追想の山々1081  up-date 2001.07.18
        1997.08.25 妙高山・火打山・焼山
        1990.06.02 火打山・焼山
        2010.08.17 妙高山
          2018.09.18 火打山・妙高山

火打山(2454m) ・茶臼山(2174)・妙高山(2462m)   2018.9.18−19日晴れ
( A子さんの日本百名山99座目・100座目同行登山)


一日目≫ 笹ヶ峰(5.55)−−−十ニ曲標柱(7.35)−−−富士見平(8.40)−−−高谷池ヒュッテ(9.35-9.55)−−−火打山(11.40-12.05)−−−高谷池ヒュッテ(13.50)−−−茶臼山(14.20)−−−黒沢池ヒュッテ(14.55)

二日目≫ 黒沢池ヒュッテ(5.40)−−−大倉乗越(6.10)−−−分岐(6.45)−−−妙高北峰(8.20)−−−妙高山本峰(9.25--9.00)−−−北峰−−−分岐(10.20)−−−大倉乗越(11.20)−−−黒沢ヒュッテ(11.40−11.55)−−−黒沢池経由−−−富士見峠(13.20-13.25)−−−笹ケ峰(15.10)
          (上記以外にも、途中3〜5分の小休憩が何回かあります)
        ◆ 1日目 9時間 登り高低差約 1100m    ◆ 2日目 9時間30分 登り高低差約 1000m

これまでにA子さんiに同行した日本百名山はいくつかあるが、残る頚城三山の「火打山」と「妙高山」の2座を登れば、晴れて百名山踏破達成。いよいよこの2座に登るとの知らせを受け、栄誉ある山行に同行することが出来た。

28年前、飯豊山をもって日本百名山を達成した日のわが身を思いかえし、わくわくした気分でこの日を待っていた。不順な天候続きでやきもきしていたが、何とか登山日和が期待できそうなこの日に登頂が決定。九州在住のA子さんにとっては、地の利を考えると日本百名山踏破は並大抵のことではなく、6年という短期間によくここまで来られたという感が深い。

【1日目】 本日の行動時間−約9時間

車を走らせ、前夜妙高高原に投宿したA子さんを迎えに。天気予報に反して降雨・・・なんということか。

高谷池湿原

登山口の笹ヶ峰へ向け、雨を恨みながら夜明け前の道を疾駆。40分ほどで登山口へ着くと雨は上がっている。よし、行くぞ・・・気合が入る。3連休明けで駐車は数台のみ。身支度を整え、登山届を記入して出発。最近は高低差1000m以上の山歩きはほとんどない。大丈夫かな〜

しばらくは手入れの行き届いたなだらかな道。その大半は木道。何10年か前は、累々とした岩に緑の苔が美しい景観を見せていた黒沢。その後の大雨の被害でその面影影もない。
余力を残してやや抑え気味のペースで登って行く。勾配が徐々に強くなってくる。A子さんにペースを作ってもらい、そのあとをたんたんと登っていく。最初に会った時に比べると、すっかり「山女」らしい歩きが身についている。

十二曲り標柱を過ぎるころから、下山して来る登山者に出会うようになる。ヒュッテに泊った人たちだろう。
岩や粘土質の滑りやすい土、足元から目が離せない。神経を使いながら黙々と足を運ぶ。ときどき空が明るくなる。天気は良い方に向っているようだ。展望のない道を、ひたすら足元だけを見て高度を稼ぐ。富士見平を過ぎると、ようやく勾配も緩んできて息ぬきができるようになり、やがて前方が開け、高谷池ヒュッテの近いことを知る。

往時の脚ならすでに黒沢池ヒュッテに着いている時間だが、まだ時間はたっぷりある。いそぐことはない。
高木樹林帯を抜けて前方が明るくなってくると、勾配も緩くなり、間もなく高谷池ヒュッテ到着。ここまでの高低差約800m、所要時間は休憩込みで3時間40分。以前は2時間半で登っていたのに、脚力の衰えは思っていた以上に進んでいる。一仕事終わった気分で10分ほどの休憩。

火打山山頂

ヒュッテ先の草むらにザックをデポして身軽になる。火打山へ登る人、下ってくる人、登山者の影は多い。鏡をはめ込んだようないくつもの池塘が光っているのは高谷池湿原、その先は天狗の庭。草紅葉と相まって美しい景観が目を惹きつける。
ゆっくりしたペースで火打山の山頂へと脚を運ぶ。
ヒュッテからの高低差300m余を50分ほどかけて火打山々頂へ到着。A子さんには日本百名山99座目の頂である。晴れ間も見えるが360度の大展望とはいかなかったのが残念。明日予定の妙高山も雲に隠れたまま。
しばし山頂での時を過ごしてから、天狗の庭などの草紅葉が美しい池塘湿原の風景を愛でながら下りの脚を運ぶ。

デポした荷物を回収後、高低差150mほどの茶臼山を越えて宿泊予定の黒沢池ヒュッテへ。茶臼山経由のルートを歩くのは初めて、右手眼下に見下ろす黒沢湿原は、雪に覆われている時期に歩いた記憶がよみがえって懐かしい。黒沢池ヒュッテ着は14時55分、ほぼ予定していた時刻だった。

当夜の宿泊者は10名余り、アットホーム的な夕食。何年か前に泊ったときは、宿泊は立った一人、これはまた淋しいもの。
夕食後、外に出て見ると月が煌々と照っている。良い登山日和になりそうだ。


【2日目】
 

妙高山−大倉乗越より

ヒュッテ前のテーブルは霜で真っ白。気温が0度近かったということだ。 朝食を済ませ、荷物の一部をヒュッテに残して出発。
ヒュッテ前の道標に導かれてまず大倉乗越への高低差200mの登りに取りつく。一晩寝て脚の疲労はだいぶ楽になっている・・・がそのあとの妙高山ピークへの急峻な登りをうと、気を緩めるわけにはいかない。

大倉乗越からは逆光の妙高山が目の前。急峻な山容を目にして気合が入る。乗越からは急な下りを沢筋まで下りる。
左手燕温泉への道を分け、いよいよ妙高山頂への急登に取りつく。山頂まで緩むところはほとんどない胸をく急登がこれでもかこれでもかとつづく。その上足場も良くないために手足総動員体制で疲労感も強いし、神経も使う。過去にも歩いて知ってているルートだが、できればこのルートは歩きたくないというのが本音。

まだか、まだか・・・立ち止まっては上を見上げる。沢の渡渉から高低差は400mほどだか、体感はその倍も登ったような気がする。立ち止まっては「まだか、まだか・・・」ようやく岩稜へ登り着く。雲一つなく天井が抜けたように空が開け、大展望が待っていた。とき折りあらわれる高山植物が気持ちを癒してくれる。

A子さん日本百名山達成−妙高山

手前の三角点ピークのすぐ先が妙高山本峰。百名山踏破を祝すかのような真っ青な空、雲一つ見えない。素晴らしい山頂だ。
われわれを追い越して行った同宿の人々も先着していた。A子さんにとっては生涯の思い出になるであろう日本百名山踏破達成の瞬間である。記念写真を撮ったり、乾杯をしたり、ともに喜び合う。居合わせた登山者からもお祝いの拍手。
A子さんの頭には、過去に登った百名山か走馬灯のようにめぐっていたかもしれない。

満ちたりた気分で山頂でのひと時、360度の展望を楽しむ。
昨日登った火打山と影火打山、焼山が目の前に。西方に連なる北アルプスの連嶺を一座づつ指呼。眼下には日本海。東方に重なる山々は、米山、そして越後三山や赤城連山と思しき山々のほかは、一つ一つ指呼することができない。A子さんも100座のあれこれが走馬灯のように駆け巡っていたに違いない。
同行させてもらい、共に喜こびに浸れたことに感謝、満ち足りた思いを胸にしまって山頂を後にした。

◆山頂からの下山も楽ではなかった。急峻な道を細心の注意を払って一歩一歩慎重に脚を運ぶ。沢まで下りると今度は大倉乗越への急な登り返しが待っている。萎えそうな気持を、ヤマリンドウ・ハクサンボウフウ・ハハコヨモギ・クモマニガナなどの花やナナカマドの黄葉に励まされながら足を運ぶ。

黒沢池ヒュッテまで下って、ようやくひと息いれることができたものの、まだ長い下り行程が残っている。
とりあえず緊張感から解放され、ヒュッテ前のベンチで昼食休憩。気合を入れ直して下山にかかった。
下りは黒沢湿原外縁の木道を伝い、湿原の景観を眺めながら富士見平へ。ここからは昨日歩いた道を笹ヶ峰駐車場へと下った。


火打山(2462m)焼山(2400) 登頂日1990.06.02-03 晴 単独
≪一日目≫ 笹ヶ峰(7.20)−−−黒沢(8.05)−−−十ニ曲標柱(8.35)−−−富士見平(9.20)−−−高谷池ヒュッテ(9.50)
≪二日目≫ 高谷池ヒュッテ(3.45)−−−火打山(5.00)−−−影火打(5.10)−−−キレット(5.40)−−−焼山2250m地点(6.35-6.45)−−−キレット(7.20)−−−影火打(8.20)−−−火打山(8.40)−−−高谷池ヒュッテ(9.25-9.30)−−−笹ヶ峰(11.10)
所要時間  1日目 6時間35分 2日目 9時間10分

( 焼山は山頂直下で引き返す) 

焼山は日本三百名山。早く登りたいという思いにせかされて、梅雨真っ最中、雨の中休みに出かけた。花期に合わせた方がさらに楽しかろうという思いもあり、以前から登るなら6月と決めていた。

 午前2時、マイカーで東京を出発、佐久まで開通した高速を飛ばす。かつて住み慣れた懐かしい長野市あたで雨粒が落ちてきた。この雨だと今日の行動は高谷池ヒュッテまでだろう。 

 妙高高原町から杉野沢部落への町道は10kmロードレース大会で何回も走った道。音もなくしとしとと降る雨に眼下の野尻湖もかすみ、山も静まっている。突然道路端に駐車している車の列、延々と連なっている。山菜採りの人々、ここは山菜の宝庫だった。  

笹ケ峰着。火打山登山口の駐車場には、幸い1台分のスペースが空いていた。百名山踏破のため火打山を訪れたのは3年前の6月2日で、やはりこのコースを登った。

焼山は火山活動中で危険、登山禁止となっている。以前は直接登る登山道もあったらしいが、今は手入れもされないため火打山を経由して稜線通しに行く、かつてのメインだった長いルートしかないという。しかし火打山経由の長いルートも登山禁止中、日本三百名山を志向する変わり者以外には入山者もほとんど無いらしい。正直なところルートの状態が気にかかる。 

焼山1974年噴火爆発、登山禁止

   1981年登山解禁

   1987年再び登山禁止となり現在に至る

 

*******************

天狗の庭から見る火打山

登山口の笹ケ峰は標高1300メートル。

7時20分、登山届に記入出発。登山道入口付近は木道が敷設整備されている。

ブナ樹林はしとしとと降る雨に濡れそぼり、新緑に包まれた山の気がすがすがしい。ときおり鼻をつく獣臭が、ここは野趣豊かな自然であることを実感する。今日は高谷地ヒュッテまでの3時間の行動、急ぐ必要はない。コースタイムで歩いても10時頃にはヒュッテに着くだろう。

黒沢は相変わらず雪解けの清流が、苔蒸した岩を噛んで水量豊かに流れ下っていた。黒沢の木橋を渡ってしばらくすると、いよいよ十二曲、つづれ折れの急登にかかる。雨に打たれうつむいたシラネアオイの花、林床にひっそりと咲くツバメオモト、マイヅルソウなどが見られる。十二曲の標高1500メートル付近がブナ林帯の上限、やがてダケカンバが主役に取って変わる。

『十二曲』の標柱のある尾根に登りついたが、あいにくの天候で展望はない。足元のイワカガミの一群が慰めだ。急登の十二曲を過ぎたとは言え、まだまだきつい登りがつづく。やがて雪の上を歩くようになり、シラビソの幹につけられた赤ペンキと、踏み跡を拾いながら静寂境の黒木の樹林を、ゆったりした足取りで登って行く。大学生のグループ10数人が重そうな荷を背負って登って行く。高谷池で幕営するらしい。

黒沢小屋と高谷池ヒュッテ分岐の富士見平だけは地面が出ていた。ここで一服したりする登山者が多く、早く雪が解けたのだろう。今日の登りは大方これで終わり、あとはほぼ平坦道をヒュッテまで歩くだけだ。黒沢山の西面を巻くようにして雪を踏んで行く。日当たりのいいところでは木道や地道が顔を出す。雨が激しくなって来た。

ヒュッテ着は10時前だった。本日の泊まりの第1号である。
宿泊代2500円に夕食代1000円、素泊まりでもナベ、カマからプロパンガスまで自由に使用出来る。ヒュッテの中も清潔だし、寝具も奇麗、妙高高原町の町営だからこそできること。

明日未明の出発に備えて、天狗の庭近辺までルート確認をしておきたかったが、雨は降りつづくし、結局夕刻まで昼寝をしたり、備え付けの写真集を眺めたりして時間をつぶした。こんな雨でも午後になるとぼつぼつ登山者が入って来て、20人以上になった。大半が素泊まり自炊で、ヒュッテの中で御馳走を作り盛大に飲み食いしていた。

夕食はインスタントのカレーライス、ちょっと寂しいが料金を思えば当然である。夕食で向い合わせの二人連れ(男)といろいろと話を交わした。高山植物に興味があるということで、花の話題が盛り上がった。夕刻、いっとき雨が止んで明るくなり、火打山、焼山、後立山連峰、高妻山が見えたが、再び風を伴った強雨の様相に戻ってしまった。

テレビの天気予報は、明日はまずまずの日和。明日の早発ちに備えて8時には就寝したが、消灯が9時のため起きている人もあって寝付かれない。全消灯後も、止みそうもない男女二人のぼそばそした話声に、辛抱出来ずに注意したらようやく静かになった。

≪第二日日≫

3時30分起床。すぐ出発出来るよう準備して寝たので、やや白み始めたのを確認して3時40分ヒュッテを出た。

懐中電灯で足元を照らしながら木道を伝うが、すぐ雪の下に隠れてしまった。あとは見当をつけて進む。雨は上がっていたがガスが立ち込めて周囲の様子がはっきりしない。昨日の雨で踏み跡もすっかり消えてしまい、5分も歩かないうちに行ったり来りのうろうろ状態。やはり昨日のうちに道を確認しておくべきだった。

運よく木道の現れているところを見付けてほっとする。4時を過ぎるともう懐中電灯も不要になってきた。高谷池から雪の斜面を1段上がったところで、また道が分からない。仕方なく雪原の真ん中を進むと再び木道を拾うことができて一安心。木道はそのまま『天狗の庭』へ導いてくれた。

天狗の庭を過ぎて木道が雪の下に潜ると、その後またわからない。周囲を薮で囲まれた右手雪の斜面をあっちこっち探したが、薮を抜ける道が見つからない。コンパスを確認すると、北西の方向に向うべきところを東方向を探していた。案の定北の方角に天狗の庭から出て行く道があった。

それから先は稜線通し、雪のない明瞭な道となった。すっかり夜も明けて上空には青空も広がって来た。前方には火打山が見える。無駄な体力と時間を使ってしまったことに焦りを感じながら足を速めた。

そのあと途中コースから外れて不要な雪上歩きなどをしたが、火打山までは何とかコースタイムで到着。火打山頂上には『ここから先火山で危険、立ち入り禁止』の表示がある。火打山頂上から東方には沸き立つような雲海の広がりが、その雲海の上にすでに陽が昇っていた。

噴煙上がる焼山(火打山よlり)

まだ先は長い。ちょっと立ち止まっただけで焼山へ向かった。

山頂からはハイマツの間を緩く下って行く。ミヤマハンノキや開花直前のハクサンシャクナゲも見られる。稜線の道は草原となって、スカイラインを行くようなおおらかな道である。影火打は草原の中にあった。火打山から10分程の距離である。周囲にはハクサンチドリやコイワカガミ、ミヤマタンポポが美しい。ミヤマキンポウゲ、ノウゴウイチゴも見える。右手は深く切れ込んだ谷と襞に残る雪、左には高妻山。そんな景色を目の隅に入れながら足を進めた。

影火打を過ぎてしばらくは歩きやすい下りだが、やがて急峻となって落ち込むようにキレットへと降下していく。焼山が一気に目の前に迫って来る『ご一っ』という不気味な音を立てて、水蒸気を噴出しているのがはっきりと見える。
人が歩いていない割には道は明瞭。しかし草露でズボンの裾はびしょびしょ。雨衣のズボンだけ履いた。コルへの高度差500メートル近い下りを終わってようやく最低鞍部に降り立つ。

さてここから400メートルの登りが待っている。焼山山頂まであと1時間。鞍部から少し登ったあたりで平坦な草原となって、そこは見事なお花畑でもあった。特に目を引き付けたのはシラネアオイとハクサンチドリの大群落、今を盛りと咲き誇る群落が次々と出現する。キヌガサソウ、サンカヨウの群落もある。

花に見とれながらも足は止めない。このお花畑の平坦道はやがて幅30〜40メートルの雪渓にぶっつかったところで、雪の下に隠れてしまった。その先がどこへつながっているのか、取り敢えず雪渓の先ヘステップを切りながら渡って探してみた。しかし消えた道の延長線上付近には道が見つからない。雪渓はかなり上部までつづいているが、その先はどうなっているか見通せない。

どこかに道が見つかるかもしれないという、淡い期待をもって雪渓左側に沿って潅木の中を強引に登って見た。しかしこの潅木帯は到底登りきれない。高度計2200メートル付近でこのルートを諦める。さりとてアイゼンもピッケルもなく雪渓直登はとても無理。

雪渓のすぐ先に噴煙上がる焼山々頂が見える

沢状になって流れる雪解け水で喉を潤す。すぐ真上あたりから水蒸気を噴出する不気味な音が聞こえる。紺碧の空に水蒸気の上がっているのが確認できる。もう頂上はかなり近い。このまま登れば山頂に到達出来そうだ。

やがて山頂直下で、遮るような雪のバンドに直面してしまった。厳しい傾斜でキックステップだけでは危険過ぎる。時計を見るとキレット鞍部から山頂までコースタイム1時間と読んだのに、すでにその1時間を経過している。順調に行けばとうに山頂に着いている時間である。これ以上時間をかけると帰京して選挙に間に合わせるのが無理らなる。再び別のルートを探し直す余裕はない。ここで山頂は諦める。高度計は2250メートル、を越えている。あと150メートル、15分のところだ。ここまで登れば山頂を極めたといっても問題ないだろう。直ちに引き返すことにした。火打山の山頂に人影が豆粒のように見える。

雪渓の徒渉で過って滑落、ピッケルもなく滑り始めたら止めようもない。下が薮だったので20メートルほど滑って薮で止まったが危なかった。

朝から1回の休みもなく、しかも焼山の登りでかなりの体力を使い疲労が強い。キレットから火打山への500メートル近い登り返しは応えた。2度,3度と小休止を取りながら急登を喘いだ。そう言えば朝からまだ何にも食べていない。疲労感が激しいのはそのせいかと思い、ザックのパンを食べて見たが、あまり食欲がない。

振り返ると雪と赤茶けた山肌で模様づくった焼山は、青空のもと視野一杯にあった。最後に立ち往生した場所もはっきり確認できる。噴気孔のすぐ下、そこは山頂までは一投足とも言えるところだった。
重い足を引きずって火打山まで帰り着くと、昨夜ヒュッテで同宿した登山者が10人ほどいた。

焼山で果たせなかった眺望をここで代用。焼山の左に雨飾山、右には鋸岳、鬼ケ面山。金山、天狗原山とその背後には雪倉岳、白馬岳、杓子山、白馬鎗ケ岳‥・。高妻山、戸隠山、黒姫山、妙高山。遠く志賀あたりと思われる山々。

展望を楽しんだあと一気に高谷池ヒュッテへ下った。途中天狗の庭では、木道の脇にミズバショウがかれんな姿を見せ、日当たりの湿地にはハクサンコザクラが濃いピンクの花を開きはじめていた。あと10日もするとこの辺一体の湿原は花に埋め尽くされるのだろう。

ヒュッテの管理人に焼山の話をすると、今日のコースは間違いで、危ないと言われた。雪の重みで、まだ木々が寝たままのために道が探しずらいのだと教えてくれた。

預かってもらった荷物をザックに詰めると、選挙の時間に間に合わせるため


《頚 城 三 山》
高山(2454m)火打山(2462m)焼山(2400) 登頂日1997.08.25-26 晴 単独
●笹ヶ峰(6.55)−−−富士見平(8.50)−−−黒沢池ヒュッテ(9.20)−−−妙高山(11.00-11.30)−−−黒澤池ヒュッテ(12.50)−−−高谷池ヒュッテ(13.30)

●高谷池ヒュッテ(5.10)−−−火打山(6.20)−−−キレット鞍部(7.20)−−−焼山(8.30-9.00)−−−キレット鞍部(9.35)−−−火打山(11.15-20)−−−高谷池ヒュッテ(12.10-30)−−−笹ヶ峰(14.20)===戸隠高原へ
所要時間  1日目 6時間35分 2日目 9時間10分 3日目 ****
   登山禁止の活火山「焼山」へ再挑戦=(60歳)

噴煙上げる焼山噴火口。後は火打山
日本300名山の焼山は、初回4年前の6月に登頂をこころみたが失敗。頂上直下まで登ったものの、残雪とルート不明で退却を余儀なくさせれた。今回は2回目の挑戦である。
ついでに妙高山、火打山を登り、下山後余裕があれば高妻山・乙妻山、飯縄山も登ろうという欲張った計画をたてた。

【第一日日】
登山口の笹ケ峰到着が6時30分。秋を思わすような爽やかな風が吹き抜けている。
コースは富士見平から黒沢池ヒュッテを経由妙高山に立ち、再び黒沢池ヒュッテまで戻って、もう一足先の高谷池ヒュッテに宿泊。翌日は高谷池ヒュッテから焼山を往復して笹ケ峰へ下山する予定。歩きでのある行程だ。  
笹ケ峰からの登りは過去2回歩いているが、6月の上旬と下旬のことでまだ残雪の時期であった。コース最初のポイントは渓流の飛沫を浴びて折り重なる大岩が、濃緑色に苔むして、しっとりとした雰囲気を醸すあの黒沢だ。ところが目の前に出現した黒澤は樹木がなぎ倒され、巨大な岩石が散乱する荒廃の河原に変っている。あまりのことに呆然。
徒渉は倒れた巨木をそのまま橋にしていた。集中豪雨のすさまじさが伝わった来る。

富士見平から黒沢岳の中腹を巻いて黒沢の湿原へ下って行く。
黒沢湿原は大小の池が点在する明るい草原だ。秋色漂う木道を伝って行く。あたりいっぱいに咲くオヤマノリンドウが秋の風に揺れている。イワショウブの淡いピンクも秋の花だ。雪解け期を過ぎてしまうと、数ある池の多くは干上がっていた。  

黒沢ヒュッテは休まず通過して大倉乗越への登りにつく。時間にすればたいした登りではないが、足に疲れが感じられる。20分で乗越へ登りつく。乗越から妙高山頂へは、高度差で約180メートル下り、再び350メートル登り返すことになる。長助池方面への分岐が最底鞍部、ここからは胸を突く急登となる。以前下りで歩いたことがあるが、その下りでも結横大変だった。潅木や岩角を頼りに、“攀じる”という表現がぴったり。ようやく妙高山頂に立った。

焼山山頂(火口縁)
山頂はこの三角点峰から南峰まで巨岩に満たされた長い頂稜を持っ ている。ザックを下ろして南峰を往復してきた。時刻は11時、ちょっと早かったが、本峰へ戻ったところで昼食にする。  
ガスで展望はまったくない。
タイツ姿に腰弁一つと言ういでたちの女子学生10人ほどの一団がいた。東京女子体育大学のスキー部の学生たちで、合宿の最中、今日は燕温泉から妙高山、火打山、笹が峰の長距離を歩いているのだという。日ごろ鍛えているとは言え、なかなかハードな行程だ。
 

昼食を終わって下山するとき、学生二人と一緒になった。さすがに身のこなしはいいが、山歩きの身軽さは私の方がやはり一枚上のようだった。
黒沢池ヒュッテから、たった標高差150メートルほどの茶臼山への登りが、思いのほか足にこたえる。左下に黒沢池の湿原を眺めながら茶臼山を越えると高谷池ヒュッテが見えてきた。
ヒュッテの素泊まり料金はたったの3000円、北アルプスの半分だ。その分奮発して1000円のワインを一本買って疲れを癒した。泊まり客は20人ほど、ルールをわきまえた人たちばかりで、快適な一夜だった。

(管理人から焼山コースの情報を得ようとしたが、はっきりしたことは言ってもらえなかった。噴火と有毒ガスの危険から登山禁止中であり、登山者が入り込むのを黙認するのが精いっぱいというところだと理解する。この2、3週間あと、安達太良山沼の平で、登山者が亜硫酸ガスにやられて4人死亡するという事故が起きた)

【第二日目】  
窓から明けはじめた空を見上げるといい天気だ。
みんながまだ起きださない早朝の6時過ぎに出発する。火打山の黒いシルエットが見える。
残雪期とはまったく様相のちがう夏道を火打山へ向かう。火打山の頂上に立ったとたんに、不気味なゴーゴーという腹に響くような音が聞こえてくる。焼山の噴気口から出るガスの音である。噴煙も見える。  
山頂の風は寒い。長い行程を考えてすぐに焼山へのコースを進む。「ここから先焼山噴火の危険により登山禁止」の看板が立っている。  
胴抜キレットの最低鞍部まで、高低差数百メートルの長い下りがつづ く。まず影火打まで下る。ずいぶん下ったような気がするが、まだ序の口。
登山道の整備がほとんどされておらず、草も茂るに任せて、道を隠すようにして茂る草は、足元が見えず非常に歩きにくい。さらに露をふくんだ草のしずくでたちまちズボンが濡れてしまった。
生々しい火口壁
しかし今日は何としても焼山の頂に立たなくてはという決意があり、そんなことはかまっていられない。所によっては転がり落ちそうな急坂を急ぎながらも慎重に下って行った。  
青空がだんだん少なくなって、周囲の山にもガスがかかりはじめている。見通しが悪くならないうちに山頂へ着きたいものだ。  
火打山から約1時間、嫌になるほどの長い下りを終えて鞍部に着いた。前回の6月にはこのあたり一面にシラネアオイが咲き乱れ、ハクサンチドリも大群落を作っていて目を見はったところだ。

前回はコルの先、一段登ったところで沢状の雪渓に出あって、ここでルートが分からなくなり、雪渓を登ったり藪を分けてみたり、強引に山頂を目指したがついに噴気孔の下で急傾斜の雪田に直面してあきらめざるを得なかった。  

この季節もちろん雪はない。コースはかなり不明瞭だか道型は残っており、今度は迷うことはなかった。  
小さな沢道を登って行く。樹木に囲まれた沢状のうす暗く湿っぽい登りがしばらくつづいた。以前は多くの登山者が踏んだであろう道も、今では滅多に歩く人もいないだろう。日本三百名山を目指す人がたまに通う程度だと思われる。
遠方から見てもわかるが、プリンのような形のこの山は山頂までの傾斜がきつい。まさに木にしがみついて体を引き上げて行くという感じだ。しばらくの急登で、低潅木帯にかわって明るくなり、ほっとする。  
そう言えば焼山の急登にかかってから、急に噴気音が消えてしまった。火打山まで聞こえたのに不思議なものだ。  
低潅木が草地となり、上には溶岩のような巨岩がいくつも見える。ときおり道型が不明確になったところでは、下山時のためにルートをしっかり頭に叩き込んでおく。急傾斜が緩むと草木一つ無い荒涼とした風景が展開した。  

火山の跡も生生しく、鉄錆び色の火山礫に覆われた斜面が火口縁までつづいている。点在する岩石にペンキマークが消えずに残されていた。マークがないと濃霧の中では下山時には動きがとれなくなってしまいそうな斜面だ。
踏んばりの効かない火山礫の斜面を登り切ると火口縁だった。縁を少し左方向へ回って行くと山頂があった。
風雪に字の消えてしまった標柱が、忘れられたように立っている。  
大きな溶岩塊が威圧している。火口を覗くと残雪が見える。火口壁は生々しい噴火のあとを留めている。ガスの噴気音がすぐそばで不気味に聞こえる。すり鉢状の大きな火口とは離れた斜面に、硫黄色に染まった噴気孔があった。火山特有のガスの刺激臭が鼻をつく。風向きが登山コースとは逆だったのでよかったが、まともだったら危ないもしれない。  
展望はなく、ときおり雲の切れ間から火打山が垣間見られる程度だ った。
長い帯在は危険なので早々に山頂を後にした。  
死の世界のようだが、良く見ると岩の間から草が生え出している。やがて緑が戻ってくるのだろう。
鞍部まで戻った後、また火打山まで数百メートルの登りが負担であっ たが、気持ちは軽かった。

火打山までうんざりするような長い長い登りを黙々と足を運んだ。
高谷池ヒュッテで休憩をとってから、一気に笹ケ峰へと下った。  
温泉で汗を流し、明日予定の高妻山へ登るべく、戸隠牧場へ向かい、駐車場で一夜を過ごした。