10年目の真実(ああ、長良川よ)

(2005.08.15-17)

本流でこの透明度。ダムのない川は良い。
しかし、あれほど乱舞していた魚は何処に。
河口堰の爪あとの酷さよ。


お盆に上の娘を連れて、トモファミリーと郡上に行ってきました。

およそ2年に1度のペースで彼の地を訪れ ていますが、鮎や魚の減少度合いを潜って 目の当たりにして、悲しさと怒りで、 どうしようもなくまります。

友釣りの人と何人か話しをしましたが、 今年は一番ひどい。

名人クラスの人が、ぜんぜんかからんと 恥ずかしそうにしておられました。

「数をあげるなら、九頭竜へいくよ。  でも、やっぱり、ダムのないこの川がええ。   濁っとらんし、川にいるだけでも気持ちが   ええしな」

話し込むと川に戻らず、どんどん話がでてきます。 昔の天然鮎の良さと強さ。

「背びれをな、たらすと、腹にまでとどく。  それぐらい大きいヒレで、泳ぐ力があるんやな。  尾びれも大きい。ヒレに黒い縞がはっきり  あってな。あれを釣ったら、やめられん。  ワシは海釣りもするけど、コレが一番やな」

今は天然鮎は本当に少なくなっているそうです。 長良川に吸い込まれてしまい、 あまりの気持ちよさに、おもわず郡上から 相生まで、子どもたちを乗せてカヌーを だしてしまったけど、のんびり下る途中で 鮎を抜いている光景は一度も目にすること ができませんでした。

アングラーの友人トモと一応、釣りもやる僕は 釣り人優先のルートを四苦八苦しながら 選び下り、釣り師を怒らせないカヌーイスト の模範のように下りましたが、 この時期にしては釣り人も少なく、 笑って手をふったりしてくれてました。

(まあ、4歳の娘の笑顔での手振り攻撃と、  小4の女の子の心配顔のごめんなさい  攻撃に勝てる人は少ないと思いますが)

鮎が湧くよう泳いでいた夏のこの時期。 初心者でカヌーを浮かべてくれてしまった頃、 鮎の釣り人の優しかったことが忘れらません。

フネのポーテジを手伝ってくれようとして 自分が流されていってしまった釣り人のおじさん。 テンプクして流れていく生活道具を 笑ってひろいあつめてくれた方々、 そして鮎のおすそ分け。 スイカの香りのする川原。

どこの瀬でも笑顔があふれていた優しい幸福な 長良川を思い出しました。

かつては銀色に色を変えたサツキマスが 海へ下る途中に一服していた法伝淵の 瀬で、トモファミリーが沈。

水の中で恐怖を感じるより、サイダーのような 美しさ。綺麗さで我を忘れた。。。 と上がってきたトモの感想が印象に残りました。

「水がねー、もう出るかなとおもったけど、  透明だから全然深くて、水を飲んじゃったけど  おしいいというか、ぜんぜん、嫌じゃないんだよねー」

かつては、同じ思いを何度もしたことがあるので、 笑いながら、うなずきました。

「堰ができる前の数をかぞえとらんで、  これくらい上ってます ゆーてもなあ。  遡上の時も大切けど、産卵した後が  大事で、孵化したんが1日くらいのうちに  海までおりんと食べるもんがのー(無くて)  て、死んじまう。  去年は、堰の操作失敗したみたいで、  ほれが原因で、今年は少ないんやろ」

人工物だけでなく漁具がよくなって、 小さいアマゴやウグイも根こそぎかかるように なって、人が減らしてるものあるそうです。 ずーと25年間もこの川で釣りをしてきた方の 言葉は重く、真実です。

長良川の怒りの雨か。 夜半まで雷雨が続き、郡上八幡名物の徹夜 踊りの最終日は大変なことになってました。

疲れで寝入った夜12時に目が覚めて、 テントの外にでれば雨が上がっていました。 そのまま、街に戻って、徹夜踊りの輪の中に。 夕方より多い人手。 浴衣の舞。 若人のキレ。 熟練者のシブミ。 幻想的で熱い熱い夜でした。

やはり、長良川が大好きです。 中部地方の友は、この川があるから他には 浮気はしない。そう言いきります。 生き物は条件さえあえば、指数関数 的に増加していく。

「民主党はゲートをあげることを  マニュフェストに歌っとるから、  今度の選挙は、そっちにするわ」

 河口堰問題でいろいろいやがらせを  受けた釣り人の笑顔と言葉。  はやく条件を元にもどして、この10年を取り  戻したい。

   恨み節じゃなくて、

 「どう?いい川でしょ?   長く良い川って書くんだよ。」

 と堂々と自慢できる川よ再び。

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