追想の山々1210  up-date 2001.11.04


巻機山(1962m) 割引岳・牛ケ岳 登頂日1994.05.29 単独行
桜坂(4.15)−−−5合目(5.00)−−−6合目展望台(5.30)−−−にせ巻機山(6.30)−−−御機屋(6.50)−−−割引岳(7.05-20)−−−御機屋(8.35)−−−牛ケ岳(7.55-8.10)−−−御機屋(8.35)−−−にせ巻機山(8.45)−−−5合目(9.40-45)−−−桜坂(10.15)===東京へ
所要時間 6時間00分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
登り残した一等三角点「割引岳」へ=57
割引岳


未丈ケ岳登頂の余韻を引きずりながら、巻機山登山口へと向かった。清水集落への自動車道は、6年前とは比べようもないほど良くなっていた。清水の集落から仰ぎ見る巻機山は、午後の陽を受けてひときわ大きい。
登山口の桜坂駐車場に着いたのは4時ちょっと過ぎだった。6年前は無料だった駐車場が、今度は有料に変っていて、料金徴収の小父さんががっちりチェックしている。小父さんのアルバイト料は昼の12時から夕方までいて4000円になるのだそうだ。

駐車場手前の米子沢は、家ほどもある巨岩がごろんごろんと重なり合い、迫力のある光景だったのに、その巨岩は爆破されてコンクリー トの堰堤に変わり、今も工事がつづいていた。
一番日の長いときだけに、4時を回ってもまだ太陽は高々と中空を占めている。夕日を背にして3人、5人と疲れた足を引きずって下山してくる。この程度の山であんなに疲労困憊するのかと思うほど、くたびれ切った様子の人も見られる。料金徴収の小父さんも帰り、静かになった駐車場で、なかかな沈まない夕日を一人眺めながら、その名も地酒『巻機山』をゆっくりと味わいながら日没を待った。
夜中に何回も目を覚ましたが、その都度星が降り注ぐように瞬いていた。

何回目かに目を覚ますと、外はすでに薄明の時間であった。はっとして時計を見ると3時45分、慌ててとび起きる。既に昨夜のうちに準備しておいたザックを背に、4時15分巻機山へ向った。
6年前、ガン・人工肛門に打ちのめされ、予期せぬ人生の暗転に抗う術もなく、ただ死を見つめていたいた時期、完登など望むべくもない状況を知りながら、日本百名山に引き込まれて行った。登山の何たるかもわからず、ただがむしゃらに歩いて山頂を踏んで来ることが、すなわち登山だと思っていた。そんな風にして登った巻機山であるが、6年ぶりに再訪、今こうして同じ道をたどっていると、そのときの記憶がいろいろと蘇って来る。

早くも目覚めた小鳥の囀りを耳にしながら足を運んで行くと、後ろから足音が近づいて来る。こんな早朝から歩き始める登山者は何者だろうか。しばらくするとその足音は私に追いついた。私のペースを超える登山者は、そうはお目にかからない。心中やや波立つ思いで、挨拶の言葉を交わ して彼を見送った。変わらぬペースを保って行くと、5合目の上で先程の男性に追いついた。
6合目の展望台で小休止、昨日の未丈ケ岳につづいて今日も抜けるようなプルッシャンプルーの空が広がる。深呼吸をすると早朝の澄み切った大気が肺腑を一杯に満たし、爽やかな清涼感が広がる。小さな幸福を感じる。
6合目を過ぎ、傾斜の緩い桧穴の段付近にさしかかると、登山道にはまだかなりの残雪がある。高度を稼いで1500メートルを越えるあたりからは、ブナや潅木の茂みが途切れて森林限界を超えたようだ。笹の斜面を縫うようにした急な登りとなり、一気に視界も広がって来た。

丸太作りの階段は、風雪に傷みがかなり進んでいる。一段一段数えるように登って行く背中に、早朝の涼風が得も言われぬ心地よさで通り過ぎる。
階段登高を終わるとニセ巻機山だった。シャクナゲの花期にちょっと早かったが、それでもいくつかほころび始めたピンクの花が、ただがむしゃらに頂上を目指したあの日を思い起こさせる。目の前には御機屋から割引山にかけてのたおやかな起伏に、残雪が斑な模様をなして展開し、眺望はただただ素晴らしいの一言。じっくりと楽しむのは後の楽しみだ。
ニセ巻機山から雪渓を踏んで避難小屋のある鞍部に下り、再ひ御機屋への登り返しにかかる。ニセ巻機山での休憩中に私を追い越して行った40年配の男性がいた。スピードを落とさずにどんどん歩いて行く。相当な韋駄天だ。その姿を見ていると、ただ山頂を踏むことだけを目標に歩いていたかつての自分を、鏡に映して見る思いだっ た。
“巻機山”の標柱の立つ御機屋到着は6時50分、所要時間は2時間35分で、コースタイムより1時間近く早かった。

先に今回目的の割引岳山頂を踏むことにする。
御機屋からは、割引山へつづく尾根の北斜面に広がる大きな雪渓上をたどる。スキーならさぞや痛快と思える斜面だ。コル付近は雪が消え、敷設された木道があらわれていた。そのまま夏道を急登ひとしきり、割引山の頂上に到着した。
7時5分、すがすがしい朝のそよ風に吹かれ、遮るもののない山頂に立つ気分は、形容する言葉もない。割引山は『一等三角点百名山』の名峰でもある。
山頂は名峰に恥じない素晴らしい展望台であった。三角点を両手で包み込むようにして触ってから、周囲の展望に目をやっ た。谷川連峰の先には富士山が確認できた。妙高山をはじめとする頚城連山と遠く北アルプス。苗場山、谷川岳、 朝日岳、八ヶ岳、南アルプス、浅間山、武尊山、平ケ岳、奥白根山、至仏山、越後三山、荒沢岳・・・。
枚挙にいとまのない展望を楽しんでいると、今朝ほど追い越され、追い越しして来た男性が登り着いた。彼もまた健脚だった。「昨日、沢コースを登っている途中、雪渓が割れて沢へ転落、全身濡れ鼠となってすごすごと引き返しました、それで今朝は尾根コースで登ったてきました」と話してくれた。30才半ばの好感の持てる人で、しばらく話しこんだ。
彼はこの後最高点の牛ケ岳を回ると、 帰りのバスに間に合わないおそれがあるので、これで下山するという。
バスは午後1時だというから「あなたのペースなら牛ケ岳を回っても十分間に合いますよ、こんなよい天気なのに、このまま帰るのはもったいないですね」と言葉を残して、私はひと足先に牛ケ岳へ向かった。

御機屋まで戻り、穏やかな草原の道をハイな気分で牛ケ岳へと足を運ぶ。牛ケ岳からは武尊山や日光方面にかけての展望が良く、ここからもまた胸をときめかしながら、残雪に輝く遠近の山並みの眺望を貪った。
あの男性も一足遅れてこの牛ケ岳へ登って来た。彼の感じの良さに強い親しみを感じて「都合のいい駅まで送りますよ」  と声をかける。恐縮しながら 「ありがとうございます、助かります」ということで、下山は二人連れとなった。
健脚同志の下山は早かった。

お互いに自己紹介、彼は戸塚市のKさんと言った。結局東京まで私の自動車で帰ることになった。
その後九州に転任したKさんご夫婦と霧島を縦走したり、気持ち良いお付き合いがつづいてる。私にとって巻機山は忘れがたい山である。 
          
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