追想の山々1054 up-date 2001.06.29
薬師岳(2926m) 北の俣岳(2661m) 赤木岳(2622m) 黒部五郎岳(2840m) 鷲羽岳(2924m) 水晶岳(2978m) 野口五郎岳(2924m) 三ツ岳(2845m) 烏帽子岳(2628m) |
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●富山駅(4.00)−−−折立(7.15)−−− 太郎平小屋(9.40-10.00)−−−薬師岳(11.55-12.15)−−−太郎平小屋(13.20) ●太郎平小屋(4.40)−−−太郎山−−−北の俣岳(6.00)−−−黒部五郎岳(8.05)−−−三俣山荘(11.50-12.20)−−−鷲羽岳(13.10-45)−−−水晶小屋(14.55-15.30)−−−水晶岳(15.50-16.10)−−−水晶小屋(16.35) ●水晶小屋(5.35)−−−真砂岳−−−野口五郎岳(7.25-50)−−−三ツ岳(8.50)−−−烏帽子小屋(9.25)−−−烏帽子岳(9.55-10.05)−−−烏帽子小屋−−−高瀬ダム(12.30)−−−七倉(13.35) |
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所要時間 | 1日目 6時間05分 | 2日目 11時間55分 | 3日目 8時間 | ||||||||||||
日本百名山終盤の山を登る=(53歳)
≪折立から薬師岳・雨中の登山≫
夜明け前、ホテルで洗陽を済ませる。山中二泊、3日間人工肛門ケアの手数を軽減させるためには、いつもこのように早起きして洗腸を行わなければならない。人工肛門というハンディを負った宿命。 定刻をちょっと遅れてバスは発車。残月が見える。山間に入ったバスはエンジン音を唸らせて登って行く。雨が降りだしたが、折立は小降りでほっとする。付近は意気込む登山者の熱気が溢れている。 7時15分、『薬師岳登山口』道標から樹林の登山道に入る。太郎平小屋まで標高差1000メートル、5時間の登りとなっているが、私と次男の足なら2時間そこそこで行けるだろう。次々と追い越して行く。時おり樹林の切れ間から、富山平野や有峰湖が見える。 第1ポイントの1871m三角点通過はちょうど1時間後の 8時15分、快調である。風は肌寒いが心地良い。 幸い雨にもやられずに9時40分太郎平小屋に到着。コースタ イムの半分だった。今日一番の宿泊手続きをして薬師岳への準備をしている間に、雨は本降りになってしまった。 10時、雨具で完全武装して小屋を出た。雨は降り続いている。キャンプ場から潅木の茂る露岩の沢沿いを、滑らないように注意して登って行く。急な登りだ。 潅木の茂みが切れて沢は明るく広くなった。がら場を登り切ると、大きなケルンが目につく。 稜線に立つと雨に加えて風も強い。相変わらずの濃霧で、地形等周辺の状況はわからない。急なじぐざぐ道を雨に濡れて黙々と登って行く。トウヤクリンドウも雨に濡れて、山は早くも秋に移ろうとLていた。 太郎小屋から約1時間、薬師岳小屋に着く。ここは標高2700m、寒い。小屋の中に入れてもらって休憩する。山慣れぬ次男には悪条件下での登山は、精神的にも参るようだ。 再び雨の中に飛び出す。がれた急坂がそろそろ足にこたえる。吹きさらしの稜線は、遮るものもなく横殴りの雨がたたきつけてくる。しかしこの程度の雨風はしょっちゅうのこと、別段驚くことではない。 岩塊の中につけられた道を登り降りして行く。岩屑の急登を終ると、岩だけの薬師岳山頂だった。三角点に触れて登頂を実感する。 惜しくも大展望はないが、百名山96座目の山巓に立った喜びをかみしめる。ゴールまであと4つとなった。 太郎平小屋への帰着が1時20分。 夕食後外に出て見た。傾いた太陽に西の空が赤く染まっている。夕日を受けてイブキトラノオのシルエットが揺れていた。北ノ股岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳と雲の平を取り巻く山々が群青色の高峰を連ねている。両翼を大きく広げた水晶岳は遥かに遠い。明日は天気が良ければこれらの山々を縦走して水晶岳まで行くのだ。次男の目には絶望的に遠い山に映ったようだ。空には青空が更に広がっていた。 ≪太郎平から水晶岳へ、標準14時間の長大コースを行く≫
晴れ間ものぞいてまずまずの天気。ロングコースに備えて山小屋を早発ちする。 小屋裏手の太郎山へは足慣らしの距離で10分ほど。日の出にはまだ間があるので北ノ俣岳へ向かう。北ノ俣岳肩への急登は今朝最初のひと仕事だった。肩に着くと、黒々とした水晶岳稜線上に陽が昇るという良いタイミング。薬師岳にかかっていた雲もすっかり取れて、初めてその巨体のすべてを暁光の中に現した。 眼下に雲の平が広がり、黒部五郎岳も薄墨色にその姿を見せた。20分ほど撮影に要してから、北ノ俣岳山頂へ向かう。 ブルーシャドーの黒部五郎岳に早くも雲がかかってきた。神岡新道コースの分岐を過ぎると、稜線の小さい突起が北ノ俣岳山頂であった。早朝の展望を楽しんでから次は黒部五郎岳だ。 ハイマツのコ−スに入るころ、あっと言う間に視界は霧に閉ざされてしまった。失望しながらも気を取り直して展望のない道を進む。風も出て来た。岩陰に風を避け、雨貝を着用していつ降りだしてもいいように備える。ハイマツの中を登ったり下ったり、いくつ小ピークを越したか、倒れた標柱のあったところが最低コルの中俣乗越だったのだろうか。自分たちが今どこまで来ているのか見当がつかない。
荷物をデポしてそのまま山頂へ向かう。山頂の直前、ガスが消えて巨岩の堆積した山頂が浮かび上がった。それは劇的な現れ方だった。晴れたのはつかの間、ふたたび濃霧の底に沈んでしまった。 日本百名山97座目の山頂である。 カールへ向かって下って行く。黒部五郎カールに点在する奇景の羊岩群とハイマツの織り成す模様は、 写真で見たそれと同しだった。雪渓から流れ出す清澄な流水がいたるところ見られ、傍らには高山植物が美しい。 空はすっかり晴れ渡っていた。薬師岳、水晶岳など黒部源流を取り巻く著名な山々、さらに三俣蓮華、双六などの眺望が一挙に展開した。 カールをあとに潅木の道を黒部五郎小舎まで下り、巻き道で三俣山荘へ急ぐ。三俣山荘へは楽な行程と思っていたが、標高差400メートルの大きな登りにうんざり。 いよいよ本日最後のきついアルバイトとなる鷲羽岳への急登が待っている。 砂礫の急傾斜を一歩また一歩と登って行く。今日は早朝から何回登り降りを繰り返して来たことだろうか数えきれない。この400mの登りは足が上がらなかった。それでも一回も休まずにその400mをワンピッチで登り切った。
水晶小屋はもう近い。十分に眺望を楽しんで、なお去りがたい思いを残して鷲羽岳を後にした。 ワリモ岳の岩塊を越え、岩苔乗越からはのどかにお花畑の中を逍遥。左手に赤の池を見て急な砂轢道となり、ひと登りすると水晶小屋だった。 小屋で宿泊の手続きをしてから水晶岳へ向かった。水晶岳への途中、常に槍、穂高が視野についてくる。頂上への岩場に取り付く。険しい岩場だが手掛かり、足掛かりもしっかりしているので心配はない。黒部側に鋭く切れ落ちた急崖に、高山植物がしがみついて咲いている。 岩場を登り切った山頂は、ここもまた鷲羽岳以上の大パノラマだった。祖父岳から雲の平が眼下に俯瞰できる。
日本百名山98座目の山頂で、見飽さぬ展望に踏ん切りをつけて水晶小屋へと下った。 帰りに水晶を探して見たが。石英ばかりで、本物の水晶は見付からなかった。 ≪水晶小屋から烏帽子岳を踏み、高瀬ダムへ下山≫ 夜半、強い風が吹いていた。水晶小屋は2900メートルを越す稜線にあって、ことさらに風当たりが強い。同宿の登山者が、「この風では鷲羽岳は危ない、黒部源流コースから双六へ行こう」と話し合っていた。風は強いが心配し過ぎのようだ。この程度は山では当たり前、経験の少ない者にはやはり風というのは、恐怖心を誘うものなのだ。私も最初は同じだった。 三日目の朝、雲量が多く特に北の空には怪しげな雲が押し合いヘしあいしている。 今日は下山の日、下りが多いとはいえ結構歩きでがある。朝食を済ませて5時半に小屋を後にした。すぐに降り出すことはないが、防風もかねて雨具着用で出発した。小屋からは赤い岩肌の痩せ尾根を、ひといきに急下降して東沢乗越まで下る。これから辿る裏銀座コースは槍の展望コースでもある。曇っているが遠望がきいて、槍の穂先から大天井、常念、燕とよく見える。立山、黒四ダムも見えている。 大きな登り降りはないが、岩を越えたり岩石の堆積した個所を通過したり、山歩きの楽しさを味わえる稜線コースだ。 岩屑の斜面をひと喘ぎして野口五郎岳の山頂に立った。頂上の少し先にある野口五郎小屋で休んでいると、パラパラと雨が落ちてきた。脱いでいた雨具を急いで取り出す。大きく崩れないうちに先を急ぐことにする。 三ツ岳までは上下の少ない楽なコースだった。 三ツ岳からは、前方鋭く岩峰を突き出した烏帽子岳が目立つ。あの岩峰にも立ち寄って行きたいが、ブナ立への下山口から往復1時間半を見なくてはならない。天気と時間に相談ということにして烏帽子小屋への長い下りにかかる。このあたりはコマクサの群生地、冷たい風に吹かれていじらしく咲く一株の花を見付けた。 烏帽子小屋まては予想以上に長く感じた。キャンプ場を抜けると小屋はすぐだったが、最後にわずかの登りがあって、これが足にこたえた。 雨はたいしたこともなく止んでくれた。時刻は9時25分、余裕がある。烏帽子岳を往復することにした。次男も行くという。ザックを小屋にテポして空身で出発した。 ブナ立尾根を見送ってシラビソの林を抜けると、眩しいような白砂に花崗岩とハイマツのコントラストが人工庭園のような景観を見せていた。 私がマイペースで歩くと、次男はやや遅れ勝ちとなる。ひと登りして立ったピークが“にせ烏帽子”で、ここから目の前に烏帽子岳の岩峰が天を指していた。 ざくざくした白砂の斜面を下ってから岩塊の登りに取りついた。庭園風の白砂を踏んで道は潅木の中に入り、一挙に急傾斜を攀じるようになる。潅木につかまりながら急登して行くと、岩場が現れる。下から仰ぐと岩峰の頂上までルートがあるのか疑ったが、登ってみると岩場にもちゃんとルートがついていた。 油断はできないが岩登りの気分を味わいながら撃じ登ると、尖峰直下の岩の上に立った。この上の尖峰には手掛かりかなく、ロープがぶら下がっている。それに身を託して先端に立った。 狭くて−人立つのがやっとだった。 時間を気にして小屋まで戻った。 これから北アルプス三大急登のひとつ、ブナ立尾根の下りに入る。濁り沢まで1000メートルの高低差が、まるて落下するように下っている。一歩一歩膝ががくがくするような急坂が休むことなく続く。 標高が下がるにつれて気温が上がり、 汗が滴り落ちる。途中5分の休み2回を挟んで、ようやく濁り沢の河畔に降り立った。トンネルを抜けて高瀬ダムの堰堤上まで来ると、強行軍のこの山歩きも、ようやく終わるのだという思いを実感できた。 ダムの堰堤に電光型につけらけた道を下り、高瀬川に沿ったトンネルをいくつもくぐり、七倉に着いたのが1時35分だった。 葛温泉の入浴を考えていたが、次男がもう歩くのは嫌だという。結局七倉荘の狭い温泉で汗を流し、目的を達した山行にビールで乾杯した。 日本百名山は、あと残すは2座=早池蜂、飯豊だけとなった。 |