追想の山々1091 up-date 2001.09.01
●富山市ホテル(3.45)===折立(6.50)−−−三角点(8.00)−−−太郎平小屋(9.20-30)−−−薬師沢小屋811.00)−−−祖母岳(13.10)−−−雲ノ平山荘(13.30-45)−−−祖父岳(14.35)−−−雲ノ平山荘(15.25) ●雲ノ平山荘(5.20)−−−高天原山荘(6.50)−−−高天原温泉(7.05-30)−−−高天原峠(8.25)−−−薬師沢小屋(10.3-45)−−−太郎平小屋(12.30)−−−薬師岳小屋(14.00-20)−−−薬師岳−−−薬師岳小屋(15.40) ●薬師岳小屋(4.15)−−−薬師岳(4.50-5.15)−−−太郎平小屋(6.45)−−−三角点(7.45)−−−折立(8.35)===自宅へ |
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所要時間 | 1日目 8時間35分 | 2日目 9時間 | 3日目 4時間20分 | ||||||||||||
快足で歩いたロングコース
アプローチが不便な上に、雲の平というのは北アルプスの奥座敷と呼ばれるほどの奥まった山域である。雲の平から高天原を周回すれば、最低入山に2日、下山に2日という長丁場になる。さらに野口五郎岳方面、あるいは双六岳方面への縦走となればもっと大変になる。 山中2泊が限界という人工肛門のハンディの身では、なかなか思い切りがつかなかった。普通に歩けば、山中3泊か4泊のコースだが、いろいろ検討して2泊でも十分歩ける目処を得た。時間が足りなければ高天原を飛ばすという手もある。 マイカーでほぼ7時間かけて富山へ到着。登山用のジョギングシューズを忘れてきたのに気づく。市内のスーパーで安物のジョギングシューズを調達する。(安物のおかげで、このあとマメにやられることとなった)この日は富山駅近くのビジネスホテルに宿泊。まず洗腸を済ませておく。 第一日目 未明3時45分にホテルを出る。有峰林道は改良工事中で今年一杯通行止めになっていた。代りに林道小口川線を使う。「水須ゲート」に着いたのが4時半。ゲート開門は6時からとなっている。これなら何も早起きして来る必要はなかった。今朝洗腸をして来ることもできた。そうすれば排便の始まりを半日延ばせたわけだから、気持ちの上でもずいぶん楽になったはずだ。山中2泊となると、やはり最終日の排便のことがが一番気にかかる。 1時間半、すっかり夜の明けたゲート前で、わずかの仮眠をとったりして時間をつぶす。 予定外の出発遅延で、今日は雲の平まで入るのは無理かもしれない。頭の中では薬師沢小屋泊りとなることを覚悟、そうなれば残念だが高天原まで足を延ばすのはむずかしいだろう。 午前6時、ようやく開いたゲートから折立へ向かった。一番先頭で林道を飛ばして折立着は6時50分。路肩、空き地には登山者の自動車が数珠つなぎに止められている。 遅れた時間を取り戻すようにただちに出発した。登山口は9年前と変わっていなかった。あのときは太郎平まで5時間のコースを2時間20分ほどで歩けたが今日はどうだろう。もうあんな体力は残っていないかもしれない。マイペースで登ってゆく。いつしか樹相はシラビソなど針葉樹の原生林に変わり、高山の雰囲気となってきた。1871メートルの三角点で時間をチェック、標高差500メートルを50分で登ってきた。コースタイム1時間30分と比べるとかなり早い。9年前とほとんど同じではないかと思われる。樹木の間から剣岳が小さくのぞいていた。このペースが維持できれば、第一日目で雲の平まで行ける可能性がある。
太郎小屋着9時20分。ここまでコースタイム5時間を2時間20分で歩いた。足の衰えを知らぬ快調さだった。現在時刻からすると雲の平まで行くのは十分可能と思われる。 太郎小屋から薬師沢までは標高差450メートルの下りである。普通の登山者は第一日目は太郎小屋か薬師沢小屋で、その先まで足を延ばす人はほとんどない。太郎小屋前で一休みしてから、時間を惜しんですぐ薬師沢へ向かう。小屋の先で黒部五郎岳方面へのコースと別れてしばらく行くと、道は急勾配で沢へ落ち込んで行く。今までかせいだ貯金を吐き出すような急な下りだ。声には出さぬも「もったいない、もったいない」と唱えながら下って行く。ようやく下りついた大きい沢が薬師沢左俣ある。立派な橋が架けられている。一休みしたい誘惑を振り切って先へ急ぐ。左俣からは小さな起伏はあるものの、比較的なだらかな道が薬師沢へとつづいている。 やがて「カベッケ原」の標識の立つ笹原となる。休憩用ベンチも備えられていた。カベッケ原を過ぎると10分ほどで薬師沢小屋となる。太郎小屋からコースタイム2時間30分のところを1時間半だった。相変わらず調子がいい。ここでの宿泊を覚悟していたが時刻はまだ11時。雲の平まではコースタイム4時間、そのとおりに歩いても3時前後には到着できる。早めの食事を取り、飲料水を満タンにしてから雲の平へと向かった。
急がず休まず一歩一歩登ってゆく。今朝から1000メートル登って400メートル下り、今度はほとんど緩まない急登700メートルの高度差を攀じて行くのはさすがに足にこたえてきた。 攀じるという言葉がぴったりの、足場の悪い急登にうんざりするころ木道があらわれた。どうやら雲の平の一角にたどりついたらしい。なだらかになった道に、ほっとした気分が湧いてきた。 木道沿いは○○庭園とかいう名前がついていて、雲の平独特の景観を作っていた。どこか尾瀬を思わせるような高原あるいは湿原という雰囲気が漂う。高原漫歩の気分で1時間ほど歩くと雲の平山荘手前でアルプス庭園への標識があった。ザックを置いて行ってみることにした。ちょっとした凸部のピークへ向かって登って行くと10分ほどで「祖母岳」の標柱のあるピークに着いた。ピークというより、広々とした高原の頭という感じだった。展望は素晴らしい。薬師、黒部五郎、三俣蓮華、水晶・・・名だたる高峰がぐるりと取り巻いている。 しばらく展望を楽しんだ後、分岐に戻ってすぐ先にある雲の平山荘へ入った。
薬師沢小屋から4時間のコースを、祖母岳へ立ち寄ったにもかかわらず2時間30分で歩くことができた。 時刻は1時半。疲れてはいたが、こうしているのも勿体なくて祖父岳へ登って来ることにする。小屋の従業員に「1時間ほどで行けますか」と聞くと、1時間で頂上まで行ける人は相当な健脚だという。夕食までには間違いなく戻れる。 祖父岳までは標高差350メートルから400メートルほど。山荘を出てから約15分、いったんキャンプ場まで下り、ここから400メートル近いきつい登りとなる。キャンプ場水場で頭が痛くなるような冷たい水で喉を潤す。この水は近くの雪渓から取っているようだ。 疲れた足は思うように上がらない。岩くずのザレた道をカメラ片手に這い上がって行く。キャンプ場の色とりどりのテントが小さくなってゆく。数十張り以上はあるだろうか。大変な数だ。山荘も小さく見える。 山頂近くなると岩塊の堆積となってきた。岩につけられたペンキ印を目じるしに急登を攀じり終わると広い円頂を持つ山頂だった。 ケルンのある中央に立つと胸のときめくような展望が広がっていた。眼下には黒部源流の谷。薬師、太郎兵衛平、黒部五郎、三俣蓮華、鷲羽、水晶、赤牛と360度の眺望がほしいまま。さらに槍ケ岳から穂高連峰までもが一望のもとだった。疲れた足を引きずって登ってきた甲斐があった。これで今日の登りだけの標高差が2000メートルを優に超えたことになる。よく歩いたものだ。5分前後の休憩を数回取っただけ、実動8時間半の一日がようやく終わった。 山荘で今日の行程を聞かれて説明すると、この歳でほんとうに歩けるのかという顔をしてあっけに取られていた。 2日目 山荘を出て高天原峠経由高天原温泉へと向かう。山荘前の小ピークに登ると水晶、黒部、薬師などの山々が黎明の中に黒々と聳えていた。 ピークから峠までは足場の良くない急坂を一気に下ってゆく。高低差約400メートルの下りだ。途中の小湿原にはウサギギクなどの花が朝風に揺れている。学生3人が駆けるようにして私を追い越していった。 山荘から約1時間、高天原峠に着く。高低差の割には時間がかかった。もう少し高低差があるのかも知れない。峠から左へ行けば大東新道で薬師沢小屋、右が高天原である。ここは当然高天原まで行き、温泉へ入らないわけにはいかない。 地図で見る限り高天原まではたいして時間はかからないと思ったが、予想以上に長かった。途中二つ三つ沢を渡り、起伏しながら全体としてはさらに下って行く。 原の雰囲気になってきて小さな池塘も見える。良く見ると池畔にはモウセンゴケが植生している。原の中を蛇行して行くと高天原山荘の前に出た。思ったより小さな山荘で、ずいぶん古びていて大掛かりな手入れが必要なようだ。目指す温泉はまだ先だった。 さらに緩く下って「ねむりの湯」の標識。細道を入って行くと学生の3人が戻って来る。湯がぬるすぎるらしい。この先にあるもう一つの湯の方がいいらしい。私も後に続いて「からまつの湯」へ行くことにした。
高天原というのはもう少し広闊としていて、女性好みの雰囲気に満ちているような感じを持っていたが、山奥のちょっとした平坦地に過ぎなかった。温泉がなければわざわざ足を運ぶ人も少なかろう。 30分ほどの入浴の後、再び高天原峠へと戻る。峠までけっこうな登りだった。高低差200から300メールはあるだろう。峠で一休みしてから薬師沢小屋への下りにかかる。最初は緩い傾斜で楽々気分で歩いていたが、やがて足場の悪い急坂となった。雲の平への登りルートも悪路だったが、この大東新道もそれといい勝負だ。おまけに小さな沢を徒渉するため、何回もアップダウンがつづき、それがジャブのように効いて疲労も強く時間もかかる。 実際にかかった時間以上に厳しく感じる下りがようやく終わると、清流のほとばしる渓流となる。これがB沢というらしい。冷たい沢水をたらふく飲んで小休止を取った。転石につけられたペンキを頼りに渓流を下って行くと、とうとうとした流れに合流する。これが黒部川の上流部である。見るからにイワナが泳いでいそうな美しい流れが、ところどころ瀞を作ったり、大きく蛇行したりしながら流れていた。点在する大小の石は全体に白っぽいものが多く、河原全体が別世界に入ったように明るい。 流れの右岸をペンキ印を目当てに遡上して行く。 薬師沢小屋まではもう一息と、勝手に思い込んでいたが、なかなかあの吊橋が見えてこない。時には流れの中の転石を飛び、あるいは高巻いたりして、河原歩きと言っても決して平坦だけではない。 まだかまだかと思いながら、結局40分も黒部川の河原を歩いて、ようやく吊橋が見えてきた。 薬師沢小屋着が10時半、高天原温泉から3時間の所要だった。 一休みしてから太郎小屋へ向かう。朝のうちはまずまずの天気だったのに、すっかり雲に覆われてしまった。振り返ると先ほど下ってきた山々の稜線は雨模様に変わっている。 薬師沢小屋からは、昨日下って来た道を今度は約500メートルの登り返しとなる。太郎兵衛平方面からの登山者が多い。太郎平への最後の急登は足が重い。一歩一歩引きずり上げて行く。稜線へ登りついてほっとするころ、ポツリポツリと雨が落ちてきた。たいした降りにならなければいいが。あれだけ天気予報を確認し、安定しているという予報を信じてきたのにどうも「当たらないのが天気予報と宝くじ」である。 薬師沢小屋からの所要は1時間50分、それほど急いだわけでもなかったが、コースタイム3時間を大幅に短縮していた。
雨がまた落ちてきた。たいした降りにはなるまい。薬師峠キャンプ場へさしかかると突然本降りとなってしまった。急いで雨衣を取り出して着用。このまま降り続いたらと思うと少し気が重くなったが、いまさら下山するという気にもならず、薬師を目指して登って行った。 雨具を着用したことで、蒸れて暑くてしょうがない。不快極まりない。9年前に次男と薬師岳へ登ったときはひどい雨風の中だった。足元だけを見つめて、無言でただひたすら登っていった。あれを思えばこの程度の雨はたいしたことではない。やがて小降りになったのを機に雨衣を脱ぐ。 樹林を抜けると、涸れ沢の斜面にチングルマ、エゾノコザクラ、ハクサンイチゲなどの花が咲き競っていた。 やや寒く感じるほどの風を受けて、見通しのいい尾根を登って行く。太郎小屋から1時間強で薬師小屋到着。これも早かった。 小屋で受け付けなどをしてしばらくすると天気が回復してきた。明日はどうなるかわからなしい、今日のうちに山頂を往復しておくことにした。 小屋から上は一木一草も見当たらず、すべて岩片に覆われている。ガラガラした岩くずの急登はことさらにこたえる。小屋から50分ほどで山頂に到着した。 ここからの眺めは巨大な赤牛岳の姿が圧巻だ。数年前に快晴の下、水晶岳から赤牛へとつづくあの長い尾根を縦走した日のことが思い出される。太郎兵衛平、黒部五郎、そして有峰湖などの展望をしばし楽しむ。残念ながら剣、立山方面は雲の中だった。 小屋の夕食を済ませた後、天気は急速に良くなってきた。 小屋の前に出て落日に見入った。西の空を真っ赤に焼き、天空いっぱいにオーロラのような夕焼けを演出してくれた。こんなに素晴らしい夕焼けを見たのはいつのことか思い出せない。いまも瞼に焼き付いている。里では見ることのできない素晴らしい落日だった。 3日目 天気が良かったので、50分の時間をかけてもう一度山頂へ登った。東方に位置する鹿島槍ケ岳、針の木岳方面の稜線に雲がたなびいて、期待のご来光を見ることは出来なかった。 早くも秋の空を思わせる曙光の中に、シルエットで浮かんでいた剣、立山連峰の眺めは良い思い出となった。 薬師岳山頂を後にして下山の途についた。太郎小屋まで1時間半、さらに折立まで1時間50分。超特急の歩きだった。コースタイム通りに歩けば、合わせて4時間半のコースである。 折立下山は8時35分。完全燃焼の山旅であったし、また脚力が確かなものであることも確認できた嬉しい山旅でもあった。 長駆7時間の運転で帰宅した。 全行程のガイドブックコースタイム約36時間に対し、正味要した時間は約19時間だった。 |