追想の山々1319 up-date 2002.10.07
奈良(2.30)===毛木平(8.20)−−−林道終点(8.45)−−−なめ滝(9.45)−−−千曲川水源(10.30-35)−−−甲武信岳(11.10-30)−−−三宝山(11.55)−−−武信白岩岳(12.55-13.05)−−−大山(13.35-45)−−−十文字小屋(14.05) 十文字山往復25分 ≪泊≫ (5.25)−−−毛木平(6.25) | |||||||||
所要時間 7時間 | 1日目 6時間* | 2日目 1時間 | 3日目 **** | ||||||
埼玉県最高峰の三宝山と、千曲川源流を訪ねて
久しぶりに奥秩父を訪れた。目的は埼玉県最高峰の三宝山(2488m)、 深夜奈良の自宅を発って、川上村の登山口「毛木平(もうきだいら)」に着いたのは8時ちょうど。 40〜50台は止まれるような広い駐車場も満杯。今日は日曜日、昨日から登っている人や、今朝早くに出発した日帰り組などで山は賑わっているようだ。そう言えばこの時期はシヤクナゲの咲くころではなかったか。奥秩父はシヤクナゲの山、十文字峠付近がことさに名が知られている。 予定のコースは千曲川水源を経由して甲武信岳へ登り、山頂直下の甲武信岳小屋へ宿泊。翌日三宝山・十文字峠経由で毛木平へ下山と言う計画を立てていた。 小屋に一泊しなくても日帰り可能なコースだったが、久しぶりに山小屋に泊って見たかった。昨年は山小屋泊の登山が1回もなかった。今回は山小屋に泊まれるのが何となく嬉しく、遠足に行く小学生の気分になっていた。 10人以上の大きなグループや夫婦連れ、若いカップルなどの出発を見送ってから、ゆっくりと身支度を整えて私も毛木平を後にした。しばらくは林道歩きとなる。この林道は一般車進入禁止と思っていたが、ゲートの鎖は外され自由に出入りが出来るようだ。道の両側のちょっとしたスペースには、例外なく自動車が止めてある。合せるとかなりの台数になる。 十文字峠へのコースを左に見送り、林道を25分歩いたところで登山道に変った。 新緑の中を千曲川源流に沿って遡上して行く。登山道は流れよりかなり高い位置につけられているので、せせらぎの音だけで渓流は見る事が出来ない。 「べニバナイチヤクソウ」が絶え間なく咲いている。 先に出発していた10人ほどのグループを追い越す。巨岩に「NO.48」と赤ペンキで大書されている。何の番号か意味不明。足下に離れていた渓流が目に届くようににり、清流が岩盤の上を滑るように流れ下っている。「なめ滝」の看板があった。 緩い勾配がつづくが、いつか樹相もコメツガやシラビソが混在するようになって、それなりに高度を稼いできているようだ。谷幅の狭くなってきた渓流に沿って、右岸そして左岸と渡り返しながら進んで行く。深かった渓谷も浅くなってきて、頭上が明るく広がって きた。灰色の雲がいくら見えるが、青空ものぞいている。 相変わらず登っているという実感の湧かないような緩い勾配がつづく。前方に若い男女のカップルの明るい笑い声が耳に届く。 間もなくその後ろ姿に追いついた。二人とも実に軽快な歩きをしている。特に女性の方はすらりと伸びた足で、いかにも山慣れた軽い歩きが印象的、カモシカを連想した。かなり速いペースにもかかわらず、息を切らすこともなく喋 りつづけている余裕はちょっと驚きだった。背後に追いつくと、道をあけて「どうぞ」と声をかけてきた。「すみません」と返して二人の前に出た。 流れの方はいよいよ細くなってきて、源頭の近いことを思わせる。これまでとちょっと様子が変ってきて、薄暗いシラビソ樹林の中へ入って行くと、大きな木柱に「千曲川・信濃川水源」と書かれた標識が立っていた。地中から清水が湧き出している。このわずかな清水が千曲川の始まりであった。清水を手にすくい、舌の上に転がすようにして口に含んでみた。かすかに山の土の匂いがした。 日帰り組が早くも下山してくる。 水源で小休止してから最後の登りにかかった。シラビソなどの針葉樹の茂る道は、登山道らしい急登に変った。一歩一歩登りつめて行くと、意外に早く尾根上に立ち、前方に奥秩父の山の連なりが開けた。 尾根を左へ向かうと甲武信岳山頂が見える。ガレの急登を登り切って、11年ぶりの甲武信岳山頂に立った。最初のときは雁坂峠〜破風山〜甲武信岳〜戸渡尾根という長いコースの日帰りだった。目立ち過ぎるほどの大きな山頂表示が、石組みの上に見あげるようにして立てられていた。 春霞がもやっていて遠望はきかないが、国師ケ岳、奥千丈岳、 金峰山、瑞牆山などを確認できた。十文字峠から登り着いた女性が「シヤクナゲがよかった」と教えてく れた。 甲武信岳まで予定を大幅に短縮して着いてしまった。まだ11時を回ったばかりで、今から甲武信小屋へ泊まるには早すぎる。十文字峠まで下ってシャクナゲをゆっく り観賞し、それからどうするか考えるこにした。場合によっては今日中に下山してもいいし、あるいは十文字小屋へ泊まるのもいいかも知れない。
埼玉県最高峰の三宝山は、樹林に囲まれた広い平地を持つ山頂だった。展望はないが岩の上に立つと、三角形の甲武信岳と、その左に木賊山が見えた。広湯の西側隅には一等三角点標石がある。 甲武信岳とちがい人影もなく、昼寝でもしたいような静けさが満ちた中で、 軽い食事をしたりして10分ほど休憩をとった。 少し雲が厚くなってき て空模様が気にかかる。 三宝山からはだらだらとした長い下りとなる。しかし今回のコースの中で、このあたりが一番奥秩父らしい雰囲気を漂わせていた。人間の手の入っていない太古の自然がそのまま残されているという感じで、コメ ツガやシラべの鬱蒼とした原生林に、他では味わうことの出来ない森閑 とした山の深さがある。林床に横たわる倒木をはじめ、何もかもが分厚い苔の絨毯に覆われている。ふわふわとした苔の柔らかさが、すべ ての音を吸収しているかのように、物音一つしない静寂な世界を作っていた。行き交う登山者もほとんどない。 長い下りの後、武信白岩岳へは150メートルほどの登り返しが待っている。見た目では標高差以上のきつい登りに感じる。白岩岳手前のコルに「尻岩」と いう巨岩がある。お尻を後ろから眺めたような恰好をしている。これまでのだらだらした下りが一気に急登に変った。登りついたピークと思われるところで、登山道を外れて高みへ登ってみた。三宝山が大きな山体を見せていたが、白岩岳という表示は見当た らない。さらに小さな登り下りを繰り返すと小さな岩峰があらわれた。これが武信白岩岳だった。「岩が崩れやすくなっているので登るな」という注意書きがあり、立ち入れないようにロープが張られていた。ロープをまたいで慎重に岩へ取付いた。それほどの高さはないが、ほとんど垂直に見える岩はちょっと尻込み したい気分だったが、手がかりは何とかあるので私にも登ることは出来そうだ。登りはいいが、下りは大丈夫かな、そんな不安もあったがピー クに攀じ登ることができた。 見通しが良ければ両神山や白石山が目の前に見えるのだろうが、あいにく展望はなかった。下りは緊張したが、岩の崩れることもなく無事に下降。 この先ちょっとた上り下りを何回か繰り返す。このコースは、登りに とった千曲川水源コースに比べると起伏が多くて体力の消耗がかなりちがう。 ふたたびシヤクナゲの群生が目立つようになった。標高も少し下がっ てきたために、この付近が開花の適期となったてるようだ。淡いピンクが点々としている。開花寸前のツボミの鮮紅色がひときわ目に染みる。 小さなピークに到着した。標識もないが地図に記されている大山(2224メートル)のようだ。シヤクナゲが何株が咲いている。突起状のこのピークは視界を遮るものもなく、天気か良ければ素晴らしい展望台と思われる。 一服したあと十文字峠へ下って行った。
毛木平まで下る時間は十分あったが、この十文字小屋には以前から泊ってみたかった。今日の行程はここまでとして宿泊の申し込み をした。 十文字峠から少し先にある十文字山を往復してきた。山項は深い樹林に囲まれてまったく展望はない。淋しい山頂だった。 再び峠へ戻り、今度は小屋から6分ほどのところにある、乙女の森と いうシャクナゲ群生地へ行ってみた。やはり適期は少し過ぎてピンクも色あせていたのが残念だった。 近ごろの山小屋は、新建材などを使ったハイカラな作りが見られるが、この小屋は昔の風情を今に残した懐かしさを漂わせていた。 夕刻、小屋の土間に見覚えのある男女二人のカップルがいるのが目にとまった。登りで追い越したあの軽快な歩きの若いカップルだった。声をかけると相手も覚えていてすぐにわかってくれた。佐久市の人で、韮崎〜佐久競歩のことなど、話が盛り上がった。夕暮れを感じるころ二人は下山して行った。(その後、忘れたころに近況を知らせるハガキをやりとりしている) 食事どき、日本百名山を目指しているらしい女性がいたが、何かその事をいうのが憚られるような、あるいはそれを言うと軽蔑されるかもしれない、そんな気持が感じ取れる様子があった。日本百名山を目指すのが、何か軽薄な行為、山歩きの邪道というような意識を持たざるを得ない風潮は困ったものだ。 夜半トタンをたたく雨音に明日の天気が気にかかったが、朝起きてみると良い天気になっていた。5時半、小屋を後にして毛木平へ向かった。緩い下りがつづいたあと、いきなりじぐざぐの急下降となり一 気に下って、ちょうど1時間で毛木平に到着した。満杯だった自動車も今 朝はわずか数台を数えるだけになっていた。 |
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