クィーンシャーロット諸島 Day1(7/23)

ミチオの島

森に消え逝くトーテムポールに会いに

Moresby Island - South

「ミチオは本当に、本当に素晴らしい男だったよ」

モレスビー・エクスプロラーズのガイドを勤めるビルのセリフ。 ビルは、オーストラリアやNZでもシーカヤックやダイビング のガイドの勤めた経験をもつ陽気なタフガイだ。 ガイドは夏場のパートタイムジョブで、 フルタイムはコーストガード。

海上を疾走するゾデアックボートのハンドルを握って、僕らと カヤックを旅の出発点、HotSprings島に運んでくれる。

僕がクィーン・シャーロットに初めて触れたのは 星野道夫のエッセイ集、「旅をする木」の 「トーテムポールを探して」の文章だ。

まるで幻想的な御伽噺のような世界に迷い込み、 時を忘れて恍惚となってしまったのを、 今でも鮮明に覚えている。

なんという偶然だろう。。。

写真家の故星野道夫さんを1993年5月に、荒れる海を越えて、森へ還る トーテムポールのあるアンソニー島まで送ったのがビルだったのだ。

ブリティッシュ・コロンビア州クイーン・シャーロット諸島。 先住民族であるハイダ族が、「Haida Gwaii」と呼ぶ大小約 150の島々からなるこのクイーン・シャーロット諸島は、 B.C.の州都バンクーバーから約750kmも北西にある。

南東アラスカの国境からわずか70km、北緯52度から 54度にかけて位置する鋭い逆三角形の形をした離島だ。

北島のグラハム島と南島のモレスビー島に大きく2分され、 人口6,000人の多くが、北島のグラハム島に集まっている。

一方、南島のモレスビー島の南部2/3はグワイ・ハーナス 国立公園として保護されていて、交通手段は海か空のみ。

今回の旅の目的地は、グワイ・ハーナス国立公園の南西 にある、小さな小さなアンソニー島の無人の廃村だ。

1981年にUNESCOの世界遺産に指定された森に飲み込まれ朽ち果てていくトーテムポール達。 彼らは、この島でで放置され朽ち果てながら、静かに僕らを待っている。

それはカナダ西海岸の中で最も素晴らしい場所、 そう、先住民のハイダ族の大いなる遺産だ。

森に消えゆくトーテムポールに、どうしても、シーカヤックを漕いで会いに行きたかった。 そう、何度も星野さんが取材に訪れた聖なる場所へ人力でたどり着きたかったのだ。

ゾデアックボートのツアーで4時間かけて アプローチすることは簡単だ。

だけど、その時間は僕にとって短すぎる。 体を酷使した人力旅でいろんな出来事を体験しながら、 時間をかけて辿り着きたかった。

完全な自己満足でしかないが、とっておきの場所には、 すんなり到達してしまってはいけないような気がする。

そこに存在するものは、変わらない。 でも、出会いの重さが、僕の中で感じる輝きが、ぜんぜん違ったものになるのだ。

一番の調味料が空腹であることと同じように。

そこで、今回取れた休暇期間をフルに使って到達するように計画を組んだ。 モレズビー島の北から1/3のところにあるHot springs島からスタートして、ゴールのアンソニー島まで最短で80km。 内海の狭いバーナビーナローズを抜けて遠回りする今回のルートだと、ピックアップポイントへの戻りも含めて120kmを超えるだろう。 それをトランスポートの2日を除いた実質6日間で漕ぎ切る計画だ。アプローチもいれると、それでも11日間の休みが必要になった。

ビルの運転するゾデアックボートはモレスビーキャンプからほぼ静水の海面をひた走り、およそ2時間で今回の旅の出発点のHot Springs島に到着した。

僕らをドロップオフしようと、Hot Springs島のウオッチマンサイトに、 ビルが無線連絡したところ、サマーキャンプの 子どもたち45人が温泉を襲撃していて、蜂の巣を つついたようになっているとの返事。

「テントを設営してのんびりしてから、  ゆっくり浸かりにいけば?」

というビルのオススメに素直にしたがって、 Hot Springs島の南、2km程に浮かぶRamsay島の北浜に 降ろしてもらう。

さらに南下したポイントへ、別のパーティをドロップオフ しに、ビルがエンジンの唸りを残して去って行った。

まったく人工物のない世界、人工の音のない何千年前 と変わらない光景が目の前にひろがっていた。

さーていよいよ、シーカヤックの旅の始まりだ。 本日の黄金計画では、温泉に浸かってマッタリしてから、 東に8kmほど移動したところにある島に渡る予定だった。

そこは、西伊豆コースタルカヤックスの村田番長からの 「極秘情報その1」ウニウニ島で、そこでウニ丼を 食いまくる予定だったが、まあ、臨機応変(なすがまま?) がオイラの旅のスタイルだ。

温泉が静かになるまで、テントを設営し、カヤックで付近を 偵察することにした。もちろん、もちろんウニの調査。 ダブル艇で今回の旅の相棒Ryuと、海中を探索しながら パドリング。テントサイトの周辺にはあいにくウニは 見当たらなかった。うーむ。残念。

その時、前方にハンドボール大の物体が浮いているの が見えた。近寄るとなんと、巨大な巨大なムラサキウニ。 ウェルカム・フルーツならぬ、ウェルカム・シーオーチン (ウニ)ではないか!

浮かぶウニなんて聞いたことがないが、なんという幸運。 しかも、その巨大さは驚愕ものだ。反則だ。 おまけにウニウニうごめいている。 網でズバヤクすくって上陸したビーチに戻る。

二つにわって、大きなプリプリした卵をワサビ醤油でパクリ。

「ウメー」

はやくも、配給制のビールのプルトップが抜かれてしまう。

「ぷふぁ〜、やったー!!!!」

出発前の雨模様は吹き飛んで快晴。 青い空、青い海。そして僕らの満面の笑み。

とうとう来た。やってきた。クィーン・シャーロットに来たいと 考えてから、はや10年。とうとう長年の夢がかなった。 今回のクィーン・シャーロットへの旅はいろんな出来事が 重なって実現した。 初夏に新しい命、次女の誕生。 本来なら、家族を置いての旅など、もっての他の状況だろう。 でも、なぜか、奥様からOKが出た僕は、最初、一人旅でユーコン川の下っていない区間を つなごうと考えていた。

でも、こんなチャンスはめったにない。すると、長年暖めていた クィーンシャーロット諸島をめぐる旅が浮かんできた。

きっかけは、早春に南の海に消えた友人のセニョールだった。 彼がクィーンシャーロット諸島に行きたがっていたのを思い出したのだ。 そして、ここはセニョールとペアを組んで日本縦断シーカヤック旅に挑んだ 西伊豆コースタルカヤックスのバズーガこと村田泰裕が、 シーカヤックによる単独での1周エクスペディションを成功させたとっておきの場所でもある。

1995年に、奥様の友人、BINIブルース三澤氏が僕を二人に導びいてくれた。 やることなすこと世界が広がる熱い年代に、バズ、セニョール、BINIと4人で結成した「えびがに団」はオイラのシーカヤックの ベースとなっている。なにか、運命的なものを感じた。

旅のきっかけは、偶然と勢いだ。このチャンスを逃す手はない。 その時、その瞬間しか、その旅をやることはできないのだから。

「よし、クィーン・シャーロット諸島に行こう!」

昨年カナダ・バンクーバー島のクラコットサウンドを一緒に 旅したバンクーバー在住のシーカヤッカー、Chiggyが忙しいこの時期に、休みをとって合流してくれることになった。

Chiggyは7年間もガイド関係の仕事に従事し、日本人のシーカヤック旅の ガイドとしてブリティッシュ・コロンビア(BC)州様々なフィールドでパドルを握ってきた。 カヤックだけでなく、テレマークスキーやクライミングもこなす アウトドアズ・ウーマンでもある。 そんなChiggyが、

「仕事に振り回されるために、カナダにいるんじゃない  って気づいたの」

「たいちょうからの誘いは、良いきかっけだったのよ」

シーカヤッカーの聖地、そしてブリティッシュコロンビア州 の人々の行きたい場所No1でもあるクィーン・シャーロット 諸島への旅に向けて、一気にヒートアップし、盛り上がるオイラとChiggy。

そんなハナシに、乗ってきた男がいた。 山スキーヤーのRyuだ。

江戸の下町、大井町に生を受けた江戸っ子は、 オイラと同じく典型的な「楽しむ人」。 クィーン・シャーロット諸島?

なんやそれと聞いたこともない土地への旅に、 元気に参加表明をしてきたのだ。 しかも、海には数時間しか浮かんだ経験はなく 船酔いは必ずするというのに。

「いや、勢いですよ。なんか面白そうな気がしたし。。。」

旅の要は、勢いとタイミングだ。そのために決断する勇気。 それがそろえば、素敵な体験がかならずできる。

今回の旅の道連れは、 ふたりとも体力や人柄は申し分ないパートナーだ。

北米の旅は、おもいっきり自由にやれることが醍醐味だろう。 それには単独行が一番だ。何人かで旅していると最初の 数日はいいが、そのうち、うるさく感じてしまうことが多い。

しかし、今回の旅はまったくそんな気持ちにならなかった。 自由に振舞い、ソロで出撃していく僕を信頼して二人が ほっておいてくれたからだ。

共同作業も、各自がやるべきことをやり、また、ちょっと ヘルプがほしいなと感じた時には、自然と助けが入った。 以心伝心の仲間。おそらくこの旅の素晴らしさと共通体験が、 僕らを強く結びつけたのだろう。 日本にもどった今も、クィーン・シャーロットの旅は物語の中 に迷い込んだような不思議な余韻がずっと続いている。

脱線。

にぎやかな子どもたちと入れ替わりに温泉島へ シーカヤックで漕ぎよると、可愛いハイダ族のマリアが 裸足のままで、ゆっくり3つの温泉を案内してくれた。

温泉に続く道はサラール(ベリーの1種)が鈴なりで、 熟した実を口に含みつつ歩いた。 クィーン・シャーロット諸島には野生のベリーがたくさん なっているので、ビタミンCの補充はどこでも可能だ。

身体の汚れをシャワーで落としてから、温泉へ浸かった。 塩分濃度が高いため、プカプカからだが浮いてくる。 木の板につかまってラッコのようにChiggyが浮かんでいる。 ビールを飲ましたらこの人しかいないというくらいカッコが 決まるRyuが、腰に手を宛ててゴクゴクいくフリをする。

青空と青い海が広がり、サンクリストバルの山々に 西日が落ちていく。幸せのひと時。

一番大きく温めの「崖の湯」には、トドの研究者たちが 浸かっていていろいろ楽しい話をする。 中の一人は大阪に行ったことがあり、

「ローメン(らーめん)が旨い!」

と絶賛していた。大阪でらーめんすか!?

南下してSkincuttle Inletから外洋にでるところで、今、 ザトウクジラが定住してるよという嬉しい情報ももらう。 彼らと別れた後、温泉を十分堪能してウオッチマン の小屋を訪れた。

ウオッチマンとは公園内の重要なサイトに夏季の間 だけ居住している人で、施設や歴史の案内もする 現地ガイドだ。ハイダの血をついだ家族がやっている。

マリアの家族たちと楽しい交流をして、テントサイトに 戻ることにした。

ウオッチマンのマリアの一家と記念写真

HotSprings島の周辺は、乱獲のためRock Fishは禁漁区域 になっている。そこで、サーモンを狙ってChiggy&Ryuの ダブル艇と別れ、釣りツーリングに出た。

何度も投げるがあたりがぜんぜんなし。 禁漁区間を脱せばRock Fishを釣ることが可能だ。 9時をまわり西日になったRamsay島をまわりこむ。 ふと下をみると尖ったボールのようなものが海面下に 無数に存在していた。

大きい。しかも凄い数だ。

いわば一面足の踏み場もない位、巨大なウニが 張り付いている。 網を伸ばすが悲しいかな水深2mはあって全然届かない。

温泉でまったりしすぎて干潮時間を外してしまったのだ。 どうしようかと考えていたら、岸からいきなり男の人が現れた。 その方の笑顔があまりにも素敵だったので、 引き付けられるように漕ぎよってしまう。

モレスビーエクスプローラーのシーカヤック・ツアー に参加しているおじいさんで、明日が最終日 とのこと。南から北上してここまできたのだ。 これから南下する僕らと、反対向きのルートだ。

全行程8日間も同じ。 今までも一週間毎日晴天だったらしく素晴らしい旅を 堪能したようだ。 他のメンバーにも会ってやってくれとテントサイトに案内 された。夕焼けに染まったパドラー達の顔の素敵なこと。

「ザトウクジラを5回もみたのよ!」

「ブラックベアなんか3回だよ」

60歳前後の素敵なおじいさん、おばあさんが主なメンバーだが、 そのキラキラした瞳は少年少女のそれだった。

「君たちのピックアップには僕がいくと思うよ」

とにこやかに笑うガイドは、会心のツアーを行なった 自信に満ち溢れている。

ChiggyとRyuと分かれてだいぶん時間が経過してきた ので、名残惜しいけどお別れを告げる。

これからの旅を思って、期待に胸を膨らませ 元気にパドルを漕いだ。 しかし、海底のウニが気になってしかたがない。 本当なら、今晩はウニ丼のはずが。。。。

「ん?まてよ。」

フネにくくりつかられているのは水中メガネとフィンだ。 そうだ!潜れば良いじゃないか! ウエットはないけど、気合はあるぜ! 勢いとは恐ろしい。 切れるような冷水へダイブを繰り返し巨大なウニを6匹 しとめてハッチに投げ込み、キャンプサイトへと舞い戻った。

巨大ウニの獲物

残照の中、ウニに歓喜したRyuがメニューを変更して ご飯を炊いてくれた。

夕日の中でウニをさばく

寿司の子で酢メシにして、ウニを大量にならべる。 葱、海苔を散らして山葵醤油をタラーリ。

「うめええええええ!」

暮れ行く海に幸せの雄たけびが、こだまするのであった。