追想の山々1132  up-date 2001.10.14

由布岳(1583m) 登頂日1998.05.20 単独

湧蓋山登山口(7.30)===由布岳正面登山口(8.40)−−−合野越(9.12)−−−マタエ(10.00)−−−由布岳西峰(10.10-20)−−−マタエ(10.30)−−−合野越(11.00)−−−登山口(11.20)===鶴見岳登山口へ
所要時間 2時間40分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
1998年・九州早がけ登山・8日間で14座=(52歳)
大崩山・傾山阿蘇烏帽子岳・普賢岳・多良岳〜経ケ岳・天山・背振山・英彦山・釈迦岳・大船山〜平治岳・湧蓋山・由布岳・鶴見岳・尾鈴山

日本300名山−≪湧蓋山につづいて本日二つ目の山≫
由布岳西峰の岩稜とミヤマキリシマ


湧蓋山へ登ったあと、息つく間もなく由布岳へ向かった。疲れはない。
自動車が湯布院町を過ぎ、城島高原へと上ってゆくと、端正な由布岳が高度感たっぷりに見えてきた。  
以前来た時には、ゴールデンウイークのラッシュに巻き込まれ、いらいらさせられたが、今日は快調に走って正面登山口へは1時間余で到着。時刻は8時40分でまだ早い。  
付近の様子は10年も経っているのにあまり変わった感じもない。駐車場には10台ほどの自動車が止まっている。平日でも登る人がかなりいるようだ。


この後鶴見岳の予定もあるので早速登山にかかる。  
カヤトの草原を突っ切っると登山口となる。前と同じコースを取る。
この前はどこまで登れるかわからないが、時間と競争で走るように登った。結局1時間余で東峰に立ったのだが、約900メートルの標高差を考えると、今思っても大変な速さで歩いたものだ。時間切れで西峰を踏むことができなかった。今回は踏めなかった西峰が目標である。

合野越まで登ると展望が開けて、悠然とした由布岳のすそ野が緑の絨毯となって広がっているのが見える。おにぎりのような飯盛ガ城が玩具の山のように可愛い姿を 見せている。ふたたび潅木の中へ入ってじぐざぐを切りながら登ってゆく。大変明るい快活な登山道で、気持ちも明るくなる。潅木が薄くなって、背丈も低くなり展望が開けてきた。眼下には湯布院町から延びる自動車道が、巨大な大蛇のようにうねっている。駐車場のマイカーが豆粒ほどの大きさで確認できる。  

由布岳西峰山頂
前回のペースには及ばないが、それでもかなりのペースで歩いているようだ。東峰と西峰とのコル、マタエが見えてきた。しかしこれからが岩や礫の胸を突く急登となり、けっこう絞られるところだ。  
休まず急登を登り切ってマタエに着くと、ここは風衝帯で反対側から寒さを感じるほどのいい風が吹き上げていた。右へ行けば前回と同じ東峰、左がこれから登る西峰への道である。
西峰への急勾配の岩尾根にとりつく。見かけは険しいが、それほどのこともなく登ることができる。ひと登りすると1回小さく下ってから、西峰への最後の登りとなる。いかにも峻険な岩塊が行く手を阻むように重なり合っている。危険個所には鎖がつけられているが、それを頼らずに岩角などに手がかりを求めて登ってゆく。鋭く切れ落ちた岩の壁は高度感十分だ。落ちたら一巻の終わり、慎重に登ってゆく。スリルに富んだ岩場を、なかば楽しみながら無事登り切ると、一等三角点西峰の山頂だった。1時間30分、コースタイム2時間よりだいぶ早かった。山頂には誰もいない。  
ここも霞がかかって、遠くの山は空色の中に溶け込んでしまっているが、西方には久住連山がかすかに認められる。東には鉄塔などが賑やかな鶴見岳そして目前に由布岳東峰。山頂周辺の岩稜に、ミヤマキリシマが群生、点々と赤紫の花で彩られていた。  
西峰を登り残すことにならずにすんで、これで正真正銘由布岳を三百名山登頂済みのリストに加えることが出来る。  

寒いほどの山頂を辞し、来た道を戻る。  
岩場は登りより下りの方が危険が多い。慎重にマタエまで下りれば、後は一目散に登山口へ降りるだけ。  
途中追い越して来た人たちが、ようやくこのあたりを歩いていた。  
登山口へ戻ったのが11時20分。遅くなったら鶴見岳はロープウェイでもいいと思っていたが、この時刻なら歩いて登る時間は十分ある。  
駐車場で鶴見岳登山口となる目印の鳥居を教えてもらう。そのおじさんが帰り道だからついてくるようにと言われ、自動車の後について行くと、20分もかからずに石の大鳥居の前だった。
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