紫 の 歌 会
いぜんの短歌 My earlier work



ある白人の立派な方への尊敬の気持ちを詠みました。平成十三年三月三日

桃ことは 教えし君の もと行きたい
心どこまでも 絶えね浮舟

<意訳>
桃のような美しい外国語を教えてくださるあなた様へ
惹かれていったのは、自然なことでした。
婚約者のような人がいてソウルメイトがいるまったく動きのとれない
わたしであってもです。
心の動きだけは自由であるから。
心の動きだけは、わたしにもどうすることもできないのです。
わたしは源氏物語にでてくる浮舟のような罪深い女だ。
(まだ懲りないというのだろうか。
どこまで人を傷つけたら終わりにできるというのだろう。
この病は鬱病より難い。
こんな命などなくなってしまえばいいのに)



Tanka composed by my heart to respect a great white man
(2001/3/3)

You teach me the foreign language like peach
I have yearned for you like a duck to water
Heart only has got a free space,
to the end.

I wanna go under you
Die out, my life,
guilty me,
I am a floating boat.







二十五歳の記念に詠んでみました。平成十三年六月三十日

いなくても 酸漿(ほおずき)二つ 酸漿三つ
二十五の歳 紫なりけり

<意訳>
二十五という歳は、母には子どもが二人いました。
わたしには子どもがいませんが、おそらく恵まれることもないと思われますが、
わたしの助けを必要としている子どもたちの顔が見えるのです。
それも子どもがいるのと同じことではないでしょうか。
あつかましくも、現代の紫の上を自称するわたしであるのならばなおさらのこと。
(わたしも二十五になりました。)



I tried to compose it in commemoration of 25 years old.
(2001/6/30)

Even if there is not a child,
ground-cherries float in my eye with two, three.
Me 25 years old.
So styling myself,
as the contemporary Mrs. Murasaki (Purple).







友人が主催する歌会<主題は彼岸花>で詠んだ歌。
この歌を詠む少し前にアメリカ同時多発テロ事件がありました。
彼岸花の赤さが流されたおびただしい血のように感じられて・・。
平成十三年九月二十七日


くれなゐ散る 遠い日の夕べ 曼珠沙華
振り払ひたく 払ひたくなし

<意訳>
子どもの頃夕焼けを見ていたのを思い出す。
真っ赤に染まった風景が曼珠沙華の粉のようにわたしに降り掛かっていました。
そういった様々な感情や記憶を振り払いたいのか振り払いたくないのか、
わからない今のわたしがいます。

※ それに対する友人の返し
落日の 白花一輪 曼珠沙華  我ひとたびの 道しるべなり
<意訳>
悩んだり、困難にぶつかった時、白い彼岸花を見かけると、きっと自分を良い方向に導いてくれるはずです。
和平 作(平成十三年九月二十七日)



That was composed at
the poetry party my friend held.
The theme was cluster-amaryllis.

There had been the Terrorist Acts Against America a little while ago when I composed this tanka.
The day the world changed.
The red of the cluster-amaryllis, as if it was the blood shed enormously.
(2001/9/27)

Scattering the crimson, the evening when a child,
the cluster-amaryllis and the cluster-amaryllis.
I wanna shake off it and also don't, now.







ホームページがマイ・コレクションになったことを記念して詠んだ歌。平成十四年一月三十日

ダラスの日 リングはずした ジャクリーヌ
グッバイグッバイ グッバイSatoko

<意訳>
昭和三十八年十一月二十二日テキサス州ダラス市内を車でパレード中、
暗殺されたケネディ大統領。
夫人ジャクリーヌは病院に横たわる夫の指に
自分のマリッジリングをはめたと言われている。
そして言った。「グッバイ」と。
そんなふうに言いましょう。「グッバイ、Satoko」




The tanka composed in commemoration of my homepage having become my collection.
(2002/1/30)
In 1963 President Kennedy was assassinated.

The day of Dallas,
his wife Jacqueline is said to have put her own marriage ring on his finger,
and said, "Good-by."

I said like that, "Good-by, Satoko."














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