追想の山々1410  

 松手山(1614m)・平標山(1984m)  頂日1990.10.10 単独
元橋(5.45)−−−鉄塔(6.35)−−−松手山(7.00)−−−平標山(8.00-8.10)−−−平標小屋(8.40-8.50)−−−林道(9.20)−−−元橋(10.05)
行程 4時間20分 新潟県 松手山 三等三角点
平標山 三等三角点
初雪の平標山
2週間ほど前に日本百名山登頂を果たし、それなりの感慨にふけって一息ついたあと、さてこれから山とはどのように向きあって行くのか。これという考えもないうちに山の秋は深まり、紅葉の季節へと移って行くのを見てじっとしていられなくなった。

百名山完登後最初の山は、私には山歩き第二幕の幕開けの山でもある。しかるべき意味のある山を選びたいと思っていたが、そんな気持ちとは裏腹に安易な気分で平標山を選んでしまった。
未明に東京を出発して関越自動車道月夜野ICから17号線を三国峠元橋バス停前の登山口への到着が5時15分。三国峠は雨と霧。10月10日は晴天の確立が高い晴れの特異日といわれているのに、今年は外れたようだ。

しばらく自動車の中で様子を見る。
白み始めた明るさの中に、せわしく動く雲を透かしてときおり月が見え隠れする。登山できないほどのこともなかろうと出発の支度にかかる。
外に出るとぶるっと身震いするような寒さだ。
廃業したらしい茶屋の裏から登り始める。最初はつづら折れの自動車道を3回ほど横切って直進すると、急な登山道となった。落ち葉を踏んで雑木林の登りが続く。上下の雨具に身ごしらえをしたが、雨の方はほとんど止んできた。
急登ではあるが道はよく踏まれて歩きやすい。50分も登ると工事中の送電鉄塔に着く。鉄塔の上部は霧で見えない。鉄骨が風を受けて唸っている。今日は冬型の気圧配置と言っていたから強い北風に煽られているのだろう。

鉄塔からも相変わらずの潅木の中、少し岩っぽくなった道をしば らく進むうちに霰が落ちて来た。進もうか引きかえそうか、ややためらったがすぐ先が松手山だった。
松手山を過ぎると草原となったが、霧で展望はきかない。霰は雪に変わって来た。登山道もうっすらと雪化粧している。ここ谷川連峰は気象変化の激しさから、一般ルートであっても冬季には数多くの遭難が発生している。一昨年も10月中旬初雪の日に軽装の登山者が3人亡くなっている。そんなことを思い出しながら慎重な行動を自分にいい聞かす。

さらに登ると北風も強まり寒さも加わって来た。草原状の道からガレの急登に変わり、寒風をつきながらじぐざぐを繰り返すと平標山の山頂だった。
山頂を示す標柱には、小さいながらエビの尻尾が出来ていた。ナカマドのあかい実も雪をかぶって寒そうだ。
谷川岳連峰最高峰の仙ノ倉山まで足を延ばす積もりだったが、この天候で万が一事故にでも遭ったら取り返しがつかない。平標小屋経由で下山することにした。

少し下ったところで登山者ではない数人の人に出会った。針金 やスコップ等を担いでいる。尋ねると登山道の整備だった。こんな天侯の中をと思うと、自然に『御苦労様です』と声が出てしまった。
この下りは南斜面のせいか雪も少なく風も弱い。わずかに霧の切れ間から山肌の紅葉がぼんやりと窺える。
平標小屋が見えるあたりまでくると時折青空も顔を出すようなにった。狐色の草原の中にサラサドウダンが真っ紅に燃えていた。

外人連れの二人組が降りて来た。仙ノ倉は止めて降りて来たとのことだった。
小屋からの下りはブナの大木が目立つ樹林の急な下りで、このころから登って来る登山者に行き交うようになる。こんな天候でも次から次へと登って来る。
林道まで下ると、マイカーがたくさん駐車していた。ここまで車で入れば随分楽だ。
陽が差したり小雨がぱらついたりする、しぐれっぽい林道を50分ほど歩いて元橋へ戻った。
2003.06.22 平標山−仙ノ倉山−万太郎−大源太山の記録はこちら
1994.04.16 山スキーによる平標山はこちらへ