追想の山々1073  up-date 2001.07.11

霞沢岳(2646m) 登頂日1992.08.01 小雨・曇り 単独
新宿(23.20)〓〓松本===上高地(6.20)−−−明神分岐(7.00)−−−徳本峠手前分岐(8.10)−−−ジャンクションピーク(8.50)−−−K1ピーク(10.20)−−−霞沢岳(10.45-11.00)−−−ジャンクションピーク(12.35)−−−分岐(12.55)−−−徳本峠(13.00-15)−−−岩魚留小屋(14.30)−−−二俣(15.40)−−−島々宿(17.00)−−−島々駅〓〓〓松本〓〓〓新宿
所要時間 8時間35分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   歩きに歩いた思い出山行=(55歳)
霞沢岳山頂にて

きびしかったが、霞沢岳を夜行日帰りでやってのけた。  
夏山最盛期の新宿駅は登山者で大賑わい、2時間前に行ったのに、夜行急行アルプスは長蛇の列だった。やむなく臨時のアルプスに並んだ。  

隣の6人パーティーが、真夜中1時近くになっても声高にうるさい。たまりかねて注意すると、ようやく静かになった。この6人、山中でのマナーのほどは知らないが、登山はすでに汽車に乗ったときから始まったいるのだということも知らないらしい。

上高地着午前6時5分。霧雨模様に雨支度を整えて出発した。楽しみにしていた霞沢岳からの穂高連眺望も期待できそうにない。  
明神池の手前で雨が止んで明るくなってきた。雨具を脱いで短パン、 Tシャツの軽装になる。明神池の先で徳沢への道を見送り、『徳本峠』の道標にしたがって右手林道へ進む。行き交う姿が多かった観光客や登山者などの影が、徳本峠への道に入った途端、魔法のように途絶えてしまった。  

だらだらした林道が終ると、ジグザグの山道が徳本峠へ登って行く。急な勾配もなく手入れされた道を順調に歩き、上高地から2時間で徳本峠手前の霞沢岳分岐に着いた。  
霞沢岳へのコースは、ガイド地図、国土地理院地図にも記されていない。つまり最近まで徳本峠からのコースは拓かれていなかった。上高地から八右衛門沢遡上などが登頂可能なもので、一般登山道 として徳本峠からのコースが使えるようになったのは、そう古いことではない。  
さてこの分岐から霞沢岳往復の所要時間は7時間となっている。新設ルートとも思えないほどいい道だ。冷たい風が吹き抜けて肌寒さを感じ、ウインドブレーカー代わりに雨具を着込んだ。
分岐から35分でジャンクションピーク2428メートルに到着。ここは切り開きの展望台で、天気さえ良ければ南面の好展望が得られそうだ。

ジャンクションピークからコースは稜線を忠実にたどる。しばらくは下りがつづく。もうそろそろ最低鞍部に着いて欲しいと思うのに、なおもどんどん下って、結局高低差200メートルほども下ったようだ。  
霧の中に急峻な絶壁が薄ぼんやりとうかがえる。鉢盛山から眺めた霞沢岳は、骨格を剥き出しにしたような荒々しい山だった。霧の中の岩壁はその片鱗であろう。  
霧で見通しのきかない稜線は、どこをどう歩いているのか見当がつかない。ただ登山道を忠実にたどって行くのみ。鞍部からは草つきのきつい登りが待っていた。黒土の急斜面は踏ん張りがきかず、潅木の技にしがみつきながら体を引き上げなければならない。  
足場の悪い長い急登を終わると、そこは森林限界上のピークで『K1 ピーク』と粗末な標識が立っていた。徳本峠の分岐からすでに2時間余歩いている。天気がよければ素晴らしい眺望が得られそうなところだ。
登山道はその先で急に下っている。どこまの下りか見とおすことができない。下りきってまた登りにかかると、こちらへ向かって歩いて来る人影が見える。 「霞沢岳はまだずっと先ですよ。この先がK2で、もうひとつピークがあって、 その先です」という。1時間以上もありそうな口ぶりだった。  

視界はないがハイマツの稜線は気持ちいい。高山植物も多くなってきた。ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、ウサギギク、ハクサンシャクナゲ、クルマユリ、コケモモ、コイワカガミ、ミヤミキンポウゲ、ミヤマダイコンソウ、シナノキンバイ・・・・・種類も多い。
小さな上下を繰り返して、やや急な斜面にかかると、頭上に話声が聞こえる。足を急かせて登り着くと声の主がいた。そこが霞沢岳の山頂、K1から25分だった。ハイマツとミヤマハンノキに囲まれた猫の額ほどの山頂である。
訪れる登山者が少ないことが幸いしてか、あまり荒らされることになく、無垢の山頂の趣を保ってるのが嬉しかった。  
山頂の二人は国土地理院の人で、徳本峠から霞沢岳への登山道が手入れもさ れているようなので、今日はその状況を確認し、地図に登山コースを入れるのが目的だということだった。  

眺望のない山頂に長居をする理由もなく、一休みして下山の途につい た。K1ピークからの黒土の急斜面は、登りよりもっと始末が悪かった。ジョギングシューズを真っ黒にして滑り下った。雨がまた降り出した。傘をさして歩く。  

徳本峠から霞沢岳往復のコースタイム7時間のところ、4時間45分で歩くことができた。  
徳本峠小屋は広々とした峠のピークに建っていた。穂高の展望で知られるが、今日はその景観を想像するのみ。かつて人々は上高地へ入るのに、丸一日を費やして島々からここに至り、峠に登り着いて眼前に飛び込んで来る穂高連峰に見とれたのだという。
徳本小屋に宿泊の予定だったが、急げば島々宿まで降りられるかもしれない。

素朴なたたずまいの小屋で缶ビールを買って一息入れ、午後1時過ぎ峠を後にした。  
島々まで6時間、普通に歩いたら7時を過ぎて暗くなってしまう。足を速めてぐんぐん飛ばした。島々谷渓流の上に建つ岩魚留小屋は、めったに泊まる登山者もないのか、従業員が日なたで大の字になって昼寝をしていた。留守番の犬に追い立てられるように小屋前を通り、谷川沿いを右岸左岸とコースを変えながら下って行く。

岩魚留小屋までも長かったが、ここから二俣までもまた長かった。昔人々はこの果てしのないような道を、重い荷を担いで黙々と登り、また下って行ったのだろうか。  
うんざりするほど歩いてようやく二俣まで来た。二俣まで所要4時間を2時間半で下った。あとは舗装道路をひたすら2時間、急げば1時間ちょっとで島々宿へつけるだろう。  
島々宿まで、霞沢岳からほぼ2000メートルという高度差を一気に下って来たのだ。島々宿から駅へ向かって重い足を引きずっていると、とおりかかった回走バスが拾ってくれた。
島々駅経由、松本発18時50分の列車で新宿へ向かった。通常2日のコースを、 11時間ほとんど歩きづめで1日で踏破した足は、さすが座席に座っているのも辛いほど疲れていた。  

日本三百名山の名峰を極めた満足感に浸って、雨に濡れた車窓から遠くの灯をばんやりと眺めていた。
コース案内については別途HP(300名山踏破の軌跡)の「山岳別アドバイスも参考にしてください。