追想の山々1057 up-date 2001.06.30
●七倉(5.45)−−−高瀬ダム上(6.50)−−−烏帽子小屋(9.35-50)−−−三ツ岳(10.45)−−−野口五郎岳(11.40-50)−−−水晶小屋(13.30) ●水晶小屋(6.20)−−−鷲羽岳(7.20)−−−三俣山荘(7.40-50)−−−双六小屋(9.30) ●双六小屋(5.10)−−−鏡平(6.15-35)−−−秩父沢(7.40)−−−新穂高温泉(9.00) |
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所要時間 | 1日目 7時間45分 | 2日目 3時間10分 | 3日目 3時間50分 | ||
西日本を低気圧が東進中、妻は心配してこの計画に異議を唱えている。 今回もまた妻の抵抗を押し切るようにして出かけて来てしまった。長野、富山、岐阜各県とも、明日、あさっては曇りときどき雨だが大きく崩れるという予報はない。山の上は多少風雨があっても縦走に支障はあるまい。日本百名山の水晶、鷲羽岳を早く登っておきたかった。 月曜日を有給休暇にして、9/2(土)〜4(月)の計画で出発した。 1日目、七倉から水晶小屋まで2日のコースを一日で歩いてしまおうというのがややハードな計画ともいえた。私の脚力なら大丈夫だろう。9月に入ったとはいうものの、装備も夏山のそれで心配ない。 新宿発23:20急行アルプスで大町駅へ、 駅前でタクシー相乗りを一人だけ見つけて七倉へ向かう。 東の空に赤みがさし、やがてそれは血を流したような朝焼けとなった。不気味な朱色だった。雨がぽつぽつ落ちて来た。 七倉でタクシー下車、腹ごしらえをしていよいよ出発する。 ダム建設のためにつくられた長い隧道を出たり入ったり、傘をさして歩くことほぼ1時間、巨大なロックイルダム(高瀬ダム)となる。ダム堰堤からトンネルを抜け不動沢にかかると立派な吊橋がある。さらにもうひとつ小さな吊橋を渉ったところから本格的な登りが始まった。 1日目はコースタイム14〜15時間を10時間以内で歩くのが目標。不動沢までで1時間ほど時間短縮していることを確認。 北アルプス三大急登と言われるブナ立尾根、標高差1200mを直線的に登ってしまうきびしいものである。この登りのコースタイムは約6時間、私の計算では100m15分で3時間と読む。この急登さえ頑張れば、あとは比較的楽な稜線となる。わずかの立ち休みをとるだけで黙々と高度をかせいでいく。三角点の標識に着く。8時46分、時間的には早く着き過ぎの感じだが地図で確かめると2208m三角点に間違いない。 いままで見えていた山々がガスに閉ざされていく。雨脚の近づく気配を感じ雨具をつけて稜線の烏帽子小屋をめざす。 さしもの急登が緩み稜線に登り着いた。少し下ったところが烏帽子小屋。稜線は強風が吹き抜けている。管理人にこの気象条件下、水晶小屋までの縦走について意見を聞く。「雨はたいしたことはないが風が強いから注意が必要だ。気をつけていけば行けないことはないでしょう。2時間前に一人水晶に向かった、ひどければ引さ返すと言っていたが・・・」とのこと。 確かに建物の中にいると風の音が激しい。 ここ烏帽子小屋に泊まるべきかどうか迷ったが、時刻はまだ10時前、ここから6時間20分のコース。無理なら引き返すことも考慮して水晶に向かうことにした。 半袖に雨具では、風で体温を奪われて寒い。長袖を着る。 三ツ岳への登りを、風圧と戦いながら一歩一歩進む。雲上のプロムナードであろうと思われる広々とした稜線も、いまは厳しい風との格闘であった。 稜線を行く登山者が見える。後を追う。登山者は三ツ岳頂上を越えて向こう側に消えていった。私も三ツ岳に到着すると、その人は休むこともなく先を歩いて行くのが見える。 右手の東沢谷から吹き上げてくる風が凄まじい。岩石帯はペ ンキ印が頼り。砂礫の道は踏み後を外さないように細心の注意で、次のポイント野口五郎岳をめざして進む。 なかなか前の登山者に追い付かない、彼もかなりの健脚だ。視野の中に一人登山者がいるというだけで計りしれない心強さを感じる。誰にも会わない静かな山がいいと思っているのに、この厳しい条件ではそれも例外である。 野口五郎岳手前でようやく彼に追いついた。フードとメガネで若いのか年配者なのか、それもわからない。耳元で大声で話さないと聞こえない。幕営するか水晶小屋まで行くか考えているところだという。私も歩きながら、進むべきか烏帽子小屋へ引き返すべきか自問自答しながらここまできてしまった。この烏帽子小屋は今シーズンの営業を終って無人。 吹き付ける雨滴が顔面につぶてとなってたたきつけるように痛い。風は更に強まる気配だ。ここまで来てしまえば、戻るより水晶小屋の方が近い。あと2時間半がんばればいい。疲労が溜まってきた。早く小屋まで行き着きたい。彼もかなり疲れている様子、先に行ってくれという。吹きさらしの野口五郎岳頂上の強風でザックカバーを飛ばされてしまった。空中高く物凄い速度で舞い上がっていくのが見えた。 ここから水晶まで何と長い道のりであったことか。時折眼下にダムと高瀬川の流れが見える。赤岳にかけて岩肌をあらわにした険しいナイフリッジ状の尾根通しの道が見える。この嵐の中、あの険しい岩稜を登るのかと思うと緊張より恐怖が先に立った。 あれを登れば水晶小屋だろうか。疲労のため大幅にペースダウン、まだかなり時間がかかるかもしれない。とにかく風の当たらない小屋に早く入りたい。 小さな鞍部に地蔵さんがあった。ガイドブックの記憶では地蔵さんからは水晶小屋が近いはずだった。強風雨の中でガイドブックと地図を確認。確かにあと少しだ。目前の険しい岩稜を登り詰めたところに水晶水晶があるはずだ。 ルートの方角が変わったのか、風は今度は左手高瀬川の谷から猛烈な勢いで吹き上げて来る。これは台風だ。岩稜の強風に身をさらすと、体を確保しているだけで精一杯、足が前に出ない。暴風そのものだ。ゴーゴーたる唸りをあげ、山を揺るがすように吹き付ける。レインウエアがバタバタとはためき破れるのではないかと心配になる。 かつて考えたことのなかった「遭難」のニ文字が頭に浮かぶ。 3000メートル近い稜線、動いているから体温は保ってるが、動けなくなったらおしまいだ。強風に押されてちょっと立ち止まっているだけで身体が冷えてゆく。 岩にしがみつき、這って数メートル移動、風を遮る岩陰に入ると嘘のように風は収まる。その繰り返しで一歩一歩疲れた足を引きずり上げてようやくこの厳しい岩稜を越えた。 あとは砂礫と草付きの斜面を登り終る。このあたりに水晶小屋があるはず。だが、踏跡が錯綜している上に濃霧で視界が全くきかない。ホワイトアウト状態だ。ここで誤った方角に動いたらおしましいだ。慎重にそろりそろりと移動して行く。ぼんやりと建物らしい影が見えてきた。助かった、遭難せずにすんだ。嬉しさが全身にみまぎる。この悪条件下、14時間と言われるコースを、7時間45分、よく歩ききったものだ。山歩きで、このときほど自分を褒めてやりたいことはなかった。 小屋には先着が2名。しばらくは手がかじかんで宿泊用紙へ字が書けない。濡れた着衣を着替えストーブで暖まるとようやく人ごこちがついた。 先着の一人は今朝、烏帽子小屋から来た人、もう一人は昨日から悪天候に閉じこめられ動けなくなって沈澱していた人。この人は子供がかぶるようなビニ ールの雨合羽しか持っておらず、それも破れてしまったのだという。野口五郎で別れた登山者も1時間ほどして到着。今日の宿泊は4人だった。 管理人の話では、2日前の台風よりひどい風だという。 夜半の風雨は凄まじかった。ここは標高2900メートル。風が「吹く」のではなく、ダンプカーを束にしたような巨大な力が、小屋を押し倒そうと勢いをつけて体当たりしてくるようだった。ドーンと一発くらわされて小屋は震える。続いてド ドーンドドーンという連発・・・・小屋は大地に必死になってしがみついている。僅かに静寂が戻る。それはもっと大きな力を蓄えるための「間」に過ぎなかった。今度こそは必殺のパンチ、ゴーツといううなりを前触れにドカーン、小屋は大きく揺れ動く。もうだめだ。目を一杯に見開いて闇の中を見詰める。しかし小屋はまだ耐えている。ときには巨大シャワーを注ぐような雨もともなった。 明日はどうなるだろうか。やはり烏帽子小屋で待機して様子を見るべきだった。この水晶小屋は北アルプスの最深部、どこへ下るにしてもかなりの距離がある。私の足でも精一杯歩いて一日がかり。普通の人なら 2日はかかる。 翌日、水晶岳へ向かったが、ものすごい風圧に抗するのは無理だった。普通なら30分もあれば登れる水晶岳を、目の前にして無念の断念。あきらめて鷲羽岳山頂経由双六小屋へ向かうことにした。鷲羽岳の風も半端ではなかったが、何とか山頂を踏んで、三俣山荘を通過、双六小屋まで進んだ。 新穂高温泉まで下る予定だったが、秩父沢増水で徒渉不能だという。結局双六小屋に一晩泊まって、翌日新穂高温泉へ下った。 |
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私の14年間の登山人生で、「最も遭難に近い」山行が、この水晶岳〜鷲羽岳だったように思います。 まさに遭難と紙一重というものでした。今の体力ならまちがいなく遭難でしょう。 この翌年、今度は快晴に恵まれて山頂を踏むことができました。その様子はこちらへ |