追想の山々1037  up-date 2001.06.24


祖母山(1757m)と阿蘇高岳(1592m) 登頂日1989.05.03 晴れ 単独
東京∽∽飛行機∽∽大分市・泊(5.10)===尾平(7.10)−−−宮原(8.35)−−−祖母山(9.20-30)−−−天狗岩(10.05)−−−尾根,取付(11.00)−−−尾平(11.20)====阿蘇仙酔峡(13.45)−−−高岳(14.55)−−−中岳(15.30)−−−ローブウエイ火口駅(16.00)〜〜ローブウエイ〜〜仙酔峡(テント泊)
所要時間  祖母山 4時間10分 阿蘇山 2時間15分  ****
                  九州日本百名山の旅(その1)−(52歳)

 
宮原手前からの祖母山
《祖母山》
早暁に大分市のホテルを出て祖母山登山口の尾平へ向かった。
尾平登山口には10台以上の乗用車やマイクロバスが駐車していた。午前中に下山したいので雨具、水筒等わずかな軽装で出発。登りは宮原から稜線へ出るコースを取った。ややきつい登りを終ると最初のポイントとなる宮原に到着。休憩用のベンチも備えてある。
ここからは双耳の祖母山頂を眼にしながらの稜線の登りとなる。ピンクのツツジを眺めていると、登山者がアケボノツツジだと教えてくれた。九合目小屋を過ぎ、あっけないほど簡単に山頂に着いてしまった。ちょうど山開きの日にあたっていた。道理で途中でも登山者が多いと思った。山頂も多くの地元ハイカーで賑わっていた。
はるばる訪れた九州の山ではあるが、どこにでもある裏山のような雰囲気の頂きだった。始めて足を踏み入れた九州の山だというのに、格別感激するものがない。
祖母山から傾山にかけ、馬蹄形に連なる山々を目で追っていく。手前から大障子、古祖母、本谷、傾山とつづき、遠く阿蘇、久住、大船山などが見通せる。ただ春の大気は霞に揺れて、山々のシルエットは淡くぼんやりとしていた。
山頂を辞して、下山は黒金山尾根を下ることにした。天狗岩方面への下りは様相を一変させて、岩稜の切れ落ちろような急傾斜で始まった。
岩場を過ぎたあとは、赤土の滑りやすい道に注意しながら、尾平の登山口へと下って行った。
下山して一服する間もなく、次の目的地阿蘇へとレンタカーを疾駆させた。


《阿蘇山》
仙酔峡から阿蘇高岳への尾根コース
国道57号線を走り、阿蘇外輪山からカルデラ盆地の中への下りにかかると、阿蘇五岳が目に飛び込んできた。水を張った田が、鏡を並べたように光っている。高岳、中岳も見える。
阿蘇五岳はカルデラの中に再度の噴火によってできた山々である。 阿蘇五岳は高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳の5峰であるが、日程の都合で高岳と中岳しか登ることができない。(その後再度九州を訪れた際、烏帽子岳と根子岳に登頂した)

高岳登山口となる仙酔峡は観光客で賑わっていた。
高岳への山腹は、熔岩や火山礫の殺伐たる光景で、傾斜はきつく今にも音をたてて崩れて来そうに見える。本当に登山道があるのか疑いたくなる。山頂近くのそぎ落とされた荒々しい岩壁はどうやって越えるのだろう。 
カメラ、水筒だけという軽装で出発した。 コースは仙酔尾根から高岳を目指す。草つきの道からすぐに火山礫の急な登りに変わった。別名バカ尾根の急登である。白いペンキ印を登って下さいと書かれている。忠実にそれをたどっていく。下から見上げたのとちがい、実際に歩いてみると案外道はしっかりしていて、今にも崩れそうに見えた大小無数の礫岩は、地面とよくなじんで安定しているから心配はない。

午前中祖母山を歩いてきた後だけに、この殺風景なきつい登りは少々足にこたえる。頂上近くで更に傾斜はきつくなり、胸を突くような岩場をはうように進む。目の前が頂上の感じだが、きつい傾斜のために山頂を見ることができない。もどかしさを感じながら喘いでいるとようやく傾斜が落ち着き、その先に援やかな山頂が待っていた。

広い砂礫の山頂でまず記念写真を1枚。  
中岳火口からは噴煙が立ちのぼり、硫黄の臭いがここまで風に乗って鼻をつく。大正噴火の火口だろうか、大きな噴火口が眼下に口を開けている。目を転ずると祖母山が見える。4〜5時間前、あの頂きにいたのだと思うと、懐かしさを感じる。久住、由布岳、阿蘇外輪山、阿蘇五岳と眺望を楽しんだあと、高岳東峰方面に足を向けて見た。そこはミヤマキリシマの大群落だった。開花期の見事さが目に浮かぶ。

高岳から中岳へは砂礫の尾根をほんのひと歩きだった。赤茶けた火山特有の乾いた景観の中を歩き、帰りはロープウェイ東火口駅から観光客にまじってロープウェイで仙酔峡へ下った。

この夜は仙酔峡でのテント泊。暮れて行く高岳、夕もやに薄れゆく外輪山を眺めてから寝についた。