追想の山々1121  up-date 2001.10.07

スキー登山
弓折岳〜双六岳(2860m) 登頂日1991.05.02-05 募集ツアー
     1995.08.18 夏山双六岳
5/1 新宿駅(23.50)〓〓〓〓
5/2 上高地着(6.05-8.50)==バス==平湯温泉(11.00-12.10)==バス==新穂高温泉(12.50)
    −−−ワサビ平小屋−−−新穂高温泉==パス==中尾温泉(泊)
5/3 新穂高温泉(9.15)−−−ワサビ平小屋(10.00)・・・泊
5/4 ワサビ平小屋(6.40)−−−小池新道入口(7.00-45)−−−休憩25分−−−鏡沢上部(10.00-30)
    −−−2520m地点(11.45-12.05)−−−弓折岳(12.35-13.40)−−−双六小屋(14.45)
5/5 双六小屋(7.45)−−−弓折岳(8.50-9.00)−−−ワサビ平小屋(10.50-11.05)−−−新穂高温泉(11.55)
所要時間 ***** 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
   GWの山スキーツアー=(54歳)
弓折岳から槍ケ岳をのぞむ

▲5月1日
新宿駅(23.50)急行アルプスにて松本へ。スキーツアーは荷物が大きくなって大変だ。大物はスキーと靴。スキー用のプラスチックブーツは履いて行くわけにもいかず、ザックに押し込んだがかさ張る上に、重さも4キロ近くあり、食料、防寒貝、シール等でザックは20数キロになって、私にとっては少々過重である。

ゲレンデスキーの経験は長いが、山スキーは初心者。でもツアー参加だからリーダーの後をついて行けばいいので、その点は気楽である。年齢制限50才という話を聞いていたが、『体力的には若い人と同じに行動できます』と付記しておいたら、受け付けてくれた。
気掛かりなのは、大陸から真冬並の寒波がやってくると いう予報である。

▲5月2日
上高地着6:05。
バスの時間待ちに河童橋あたりでスケッチをする。雪がちらちら舞って寒い。周囲は雪景色である。観光客も寒さに震えて待ち合い室に身をすくめている。上高地からバスで平場温泉へ。1時間待ちで新穂高温泉行きのバスに接続。平湯温泉でスキーを持った青年がいた。初めての山スキーで双六へツアーへ参加するのだと話すと、初めでこのコースにチャレンジするのは勇気があると驚いていた。それを聞いて何だか心配になってきた。

新穂高温泉から重いザックを背負い、スキーを手に提げてワサビ平へ向かう。ゲートを過ぎてしはらく行くと林道に雪が積もっている。新しく降った雪だ。スキーブーツに履き替えるのも面倒で、そのままジョギングシューズで歩く。スキーを提げる手が疲れて、ザックの上に乗せる。これでザックは30キロを越えて、肩にずっしりと重みが加わる。ジョギングシューズが滑って歩きにくく、水も染みてきた。積る雪に足首まで埋もれる。それにしても5月だというのに、高い山の上ならいざ知らず、これほどの雪が降るなんて全く予想もしていなかった。標高の高いところは、きっと猛吹雪に違いない。
重荷を背負っていた割りには早く、1時間20分のコースを1時間10分でワサビ平へ着いた。
ストーブが暖かく燃えている。今日はとりあえず荷物だけここに置いて、明朝集合時間に間に合うように登って来ることを説明し、身の回りり品だけをナップザックに移すと、すぐに小屋を出て新穂高温泉へ引き返した。
新穂高温泉から中尾温泉までバスに乗り、そこからは旅館の車で迎えに来てもらった。熱い温泉に身を沈めて窓の外に激しく降る雪を見ていると、今回は山に登らずにこのまま帰ることになりそうな気がしてくる。  
それにしても洗腸の必要がなければ、ワサビ平小屋まで登っておいて、そのあとわざわざ下まで戻って来て旅舘に泊まるような七面倒くさいことをしなくても済むものを、これが私のハンディなんだ。明日早朝に洗腸したあとは、3日半洗腸できない。食べ物もなるべく少量でカロリー のあるものとか、排便の少なくなる工夫をしてこの一週間ほど整えては来たが、やはり心配だ。雪は降り続いていた。

▲5月3日
目を覚まして窓の外を見ると、温泉街は完全な銀世界に変っていた。この状況では登山は無理と判断、ゆっくり洗腸してから出掛けることにする。連絡が入りワサビ平では新たに50センチ以上の新雪が積もって、まだ降りつづいているという。旅館の奥さんも「長いことここに住んでいるが、こんなことは記憶にない」といって驚いていた。旅館の主人が新穂高温泉のゲートまで自動車で送ってくれるという。ジョギングシューズで歩くのを気の毒がって、自動車の中にあっ たゴム長靴を貸してくれた。ご主人の親切に感謝、本当に助かった。  
幸いにも早朝からかなりの人数が通ったらしく、踏み跡がつけられて雪は深いがきのうより歩きやすい。今日は空身なので楽々とワサビ平小屋に到着した。  
小屋に着くと、本日の登頂は中止にしてツアー参加者は30分程前に新雪練習に出掛けていた。後を追っても追い付くのは難しいかもしれないが、行けるところまで行ってみることにする。スキーのトレールを追って急ぐ。小池新道入口で秩父沢を見上げると、人影が見える。上方に見える相当数のパーティーが私のツアーであろう。  
パーティーを目指して急ぐが、慣れぬスキーではなかなか近づかない。勾配が急になってくるとスピードも落ちる。この深い新雪は、帰りに格好よく滑降とはいきそうもない。
鏡沢の急坂にかかると、一歩一歩が応える。細かいじぐざぐキックターンを繰り返して高度を稼いで行くがはかどらない。雪まじりの強風で目を開けていられない。しばらく顔を背けて強風をやり過ごす。やっと鏡沢上部の平坦部へ達するところで、降りてくる一団に出会う。ツアーの一行だった。私もここで合流して一緒に下降する。  
あまりにも新雪が深くて、私の技量では滑降できない。ゲレンデスキーのテクニックはあまり役にたたない。斜滑降に時折直滑降を交ぜながら帰った。ツアー参加者の中には私より年長の人が1名、女性でも中年以上に見える人もいて、なんとなく安心する。この夜、悪天候で足止めされた登山者が多く、小屋は超満員で布団1枚二人という混みようだった。

▲5月4日
季節外れの2日にわたる吹雪きは、昨夜ようやくおさまって 今朝は一転抜けるような青空で始まった。
いつでも出発できるように、スキーのシールを張ったりして荷物の準備を整える。不要な物は残して荷物は少しでも軽くするようにと思ったが、残す荷物もたいしてない。朝食を済ませてみんなより一足早く出発する。小池新道入口でスケッチをしてみんなを待つ。  
吹雪の後だけにこの青空が一層目に染みる。抜戸岳から弓折岳がまぶしく聳えている。次々と登山者が通り過ぎて行く。スキーの人、つば足の人、単独者、初老の夫婦、数人のパーティー・・・広々とした雪原に登山者が点々と見える。好天を待って一斉に行動開始というところだ。ツアーパーティーが到着して、いよいよ登高開始である。昨日一人で歩いたのに比べるとゆっくりしたベースだ。雲ひとつない晴天に日焼けがひどくなるだろう。
広々とした緩斜面の途中でまず最初の休憩となる。背後に西穂高からジャンダルムあたりの岩峰が見えてきた。パーティ ーは20数人、女怯も7人含まれている。今のところ前後の間隔は開かずにまとまって行動している。15分程の休憩で再び出発。ペースはゆっくりだが、昨日の空身とくらべて荷物があるだけ今日はきつく感じる。
鏡沢の狭い急斜面に取り付く。昨日も難儀したところだ。一息いれてから登りたいところだったが、休憩なしで斜面にとりついた。急斜面の小刻みキックターンがいやで、今日はスキーをザックにつけてつば足で登ることにする。他の人はスキーを履いて頑張っている。汗が流れて目に染みる。風邪を引いたのか喉が痛く、体調はもうひとつ。いつになく疲労感が大きい。
急斜面を登り切ると、再び広い緩斜面となった。先着はここで休態をとっている。私も荷物をほうり出してどっこいしょとザックの上に腰を下ろす。水筒の水がうまい。この汗だと小屋まで水を持たせるのが難しい。コップに雪を入れて水を加え、その雪を ロに頬ばる。最後尾との距離が大分広がってきたようだ。  
30分の休懇で出発。最後尾で到着した人は、わずかの休憩にしかならなくて気の毒だ。あとは弓折岳の稜線まで、各自自分のべ−スて登るように指示される。最初は緩い登りだったが、踏み跡もない広い沢状の斜面に取り付くとかなりの勾配で先頭はトレールをつけながら進まなければならず、体力の消耗が激しいようだ。傾斜がきつく なるとじぐざぐを切るようになる。一人、また一人座り込んで休憩する者が出て来るが、なんとか遅れないように先頭の数人について登って行く。振り返ると乗鞍岳から焼、槍ヶ岳まで見渡せる。  

傾斜はいよいよ急となって、ひと足ひと足がつらい。なんとか休憩をとらずに頑張ったが、頂上直下の急斜面でついに休憩をとる。このころからガスってきて、たちまち周囲の展望はガスの中に閉ざされてしまった。陽があたらなくなると急に寒さが襲って来る。先行者の姿も確認できない。トレールを頼りに頂上を詰めて行く。休憩したくなるのを我慢して一歩一歩進んで行く。スキーと靴で片定3キロ以上あるのだから疲労も仕方がない。
やっと傾斜が緩んで100メートルも行くと、そこが弓折岳の頂上だった。4人ほど先着していただけで私は早い方だった。寒さが身に染みる。ジャケットをまとう。残念ながらガスで展望はきかない。ここまで来れは、双六小屋までは大きい上り下りもない稜線通しのコースだ。遅れてぼつぼつ到着してくる。
全員の到着を待って出発。1時間以上も寒い頂上で待って、すっかり体が冷えてしまった。頂上から小さな登り降りを繰り返すが、そんな小さな登りが疲れた足にはこたえる。何かにつけては立ち止まって足を休ませる。ちょっとした登りを終わると、やれやれと腰を下ろし休んでしまう。
ガスの中に数張りのテントが見えてきた。双六池のテント場だ。その先にぼんやりと双六小屋も見える。着いた。小屋はまだ半分雪に埋まっていた。到着した人に缶ビールが配られる。寒風の中で早速口を空けるが、冷え過ぎていて味がない。スキーを外し靴を脱いでやっと解放感を味わった。
1000メートルの高度差をスキーをつけて登るというのが、こんなにも体力を消耗するということを初めて知った。これだけ苦労して登っても、帰りに大滑降で降りられればそれも報いられると言うものだが、この深い新雪ではとてもそうは行かない。ただ苦労して登っただけということになってしまう。せめて明日はいい天気になってスケッチでも十分楽しみたいものだ。  

山小屋は昨夜よりゆっくり寝られそうで助かる。
夕方から喉の痛みが強くなり、いくらか熱も出てきたようだ。どうやら本物の風邪にかかったようだ。冬の間風邪ひとつ引かずに過ごしてきたのに、こんなときになんたることか。上高地で寒い中スケッチ をしたのがいけなかったのだ。パーティーの女性から風邪薬をもらって服用する。明日みんなと行動するのは無理かもしれない。一応明朝の体調を見てから行動を決めることにはしたが、気持ちは沈んで盛り上がらない。一人で下山するのは不安であるが、天気さえよけれはどんな斜面でもスキーで降りる自信はあり、その点では心配はなかった。ありったけの衣服を着込んで早めに布団にもぐりこんだ。


▲5月5日
期待にそぐわぬ快晴で明けた。
体調が優れずご来迎を見に外へ出るのも面倒で、布団の中に丸くなっていた。  
ツアーの予定は三俣蓮華から黒部源流までの往復となっているが、私はこのまま下山する旨申し出る。
外に出ると鷲羽岳が目の前に純白の衣をまとって聾えていた。朝食を済ませてから樅沢岳の途中まで登ってみた。ここまできたのだからせめて樅沢岳か双六岳に登っておきたかった。スケッチブックとカメラだけを持って出掛ける。早立ちの登山者がスキーをザックにつけて樅沢岳目指して登って行くのが見える。 これから槍ヶ岳へ向かう人達だ。アイゼンをつけて来なかったので、足元が危なっかしいが注意して登って行く。鷲羽岳、双六岳、西には抜戸岳から笠ケ岳が見渡せる。アイゼン無しでは急斜面の頂上は危ないと判断、肩までにしておく。ここでスケッチをする。仲間のツアーが双六岳へ登って行くのが見える。

小屋に戻って荷物をまとめ一人下山にかかる。疲れが残っており、体調も不十分で足が重い。
弓折岳の稜線に出るとすべてを忘れるような大展望が待っていた。槍ケ岳から穂高、焼岳、乗鞍、遥かに加賀白山。双六、三俣蓮華、鷲羽、野口五郎。あれは餓鬼岳あたりか。雲一つなく晴れ上がっているが、風が強く気温は低い。スケッ チを済ませて弓折岳へ向かう。昨日は1時間50分もかかったところを、1時間で弓折岳まで来てしまった。

大展望を楽しんだあと、シールを外していよいよスキーでの滑降である。  
降りロは急斜面の上に深い新雪でとても滑れる状悲ではない。斜滑降で慎重に滑り降りる。新雪の中で転倒すると、体が沈んでしまい起き上がるのが難儀、もがきながらようやく立ち上がると、がっくりするほど体力を消耗してしまう。そんなことを2,3度続けると疲れきってしまう。できるだけ転ばないように注意して慎重に下って行く。少し下ると今度は雪の表面だけがクラストしていて、いわゆる“モナカ”といわれる状態で最悪となる。斜滑降〜キックター ン、斜滑降〜キックターンの繰り返しで下って行く。大滑降の楽しみなぞどこへやらだ。  
本来ならば雪も締まり、ざらめ状の斜面を軽快に降りられるはずなのに残念なことだ。  
鏡沢上部の緩斜面まで降りてひと安心する。しかしまだ私の枝術では滑るというところまでいかない。大ノマ乗越側の斜面に出て、やっといくらか滑りを入れた下降が出来たのもつかの間、その後は相変わらずの雪質にうんざりする。  

双六小屋から3時間でワサビ平に到着。登りは8時間近くかかったことを思えば大変な違いだ。もし雪の状態がよければ、あと1時間は早く降りられると思われる。
ワサビ平小屋の小池さんに先に下山したわけを説明すると、スキーと靴は後で宅急便で送ってくれるという。それに風邪薬をいただいたり、親切がありがたく身にしみた。スキーを持って帰ったら混んだ汽車など大変な思いをするところだった。  
一昨日新雪に覆われていた林道も、ところどころ土が現れ、下のほうは完全に雪が消えていた。積もったとはいえやはり春の雪だ。新穂高温泉に着くと発車間際のバスに飛び乗って平湯乗り換えで上高地へ。さらに上高地から東京への帰路についた。