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   2002.10.10 根子岳〜四阿山 登頂の記録はこちら
   2008.08.22 鳥居峠〜四阿山 登頂の記録はこちら
   1989.05.27 根子岳〜四阿山 登頂の記録はこちら

登頂日2011.09.24  М氏夫妻同行   四阿山(2354m)〜根子岳(2207m   菅平牧場から登頂
コース 菅平牧場(6.50)−−−根子岳(8.35-8.45)−−−四阿山(10.10-10.040)−−−中四阿コース分岐(10.50-11.30)−−−中四阿2106m(12.00)−−−菅平牧場(13.20)

前日は浅間山登山のあと天狗温泉浅間山荘へ宿泊。

根子岳

明けて早朝6時、四阿山へ登るべくМ氏夫妻と浅間山荘を車で出発、菅平高原へ向かう。

鳥居峠からの往復、または菅平牧場から根子岳経由の登頂、二つの案を前夜相談の結果根子岳経由に決まった。

登山口となる菅平高原は、早朝の冷気に包まれている。雲一つ見当たらない快晴、放射冷却が効いてかなり冷え込んでいる。寒い。しかし絶好の登山日和に気持ちも昂る。

牛が朝露に濡れた青草を食む風景に心洗われ、朝陽を浴びるシラカバの幹がまぶしい。さあ出発だ。

勾配も緩やかで足どりも軽快、気分も爽快。振り向けば北アルプスの連嶺が天を画す屏風のようだ。ひと登りするとシラカバなどの樹林帯を抜けて根子岳山頂へのおおらかな斜面が目いっぱいに広がり、やや勾配を増してくると山頂が視野に入ってくる。

高低差600メートル、1時間45分で根子岳山頂へ到着。М氏夫妻にとっては始めての根子岳、私も冬季以外では9年ぶりの山頂である。

もったいないほどの快晴。果てしない蒼穹の空、頚城方面以外は360度の大展望、北アの連嶺を北から指呼していく。白馬、唐松、五竜、鹿島槍・・・・・燕、槍、穂高、そして乗鞍、御嶽、中ア、恵那山。八ケ岳、南ア、富士山。御坂山塊や奥秩父の山々。目の前には目指す四阿山が黒々とした巨体で構えている。

四阿山

根子岳から岩場を通過すると四阿山とのコルへ下る。笹が朝陽にきらきら輝く眺めもなかなかのものだ。

コルから黒木の樹林に入り、次第に勾配が増してくる。北斜面のため湿り気を帯びて黒土が滑りやすい。多くの登山者が踏ん張って登っていく。閉ざされた黒木樹林を抜け、勾配が緩むとそこは尾根の端、抜けたような青空が再びかえってきた。

登山者の姿が一層多くなった木製の階段道を上がれば山頂はすぐそこ。一つ目の祠を過ぎ、その先の祠が山頂だ。そこかしこ、広くもない山頂は登山者でいっぱいだ。我々はとりあえず少し下った先の三角点まで足を延ばした。

二等三角点標石の上に載せられた小さなお地蔵様も昔のままだった。ここに三角点のあることを知らない人も多い。3分ほど足を延ばすだけ、山頂だけで下山してしまうのはもったいない。

祠の山頂に戻り、あらためて展望に浸る。浅間山は逆光のためにシルエットだが、その端正の姿はやはり美しい。昨日のほぼ同時刻、あの山頂に立っていたのだ。

この時間になってもまだ富士山は明瞭に見える。赤城山の後方に目を凝らせば、日光から那須と思われる山影までもがのぞめる。実にすばらしい上天気だ。惜しむらくは頚城山塊から谷川連峰方面の雲が取れないこと、この程度は良としよう。

人の賑わう山頂を避け、下山に予定している中四阿コース分岐の広々とした草地で昼食タイムとした。

四阿山からの浅間山

北ア、中ア、南ア、八ツ、浅間など、中部地方の名だたる山々を見ながら、М氏持参の味噌汁と、山荘で作ってもらったおにぎりがことさらに美味い。燦々と降り注ぐ秋の陽光の下、至福のひとときを憩った。

根子岳への登り返しをしなくて済むというメリットに惹かれて中四阿コースの下山を選択した。このコースは始めと思ったのに、帰宅してから調べると歩いた記録が残っていた。これほどきれいさっぱり忘れていたとは我ながらびっくり。しかしこのコースは北アを正面に、根子岳を右手に見ながらの楽しいコースだ。

中四阿の岩のピークを過ぎ、さらに下っていくと1917メートル地点に三等三角点があるのに、うっかりして確認せずに下ってしまったのが残念。

登山口の菅平牧場下山は120分。透き通った青空は依然そのまま、山で終日好天に恵まれることは稀にみるラッキーなこと、満ち足りた気分で牧場の牛乳に舌鼓を打ち、М氏夫妻を上田駅まで送る途中の真田温泉でゆっくりと汗を流した。

休憩込みで6時間半、快哉の登山であった。




登頂日2002.10.10  単独行   四阿山(2354m)〜根子岳(2207m   菅平牧場から登頂
コース 長野自宅(5.10)===菅平牧場駐車場(6.00)−−−中尾根コース−−−小四阿(7.15)−−−四阿山(7.50-8.05)−−−根子岳(9.05)−−−菅平牧場駐車場(10.05)
≪13年ぶり再訪の日本100名山・霧氷の山頂で寒さに震える≫
中腹からの黄葉と八ヶ岳連峰

早朝6時、菅平ダボスにある牧場駐車場に車を止めて外に出ると、思わず身震いするような冷え込みだった。

登山道標にしたがって中尾根コースを四阿山々頂をめざす。冷え込みはきついが天気はまずまず。牧柵に沿った道を、シラカバの黄葉を眺めながら脚を運ぶ。
小鳥の囀りもなく、静かな林の中、ときおり落ち葉を踏む軽い音だけが響く。林の途切れたところからは、ゆったりとした山の斜面に広がる黄葉、牧場の淡い緑、草を食む豆粒ほどの牛の影、その向うにはシャープな輪郭を見せて連なる八ヶ岳、朝の斜光線に浮かび上がる絵葉書のような景色が目を引きつける。

高度が上がってくると寒気が身に染みる。軍手の指先が寒さで痛む。地面が白く見えるのは霜柱の子供だろう。
いつかガスに覆われていた。小四阿の岩稜あたりでは、強い北風に身をさらされて背中を丸めながら足早に樹林の中へと急ぐ。
鳥居峠からのコースが合流したところから、木製の階段が作られていた。登山者の増加で山が荒れてきたための対策のようだ。階段を登り終わると間もなく四阿山の頂上だった。

標高差は約750メートル、ほぼ2時間で山頂に到着。
日本100名山にチャレンジしていた13年前の6月、根子岳からルートファインディングに不安を感じながら、分厚い残雪を踏んで同じこの山頂に立ったことがある。あのときの山頂でのみごとな展望を反芻しながら、15分ほど山頂にとどまっただけで、寒さに追われるように根子岳へと向かった。
暗い黒木樹林を急下降して笹原の鞍部に立つ。13年前に比べると、笹原がずいぶん歩きやすくなった感じがする。早朝にもかかわらず笹露に濡れることもなかった。

ガスの中を登り返した根子岳。もしや根子岳では晴れてくれればと幸運を期待したが無駄だった。北風に乗った冷たい霧が足早に去来しているだけで、展望はまったくない。山頂の一角に設営された小さなテントも寒そうだ。昨夜はここで夜を過ごしたのだろう。

ダケカンバ、ついでシラカバと樹相の変る登山道を出発点の駐車場へと下って行った。




登頂日 2008.08.22 同行者なし・・・・四阿山(2354m)    2等三角点     鳥居峠から往復
鳥居峠(5.10)−−−登山口(5.55)−−−的岩−−−東屋(6.55)−−−四阿山(7.50)−−−三角点(7.55)−−−四阿山(8.00-8.15)−−−東屋(9.00)−−−的岩(9.20)−−−的岩山へ向かってみたが、途中で引き返す−−−的岩(9.40)−−−登山口(9.55)−−−鳥居峠(10.30)
四阿山山頂
20年ぶりの四阿山だった。そのころの私は山に関しては幼稚園児のようなものだった。菅平から根子岳山頂経由のコースをとったが、四阿山北面は残雪に覆われていてコースがわからず不安混じりに登ったことを思い出す。しかし展望は360度、痛快そのもののパノラマを満喫した。

四阿山は再度登りたいというほど愛着があったわけたではないが、機会があったらこの山のシンボル『的岩』を見てみいという願望に押されて今回の再訪となった。

国道144号線鳥居峠着は5時ころ。ここに車を置いて出発する。
国道から見ると林道ゲートは閉鎖されているように見えたが、11月まで開放中と表示されている。実は私の持っている1970年版「日地出版の浅間・菅平」地図にはこの林道は記載されておらず、林道の存在も知らなかった。林道は歩いてもたいしたことはなかろう、足慣らしということにしてつま先上がりのダートの林道をテクテクと登山口へ向かう。ダートながら路面状況は良好である。

40分ほどで駐車場のある登山口着。山頂へのルートは二つあるが、左の的岩経由のコースをとる。
沢上地形のミズナラ林が広がる緩やかな道をしばらく進むと、予想外に早く的岩に着いてしまった。前記の「日地出版の浅間・菅平」地図によれば、当時は尾根伝いに的岩山三角点を経由して的岩へ至るというのがルートになっている。にもかかわらず的岩山ピークらしいものはなかった。果たして通過したのだろうか。少々頭が混乱する。
的岩は人工的に積み上げた石垣と見まがうが、巨大な岩にいくつもの割れ目が生じてそのように見えているようだ。

マツムシソウ
的岩を過ぎるとコメツガの原生林となる。八ヶ岳の原生林を彷彿とさせる幽邃な雰囲気がただよう。足元はほの暗く、うっかりするとルートではないところへ足を踏みいれてしまいそうだ。赤テープがべたべたと木の幹に巻きつけてあるのでその心配はない。
原生林を抜けると右手に浅間山から烏帽子岳にかけての山稜が藍色のシルエットで見えてくる。浅間は噴煙の量がかなり多いようだ。最近小噴火を何回か繰り返しているせいだろう。
秋を告げるミヤマアキノキリンソウやマツムシソウ、ハクサンシャジンなどが目につく。とりわけマツムシソウが多い。
このほかにもウスユキソウ、ハクサンオミナエシ、ヤマハハコ、ウメバチソウ、トモエシオガマなどの花も初秋の山を飾っていた。

岩の点在する展望地が開ける。東屋があって休憩には絶好の場所だ。間近には浅間山、そして富山県側の剣、薬師岳どを除く北アルプスの全山が視界に飛び込んでくる。残念ながらその北アは稜線から下は雲に隠れていているものの、山巓の一つ一つは指呼することができた。

樹林に入ったり出たりして、なだらかな道を秋の花や景色を楽しみながら足を進める。
「四阿山」と書かれた大きな標柱が立っている。まさかここが四阿山?そんなはずはない。ここから小さなアップダウンがあり、木製の階段がいくつもあらわれる。階段は濡れていて、傾いた踏み板は滑らないようにへっぴり腰で恐る恐る足を置く。
岩混じりの痩せ尾根付近は左右に浅間、北アを眺め、さらには足下にはマツムシソウがふんだんに薄紫の花を朝風に揺らしている。花から花へとミツバチも大忙しだ。

山頂へと伸びる急な登りを目にして最後の登りにかかる。
浅間山をのぞむ
肌寒いほどの気温が幸いして思ったほど汗もかかない。水筒の水も手づかずだ。高低差200メートルほどを一気に登りきると菅平方面からのコースと合流、さらに木製の階段を登っていくと山頂はすぐだった。この階段は20年前にはなかったはずだ。100名山ブームでこの山もすっかり様子が変わったようだ。

山頂での休憩はあとにして、この先の三角点へ向かう。2ヶ所ほどの鎖場を通過して下っていくと、5分ほどで三角点だった。標石の頭部は欠け落ち、痛々しい姿をさらていた。山頂に戻り、稜線だけ雲の上にあらわしている北アの展望や、浅間山などをしばらく眺める。乗鞍、御嶽も雲の上に見えるのは頭だけだ。妙高、火打、焼山も頭だけ、中ア、南アも二つ三つのピークが雲の上に浮いて見えるのみ。

帰りは東屋分岐から的岩経由と花童子経由の選択に迷ったが、できたら的岩山山頂を踏んで行きたかったので的岩経由の同じ道を下った。
的岩から岩の基部に沿って下っていくと、薄い踏跡か獣道らしいものがある。これをはずさないように下って行ったが、次第にやぶが邪魔してきて、この先ヤブこぎする覚悟はなく、断念することにした。この踏跡らしいものが、的岩への昔のルートに間違いないと思う。

登山口駐車場で、登山道点検に来ていた作業員らしい人に尋ねると、今は廃道となっいて歩く人はいないという話だった。



 登頂日1989.05.27 妻同行・・・・ 根子岳(2207m)〜四阿山(2354m)     菅平牧場から登頂
東京(3.10)===菅平牧場(7.20)−−−根子岳(8.50-9.00)−−−四阿山(9.50-10.10)−−−根子岳(10.50)−−−牧場(11.25)===草津白根山へ移動
快晴、大展望に恵まれる=52

車にテントを積みこみ、どこかで野営しながら土、日曜で日本百名山の四阿山、本白根山、浅間山を登る計画で出かけた。

長野市在住時、菅平には何度もスキーで訪れ、根子岳のゲレンデを滑っていながら、その頂きに登る気持ちは少しも起きなかった。
菅平高原の朝は、大気も一段と爽やかで、若葉が目にしみる。広々とした牧場は萌えだしたばかりの若草が、たっぷりと朝露を含んで朝陽にかがやく。草原には十数本づつひとかたまりになって白樺が点在し、真横からの光線に幹の白さが際立っていた。牛は草を食むのに余念がない。絵葉書を見るようだ。

7時、駐車場に自動車を置いて根子岳・四阿山への登山に出発。牧柵に沿った芝草の道は足ざわりも心地いい。丘陵を思わせる緩やかな曲線で描かれた根子岳子は、ほんの一投足で登れそうに見える。その右手には雪の残る四阿山がつづいている。
高原の広がりが府撤できるあたりに来ると、素晴らしい眺望が展開した。北アルプスの白馬島から穂高、乗鞍まで一望。さらに懐かしい北信五岳もある。
道は潅木帯からダケカンバ帯に変わった。登るにつれて樹高が少しづつ低くなり、やがて矮化し、ねじ曲がった姿が冬の気象の厳しさを物語っている。登山ロで見たのと違って傾斜もありなかなか登りでがある。
樹林を抜けて遮るもののなくなった山腹は、視界が開き、肌寒い程の風が吹いている。妻にあわせてゆっくりゆっくりと景観を楽しみながら歩く。すぐそこに見えた頂が、なかなか近ずいてこない。北アルプス、北信五岳の眺めに励まされながら、砂礫の中をひと汗かいて頂に立った。
展望は文句なしの一級品。妙高、火打、焼山、雨飾、乙妻、高妻、黒姫、戸隠、飯縄、北アルプス全山、乗鞍、御嶽・・・志賀、万座と見飽きない山岳展望だった。

妻はここまで。登山口までゆっくり戻るようにして、私は目的の四阿山をめざした。
根子岳から見ると黒木の斜面に雪を残し、二つのピーク を持って目の前にどっしりとひかえたいた。雨衣のズホン、スパッツで身をかためる。鞍部は笹原の広がる明朗な原で、日陰には残雪もある。根子岳から見た感じより鞍部への下りは小さくてほっとする。
四阿山への登りはツガ・シラベ等黒木に覆われた北斜面の道で始まる。取付からかなりの残雪と急登。しばらく踏み跡を辿ったが、すぐに見失ってしまった。右寄りに行けばいいのか、左寄りがいいのかわからない。べったりと残雪の覆った黒木の樹林を縫うようにして登ると、ときどき一つ二つの足跡を見るが続かない。右手の尾根を目当てに右へ右へと斜行するうちに、雪が消えて登山道が現れた。南面は嘘のように雪のかけ らもない。
ひと安心して僅か行くと、なだらかな傾斜が広がるトマの耳、 更に一投足で四阿山頂上のオキの耳である。雪に囲まれるようにして小さな祠があった。
鞍部から1時間にも満たないが、ずいぶん長い登りだったような気がする。頂上からの展望は根子岳以上の素晴らしさだった。雄大な山麓を引いて浅間山が噴煙を上げている。妙義、男体、奥白根、武尊、巻機・・・・大パ ノラマを満喫する。

下山は同じ道を引き返した。雪の斜面を踏み跡を外すことなく グリセードをしたり楽しみながらひと息に鞍部に降りた。
日本百名山には難読の山がいくつかある。この四阿山の外にも皇海山=(すかいさん)武尊山=(ほたかさん)等があるが、いずれも上州方面の山だというところが面白い。


2006.02.13 スキー登山の記録はこちらへ