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籾糠山=もみぬか(1744m)

岐阜 1999.10.18 単独行 徒歩
コース 天生峠(7.40)−−−匠屋敷湿原(8.10)−−−ルートまちがいのロス30分−−−尾根取付(9.30)−−−山頂まで0.7キロ表示(9.50)−−−籾糠山(10.10-11.15)−−−尾根取付(11.35)−−−湿原(12.15)−−−天生峠湿原(12.30)
匠屋敷湿原(天生湿原)
 深夜自宅を発って奥飛騨へ向かった。
 奥飛騨への道はもう何回も車で走った道、地図無しでもかなり自由に走り回ることが出来ようになっている。籾糠山登山口の天生峠(あもうとうげ)も、まったく地図を見ることなく着くことができた。

 予報は好天と言っていたのに、白鳥町を過ぎて奥飛騨に入るころから雨模様となった。思わぬ誤算である。
 この山行の目的は、籾糠山山頂から一等三角点御前岳への稜線ルートをしっかりと視認することにあった。いわは事前の偵察である。雨降りでは視認どころではない。登る意味がないに等しい。
 合掌造りの白川村荻町を通るころから雨は上がって来たが、周囲の山の尾根は霧に厚く包まれたままである。

 白川で国道と別れ宮川村へ抜ける峠越えの県道へ入る。冬は雪のために閉鎖されていて通れない。
 籾糠山から御前岳を目指す残雪期である。そのころはまだ除雪前で開通していないので、この峠道をヤッコラ重い荷を背負って歩くことになる。
 ゲート地点から天生峠までの走行距離を測ると、ちようど10キロほどだった。標高差は約900メートル。歩行なら3〜4時間は見ておかなければならないだろう。

 最高地点の天生峠には大きな駐車場があり、きれいなトイレもある。
 平日、しかも6時20分という早朝でもあって、ワゴン車がポツンと1台止まっているだけだった。アイドリング状態だから仮眠でもしているのだろう。
 雨こそ止んでいるが雲は垂れ込めたままだ。今日はこの籾糠山を登るだけで他に予定はない。ゆっくり往復してもせいぜい3時間か4時間というところ。急いで登り始める必要もない。
 自動車の中で仮眠かたがた天気の様子を見ることにした。

 1時間余をウトウトしてから外を眺めるとだいぶ明るくなってきていた。どうやら天気は回復の兆しだ。
 ゆっくり歩けば頂上へ着くころには見通しがよくなっているかも知れない。
 支度を整えて「匠屋敷跡」の標識の立つ登山道へ入った。
 自動車が通れるほどの道を3〜4分歩くと、三角屋根の休憩舎がある。その手前で左に入るのが匠屋敷への道で、しっかりとした道標も立っている。しばらくは潅木に挟まれた緩い登りを行く。この登山道は「中部北陸自然歩道」の一部となっている。
 30分ほどで明るく開けた匠屋敷跡に着く。天生峠からの標高差は約100メートル。発見されたのも比較的新しいという高層湿原が広がっている。規模はたいしたことはないが、保護が行き届いて貴重な植物もあるようだ。岐阜県の天然記念物となっている。
 湿原はすでにキツネ色に変って冬を待つ風情。
 湿原を周回して遊歩道が整備されている。西回りのコースを取った。遊歩道を歩き出すと、思いもしなかつた景観が目を奪った。絵葉書を見るような鮮やかな紅葉黄葉、見事に色づいた樹林が湿原の周囲を取り巻いている。何年ぶりかで見る鮮やかな秋の景観だった。
 思わずカメラのシャッターをたて続けに切る。そこに陽が差し込んできた。彩りは一層鮮やかさを増し、しばらくはただ見とれていた。今年は残暑が厳しく、10月に入っても30度を超す日がつづいていたが、ようやくこの1週間ほど急に秋らしくなり、一昨日、昨日と冷え込んでくれたおかげて、一気に紅葉が進んでくれた。ラッキーだった。

 湿原を半周したところから、ほんのわずかな下りで沢状のコースとなり、後は平坦に近いゆっくりとした登りを行くようになる。
 登山道から見上げる山腹の紅葉も、これもまた見事だ。赤、黄色とりどりに模様を作り、さながら唱歌の「紅葉」を口ずさみたくなる。
 小さな沢をほとんど離れることなくコースは延びている。右岸から歩き始めるが、やがて左岸へ移る。
 しばらくして、右手の本沢と左手の支沢の間を進むと、すぐに「籾糠山1.3キロ」の道標がある。ここで道は二つに分かれる。左は木平湿原、右が籾糠山だ。
 右手の道を取って間もなく、直進する沢と別れて右手の尾根に取付く所がある。ここで失敗してしまった。
 右手の尾根への取付きを気づかず、沢を直進。急に登山道の状態が悪くなった。しかし赤テープなどが頻繁についているので、疑いもせずに沢を辿って行った。とても一般の登山道ではない。固定ザイルなども張られている。
 すると何やら工事現場らしい所に出た。櫓が組まれ穴でも掘っているらしい。たまたま居合わせた工事の人に声をかけると、
「籾糠山へ行くのか」
 と聞かれる。そうですと答えると道が違うと言う。道理で登山道にしては急に道が悪くなったのが不思議だった。工事の人が行き来する道だったのだ。東海自動車道トンネル工事の地質調査をしているのだった。

 
籾糠山山頂
教えられた通り戻って、改めて見てみると尾根への取付きがすぐにわかった。
 尾根取付き箇所に大きなブナの木が1本、その幹に赤テープが巻き付けられている。それが目印だった。結局30分のロスだった。

 尾根に取付くと、はじめての急登が待っていた。ブナ、そしてダケカンバやシラビソの混生する樹林を登って行くと、笹の葉に薄く雪が積もっている。明け方までの雨が山では雪になっていたのだ。
 この登りもそれほど長くはつづかず、いったん傾斜が緩んだ後、頂上直下の急登を一息で山頂に立った。
 標柱に「天生湿原とブナ原生林の道終点」と書かれていて、この先にはもう道はついていない。
 ロスを差し引いて、天生峠から2時間の登りだった。

 天気は回復してきているが、360度の展望とはいかなかった。
 目の前、本当に手の届きそうなところに猿ケ馬場山の緩やかな円頂が聳えている。その右肩背後に見えるのは大門山あたりかと思われる。
 そして東方はるかに乗鞍岳、天気が良いと北アルプスが一望できるだろう。
 さて確認しておかなくてはならない御前岳は・・・・しばらく雲の取れるのを待っていると、ようやく姿を現してくれた。この籾糠山から稜線伝いに行くのは、そんなに難しいことはなさそうだ。来春、残雪期には是非とも踏破したい。この御前岳が一等三角点100名山の最後に残された難関であった。
 一人の登山者が登ってきた。可児市の人で山頂から見える猪臥山などを教えてくれた。

 御前岳の確認も出来て一応の成果に満足、来た道を天生峠へ向かって下った。
 帰りも匠屋敷跡の湿原でゆっくりと紅葉を楽しみ、その素晴らしい景色をまた何枚か写真におさめた。
 匠屋敷跡は、以前ここに飛騨の匠が居を構えていたと言うが、道路もないその昔、里から高度1000メートル近くも上がった山中、おまけに冬はすべてを覆い尽くす豪雪、本当に人が住んだのだろうか。

 下山後合掌作りの荻町に寄り、そのあと平瀬の大白川温泉の露天風呂でゆっくりと汗を流した。
 翌日登頂予定の三方崩山は温泉からすぐ近くが登山口となっていた。
2009年5月、残雪期の籾糠山〜御前岳
 
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