追想の山々1039  up-date 2001.06.24

韓国岳(1700m) 登頂日1989.05.05 強雨 単独
大分駅(8.16)〓〓〓〓宮崎駅===えびの高原ホテル(14.50-15.15)−−−登山口(3.30)−−−韓国岳(16.15)−−−ホテル(17.10)
所要時間 1時間55分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  九州日本百名山の旅(その3)-(52歳)

 
新燃火口と韓国岳-1998年再登のときの写真です

予報では今日、明日と好天は望めそうもない。霧島縦走はむずかしいかもしれない。

朝の列車で大分駅を発った。バスは宮崎駅を30分以上遅れて出発、小林市を経由してえびの高原を目指すころには、雨脚は強まるばかり。
バスを降りると、見た目以上に雨脚は強く、風もかなり強い。強風であまり役に立たない傘を握りしめて数分先のえびの高原ホテルに入った。ビジネスホテルと違い本物のホテルはやはりリッチで気持ちいい。フロントで天気予報はどうか尋ねると、すぐに電話で照会してくれた。「明日も今日と同じような状況でしょう」ということだ。

明日の雨中縦走は避けたい。それなら時刻は遅いが、今日のうちに韓国岳だけでも登っておいた方がいいだろう。明日がもっとひどくて、韓国岳往復もできなかったら悔いが残るに相違ない。当初予定の霧島全山縦走は明日の奇跡的な天候回復を祈ることにしよう。

火事場に急ぐ消防夫のように、超特急で着替えをして、片付けもせず散らかしっ放しで飛び出す。それでも雨対策の支度だけは万全を期すことは忘れなかった。
フロントから「気をつけてどうぞ」と声をかけられて雨の降りしきる中を歩き出した。歩きだせば雨もたいして気にならない。ただ横殴りの強風がつらい。花の時期には早いミヤマキリシマ群落のつつじケ丘を抜け、登山口までは道を外れて河原状のゴーロを適当に見当をつけて進む。  
登山口は硫黄山の麓にあって、ここから硫化水素の強い臭いが鼻をつく噴気を気にしながらしばらく行くと登山道となる。  
深いガスで視界はほとんどない。ただ韓担岳の頂を踏むためにだけだ。がむしゃらに足を進める。
母と小さな子供が下ってきた。膝から下が泥にまみれている。そんなに道がひどいのだろうか。それにしてもこの悪天候の中を、この幼な子がよくも・・・・。無言の励ましを授かったような気がして勇気が湧いてくる。
潅木帯を抜けると開けた尾根となり、空身の若い男性が下りてくるのに出会う。先ほどの母子といい、こんな悪条件の中を歩く人もいるのに感心し、会釈のみの無言ですれちがう。

岩や石ころだらけの道に変わって歩きにくいが、それでも赤土に滑るより岩や石の上を拾って歩く方が楽だ。五合目とか七合目とか標柱が目に入る。  
山頂の『韓国岳』標柱は、岩の中に風雨にさらされていた。標高差は500メートル、1時間そこそこの到着だった。
霧が去来する山頂は視界無し。九州山群随一といわれる展望を得られない悔しさを残して早々に下山。  

ホテルの温泉でゆっくりと手足を伸ばすと、雨中登山も忘れてしまうようなゆったりした気分になれた。食事も久しぶりの豪華版だ。喉ごしのビールに舌づつみをうち、ご馳走の並んだ食卓を前にしての晩餐は分不相応の贅沢。食堂のガラス戸の外に桜に以た花が咲いている。聞くと、あれはノカイドウだとい う。霧島の天然記念物とのこと。雨の中に淡いピンクが幻のように浮かんで見えた。

夜中に目を覚ますと、窓の外は雨音が激しく、どこやらでトタン板が風に煽られる音がババーン、ド ドーンとたたきっけられるように鳴っている。
翌日は、さらに荒れ模様の朝を迎えた。

9年後の1998年秋、心許せる山の友Kさんご夫妻と韓国岳から高千穂河原への縦走を果たしました。
これ以上は望めない快晴に恵まれて、1989年の貸しを返してもらうような最高の山行となりました。

そのときの山行記録はこちらへ