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鳥取県 | 2001.05.29 | 単独 | ||||||
コース | 米子市(9.25)---川床(10.10)---岩状分れ(10.40)---大休峠(11.30)---矢筈ケ山(12.10)---大休峠(12.48)---岩状分れ(13.25)---川床(13.45) | |||||||
一等三角点百名山登頂達成
「ヤハズガセン」と読むそうです。中国地方には「山」を「セン」と読むことが多いようです。 隣に聳える中国地方の名峰、伯耆大山のおかげで影は薄いものの、展望に恵まれた登り 甲斐のあるいい山です。 大山の方が350メートルも高いのに、一等三角点は矢筈ケ山の方に設置されています。 一等三角点は高い山にあるとは限りません。最高峰の富士山にもありませんし、第二位の北岳、第三位の奥穂高岳にもありません。 自動車の故障を米子市で修理したりして、大山寺の先にある登山口「川床」に着くのが遅くなってしまいました。 駐車スペースは3台分ほどしかなく、既に1台止っていました。休日などには駐車に苦労しそうです。 時間を気にして早速に出発です。 樹林の中の急な登りでひと汗流すと、岩状分れという標識の立つ尾根へ出ました。ここからは起伏の少ないなだらかな道が大休峠へとつづいています。この道は中国自然歩道となっています。 あたり一帯の樹林は自然ままに保護されて、広大な落葉樹の森を形成し、大変良い雰囲気です。 今回の中国地方山旅で最高の好天に恵まれました。 若葉を透かす木漏れ日、囀りやまない野鳥たち、幹を上手に動き回るアカゲラの姿も間近に目にしました。 目を洗われるような優しい若葉は、途切れることなく広がっています。いちばん目につくのは、やはりブナです。それも大木が多く目につきます。中国山地のブナの多さに、この地の山を見なおす気分です。認識不足でした。杉の植林がやたらと気になる近畿の山ばかり歩いている反動かもしれません。 目は若葉を楽しみ、そして耳には透き通る野鳥の啼き声。おなじみのシジュウカラはツイッピーツイッピーツイツイツイ。ホ−ッホ−ッと低音で聞こえるのはミミズクでしょうか。 登山道には何箇所か昔の石畳が残されています。信仰の道としてさぞや苦労を重ねて作った遺物でしょう。 大休峠に着くと、手の届きそうな近さで大山の姿が迫っています。立派な避難小屋もあります。明るい空間ですが、ここにもブナの大木が天を突いていました。 ひと休みしてから、いよいよ矢筈ケ山への本格的な登りに取りかかりました。 これまでの楽々ムードとは打って変わって、今度は胸を突くような急な登りの連続です。途絶えることのない広葉樹林はほとんどがブナです。まさにブナ、ブナ、ブナ、それも老木が多いようです。 振り返ると、背後には大山の険しい山容がいよいよ競りあがって、つい見とれてしまいます。大山の沢筋には残雪もあります。 40分の厳しい登りで、ようやく矢筈ケ山の山頂へ立ちました。
一等三角点の山頂なのに、なぜか山名表示を示すものが皆無です。どんな頂でも一つや二つ目にする私製の山名プレートなどもありません。ずいぶん軽くあしらわれた山のようです。でもこれはこれでさっぱりとして良いものです。 ことを成し遂げた感激らしいものもなく、ごく普通の登頂したときの喜びと同じでした。冷静な自分自身に拍子抜けしてしまいました。 何と言っても大山の眺めはみごとです。 深田久弥が「日本百名山の選定にあたったときの気持ちを、次のように書いています。中国は高山に乏しい。幾重にも連なった山々はみな同じように平夷な丘陵で、特に目を引くものがなかった。云々・・・。 そんな中にあって、大山は背の高さ、それに山容も中部地方の山岳に匹敵するものを備えていたということでしょう。 一等三角点百名山を達成したことより、しばらくは大山の素晴らしい姿に見入っていました。 日本海の美保湾が鮮明に眺められます。北側指呼の距離にある甲ケ山の岩峰が登高心をそそりますが、今日は時間がありません。岩稜を攀じる3人パーティーが見えました。 大山の勇姿を眺めて、ひとときを過ごしたあと下山の途につきました。 イワカガミ、チゴユリなどの花々に目をやりながら、同じ道を引き返しました。 下山後、中学の同級生が三朝温泉に住んでいるのを訪ね、地元民の組合温泉で汗を流してから次の目的地へと向かいました。 |