追想の山々1055  up-date 2001.06.29

奥穂高岳(3190m) 登頂日1989.07.19 単独
●上高地(7.15)−−−岳沢ヒュッテ(8.40)−−−ルートを誤り途中から重太郎新道へ合流(10.00)−−−紀美子平(11.00)−−−奥穂高岳(11.55-12.30)−−−−−− 紀美子平(13.20-35)−−−岳沢ヒュッテ(15.00)
●岳沢ヒュッテ(4.00)−−−上高地(5.00)
所要時間  1日目 7時間45分 2日目 1時間 3日目 ****
                  よくも滑落事故を起こさなかったもの=(52歳)

我が国第三位の高峰奥穂高岳で思わぬリスクに直面した。そのときは夢中で自分のやっている行為を冷静に見ることが出来なかった。登頂を終って山行記録をつづっているとき「よくも無事で帰れた」と思わずにはいられなかった。
あれから12年経った今も、それを思い出すとぞっとしてしまう。
繁く山に通うようになってまだ1年、怖さもわからない暴走登山をやっていたのだ。

早朝7時15分、まだ人気の少ない河童橋から岳沢への登山道に入る。
岳沢ヒュッテ着8時40分で順調。これから奥穂高岳を往復して今夜はここに宿泊したい旨申し込んで手続きをとる。
「今出発すれば夕方6時には戻れるでしょう。今年は雪が多いから無理をしないように、昨日下ってきた人の話しでもスリッ プに注意するところが2ケ所あるそうだ。注意して下さい」との指導を受ける。

最低限の荷物だけ持って9時前に出発。この時期は履物はジョギングシュ ーズか布製登山靴だが、今日は珍しくビブラム底の革登山靴を履いてきた。残雪が多いとキックステップの必要があるかもしれないと思ったからだ。  
前穂高岳への重太郎新道を登るらしい登山者が二人、連れではなくそれぞれ単独行らしい。そのあとを追うようにして巨岩のゴロゴロした岳沢におりる。重太郎新道への登山口はどこ?、ときょろきょろするがよくわからない。前を行く二人に追いつき、『登山道はこっちでいいでしょうかね』とお互い頼りなげに確かめあう。  
実はここで基本的な失敗をしてしまった。不安だったらもっとしっかり確かめるなり、ヒュッテに戻り聞くなりすべきであった。先を急ぐあまりただ漫然と進んでしまうとは、まだ私も山歩きにおいてはまったくの初心者レベルだったと後日反省。  

ヒュッテを出てから岳沢を直角に横切ると、対岸にきちんとした重太郎新道を示す標識があったのだ。そうとは知らず前の登山者の動きに釣られて、岳沢を遡上してしまったのだ。  
沢はすぐに幅100メートル以上もあるかと思われる残雪で埋まる。左岸に重太郎新道への取りつきがあるはずと信じて、滑落に注意しながら登る。先ほどの二人もそれぞれにこの雪渓を登ってくる。沢を詰めるにつれ雪渓はどんどん傾斜を増してきた。通常の歩行は困難となりキックステップで足場を切って慎重に登る。ビブラムでなかったらどうにもならなかったところだ。

奥穂高岳山頂からのジャンダルム
登山道らしき取り付きがあらわれない。残雪で隠れているにしてもどうも変だと気付く。しかし『右手の尾根に重太郎新道はあるはずだ』と右手の枝沢の雪渓に入って様子を見ることにした。
この沢を詰めれば重太郎新道のある尾根に登り着くものと思われた。しかし枝沢の雪渓は尾根に辿りつく前に、潅木の茂みに遮られ前進は不能となってしまった。ここでヒュッテまで引き返し、正しいルートを登ればまだよかったのに、一旦登った高度を引き返すのが惜しくて更に誤った方向に進んでしまった。  

枝沢を左岸から右岸へおっかなびっくり横切る。雪渓は急傾斜をもって岳沢へ落ち込み、一 歩足を滑らせればピッケルもない素手では停止することなど不可能だ。一つ一つステップを切るが、まともなステップにならない。足に全神経を集中して渉りきった。

次にブッシュを掻き分けて支尾根をひとつ越えると、また枝沢の雪渓であった。凄まじい雪崩の爪跡がこれ以上の前進を拒んでいるように見えた。しかしこれも無謀にもトラバースして、もうひとつ支尾根の薮をかき分けると、そこは岳沢本沢の雪渓最上部であった。眼下には滑ったら下まで一気に行ってしまいそうな雪渓が無気味だった。雪渓の中ほどに岩稜帯があり、あれを登ってどこか歩きやすそうな場所を右手にトラばースして行けば、もしかすると重太郎新道の上部に出るのではなかろうか。そう思って雪渓を恐る恐る踏んで岩稜に辿りつき、少し登って見たが行く手は岩壁でとても私の手の出せるものではない。(後で地図をみるとこの岩壁は奥穂南稜であることを知り驚く)岩と雪渓の間が大きく離れて、覗き込んでも深い底まで見ることができない。とんでもない方角へ来てしまったらしい。

先程の二人の姿は雪渓の上には見えない。さてどうしようかと座ってしばらく思案していると、 ヒュッテあたりから前穂高岳への尾根筋下部に人影がちらちら見え隠れしている。二人の内の一人が、下まで戻って重太郎新道を登り始めたのかも知れない。それに違いない。あの尾根が重太郎新道だったのだ。
よし、それならばせっかくこの高さまで登ったのだから、下に降りないでこの高さで山腹をトラバースしながら重太郎新道に合流しよう。  

奥穂高岳山頂
先ほどの2本の枝沢雪渓は怖かったが、何とかこれを戻って更に潅木の茂みを分けて行くと大きい枝沢に出た。雪渓はかなり上まで延びている。『よし、これをさかのぼろう』それほど急傾斜には見えなかったが、雪渓にとりついて見るとなまやさしい傾斜ではなかった。冷静に考えれば、アイゼン無しで登るなんて気ちがい沙汰だった。緊張しながら靴先を蹴込んで雪渓上部を目指していくが、これも見た目よりずっと長く、上に行くほど傾斜がきつくなって、もう危険の限界だった。歩き憎いが雪渓とブッシュの境目を、潅木の枝などを頼りにようやく雪渓を抜け出した。
ここまでの体力消耗は激しいものがあった。へとへとに疲れていた。
もうひと頑張りと思い潅木帯を押し分けると、明るい切り開きに飛び出した。目の前の尾根が目指す尾根では・・・斜面をはい上がって見ると、それはまぎれもない登山道。重太郎新道に違いない。何と遠回りをしたことか、しかしやっと辿りついた安堵感に、へなへなと座り込んでしまった。時間は10時。1時間少々のさまよいだったが、もう何時間もたったような気がする。

登山道のどの位置にいるかよく分からないが、岳沢がずっと下の方に見える。里山ならいざ知らず、登山の素人が北アルプスの険しいところを、道もないままよくも歩いたものだ。
今度はルートの心配がないだけ精神的には楽だが、それにしてもこの重太郎新道というのは、評判どおりの険 しく急峻な登りである。
燕岳の合戦尾根、烏帽子岳のぶな立尾根と並ぶ北アルプス三大急登の一つだけのことはある。
疲れた足に鞭打って痩せた岩稜の急登を撃じる。普通なら何とか休まずに頑張って登ってしまうのに、疲労が足の芯にまで達しているようで、頑張りがきかず何回も立ち休みを繰り返した。

やっとの思いで紀美子平に着いた。これから吊り尾根を辿って奥穂高岳へのルートは、たいした登り降りもなく楽に往復出来るものと勝手に考えていた。紀美子平が2900メートル、あと300メートルほどの高度をじわじわ登って行くのだと思った。
雪渓の二つ目が最低鞍部で、ここからの登りがきつかった。重い足をなだめながら運んでいく。結構頑張って登っている登山者を追い越しながら、やはり私の歩き方は速いのだなあと改めて思う。  

これまで岳沢側にあったルートが吊り尾根稜線に変わると、アルプスの展望が開け、明神岳、前穂、常念岳、大天井、燕、北穂などの山岳が目に飛び込んできた。
個沢カールは雪一色で、とても7月中旬の涸沢とは思えない。
奥穂山頂はまだかまだかと繰り返しながら、もう一度涸沢を見下せる稜線に出ると、やっと奥穂頂上が目前に姿を現した。
11時55分、山頂到着。本当に疲れた、辛かった。ジャンダルムを眺めながらへたりこんだ。

穂高岳山荘ならすぐ下にあるのに、ここから岳沢まで戻らなくてはならない。もどるだけでも結構大変である。上高地からだとここまで単純に高低差1700メー トル、登り降りや途中の無駄な歩きを考えれば、一日でこれだけの高低差を登ったのは初めてのことかもしれない。 早くヒュッテに戻ってゆっくりしたい。そんな思いで頂上を後にした。

下りは気持ちが楽だ。いつものことながら、ひと仕事したあとの充足感で花の写真を撮ったり道草を食いながら吊り尾根を紀美子平まで戻ると、岳沢への取り付きで会った登山者の一人に出あった。やはり途中まで雪渓を登ったあと、間違いに気付いて一旦下まで戻ってから、登りなおしてきたとのことだった。もう一人は登項を諦めたようだ。

重太郎新道の途中から、がむしゃらに登った雪渓を眺めていると、我ながらよく登ったものだと、半ばあきれ、半ば感心した。  
ヒュッテに着いたのは3時ちょうど。

翌日は焼岳へ登ってから帰る予定であったが、目覚めると雨がしとしと降っている。とりあえず上高地まで下って様子を見ることにする。早朝、雨の上高地は人影もなく無人の河童橋は珍しい。雨に煙る河童橋を写真に撮ったのが、なかなか雰囲気があって自分としてはお気に入りの写真となった。  
雨は止む気配はない。焼岳は出なおすことにした。
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