴は蹴り込みが効かず、もし足を滑らせたら果たして止まれるかどうかわからない。何とか無事通過した。 

登山口で「今日は山岳競技の高校生が100人以上も登っている」と聞いたその高校生たちで御本社周囲の広場は一杯だった。それを避けてすぐに新山へ向かう。
御本社から鳥海山最高点の新山へは、塁畳とした岩塊の間を縫い、ペンキ印をたどって15分程だった。頂上には二人連れの男女と、山岳競技の役員3人、それでもう一杯になってしまう程の狭い山頂だった。観測点と書いて真新しい『△』の印がペンキで岩に記されているのをみて、汽車での若い母親の話を思い出した。小さな祠があり、10円や1円のお賽銭が投げ込まれていた。山岳展望を楽しみにしていたが十分とはいかなかったのが残念。南部は梅雨前線の雲に閉ぎされ、雪がべったりと付いたままの月山が雲間からかろうじて見え隠れしている。居合わせた人から北部に見える岩木山や栗駒山、岩手山を教えてもらうことができた。 

伏拝岳より鳥海山頂を見る

狭い頂上を後にして、人波の引いた御本社の広場で休憩方々、千蛇谷の雪渓を見下ろしながら昼食のパンをかじったあと、下山の途についた。上空は青空、靴が濡れてもいい、やはりここ千蛇谷の雪渓を歩かない手はない。両手でバランスをとりグリセードを楽しんだりしながら、一気に雪渓をかけおりた。
七五三掛からは登って来た道を晴れ晴れとした気分で、花を愛で、残雪の山稜景観に見とれ、何回も鳥海山を振り返りながらの鉾立へと下った。
予定より2時間も早く鉾立に帰着できた。

迎えのタクシーで象潟まで戻る。今年は芭蕉が奥の細道に旅立ってちょうど300年ということで、それにちなんだイベントが盛んである。ここ象潟は芭蕉が訪れた最北の地。汽車の待ち時間を利用して柑満寺へ行ってみた。 

  
 
象潟や 雨に西施が ねぶの花

の句碑がある柑満寺の裏庭からも鳥海山が望めた。『出羽富士』または『秋田富士』と呼ばれるこの秀麗な山は芭蕉の目にはどのように映っただろうか。
このあと酒田からPM930の夜行バスで東京への帰途についた。
翌未明、東京の街は出発したときと同じように雨に煙っていた。

祓川から鳥海山(七高山)登頂の記録はこちらへ