追想の山々1050  up-date 2001.06.27

              2011.09.16 車坂峠→黒斑山→Jバンド→前掛山→車坂峠の記録はこちら

浅 間 山(2542m) 登頂日1989.05.28 晴れ 単独
峠の茶屋(5.00)−−−浅間山(7.00-7.15)−−−峠の茶屋(7.55)
所要時間 2時間55分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
                  登山禁止の山へこっそりと(52歳)
左側の尾根が登山コース(別の日に撮った写真)

標高差1150メートルの山頂を、正味2時間40分で往復、またもやの韋駄天登山であった。

軽井沢側の峠の茶屋登山口に『火口より4キロ以内立ち入り禁止』の看板が立っている。カメラのシャッターを切る。おかしいシャッターが落ちない、故障だ。別のカメラを取りに戻るのも面倒、残念ながらカメラなしの登頂となってしまった。人目を気にしながら禁止線を突破。悪事を働いている後ろめたさもあって、とにかく超特急で往復したいという焦りに急かされ、飛ぶがごときに足を運ぶ。雑木の道を20分ほどで通過、高木の姿は消えて、赤黒い悠揚巨大な浅間山の斜面が広がってきた。

右手に小浅間山への登山道が別れている。  

草木1本見えない山の斜面は、まるで異星の如き別世界の観がある。見た目はなだらかで高度感もあまり感じないが、標高差が1000メートルをはるかに超えている。

さらに低木がまばらに混じる草つきの道を進む。やがて見波す限り砂礫ばかりの荒涼とした斜面となる。焦茶色の砂丘のようだ。

一木一草も生きることができそうにないこの砂礫に、スゲの仲間がしっかりと根を下ろし、点々と株をつくって生きている。

大斜面の上の方に小さく人影が動いている。関所破りの仲間がいてなんとなくほっとする。

広い斜面は何の障害物もないからどこを歩いてもいいわけだ。かなり広い範囲にわたり好き勝手に歩いた跡が残っている。跡と言っても明瞭にあるわけではなく、遠くを透かすようにして眺めると、踏み跡が一筋の道として浮かび上がってくる。  

砂地は足を取られて踏ん張りが効かない。砂浜を歩いているのと同じ、思いのほか体力を消耗する。

丘陵のような軽い登りに見えたが、実際の傾斜度はかなり強い。樹林あるいは周囲の山などがあると、経験的に距離感、傾斜、歩く速度等を感じ取ることができるが、ここではそうした経験はてんで役に立たない。同じ勾配で山頂まで続いているように見えるのに、実際は緩急を繰り返し、段丘となっているのが歩いてみてわかる。あの段まであと少しと思って頑張るが、それがなかなか到達しない。距離感が全く狂ってしまっている。

またもや登山禁止の看板。《これより2キロ以内立ち入り禁止》しかしここで引き返すわけにはいかない。

それにしても登山禁止のエリアにかなりの踏み跡が残されているのは、禁止措置も有名無実、多くの登山者が登っていることを示している。みんなで登れば怖くない、である。

日本百名山を目指す者にはパスすることができないという自分勝手な事情もあるが、強く後ろめたさを感じざるをえない。

さすがに道標の類は皆無。今日のように天侯のいい日は問題ないが、深いガスにでも閉じ込められたら、方向を見失う恐れは十分にある。どっちを向いても同じ景色、上か下かがわかるだけだろう。

強い硫黄臭が鼻をつく。有害なガスで倒れたらどうしよう、真剣に心配になる。頂上を雲が去来している、と見えたがよく見るとそれは火口からの噴煙だった。  

頂上火口へ斜高していく最後の登りにかかった。見た目にはなだらかな登りだが、これがどうして非常にきつい。一足毎に崩れる砂地。草木があれば手でつかまり、腕力を補助として登るのに、ここで頼るは脚力だけ。

ようやく登りついた旧火口らしきすり鉢状の窪地には、まだ残雪が消え残っていた。窪地の中には噴煙が逃げ切れずにほの青く淀み、漂っている。残雪の縁を巻きながら火山礫の中をもう一段登ったところが頂上火口だった。 

噴煙が凄い勢いで噴きあげている。ときに噴煙に包まれてしまう。火口の底は見ることはできないが、垂直に切れ落ち火口壁は赤くただれ、禍々しい恐怖感を覚える。  

まぎれもなくここは阿蘇とならぶ日本の代表的な活火山であることを認識した。

   小諸出てみりゃ浅間の山に けさも三筋の煙り立つ

   西は追分東は関所せめて峠の茶屋までも

   浅間山なぜ焼けしゃんす裾に三宿持ちながら

              (三宿=軽井沢・沓掛・追分)  

小諸馬子唄でうたわれた情緒豊かな浅間山ながら、ここ火口にはそのかけらもなく、引きずりこまれそうなおどろ恐ろしい噴火口に加え、2500メートルの高所を吹く風の冷たさで体が震えた。

この瞬間もし火を噴いたら終わりだ。頂上に立った途端にもう下山の構えだった。

下りは砂塵を巻き上げ、はね跳ぶようにして駆け下ったが、砂礫がクッショ ンとなって膝へのショックもなく、まさに宙を舞う感じであった。

禁破りを心で詫びながら、もう一度山頂を振り仰いだ。

この当時、火山活動中で登山禁止の山は浅間山と上高地の焼岳でした。

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