追想の山々1438
  

弥山(1895m)・八経ケ岳(1915m) 登頂日1998.06.21 単独
行者還トンネル西口(4.50)−−−奥駈道合流(5.33)−−−石休ノ宿跡(5.50)−−−弁天の森(5.56)−−−聖宝ノ宿(6.18)−−−弥山(7.00)−−−八経ケ岳(7.27-7.35)−−−弥山(7.55)−−−宝聖ノ宿(8.25)−−−弁天の森(8.45)−−−行者還トンネル西口(9.30)
行程 4時間45分 奈良県 八経ケ岳 二等三角点
宝聖   
三等三角点
弥山
愛車『テラノ』とのお別れ山行。

うまくすれば大峰山の名花オオヤマレンゲの花に出会えるかもしれない。
テラノは快調に走って、行者還トンネル西口へ着いたときは夜が明けていた。今日は日曜日、7〜8台の車が見える。
橋の袂から流れに沿って歩き出す。5分ほどで新しい木製の橋を渡って本格的な登りとなる。
日本百名山にチャレンジしていたとき、あれはテラノを買って半年ばかりしたときだった。妻と二人、東京から荒島岳(石川)、伊吹山(滋賀)、大山(鳥取)、大台ケ原(奈良)、そしてこの八経ケ岳をめぐる山旅をしたことがあった。それがテラノの超長距離ドライブの最初で9年前のこと。そんななつかしさも手伝って、今日のテラノお別れ山行は八経ケ岳を選んだ。あのときコースは川合からの日帰りだった。今日は楽な行者還トンネルからの往復である。

稜線の奥駈道へ登り着くまでが急登に次ぐ急登、一気に高度を稼いで行く。落葉樹林の若葉が透過光線を通して気持ちいい。シャクナゲの群生が目を引くが、花季はとうに過ぎている。
標高差500メートル余の急登を約45分で登り切ると、奥駈道と呼ばれる稜線となる。左方が山上ケ岳、右方が弥山・八経ケ岳への道で、何百年来にわたって修験者が通った道だ。
休憩なしで稜線の奥駈道を弥山へ向けて登りはじめる。これまでにくらべると問題にならないほど楽な登りだ。

すぐにブナの巨木帯があらわれる。なだらかな広い空間に天をつくような巨木がゆったりとした間隔をあけて立っている。気持ちまで大きくなるゆとりの空間だった。
雨音。小さな粒が梅雨独特のしとしと降りに変わってきた。山頂まで行くか、それとも後日出直すか。自問自答しながらそれでも足は前へ向かって進んでゆく。
奥駈道を20分弱で「石休の宿跡」と表示のある地点を通過、そこから数分で「弁天の森」に到着。三角点標石があり、道標に1600メートルとある。

この先、緩くではあるがコースは徐々に下っている。せっかく稼いだ高度が惜しいが、急激に下っているわけではないのでまあいいか。
この奥駈道はほとんどが岩と木の根を踏む道で、山全体が岩で成り立っているのだろう。雨で濡れはじめた若葉がいっそうみずみずしい。
前方にこんもりとした山体、弥山が見えてきた。ワンピッチ、ひと登りだろう。鞍部という雰囲気ではないが、一応コルという地点が「聖宝の宿」で修験者の銅製の等身大座像がある。「これからが胸突き八丁、ゆっくり登ろう」と書かれた看板がある。行者還トンネルからの急登を攀じってきた者にとっては、それほどの登りには感じない。大小の岩を踏む登りがつづく。

雨は本格的に降り続いている。ここまで来るともう山頂を踏むのが当然、引き返そうなどという気はさらさらない。
足を滑べらせないよう、岩角を靴底でつかむようにして上ってゆく。胸突き八丁というほどのものは感じないまま、聖宝の宿から40分余で弥山へ着いた。
降りしきる雨の中に山小屋はひっそりとして、ディーゼルエンジンの音だけが低くうなっていた。あたりの様子は9年前に来たときとあまり変わっていない。取りあえず弥山最高点の弥山神社まで往復する。

小屋の管理人にオオヤマレンゲ開花の様子、植生場所等を聞いてみようと思ったが、面倒になってそのまま八経ケ岳へ向かった。
風倒木の目立つシラビソの原生林の中を、標高差で100メートル下って、コルから八経ケ岳への最後の登りとなる。
看板がある。『鹿の食害により、オオヤマレンゲは絶滅寸前にある。網で囲って保護しています。戸は開放したままにしないように』と注意書きがあった。登山道はフェンスの中へと入ってゆく。2〜3回フェンスを出たり入ったりする。あった!オオヤマレンゲの花だ。はじめて目にする大峰山の名花である。椿かクチナシに似た花で、花びらは絹のような光沢を持った肉厚の花弁、いかにも華麗さを感じさせる。ツツジ科に属するそうだ。さすが天然記念物に恥じない名花だった。
しかし群生して咲き乱れるという状態ではなく、絶滅の危機に瀕している様子が伝わってくる。とにかくオオヤマレンゲを見るというおまけがついて大満足。テラノが最後にくれた最高のプレゼントのような気がした。

露岩があらわれ、これを登りきると八経ケ岳山頂だった。
先着が一人、雨の中に立っていた。途中にあった青いテントから登ってきたという。山頂からの展望はなく、周囲の山並みは雨の中に煙っていた。

山頂を辞し下山にかかる。雨の中、次々と登山者のグループが登ってくる。
退職後自由の身となって、山行は好天ばかりを選ぶようになり、本降りの雨中の登山は久しぶりのことだった。雨の中、装備に不安な人の何と多いことか。雨具代わりにウインドヤッケだけの夫婦、すぐに破れる透明のビニール雨具、頼りない足ごしらえ・・・・。それでもどうということなく登っいる。どんなに天気が良くても雨具一式、着替えを放さない自分の方が、「少し慎重すぎるのでは」と思ってしまう。

降り続く雨に登山道は小さな流れと化していた。奥駈道から別れて、行者還トンネルへの急坂の下りに入っても、まだこれから山頂へ向かう人たちが何組もあった。時間を見るとまだ9時を回ったばかり、私の方が早すぎたのだ。
9時半駐車場所に帰着。待っていたテラノで帰宅の途に着いた。
テラノとの最後の山行だった。このままスクラップと化すかもしれないテラノではあるが、引き渡す日には、ピカピカに磨いて、ビールをたっぷり飲ませて上げようと思っている。
「テラノよ、長いことありがとう。ほんとうにご苦労さまでした」  
 

テラノ・・・NISSAN 4WD 3000CC
足であり宿であった愛車「テラノ」は9年間で19万キロ、北海道から九州まで、時には山奥深い悪路を走ってくれました。業者に引き取られて行く日、、内も外も念入りに磨き上げ、「ありがとう」とこころで語りかけ、ビールをかけてあげました。
そのときの様子はこちらにあります。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub3021.htm