追想の山々1215  up-date 2001.12.09

丹沢主脈縦走
塔ケ岳(1491m)−丹沢山(1567m)−蛭ケ岳(1673)
登頂日1988.10.30 単独行
大倉(7.00)−−−塔ケ岳(9.10-20)−−−丹沢山(9.55)−−−蛭ケ岳(11.05-25)−−−姫次(12.15)−−−平丸分岐(12.55)−−−焼山(13.10-20)−−−長野バス停(14.15)
所要時間 7時間15分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
日帰り縦走=51
蛭ケ岳


秋はいい。晩秋の山はまたいい。まだ山を歩きはじめて間がないから本当にいいものが何なのかを、物知り顔に言うことはできないが、それでも山の秋が好きだ。紅葉もいいし、冠雪の峰嶺を眺めるのも楽しい。葉を落した梢の上に広がる青空もいい。
夕暮れどき、疲れて山を下り、ふといとおしむように振り返ったとき、傾きかけた西日に山々は色を潜めてシルエットに変っていく。寂蓼感に包まれる。ひと仕事終えたあとの、あの一瞬の虚脱感が全身を包む。それは次の仕事にかかるまでの、つなぎの真空地帯にいる頼りなさかもしれない。山歩きのそんなフィナーレは、晩秋の頃に一番びったりくる。

主脈縦走は過去二回、雪のため失敗している。日帰りは少しきつく、山中一泊で余裕をもって歩くのに適したコースとして紹介されている。この半年の間に山歩きにも慣れ、自分の体力もよくわかってきた。主脈縦走程度だと軽い気持ちで出掛けることができるようになってきた。

満員のバスを最後に降り、先に歩き始めたハイカーをすぐ追い越して山道に入る。例によって一気に1000メートル以上を登る大倉尾根は、この1年で4回目、わかってはいてもきつい登りだ。霜柱が水晶のようにキラキラ輝いている。見晴の茶屋、駒止の茶屋と通過。一本松の切り開きで大きな展望が開けると、噴煙を上げる山影が空中に浮かんだように目に入った。山仕事にきていた地元の人に、思わず「あれは浅間山ですか」と聞いてしまった。私は噴煙を上げ ている山というと、とっさに浅間山しか頭に浮かばないのだ。「あれは大島ですよ」。(このオッサン何をとんちんかんなことを言っているか、と思ったに違いない) 「あれは相模湾、大島、式根島に神津島」と教えてくれた。

4回目の丹沢で始めてのピーカン、抜けるような青空だ。
塔ケ岳には大勢のハイカーが展望を楽しんでいた。7合目まで雪化粧した富士山が美しい。その左手に愛鷹山、箱根、 相模湾、江の島、東京のビル群。右に目をやると富士山の肩越しに南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、そしてこれからルートをとる丹沢山、蛭ケ岳が紅葉に染まり始めた姿で秋の陽を受けている

次の丹沢山は眺望が効かない。休まずに蛭ケ岳へ向かった。ハイカーの姿が急に少なくなった。ナナカマドの実が真っ赤だ。ブナの林も気持ちいい。
不動の峰は樹林が切れて、笹原とカヤトの明るい尾根が広がっている。
丹沢山塊最高峰の蛭ケ岳は山小屋の建つ広い山項だった。展望は塔ケ岳に劣らない。相模湾は海と空との区別がつかず、島々は空中に蜃気楼のように浮いて見える。富士山の秀麗な姿がすばしらい。山中湖も見える。
風は冷たいが、日だまりに座り、展望を楽しみながら昼食。実に静かだ。しみじみと山の良さにひたる。

焼山登山口まで長い下りがつづく。地蔵平までの急下降を終ると、あとは大きな登下降はなく、整備の行き届 いた道を気分も軽やかに落ち葉を踏み、ときに蛭ケ岳を振りかえり歩を進める。焼山で最後の眺望を楽しむと、後はじぐざぐの急下降を経て長野の集落に降り立った。予定よりかなり早い時間で歩ききることができた。
午後3時、バスの来るころには、秋の陽脚はもう丹沢山塊の陰に隠れようとしていた。
積雪の中、主脈日帰り縦走に2度とも敗退。そのときの「無知無謀の山行」記録はこちらへ