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高妻山(2362m)  乙妻山(2318m)
2009.10.10 高妻山
1997.08.27 高妻山〜乙妻山

2009.10.10  戸隠牧場から高妻山を往復  Kさん夫妻同行
戸隠牧場(6.25)−−−氷清水(7.35-7.45)−−−一不動(8.05-8.10)−−−五地蔵山(8.55-9.05)−−−高妻山(10.50-11.35)−−−休憩15分−−−五地蔵山(13.25-13.35)−−−一不動(14.15-14.25)−−−戸隠牧場(15.40)
 
戸隠牧場から高妻山を往復
高妻山
旧知の山友、東京のKさんご夫妻と登頂。私にとっても12年ぶり、3回目の登頂だった。
晴れの特異日10月10日を狙ったが、天気のほうは期待に応えてはくれなかった。

車を登山口のある戸隠牧場へ向かって走らせる。一昨日が初冠雪という白馬連峰が曙の光の中に望める。めざす高妻山山頂で間近に望めればという期待が膨らむ。
戸隠牧場駐車場から出発する。放牧牛が露に濡れた牧草を食む風景が長閑だ。牧場を抜けて登山道へ入る。樹林の道を緩やかに登っていく。紅葉には少し早い。

勾配のついてきた沢沿いを行く。何日かぐずついた天気がつづいたあとで、山全体がしっとりと水気を含んでいる。沢の細流を何回となく渡渉を繰り返す。登山道も一部は水の流れと化していたり、ぬかるみも多い。しかし靴にしみこむほどのことはなく順調に歩を進める。
以前は一杯清水と言われていた水場は、今は『氷清水』と名前が変わっていた。
高度が上がってくると紅葉もかなり進んでいる。彩の風景を眺めながら、帯岩のトラパースも問題なく通過すると、最初のポイント一不動までは近い。

一不動避難小屋の前に立つと、ようやく高妻山の端正な姿が樹間を通して視界に入ってくる。見た目はそんなに遠く感じないが、コースは馬蹄型の稜線をだとるので歩く距離はけっこうある。

一服して次のポンイと五地蔵山へと向かう。一不動の次は二釈迦、三文殊と小祠が祀られ、最後は山頂の十阿弥陀となるが、この間隔は10等分になっているわけではない。一不動からは稜線コースで、登山道脇のサラサドウダンの紅葉が、しみるような鮮やかさで目を楽しませてくれる。
片側は深く切れ落ちている箇所も多いので、足元の注意を怠るわけにはいかない。曇り勝ちながら樹間からの高妻山をときどき確認するのも楽しい。実に美しくシンメトリーの三角錐だ。一つ突起を越えると五地蔵山だ。

五地蔵で休憩、目の前にあるはずの黒姫山はガスに覆われて姿は見えない。
この先何回かの上り下りが待っている。登ってきた高度を帳消しするような下りは何とも勿体ない。高妻山ピークへ向かって延びるコースが確認できる。急勾配の厳しさが察しられる。上空はすっかり雲に埋め尽くされている。いつか高妻の山頂部にも雲が絡んでしまった。
山頂の岩塊 帯岩付近の紅葉
最低コルの八丁ダルミからは低潅木と笹の世界、天気さえよければ開けた展望に気を紛らわせて急登にとりかかるのだが、今日は足元に目を落として黙々と忍耐で登っていくのみ。

急登にとりついて一歩また一歩と足を運ぶ、さらに勾配に輪をかけるような厳しさを感じると山頂の一角まではあと一息だ。登りついた草つきの稜線、あとは巨岩を縫い、緩やかに登っていけばすぐに日本百名山高妻山の山頂だった。一瞬乙妻山が姿を見せたが、すぐに雲の中へと隠されてしまった。期待の初冠雪北アルプス方面や頚城山塊の妙高、そして堂津岳なども見ることはできなかった。それでも雲が切れてくれればと淡い期待をもって40分ほど山頂でのときを過ごしたが、結局諦めて下山にかかった。

下り始めて間もなく、小雪がちらちらと舞い始めた。雪が舞うのに寒さはあまり感じない。下山を急ぐこともなく、何回か休憩をとって雲の切れるのを期待しながら下っていく。一瞬妙高や火打の姿が確認できたり、黒姫がその姿をはっきりと見せてくれたのする瞬間もあった。
五地蔵を過ぎるころから山頂部にからみついていた雲がとれて、高妻山の三角錐がしっかりと見えるようになってきた。足を止めてその美しい姿を振り返り振り返り、最後にもう一度一不動で名残の姿を確認してから、戸隠牧場への道を下って行った。



              高妻山(2362m)乙妻山(2318m) 登頂日1997.08.27 単独                 追想の山々1065              
戸隠牧場(5.45)−−−一杯清水(7.00)−−−一不動(7.30)−−−五地蔵山(8.15-25)−−−八丁ダルミ(9.00)−−−高妻山(9.45-.55)−−−乙妻山(10.35-50)−−−高妻山(11.35-50)−−−八丁ダルミ(12.20)−−−五地蔵山(13.00-10)−−−一不動(13.40)−−−戸隠牧場(?)
所要時間 9時間 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   20年ぶり、念願の再登を果たす=(60歳)

乙妻山から見た高妻山
20年前、次男が10歳のときに高妻山へ−緒に登ったことがある。それは日本百名山挑戦前のことである。
いつかもう一度登ってみたいと思い続けてきた。

日本百名山の挑戦前に登った山は7座(越後駒ヶ岳、美ガ原、乗鞍岳、高妻山、妙高山、常念岳、槍ヶ岳)あったが、それぞれ再登の機会を得て、乗鞍岳と高妻山が残された。

もうひとつねらいがある。それは乙妻山への登頂である。乙妻山のみに登るというルートはなく、高妻山を経由して登るほかはない。高妻山だけなら日本百名山として登山者も多いが、乙妻山まで足を延ばす人は数少ない。  

戸隠高原で自動車に一夜を明かした。
朝露をたっぷり含んだ青草を、牛がのどかに食む光景を眺めながら、牧柵をすり抜けて登山道へと入って行く。  
沢沿いの道を遡上して行くと、やがて鎖場に出る。1 0メートルほどの岩の斜面を鎖に頼って登るが、足がかりが少ないので登りにくい。さらに高度を上げたところで、今度は帯岩を水平にトラバースする。昔はもっ とスリルがあったような気がするが、鎖に頼るほどのこともなく通過した。

一杯清水は、まるで冷蔵庫で冷やしたようだ。喉を潤して小休止していると、駐車湯で出発の準備をしていた中年の男の人が登ってきた。期せずしてここからしばらく一緒に歩くことになった。京都府から来た人で、私と同様昨日は笹が峰から登って妙高山、火打山を一日で歩いてきたと言うことだ。健脚家である。やはり高妻山をめざしていた。

最初のポイントの一不動小屋へ到着。三角錐の高妻山が望見出来る。それほど遠い感じはないが、前回の経験からこれからのアップダウンと、最後の急登がきついことを覚えている。
今日は乙妻山という目標もあるので、長い休憩をしている余裕はない。京都の人とはここで別れる。  
これからは一不動、二釈迦、三文殊というように、大小のピークごとに祀られた石仏を目安に登って行く。男女3人パーティー、つづいて単独の男性も追い越して、どうやらこれで先を行く人はなくなったようだ。  
視界の開けた所からは、戸隠牧場の俯瞰、また黒姫山などが展望されるのだが、ガスが少し邪魔だ。
小屋から40分ほどで五地蔵に到着。腰を下ろして一息いれる。昨日の焼山登頂の疲れが少し残っているようだ。
五地蔵からは、せっかく稼いだ高度を八丁ダルミまで下って行くことになる。下るといっても、その間には何回も小さな登り下りがあって、楽な下り一方というわけにはいかない。頭上をしきりにガスが流れ、高妻山の頂上部は見ることが出来ない。  
八丁ダルミまで来ると森林帯を抜け、草原と低潅木の明るい雰囲気に変った。山奥深くにきたという思いがするところだ。

きついのはここから胸を突く厳しい急登である。生半可な急登ではない。400メートル近い高度差を一気に上り詰めて行く。それこそ潅木の根や幹、岩角、つかまれるものには何にでもしがみついて登るというような具合だ。一足では届かないような大きな段差が連続する。一足ごとに体力を消耗する登りがつづく。

後ろからだれかが迫って来る気配がするが、ここまでは追いついてこない。一度傾斜が緩んでほっとしたのもつかの間、もう一度急登が待っていた。ここはそう長くはない。  
ようやく急登を抜けだしたそこは、リンドウなど、秋の花が咲く爽やかな草原だった。あの急登の後では天国のようだ。ここはもう山頂の一角といってもいい。そのまま進むと巨大な岩が折り重なる上を通って、三角点の高妻山頂上に立った。  
一息いれていると若者が登ってきた。

頚城山魂をはじめとする北信越の山々や、北アルプスなどの展望が期待されたが、天候は味方してくれなかった。ただこれからたどる乙妻山だけははっきりと、この稜線の先に姿を見せていた。乙妻山まで1時間となっているが、もっとかかりそうな気がする。
 
乙妻山山頂  高妻山から見る乙妻山
乙妻山へのコースは潅木の茂みの中を急降下して行く。  
最初の鞍部まで下ると、あとはキレット状のやせ尾根で、北側は目の眩むような断崖絶壁、踏み外したら真っさかさま、傾斜のついた岩盤の上をへつって行く。足の裏がむずむずするようなスリルがあった。
ここはもうハイマツ帯だ。緩やかに登ってから再び下りに入る。目の下のなべ底のように見える窪地は、ほっとするような安らぎを覚える光景だった。そのなべ底は湿原状の草原で、多分雪をいっぱいにため込んで、かなり遅くまで雪田として残るところと想像される。
あたりは一面ミヤマアキノキリンソウが埋め尽くし、黄色い絨毯さながら。時間があればしばらく寝そべっていたいような花園である。訪れる人も少なく、その美しさを保ってきたのだろう。  
いつのころのものか、古い道標がが一つ、倒れたまま朽ちかけていた。もちろん字は消えていたが、『何とか湿原』とでも書いてあったのか、立ち入り禁止とでも書いてあったのか、それとも単なる道標か。

さて洗われたような気分で乙妻山最後の登りにかかる。窪地から山頂までは1 5分もかからなかった。心配したコースも、手入れこそされていないが、迷うようなこともない。  
山頂一帯は膝ほどの低潅木帯で、視界を遮るものはない。晴れていればどんなにすばらしいだろうか。ミネカエデや笹の上をアカトンボが飛んでいる。少し傾いた石の祠がひとつ、それに申し訳のような粗末な山頂表示。長い行程の末に登り着いた山頂は、実に地味なたたずまいだった。旧恋の山頂に立った満足感にしばし浸った。  

下山は同じ道を忠実に戻る。高妻山の頂上はからっぽだった。追い越してきた人たちも、すでに下山 して行ったようだ。  
まだ山頂まで1時間近くはかかろうかという胸突きの急登で、登って行く親娘3人があった。娘は中学生だろうか。これから山頂を踏み、明るいうちに下山できるか心配になる。  
登りで追い越して行った人たちを、下りでもまた追い越しながら快足で戸隠牧場へ下って行った。
 2014.06.16 弥勒新道ルートの五地蔵山は こちら