テズリン〜ユーコン川紀行(田中洋行 著)

(テスリン〜ユーコン川紀行)

田中洋行

旅・の・始・ま・り・

1997年7月29日

 カナディアンエアでバンクーバーへ向かう。夢にまでみたユーコンへいよいよ出発だ。丁度4ヵ月ぶりのアメリカ大陸でもある。アメリカから帰ってきてすぐに「自分は本当にアメリカにいたのだろうか」とすっかり日本に馴染んでしまった自分がいた。20年生きてきてたった1年のアメリカ生活ではそんなものであろう。

それでも成田へ帰ってくる飛行機から見た日本は、どこまでも理路整然としており、驚いた。そして飛行機から降りると皆同じ人種でビックリした。軽自動車がとても可愛らしかった。道路が黒光りして、凸凹がなく美しかった。 良くも悪くも日本が新鮮だった。帰国後一週間は。

 それから大学が始まった。統計学が全く分からなかったが、自分の興味のある勉強だからだろう、勉強自体は面白かった。僕は理系であっても数系ではない。 ファミリーマートの深夜バイトをしたり、奨学金を溜めて、今回の費用にした。時期が悪く、またチケットの買い方がまずく、今回は結構お金が掛かってしまった。

 それでも飛行機に乗ってしまえばそんなものはどうでも良くなる。一人になった途端に気分が良くなる。団体のキャンセルが出たのだろう。後部座席の方はガラガラだ。

旅は一人のほうが旅情というものを感じる。彼女もおらず、自分一人でどうにでもできる旅はなんと解放感に満ちて気持ちがいいものか。

 成田を昼に出た飛行機は北太平洋経由でバンクーバーへ向かう。カナディアンエアのサービスはなかなか良かった。海外線で始めてフライトアテンダントに笑顔で対応された。

 「魚とビーフがあるけど」

 「どんな魚ですか」

「素晴らしい魚よ。丁度あなたのお母さんが作ってくれたみたいな」

普通そんな答えをするか?

 「もっと詳しく知りたいのだけど」

 「ウーン。白身で、ジンジャーの味付けよ」

 「有り難う。それをもらうよ」

 決して美人では無いけれど、楽しく応答できる。しかしこれもフライトアテンダントの性格によるものなのだろう。と、褒めるのをやめる。

 東に向かう飛行機は、すぐに夜になってしまうので面白くない。食事をしたり、映画を観たりしているうちにバンクーバーへ高度を下げた。バンクーバーで軽くジュースを飲む。日本に数カ月いただけなのに、ミディアムサイズが日本のラージで、一瞬怯んだ。大陸はやっぱりでかい。

 アメリカよりも緑が多く、山が多く、美しい国。でもアメリカと殆ど変わらず、アメリカのある州だと言われても疑わない。時々目につくフランス語が辛うじてカナダを感じさせる。西海岸なのだが、アメリカの東海岸のような美しさだ。乗換えをすませ、その足でホワイトホースへ飛ぶ。ユーコン川の上流に位置するユーコン準州の州都だ。

 上空から見下ろしたその町は川の側に縦横に道路が走る、こじんまりとした町だった。緑に包まれて、上空から見た町は単純に綺麗だった。

 飛行機から降り、相変わらず多い荷物を持ってよたよたとタクシー乗り場へ向かう。

 フロントガラスにヒビが沢山走ったタクシー。その運転手は老年で落ちついている。

安宿に着くまで町の話をしてくれた。一人で川を下ると言うと、強い奴だなと言う。

そして「まあ嫌な奴と一緒に行くよりは数段楽しいだろう」と付け加えた。

 時差ぼけを直す為、また川下りの食料を調達するため、2日程ホワイトホースに泊まることにした。一泊17カナダドル。千五百円程だ。ユースホステルの様なドミトリー式の部屋。カヌーを貸す、カヌー屋が近くていい。

 川へ歩いてゆく。見て、ハッとした。青い。そして川幅一杯に、水が音をたてずに凄い速さで流れている。生物は少なそうだが、キレイキレイな水だ。しばらくボウとした。時差ぼけの為だろう、この日は横になると、何も考えずに眠っていた。

 7月30日

 起きると午後1時だった。どうも今回の時差ぼけは治りにくい。隣のベットには酒に酔いつぶれたオヤジが一人寝ていた。

カヌー屋に足を運ぶ。昨日ホワイトホースまで乗ってきた飛行機で一緒だった日本人はどうやらフジテレビの「晴れたらイイネ」のメンバーだったらしい。どうも芸能人に興味が無いので、光ゲンジの誰だったなど言われてもピンとこない。ロケのため、川をちょっとだけ下って、釣りして、残りはジェットボートにカヌーを積んでキセルで下るそうだ。やってる事を否定はしないけど、お馬鹿な日本人。カヌーピープルで働いている日本人は「あんまりミーハーに来てほしくないんだけどね」

と言った。 そんなロケを尻目にそそくさとカヌーを借りる手続きをする。

 カヌー屋はユーコン川の川岸に目立ってある。フーリーシャ、マギーと名付けられた犬が足元でじゃれつく。カヌーは16日間、全て込みでUS$500程度。ホワイトホースにはここの店以外に2件ほどカヌーレンタル屋があるが、まずは無難に日本人が良く利用するこの店を選んだ。レンタル屋の親父が川地図を見て、要所にメモを書き込んで説明してくれる。ここまでされると何も心配することは無い。改めてこれは冒険ではないなと感じる。熊は心配する必要はなさそうだ。

食料の買いだしのため、モール( 巨大スーパー) へ行く。一人で

「炭水化物。脂肪。タンパク質」

とぶつくさ言いながら、買い物をする。

例えば、ジャガイモ、タマネギ、ソーセージ、インスタントラーメン、パン、バナナ、オレンジ、お米、パスタ、パスタソース等だ。その足で酒屋へ向かい、続けてユーコンジャックというリキュール、バーボン等を買い込む。 僕の日本での食生活がばれてしまいそうだ。

 7月31日

 いよいよ川を下る日。軽く買い出しに出掛ける。天気は生憎、曇り時々雨。

 カヌーピープルへ行くと、準備は既に整っていた。これからユーコン川支流の一つ、テスリン川へ向かう。およそ車で2時間の距離だ。

 同じ行程を下る予定の日本人青年二人組が遅れて来たため、出発が11時以降になる。

カヌーピープルの親父は神経質そうに、遅れた彼らを睨んだ。

カヌーを3艘を引っ張る古いバンは、アラスカハイウェイをテスリンに向かってひた走る。町を抜けると5分もせずに、誰も住んでいない林野になった。

窓ガラスがヒビだらけの車はエンジン音も物凄い。ガラスのヒビは、ハイウェイに落ちている石がタイアによって飛び石なり、あたったものだそうだ。しかし乗物なんてこんなものでいいなと気持ちがよかった。車自体、それを持つ事がステータスであるか、ただの足であるか、豊かさの違いであろう。生活の豊かさはもっと他の所にある。

ジョンソンズ・クロッシングと言うテスリン川に掛かる橋の袂でカヌーを下ろす。

ユーコンよりも植物プランクトンが多いようだ。それでも透き通り、2メートル以上の透明度。橋の近くに一件だけあるカフェで、コーヒーとチョコレートケーキを買い、文明に別れを告げる。いよいよ出発。 初めてのカナディアンカヌーだ。

 浮かべると、眼下でグレイリング(北極ヒメマス)が数匹素早く逃げた。日本人二人も初めてのカヌーだそうだ。同時に出発。二艇とも下手くそなパドリングだ。クルリクルリと回る。湖面の様に流れていないテスリン川で一生懸命に漕ぐ。

 小一時間程、試行錯誤しているうちに大体コツが掴めた。しかし、カヤックに比べて遅い。二人艇に比べて遅い。 川が流れているのか、流れていないのかわかぬまま、とにかく大きすぎる川に圧倒されつつ漕ぐ。でかい。しかし美しい。川がカーブする度に新しい景色が出てくる。そのうちに雨になった。

 一緒に出発した南雲さん、松田さんは米粒程の距離で見える。五百メートル離れているだろうか。 だんだんシングルパドルで漕ぐのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。二本あるパドルの真ん中をガムテープでぐるぐる巻き、ダブルパドルにした。あまり川が流れていないのでこっちの方が俄然早い。意地になって4時間程漕ぐと疲れてきた。キャンプサイトを地図上に見つけ、そこを探して上陸。松田さん、南雲さんもここでキャンプ。川原には小動物から熊まで沢山の足跡が付いている。

 テスリン川は石の川原というものが少ない。川岸は土が多い。地図上に示された「いいキャンプ」サイトはだいたい土手に数本生えたスプルース(エゾ松)の中にある。しかしそこは何人もキャンプするのであろう、薪が積んであったり、いい所では木で椅子、テーブルまで作っている。これが多い所では10キロおきくらいにある。

上陸して暫くルアーを投げる。しかし理想としていた「北極の釣り」ができない。

何も釣れない。諦め、ソーセージスープを作ってこの日は寝た。

 良く運動したので良く眠れる。夢にまで見た生活の始まりだ。

 8月1日

 9時に目が覚める。気温は15度前後。肌寒いが、寝たり、夜焚き火をするにはいい気温。すぐに出発することに。朝食をとっていた二人に手を振り、そそくさと出発する。快眠であったので気分がいい。

 追い風で順調に行く。防水シートを広げて、それを手に持ち、セイリングもする。

カヌーの上に大の字に立ち上がってだ。帆が風を掴み、カヌーがスススと進んだ。これはカヤックでは真似出来ないこと。歌を歌いながら行く。この時点で周囲数キロには誰もいないだろう。ワハハと単純に愉快になる。自然の存在感があまりに強いのか、寂しさとかいったものが一瞬たりともない。

 川幅は相変わらず数百メートルあり、流れているのかそうでないのかわからない。

 カヌーに寝そべるとうつらうつらとする。数時間そうしていると、何処にいるのか分からなくなる。暫く漕いでいると、ある大きな淀みの湖畔にインディアンのおばちゃんたちが、バケーションだろうか、キャンプしていた。今どこにいるか聞いてみる。

 「ハーイ調子はどうだい?少し寝てて、今どこにいるのかよく分からないのだけど」 

「寝てたの?向かい岸に白い建設中の小屋があるでしょ。あれが100マイルランディ ングよ」。

そして疑問であったことを聞いてみる。

 「でも、この川で本当に魚釣れるの?」

 「どんな魚を釣りたいの?」

 「パイク、グレイリング、それとトラウトとか」

 「パイクは川の横に時々ある淀みで温まってるわ。そうやって温まってはまた川を移動するの。グレイリングは小さな流れ込みの下で釣れるわよ。トラウトやパイクはいる所と、いない所があるから一つ一つ探って行くしかないわね。ところでどこまで下るの?」

 「ドーソンまで。約2週間程かな?」

 「ワオ。気をつけてね」

 「うん。ありがとう」

 

 そこからその建設中の小屋のある対岸に渡り、すこし休憩。コーヒーを沸かしてすする。蚊を叩きつつ、もうそろそろテン場(テント場所)を探そうと、地図を広げる。

そしてルアーでも投げようと、サオにルアーをセットする。丁度コーヒーを飲みおえた時に上流からやっと真っ直ぐ進むようになった南雲、松田艇がやってきた。

 「随分速いねえ」。

 「うん。セイリングしていたからね」 

 「魚は釣れた?」

 「いや。これからテン場に着くまでに釣ろうと思う」。

 すぐ側に上陸し、いそいでオシッコを飛ばしていた。二人艇ではなかなか船の上からではできないのだろう。当然僕は船の上から飛ばしている。

 近くのクリーク(小川)の流れ込みにカヌーを入れる。ルアーを何度か投げる。グレイリングが数匹いる。ある木の下に60センチ程のブラウントラウト(茶マス)がいた。やっぱりいるのだ。そこを狙って何度か11センチのルアーを投げ込むが、ルアーには食いつかず。そうしているうちに、カヌーが風でスススと流された。

 また本流に戻ると先の南雲艇はまた米粒になっていた。のんびりと下る事に。午前中に追い風だったものが午後からは向かい風になった。

自然に逆らうわけではないけれど、カナディアンカヌーに慣れていなかったので、必死になって、船首を風上に向けるようにパドルを操作する。なかなか思い道理にゆかず、考える。ダブルパドルが悪いのだろう。とガムテープを取り、シングルパドルでボチボチ進む。それでも船首が風下に向くので、イライラする。クルリ、クルリと船が川の上で回る。二人艇はもう見えなくなった。原因は船首が軽すぎて船首にもろに風を受けていたからだったが、このときはまだそれに気がつかなかった。 久しぶりに駆使する筋肉が心地よい。

風が緩くなったところで、夕方になった。丁度いい所にテント場があった。二人艇も着いていた。野苺、ブルーベリーがちらほら生えており、それを摘んで口に入れる。

甘酸っぱくてうまい。昨日は淀んだ水であったが、今日は綺麗な水が流れ込んでいた。

その下でグレイリング用にスピナーを何度かキャストする。

突然側でスプーンを投げていた南雲さんの竿に30センチ近くのグレイリングがヒット。目がびーだまの様に大きくて、魚体の割には背びれが大きすぎて青い水玉模様がついている。形としてはウグイの様なマスだ。すぐに入れ食いになった。僕のスピナーにもがんがん掛かる。一投一匹。

初めて見る、触る魚はいつもゾクとする。特にこの魚は目が大きく、印象深い。

 あまりに釣れすぎるので13匹で止めておく。25センチから40センチ級ばかりだ。引きは強いガンガンガンと一定したもの。晩は焚き火でグレイリングパーティーになった。晩と言っても9時。太陽はまだまだ高い所にある。

 食後、スピーナーの三本ある針を一本にして、返しもペンチで折る。食べないのに釣れすぎるからだ。

 数時間、性懲りもなく、ヨシ!と釣り上げ続ける僕の側に松田さんがそっとやって来て、耳元で「だいぶ、鬱憤がたまっているみたいだね」と言った。

 12時にようやく日が沈んだ。

 8月2日

 8時に起きる。今日は本気で下ることにする。1時間程漕ぐと、ようやく川らしく流れ始めた。ここまでのテスリン川は川幅が広すぎて湖を漕いでいるようだった。今日の川は渓谷をずっと流れる。少し船から身を乗り出し、下を覗くと川底が後方へ飛んでいた。シングルパドルで下ることにする。こっちの方が長時間漕ぐには疲れないからだ。

 今日の山は緑が川に迫って、自然が濃厚だ。淀みにカヌーを入れ、やや大きめのキャンプサイトで昼食を作る。20分程上陸しただけで出発することにした。誰もいない。何の音も聞こえない。俗っぽいものが何一つない世界。今までに経験したことのない、一日中の静寂。砂の川岸にツバメの巣が沢山掘ってある。この日は一日で44キロ下る。約7時間船の上。

 5時ころ上陸。何故か疲れ果てている。ゆっくりのつもりでもついつい力んでしまうのだろう。直ぐにテントを立て、また釣りを始める。

 相変わらずグレイリングが釣れる。大きいものだけ4匹揃え、2匹食べて2匹燻製にすることにした。焚き火の置き火を作っておき、それで一晩かけてスモークするのだ。

 夕飯はジャガイモ・タマネギスープとグレイリングの塩焼き、白いご飯を食べてテントの中にもぐり込んだ。

「ユーコンの川下りとは川の上に長時間浮いていることなのだな」

とぼうとする。

白頭ワシ、トンビ、リスは沢山見るが、大型動物を見かけない。稀に風に乗って所謂「ドウブツ」の匂いが漂ってくるが、姿がない。ビーバーが切ったらしき木は川岸に沢山ある。今日は日中誰にも会わなかった。

 大勢でいるのと、こうやって一人で行くのなら、僕は一人で行くほうを取る。川は音を立てずに流れ、川の上はいつも静寂が支配する。リスがチチチッと鳴く音、崖から小石がカラカラ落ちる音、白頭ワシの羽ばたく音、川底で小石が流れる音。贅沢な時間だ。

 初め、川底で小石が流れる音が何か分からず、サーッと船の下から聞こえてくるその音は船底に穴が開いて水が漏れてきたのではないかと心配したものだ。

一日一日が短いと言うことは、充実している証拠であろう。

林の中のキャンプには避けられぬ障害、傷害がある。言わずと知れた「蚊」である。

しかし日本のそれとはちょっと違う。プワーンと飛んでこない。プーと飛んできて、音が消える。見ると手に居て、そいつはすでにその凶悪な口を僕の肌に押しつけているのだ。刺しているそいつを確認して、親指とひとさし指で摘む。

蚊は何の躊躇もなく刺す。そして僕に摘まれる。当然虫除けスプレーなど効かず、刺された所を対処するしかない。これは人の感じ方の違いらしいが、僕は日本の蚊ほど、かゆさも刺し方も、攻撃の仕方も陰湿ではないような気がする。

本日のキャンプサイトは蚊が多く、逃げるようにテントに転がり込んだ。

 8月3日

 9時半に起床。太陽は7時には上がっているのだが、気温が上がるまで寝袋にくるまって気持ちのいい時間をすごす。

燻製をビニールに包み、インスタントのコーンスープを入れて出発。天気は曇りで、気温は10度から上がらない。風が出て寒いので着込む。口が寂しくなり、初めて作った燻製を口に含む。びっくりするほど美味い。川いっぱいに

「ウメー!ヤッホー!」

と叫ぶ。びっくりしたリスが木に登ってチチチチッチチと警戒するように鳴いた。

午後からは気温が30度まで上がった。一日の気温差約20度。時折、眠たくなって船底に横になる。暫く順調に流れて、船が岸に当たり、ゴンゴンゴンとひどい音で目が覚める。むっくり起き上がって川で一番流れの一番速い所へカヌーの乗せる。そして寝る。昼に二つほど瀬があった。手前で初めてライフジャケットを付けたが、なんてことのない波。でも適度にスリルがあって良かった。

 空では白頭ワシが鷹を追いかけていた。

川底が見えるところでは痛快だ。石が凄い速さで後方へ飛んでゆく。自分と水は同じ速さで流れているので、石だけがただ早く後方へ流れている。今日は11時間カヌーの上に乗っていた。川幅が広がり川原が現れる。川に島が多くなり水路を沢山つくる。

そこにビーバーの巣があるが、ビーバーはいない。

 11時間カヌーに揺られ上陸。今日も誰にも会わなかった。綺麗な小川があるけれど、魚は釣れない。今日は蚊がいない。

外で手紙を書いて、焚き火の火を眺めながらウイスキーを一口ちびりと飲んだ。焚き火の音がウイスキーをおいしくした。気がつくと日が沈み真っ暗になっていた。夜中2時。気温がぐっと下がり、焚き火の遠赤外線が心地よくなった。どうも目が冴えている。ふと空を見上げると、上空にはカーテンになりきれない、雲の様なオーロラがフワフワと形を変えた。一人は感情の起伏が激しい。「うわあ」と声にならない声がでた。

 8月4日

 焚き火を起こしてコーヒーを入れる。気温は冬だ。怪しい匂いのするウインナーを一本齧り、小川から水を酌んで、のんびりしてから出発。大丈夫かな、あの腐りかけのウインナー。 しばらく真面目に漕いで、疲れて漕ぐ手を休める。一つカーブを越えると人影が見えた。向こうが手を上げる。

 「ハーイ」

 「おはよう」

 「調子はどうだい」 

 「最高だね」 

 (僕の釣り竿を見て)「魚は沢山釣れたかい?」

 「そこそこだね」 

 「君達は?」

 「竿を持ってきてない」 

 「君達はカヌーをしているように見えないけど・・」 

 「そうだ。水上飛行機で昨日きた。これから後ろに見える山に登るんだ」 

 「そうなんだ。それじゃあいい一日を」

 「バイ」

 船の上から流されながらの会話。丸2日ぶりの人間との会話だ。

 今日はフータリンクワ、ユーコン川の合流地点が目標。35キロ。楽だ。釣りをしながら下ることに。1メートル程のキングサーモンがカヌーの下をスーと流れ、ドキッとする。

これだけの魚を育む凄い川。

おおよそ5日ぶりに体を洗い頭も石鹸でジャブジャブする。カヌーの上から。ついでに洗濯もした。ピカピカになって、真面目に歯も磨いた。こういった作業は全て社会の中で人と接するために行うことなのだね。と思った。完全にすっきりした。

 本を読み、オレンジを切って、それを口に入れながら、ゆらゆらと。

 ユーコン川と合流した。テスリン川はここで終わり、出発してからここまで184

キロ進んだ計算だ。

 ユーコン川は青すぎた。スカイブルーだ。南国の海の色。なぜこの色だ?と疑問に思う。ユーコンとは大きな川という意味だそうだが、どうしてかテスリンの方が川は大きい。

 フータリンクワ、3時着。ゴールドラッシュ時に交易所として栄えた場所。当時の小屋がぽつぽつある。落書きが多い。書くか書くまいかは個人に任されているようだが、どうも見栄っ張りのようで嫌になりやめる。暫く上陸してボウとしていると、青い色の水の上にポツンと赤い点が近づいてきた。点はやがてカヌーになり、僕の側に上陸した。

 アメリカ人のカップルのようだ。

「みんなカヌーの前にKP(カヌーピープル)のマークをつけてるわね」

と彼女は言い、男性の方は素っ裸になって川に飛び込んだ。

 まだ昼の3時だが、どうもやる気が失せ、ここで泊まることにする。釣り竿をもってカヌーにのり、浅い淀みへカヌーを入れると、パイクが数匹寝ていた。大きいので軽く1メートルを越えるような猛者までいる。目の前にルアーを落とすがどうも食いつかない。嫌になる。キャンプサイトへ戻ると、警察がパワーボートに乗って下流からやってきた。犬を連れている。少し話をする。彼らは川を下る人間が危険な武器を持っているかを調べるのではなく、キャンプサイトの近くで無断で木を切ったり、看板を壊したりしていないかを時々見回っているそうだ。

 アメリカ人カップルは先に出発してしまった。夕食用にグレイリングを釣りに出掛ける。数回キャストを繰り返すと、ガンガンガンという引きが竿に伝わる。強い流れの中には大きい魚がいる。40センチクラスを4匹釣り、塩をまぶして夜からのスモークの準備をした。

 夜にはドイツ人が数人流れてきて、また去っていった。ユーコン川本流は下る人が多いようだ。それと混じって7時ころ、南雲、松田艇も流れ着いた。僕のスモークドグレイリングを口に入れるなり、「旨い」で、彼らもまたグレイリング釣りを始めた。

 この夜はウイスキーと燻製パーティーになる。12時を過ぎ暗くなると、流れ星が夜空を引っ掻いた。

 8月5日

 朝、川の上。コーヒーを啜って船を出す。地図上に出発時間等を記す。座礁した蒸気船の見える島を左手に、今日もカヌーは順調に進む。

 常に新しい世界が目の前に広がり、古いものは、それがいいものであれ悪いものであれ過ぎ行く。川旅の哲学だ。うんうんと一人で頷き、またボウとする。

 川の上は相変わらず自分一人の世界。人と一緒に居る時間も楽しいけれど、楽しさが薄い。このボウとした豊かな時間は一人でしか味わえない。この贅沢。

 カナディアンカヌーも素晴らしい。長距離には向いている。流される旅には向いている。キャンプ道具を無造作にカヌーに乗せればいい。カヌーの上でバーナーを焚き食事をすることもできる。洗濯もできる。二人艇に一人で乗っているという空間の自由もあるだろうが、このカヌーはカヌーの上で生活ができる。水は濁っていても、生活排水の混じっていない自然の水が、自分の周囲に無限にある。

 カヌーの上で燻製にしておいたヒメマスと昨晩炊いたご飯で昼飯にする。悪くない味。

 昼過ぎ、下流からレンジャーが来た。気の弱そうな彼が2、3質問する。釣りのライセンスはあるか(見せなくてよい)熊スプレーを持っているか、ライフベストはあるか。ビックサーモンビレッジで一端止まってアンケートに答えてとのこと。バイバイ。

 ビックサーモンリバーとの合流にあるビックサーモンビレッジで大きなストップサインがあった。怪しいドイツ人が沢山いる。僕のカヌーの前には燻製がつるしてあっ

る。それをみて、髭と太い腕に刺青の親父が「おいおい魚食ってんぜ」と言うこと

をいった。なんか嫌になって、ちらとアンケートを探したけれど無いので、出発した。 ビックサーモンが合流してますます人が多くなってきたようだ。それでも76キロ漕いで高台にテントを張った。もわもわの波紋が広い川面にいっぱい流れて、針葉樹がちらほら生えた遙の山々を見ながら手紙を書いた。

 

 8月6日 川の生活1週間目

 起きると露でテントがじっとり濡れていた。また風も無く、静寂。自分の回り数キ

ロには確実に今は誰もいないだろう。テントを乾かして、焚き火を起こしお湯を沸か

す。コーヒーを入れてぼんやり朝日を眺める。

 リスが僕を警戒して集まり、チェチェと鳴いたので、口笛で真似すると、それに答

えるようにチチチチと短くないた。そしてカサカサと木に登った。

出発して1時間半程。カーブを一つ曲がると流木がプカプカしていた。なにげにそれに向かって漕いでいるとそれが流れを横切るように流れていた。近寄る。どんどん流れる。それがあるものだと気がついたのはそいつがジャブリと岸へ上がった時だ。1.5メートル程の黒熊だったのだ。なんと泳ぎがウマいのだろう。カヌーを借りるときに、

「最近は熊も珍しいから見かけたら写真を撮っておくといいぞ」

と言われたことを思い出し、必死にカヌーを漕いで近づく。しかしなかなか近づかない。手元のAPSのいいカメラは最初から調子が悪く、インスタントカメラを出しパチリと一枚撮った。熊はまだこっちに気がつかない様子。声を掛ける。「ヘイ熊さん!!」こっちを向いた所をパチリ。しげしげと僕を眺め、「ツマラン」と崖を登って行った。 初めて見た野性の熊だったので興奮した。

昼過ぎ、山火事の跡が広がる淀みへカヌーを入れ、11センチのルアーを数回キャストすると55センチのパイクが掛かった。引きは大きな鯰(ナマズ)のようだ。これも始めての魚。獰猛でも身がしっかり詰まって旨そうだ。今晩の主食。暫く手に握って弄りまわす。魚にとっては堪らないかもしれないが、これでも僕の専攻は水産資源だ。

「お前の死は無駄にはならないよ、僕のお腹で消化されなさい」と宥める。小さな鋭い歯がびっしり生え、頭はワニ、胴から下は雷魚。しかし雷魚よりも鱗が細かい。

もう間もなくカーマックスという町。今日は始めて中州にテントを張った。蚊がおらず快適だ。盛大な焚き火をしてパイクを焼く。ヒメマスよりも身が大味だ。当たり前か。焚き火を見ながらのんびりしているとまたいつの間にか日が沈んだ。本を読みながら寝た。

川旅の夢を見た。例によって川が透き通り、川の石が後方へ飛んで行った。きもちの良い夢だった。つまり僕は夢の中のキレイキレイな世界を旅しているわけだ。

8月7日

 昨晩は気分が良かったので防水のフライシートを無しでテントを設営した。そんな日に限って朝、雨に降られる。すぐに外に出てフライシートを被せ、再びテントにもぐる。カヌーの中の荷物が心配だ。テントの中で本を読む。二時間程で小降りになった。この間にすかさずテントを撤収、カヌーに乗り込む。9時半出発。肌寒いが、今日は昼過ぎにはカーマックスに到着予定だ。雨足は更に強くなり、雨がカウボーイハットにぱたぱたいう。この帽子は荒野に適している。

 2時。カーマックスに着。車の音が妙に懐かしかった。テントを張り、荷物をまとめ、町へ出てゆく。しかし方角が分からない。町らしい町が見えないのでこちらに向かってきたインディアンのおばちゃん2人に聞く。すると地図とは反対の方、橋を渡って向こう側を指さした。「橋を渡って?」と聞き返すと、「嘘よ。この道を真っ直ぐゆけばガソリンスタンドが見えるわ」。と反対を指さし、二人で大笑いして歩いて行った。旅行者をからかったのだ。

 ガソリンスタンドの裏手にある、町唯一らしきレストランに入る。久々に人が作ってくれた食事をする。チキンバーガーのセットを食べたが、久々な文明な割には旨くなかった。ただコーヒーが良く、そこで結局日記を書いて数時間過ごした。町はただの村であった。村唯一のスーパーで再び8日分の食事を仕入れる。4時半ころ、大勢のドイツ人に混じって南雲、松田艇が流れ着いた。大体僕が先行して2、3日後に彼らが追いつくペースだ。彼らと再び買いだしに出掛ける。

 マーケットの外で立っていると一人のインディアンが近づいてきた。酔って、目の回りを腫らしている。

「ヤー俺は中国人のカウボーイは初めてみたぜえ。俺はジョンだ」

手を伸ばす。完全に馬鹿にしたような態度に少しムカとして、その手を払う。

「俺はチャイニーズじゃねえ。一人にさせろ」

というと向こうの目つきも変わる。

それを察してもう一人インディアンのおばちゃんが寄ってきた。例によって酔っている。

 「ジョン、やめなさい。ねえ、ただ50セント欲しいと言えばいいのよ」 

 以前から聞いてはいたが、酔ったインディアンはたちが悪い。ホワイトホースでも何人か見かけた。彼らはカナダ政府からの補助金が貰えるので働かなくとも生活はできるらしい。しっかりしたネイティブもいるが、アルコールを分解する働きを持っていない彼らの酔った姿は、ただ酷い。

 カナダ政府はかつてインディアンの子供達を強制的に親元から離して教育したそうだが、そういった事がかえって事態を悪くしたそうだ。これは後日僕がヒッチハイクしたおばちゃんに教えてもらったことだが、政府が手を加えれば加えるほどインディアン達の生活は不安定なものになるそうだ。

そんなインディアン達を無視して、ビールを買い入れ帰宅、帰天幕すると、テントの回りをドイツパーティー、20人程が取り巻いていた。うんざりだ。

 そのなかに一人旅のドイツ人も混じっていた。彼曰く、「あれじゃあ何のために大自然、ラストフロンティアに来たのか分からない」。その通りだ。ドイツでは鉄の溶接の職人?らしい。週休二日プラス金曜日は半日。年に2週間程の休暇が持てるそうだ。人間らしい生活ができるに違いない。

 バンクーバーで一年ワーキングホリデーで働いていた松田さんは、発音のいい英語で彼と「社会問題」(さて何だろう)について話あっていた。

 もう一人、日本人がフェザークラフトの一人艇にのって流れてきた。ドイツ人が固まるなか、ささやかながら日本人組もできた。「ドイツ人、ウゼイ!」とビールをグイとする。フェザークラフトのTさんは会社を辞め、彼女とも別れて来たらしい。このまま川を下ってアラスカまで入り、職探しをするそうだ。

 結局、とても学習院とは思えない風貌の彼と、夜の2時半まで話すことになった。

27歳の彼はカッコこそ山師の様で、日本から持ってきた鉈を振り回すが、所々に他の馬鹿放浪者には無い品が見え隠れして、聞かせる話をした。

沢山の人間に会って、今日は大変目が回った。文明はもう満足。ごちそうさま。

 8月8日

 朝、ドイツ組のガサガサする音で目が覚める。昨晩深夜に寝た筈なのに、7時半に目が覚めてしまった。一層不機嫌になる。

 すぐに出発することにした。最後の文明、コーヒー、ペパロニラップ、バナナを買い朝食とし、そそくさと出る。出発して30分程真面目に漕ぐ。が、目の前の自然が全然後ろに進まないので漕ぐのを諦める。少しでも文明に触れると体が文明時間になり、体が自然のゆったりした流れが我慢できない。

嫌になり、カヌーから足を投げ出し水に付け、サングラスをかけ本をぱらぱらする。

 しばらく本に熱中しながらゆらゆら流される。ふと気がつき、顔を上げると近くの岸に人が沢山こっちを見ていた。大勢でキャンプをしているのだ。彼らが僕に手を振る。彼らは岸から車で入ってキャンプしているのだろう。しかし僕が他のカヌーイストとは違った態勢で流されているので( 皆普通は真面目にパドルを漕いで、一見頑張っているように見えるので、手を振っても恰好がつくが、僕はカヌーから足を投げ出し、流されているので) だんだん近づくにつれ、手の振りが少なくなる。当の僕はこんなダラしない恰好で相手にどう手を振ったらいいのか考えていた。しかしその間も無くその態勢でただ恥ずかしげに手を振りかえすしかなかったのであった。

ドーソンまでの一番の難所。ファイブフィンガーラピッツが近づき、1時間手前で休憩。昼食を食べ、シングルパドルの真ん中をガムテープで巻き付け、ダブルパドルにする。中州に座ってガソリンバーナーの火を調整していると、上流から南雲、松田艇が流れてきた。結構頑張って漕いでいるようだ。彼らは地図を持たずに下っているそうだ。ファイブフィンガーラピッツ、その次のミンクラピッツと急流を一緒に下る事にする。

 ファイブフィンガーラピッツ、ミンクラピッツとも、一番右の流れは全く大した事が無かった。波高は50センチないくらいだ。わざと三角波のある流れに乗せそこで船を逆向きにしたりして楽しんだ。まだ町が近く、道路が川沿いに走り、時折鮭をつる人が沢山かたまっていた。川は広がりだんだん島が多くなってきている。

 「ユーコンクロッシング」という、冬には川が凍り、川を横断できるポイントに着き、そこでルアーを投げるとホワイトフィッシュの50センチが釣れた。珍しい魚だ。

グレイリングに食べ飽きていた頃だったので丁度いい。

初めて遠くにムースのオスを見た。大きなヘラにも関わらず、近づくと木々の生い茂る林の中に消えた。

 白頭ワシの巣が対岸に見える川原にテントを張り、その日はここで泊まることにした。カーマックスで買ったご飯が美味しく、偽物か本物か知らないが、5ドルで買ったキャビアを掛けて、焼きホワイトフィッシュに醤油を垂らして食べた。

 夜に一度後ろの藪でガサガサと大きな音がして目が覚めた。

 8月9日

 川下りは毎日がなかなか忙しく、楽しいものだ。9時起床。蚊がいないので座り込んでしばらくボウとする。バカになりそうだ。地図を広げる。丁度行程の半分を終えている。残りは340キロ。今日は船に乗るとずっと雨だった。南雲さんから貰った本を雨の中読みながら下った。

 ミントと言う村?町?人口数人。を過ぎると川幅は更に広がった。島が多く自分の位置が把握できない。船の上でバーナーを焚いてラーメンを作り、昨晩の残りごはんを混ぜてラーメンライスで食べる。

 5時。ペリーリバーが何処からか流れ込んだ。しかし島が多く、山を見て川がどう流れているか把握しなければならない。

 夕方漸く雨があがった。川の右岸は切り立った崖になった。断層があるのだろう。

クロンダイク高原と地図にはある。それを眺めるようにフォートセルキークという、ユーコン上流部に1880年に最初に非原住民(つまり白人)が住んだ町がある。教会まである立派な町だったようだが、その廃墟が今キャンプ場になっていた。薪がつんであり、テーブル、イスがあり、管理人までいる。そして無料。インディアンの管理人が名簿を持ってきたので名前を書いた。南雲、松田さんもいた。

 ドイツ人が鮭を釣ったというので僕も竿を振る。するとまた50センチ程のホワイトフィッシュが掛かった。こぶし大の石の川原にホワイトフィッシュがバッタンバッタンと暴れる。こんな釣りをすると日本での、あの釣りに出掛けて、帰る頃には疲れ果てる程の真剣の釣りがばかばかしく思える。鰓のつけ根にナイフを差し込み、血抜きをする。魚をぶらぶら振ってテン場に帰り、南雲、松田さんとそれをムニエルにした。

胡椒とニンニクがよく効いたそれが最高の味で、夕日とビールが最高であった。

 8月10日

7時半に目が覚め、テントの外を眺めると、朝もやが川面を包み、黄土色の巨大な屏風が朝日に照らされ輝いていた。そうでなくても川幅が広いので高台にあるキャンプ場からは雲海を見下ろすようだ。10分程景色に見とれる。まだ誰も起きていない。

無意識に眺めていたが寝起きだったため、急に体が冷え、もう一度テントにもぐり込んだ。

9時になるとテントが温まり、本気で起きる。既にドイツ組は起きおり、子供の手の平程もあるスプーンで鮭を一匹釣っていた。やるな。

 ここ数日、良く熊を見かける。一日2匹のペースだ。そんなことを考えながらまた前を向いて漕いでいると熊が泳いでいた。急いでカヌーをそいつに寄せる。

 手前2メートル程まで近寄り、熊の目つき、鼻息、毛並みを見ることができた。熊は必死になり、はあはあ言い、逃げる様に泳ぐ。僕もそれを写真に撮るために漕ぐ。

こっちもあちらもドキドキだ。

 熊は地球上で最も危険と言われる、グリズリーベアーであった。それは後日写真を現像して気がついたこと。その時は興奮で一般的な黒熊さんだとおもったのだ。

 昼過ぎに本を読んで揺られていると遙か遠くから風にのって日本の演歌らしき歌が聞こえてきた。南雲さんに決まっている。船は見えない。一、五キロ以上は離れている筈だ。尚も本を読んでいると2時間後彼らが追いついた。確かに歌を歌っていたそうだ。そして、数百メートル離れたドイツ人に「シャラップ」と怒鳴られたそうだ。

二艇つなげて下る。南雲さん松田さんはホワイトホースのキャンプ場で知り合い、そのまま川下りの仲間として一緒に下っているそうだ。まだパイクを釣っていないという南雲さんと、じゃあ今日はパイクを狙おうと、早めにキャンプ地を探し、二人で淀みへカヌーを入れた。南雲さんがスプーンで30センチ程のパイクを二匹上げ、僕は極小のグレイリングが一匹だけ。11センチのミノーはここにいるパイクには大きすぎたのだ。

雨が土砂降りになり、テントの前室に荷物をまとめ、雷鳴の轟くなかで横になった。

雨がテントに当たる音がバタバタとうるさい。チョコレートの食べすぎで妙な疲労感。

雨のなかパイクを夕食として食べ、テントの中で本をめくっているうちにだんだん目がしょぼしょぼになり、寝た。

8月11日

 8時半起床。岸を蹴っ飛ばし、10時出発。2時間ばかり真面目に漕ぐ。30分程のんびり本を読む。また数時間漕いで、数時間本を読む。半日読書。気が向いたらパドルをぽちゃぽちゃ。

川の上は沈黙が支配するので、音と言えばパドルのぽちゃぽちゃという音だ。正確には、ぼちゃ。( パドルを入れる音。) ずううん。( 水面下のパドルの横に渦ができる。その音。) ポチャポチャポチャ。( パドルで舵をとる際にパドルが軽く水面を裂く音。)

時々、遠くでザザザザッと聞こえてくると、それは川岸の倒木が水面に漬かっている時だ。水の音はそんなものだ。

天然の川は、川岸がコンクリートではないので、自然に川岸が削られ、そこに生えている木は当然川に倒れる。そして対岸は浅くなり、そこに新たな木が生える。自然の成り行きの筈だが、僕はここで初めて見た。護岸という言葉は岸を護ると書く。コンクリで固めるのが本当に川の岸を護るという事なのだろうか。

気がついたら川に倒れる木が無かった。ダムで川の土砂が流れなくなり、海岸線が数百メートル後退してたと言う恐ろしい国がある。川の岸を護って、海の岸が無くなってしまった。あの人達のことだから今度は海の岸をコンクリで全部固めてしまうのだろうな。

遠くの岸からせりだした枝にカワセミが木に止まっており、僕が流れてゆくとまた

前に飛んで、木にとまり、と追いかけっこをした。僕は本を読んでいるだけだが。

いつものポーズで本と読んでいるとカヌーが淀みへくるりと入り、そこから面倒くさく、パドルを持って流れに乗せる。その繰り返し。所どころにインディアンのサーモンネットが張ってある。

 うとうとと気持ち良く流される時に限って、川岸に船首が擦り、ゴゴゴと酷い音がしてカヌーが向きをかえる。山火事の跡が沢山あり、そこから流れる水が茶色く、だんだんユーコン川を濁らす。

これだけ長時間カヌーの上にいると、カヌーの上が苦でなくなる。今日はなんと11時間カヌーの上で、92キロ移動した。夕飯はカヌーの上でタマネギ、ジャガイモスープを作り、その残り汁でご飯を炊いた。 9時半ころに川原に上陸。例によって熊の足跡が沢山あるが、今日はここに寝よう。

ドーソンまであと123キロ。

 8月12日

昨日の風を感じて思った通り、夜中から雨が降りだす。今までの雨よりも激しい。

8時に目が覚める。お腹は減らない。本を読む。2時間ばかり読むが雨は一向に弱まる気配が無い。テントに当たる雨音を聞いているうちに、気分が鬱になってきた。寂しさと言うものは無い。寂しさはむしろ人と接している日常生活の中での一人の方が感じる。一人暮らしで時々感じるあの妙な、孤独感とは少し違うが、そういったものが無い。それでもユーコンくんだりまで来て、気分が晴々としない。まあこんな日もある。普段は落ちつくテントという空間が今日は落ちつかない。こんな日は雨でも外に出た方がいい。

 雨が少し小降りになったところで、カッパを着てコーヒーを入れる。テントをぐるぐると丸め、カヌーの前に詰める。そして岸を蹴って流れに乗せる。

 少し落ちつき川地図に出発時間等を記して、ふと岸を見るとキャンプ地がもう200メートル程の距離になっていた。今日も相変わらず流れが早い。

今日を含めあと4日でドーソン、目的地に着く予定だ。

 力を入れて数時間漕ぐ。指先、つま先の感覚が薄れ、やがて痛くなった。ウイスキーが残っていたのでそれを喉を鳴らせ飲む。胃がカッと熱くなり、数分後、体が少し温まってきた。

 ホワイトリバーという比較的大きな川がユーコンと合流した。名前の通り、川は真っ白だ。乳濁色の水がカヌーの下でモワモワと混ざり合う。この白さは火山灰の層を流れた水が集まってできたそうだ。急に川が濁る。シエラカップで水を掬うと、極小の木片、濁りが入る。しばらく放置しておくと濁りが沈殿し、上澄みが漸く透き通る。

ここから下流を下るには浄水ポンプを持っておいた方がいい。雨は未だ止まず。漕ぐ手を休め、膝を抱えて丸くなる。山に雲が掛かり、景色は水墨画のようだ。遠くで二人艇の青いフェザークラフトが下っている。

 川幅が数百メートル、ひょっとすると1キロ程になると、島があちこちに点在する。

ここまでくると地図でみても自分がどこにいるのかわからない。スチュワートリバーという川が今度は右手から流れ込んだ。

 スチュワートリバーを過ぎると体に当たる雨がだんだん緩やかになった。そして雲が割れて光が差し込んだ。ゆっくり雲が流れる。

 陽光がだんだん強くなるにつれて、いままで水の様に飲んでいたウイスキーが急に体に回りはじめ、愉快になってしまった。

 スチュワートアイランドという右手にある島に、人家が見えた。良くみると「マーケット」と看板に書いてある。こんな所に店があるのだろうか。と流されながら思っていると、店から金髪の女の子が出てきた。晴れたので外に出てきたのだろう。こっちが手を振ると女の子も一生懸命に手を振った。岸に着けようと漕いだが、フェリーグライド(川を横切るテクニック)をする気力がどうも無く、そのまま流されるまま流されてしまった。店はかつて店であったそうだ。

そうこうしているうちに自分の位置が把握できなくなってきた。カヌーの上に立って流れを見る。一番早い流れを見極め、その場所へカヌーを乗せる。乗せて、また本を読む。

夕方5時。上陸しようとすると黒熊が木の上にいた。びっくりして、しばらくまた下流にカヌーを漕ぐ。流木が固まっている島があった。ドーソンまでもう数日なので、今日は盛大な焚き火をしようとその場にテントを張った。

大きな木を数本、流木の塊から抜き、取り合えず食事を作る。スパゲッティーだ。

その写真を撮ろうとオレンジを切った。いつものように手の上で4つ切りにする。と、こんな時に限って左手の小指を切る。血がポタポタと落ちる。痛。

 天気が回復して気持ちがいいので、盛大な焚き火の準備をする。

 大きな流木に座って川地図を眺めつつ、スパゲッティーを食べる。スパゲッティーは旨いが、ここはどこか。

盛大な焚き火をゆったりとした気分で眺め、寝た。

 8月13日

一日中雨。この頃雨がよく降る。気分は当然滅入る。11時半出発。予定ではドーソン(目的の町)までゆっくりとあと2日程。のんびり行こうと思うが、向かい風と雨にやられる。天気に逆らっては駄目だとわかっていながら、ついヤケになり漕ぐ。

 嫌な天気だ。一人に雨は良くない。雨の中ではあるが、熊が多い。今日も2匹見た。

 4時間程漕いで上陸。しかし漕いだので結構進んだようだ。南雲さん松田さんがスプルースの林のなかになかなかいいキャンプサイトを見つけていたので、僕も混ぜてもらう。ドーソンはもう半日の距離にある。

 今まで2週間の川の生活を思い出しながら、茶色の川を眺める。旅の距離をしてはこのくらいがいいなと思う。

 一人のドイツ人が流れてきた。彼も現在地が分からないそうだ。大体この辺だよ。

と教える。彼はもう一つカーブを曲がるとドーソンだと思ったそうだ。

 「次のクリークで水を酌まなきゃ」と言った。そして、水はどうしてると僕に聞く。

 「この茶色の水を飲んでるよ。ぜんぜん気にしてない」。と言うと、

 「気にしないのは君だけだよ」。と言われた。そんな目で見るな。野蛮人に見えるじゃないか。

彼はもう少し先でキャンプすると言い、また漕ぎ出した。

コーヒーの飲み過ぎで旅が始まって以来、初めて眠れずに苦しむ。詰まらないことばかり頭に浮かび、精神的にも辛くなった。

 人生が幸せか幸せでないかの基準なんて誰にもわからない。人間は生まれてから死ぬまで自分以外の人間にはなれないのだから比較のしようが無い。基準となるのは自分の経験の中だけであって、他の人から見たものでは無い。だから人があの人は幸せだとか不幸だなどというのは全くナンセンスで、幸せは皆、自分の人生の中にそれぞしていたら、自分の嫌な部分が見えすぎて個を失ってしまいそうだ。

 今は貪欲に自分の興味のあるものを手にとり、それを弄ってみて、世の中を吟味す

る時期なのだろう。将来なんて見える筈が無いけれど、我が道を歩むしか道は無い。

 とにかく、何も考えなければ時間は流れて行く。そうやってできあがったオッサンがいかに多いことか。人生観や価値観とはその人間の経験の集大成のようなものだ。

ただ時間が流れただけで、人生経験云々と言うオッサンと話をするほどその人間が小さく見えることは無い。俺はそうはならない。

 何故だかそんな事ばかり考えては辛くなるのだった。

8月14日

 例により、昼までボウとする。南雲さんと松田さんは今日のうちにドーソンに行く

と僕の地図を眺めて先に出た。そして文明を味わうそうだ。(色々な意味で)。

二人を見送り、僕は他の川原でキャンプしようと1時間遅れて出発する。川旅がもう終わりに近づき、しかし体がそれほどまだ文明を欲していない。二人が発ってから、急にシンとなった。川が微かに流れる音、リスの鳴き声、木々が風に揺られざわつく音が急に聞こえ始める。人が側にいるだけで、聞こえなかったものだ。

 座って、コーヒーを入れ川をしばらく眺めていると出発を忘れていた。思い出したようにテントを撤収してイソイソとカヌーに乗り込む。川はとうとう茶色の白濁になった。

 一時間ほど漕ぐと熊が岸を歩いていた。よく熊がいる。

 崖の小さな淵にインディアンのサーモンネットがあった。浮きがポツポツと列を成している。掛かっているのか疑問に思い、実際にカヌーを漕ぎ寄せ、網を手繰りよせる。ネットを上げてみると鮭が数匹掛かっていた。網に掛かり身をくねらせる鮭を見ているうちに、急に食べたくなった。

非文明で暮らすと、大きな魚もおいしそうに見えてしまうらしい。一番小さいサケを一匹頂戴し、今晩のおかずにする。

砂浜に上陸してサケを3枚におろす。カラス、白頭ワシが一〇〇メートル先から眺めている。真ん中のホネを彼らに投げやると数匹固まって競い合った。悔しいことにメスだとおもったそれはオスで、イクラが入っていなかった。このサケは雄特有の鼻曲がりでなく、実に男らしくない。

地図で確認して、ドーソンまであと3時間程の上流、比較的大きな島でキャンプ。

七八四キロ。半月のカヌー旅を今晩はしんみりと思い出す。

お腹が減ったのでチキンラーメン( 日本から持っていった) を作り、その残り汁でご飯を焚く。水に半分浸したカヌーの後部座席に寝そべってご飯の炊けるのを待っていると、後ろに何か気配を感じた。

「カラスかな?」と不精に首をひっくり返すと、黒熊。

15メートル程離れたテントの横に大きな黒熊がテントの匂いを嗅いで、更には手を掛けようとしているではないか。

熊が怖いといういうよりも先にテントを壊されるのが嫌だったので、思わず立ち上がり、「コラ!クマ!」と怒鳴る。相手はようやく僕に気がついたようで、おっとり「ナニカナ」と逆に僕を眺めている。普通ならここで熊は逃げるのだが、こいつは大きいし、図太い。

危険な熊かもしれないが、もし襲ってきたらテントを捨て、カヌーで川へ逃げればよい。町は目と鼻の先。とにかく今はテントが大切だ。

今度は英語で、「ばかもの!何やってんだ!」と叫び、足元に転がっているこぶし大の石( 僕のこぶしは大きいのでおおきな石) を掴んで熊に投げかけた。そんなに離れていなかったので一度地面にバウンドして大きな音をたてた石は熊の足に当たった。熊はびっくりした様子でのそのそと後ろの林に歩き始めた。

熊が林に入っていっても、どうもテントに戻れず、林に向かって何度も石を投げつづける。パチ、パチと熊が林の中の枯れ木を踏みながら歩く音が響く。

 しばらくすると上流から出てきて、川を渡り始めた。ここは長さ二〇〇メートル、

幅一〇〇メートル程の島なのだ。流れが速いので、上流から横断しはじめた熊はどんどん流され、僕の目の前を通過し、一〇〇メートル程下流の対岸に漸くザブリとあがり、走って逃げた。勝った。

テントの横に熊が来たときに写真を一枚撮ったのだが、カメラの調子が悪く、その写真は生憎写っていなかった。

 午後8時に夕食。鮭の丸焼きと、ベーコンの塊、ジャガイモ、タマネギが入ったコンソメスープ。それとご飯を食べる。久しぶりに腹がぱんぱんになり、幸福感で一杯になった。

 夜は小さな焚き火をつくり、その落ちついた光を眺めながらウイスキーをちびりとすると、目が自然に重たくなった。 力なく、夕闇をよたよたとテントへ向かい歩き、ジッパーを開ける。

 テントのジッパーを開き、ふと酔った目で夜空を見上げると、大きなオーロラが音もたてずにフワフワと形を変えた。

 8月15日

8時に起きるが、外を見ると川は霧に被われ、気温は10度以下の世界だった。出発したかったが、テントも結露してぐっしょり濡れている。ジッパーを開け、外を眺めながら少し休むようにコーヒーを入れる。カヌーを見にゆくと、引き上げておいたにも関わらず、半分浮いていた。連日の雨で水位が上がっていたのだ。流されなくてよかった。

カップスープとコーヒーを啜り、雲古をすると10時。霜はまだ完璧に晴れないが、出発することに。霜の中をカヌーイング。今日はもう2時間の距離だ。

しばらく漕ぐと遠くから車の音が聞こえてきた。町だ。最後のコーナーを曲がり、カモメがカヌーを警戒するように真上でくるくると回ると、やがて人間の生活臭さが漂ってきた。ドーソンだ。

 上流から16日間。七八四キロ。旅の終点が近づく。しかし達成感は全く無い。この生活を辞めなければならないという気分からだろう。それに加え、川はまだまだここから河口まで千・以上もある。旅の終わりというよりむしろ、途中下車のような感じだ。

建物、人工物が沢山ひしめきあっているのを見て、思わず笑ってしまった。みんな人が一生懸命に作った文明だ。この中でどっぷり浸って生きている限り人は限りなく貧弱になる。丁度昼だ。文明を食らおう。

かつてゴールドラッシュの時に黄金を目指して何千人も逆上った川、クロンダイク川を横切って、船着場の岸にカヌーを寄せると、黒い犬が嬉しそうに足にまとわりついた。町は丁度ゴールドラッシュから一〇〇周年ということで、当時の町を再現しており、楽しい町だった。

エージェントへカヌーの返却の手続きをしに行く。あるアウトドアショップにライフベストとパドルを返却すればいいのだ。TANAKAだと言うと、バッファローだね。と言った。インディアンの言葉でTANKAとはバッファローという意味だからだそうだ。

 今までカヌーに積んでいた荷物をまとめ対岸のキャンプ場に背負ってゆくと、たった1キロ程の距離を歩いただけでくたくたに疲れてしまった。いままで上半身だけつかっていたために、久々の徒歩が応えたらしい。

 中学時代から抱いていた僕のユーコンの川旅はここでひとまず終わった。この旅は普通の旅と比較できないけれど、一人で野外生活できる人間にとってこれほど楽しい場所は無いのではないだろうか。というのがこの夏の感想。

 特に一人がよかったと今思う。出発した頃に比べると服は土や埃っぽいが、そんな事などどうってことは無い。空気も乾燥しているので、じめじめとした臭さが無い。

旅の充実度から判断すると、今回のこの旅が僕の旅の中で最高のものとなった。

キャンプ場に行くと南雲、松田さんとTさんがキャンプしていた。僕もとなりにテントを張る。Tさんも数日前に焚き火を挟んで1メートルで熊と向かい合ったそうだ。

松田さんはホワイトホースへの帰りでヒッチハイクをしようとして、数時間ねばったが失敗したそうだ。午後の定期バスでホワイトホースへ戻ると言う。それを見送りに行く。

 夜はTさんの誕生日にバーベキューをした後、ギャンブルに出掛けた。スロット、ブラックジャック、ルーレットなどが並ぶ。ラスベガスもいいが、ここは100年前のゴールドラッシュを意識して雰囲気がいい。カンカンショーもある。

ビールを片手にカンカン娘達を眺める。「ママには言っちゃだめよ。あなたの知ってる事を♪」などと歌う彼女達を眺めながら、川旅の最後を飾るパーティーだと思った。
財布が薄くなった所で帰った。

 8月16日−18日
 しばらくドーソンのキャンプ場に滞在することにした。天気も晴々としないから。

というのは言い訳だ。どうも気抜けして、だらだらとしてしまっただけだ。マーケットに行き食料と新聞を買って時間を潰す。デイリースター誌の一面には日本人がリアカーを引っ張っている写真が大きく出ていた。南雲さんは彼にホワイトホースのキャンプ場で出会っているらしい。カナダ、バンクーバーからアラスカ、アンカレジに抜ける旅だそうだ。新聞には「(生活の)ペースを変える為」とあった。日本人もなかなかやるなあ。最近天気がぱっとしない。しかし一人でないのが救いだ。

 12時頃から焚き火のにあたりながら、アルミの缶が燃えるのをじっと眺めていた。

七百度が融点のアルミを、つついたり、転がしたりして詰まらない事を楽しむ。やがて南雲さん、Tさんが起きる。

Tさんと洗濯とシャワーを浴びに出掛け、色々な話をした。環境の話をしているうちに、どう生きてゆくか等の話になる。話題の幅が広すぎるが、彼は哲学科を出ているので話が論理的で面白かった。しかし何も結論は出ない。

 しかしこれでいいのだ。今はただ、人の色々な生き方、考え方を自分に吸収させたいから。そこから何かを選択したり、それを発展させるのはもう少し時間が経ってからでいい。思想未だ固まらず。このまま一生終わりそうだ。少年老いやすく学成りがたし。

 南雲さん25歳。Tさん27歳。彼らの話はやはり少しでも歴史があるだけ僕のなまじっかの、想像の社会観とは違い、タメになり、そして説得力がある。サテ。自分は何ができるのか。どう生きようか。

川旅の中でジャックロンドンの本を読んでおり、ドーソンにあるジャックロンドンの小屋の復元を見にゆく。昼休みだった為に博物館は休憩時間で開いていなかった。
そのあいだにカナディアンエアのフライトのリコンファームを済ませた。いよいよ帰ることになる。旅が旅である限り、帰る場所があるものだ。帰らなくても、終わりがある。

再び博物館を訪れると小太りメガネの白人おばちゃんが、待たせたわね。と開けてくれた。

ジャックロンドンはサンフランシスコベイエリアに生まれ、ゴールドラッシュ時にユーコン流域で過ごした。そこでの経験や物語を書いて有名な作家だ。サンフランシスコの対岸にあるオークランドにもジャックロンドンスクエアという広場がある。現在は結構お洒落な店が並んでいる。

 一人初老の男性がそのオークランドのパネルを見ており、彼にそこのジャックロンドンスクエアにも行ったことがあるよ。と言うと、「じゃああ君はジャックロンドンのファンなんだ」。と言う。「きらいじゃないよ。ちょうどユーコン川を下っている間によんでたけれど」。と答えると、「気をつけろよ。彼の本を読んで、ユーコンに憧れてやって来る奴が沢山いるけれど、よく熊に殺されて死ぬんだ。彼は結局6ヵ月しかいなかったんだぜ。彼に殺された人間は何人いるかね」。と皮肉っぽいことを言った。

 夜は焚き火を囲み、高次で、お化けが実在するか否かという問題について3人で議論した。下らないけれど、白熱した。お化けはいなくても、怪談は不気味で怖いものだと結論出た。

 今晩が最後の夜、明日からはまたみんなそれぞればらばらだ。

 8月18日
 南雲さんはここからもカヌーを借りてカナダ国境を越え、アラスカに入る。Tさんもフェザークラフトのカヌーでアラスカ入りし、行ける所までゆくそうだ。僕はここからヒッチハイクでホワイトホースに戻る。3人で記念写真を撮って、先ず南雲さんが去った。カメラを忘れて。
 「オーイ!カメラ、カメラ!」と二人で声を上げるが、何を思っていたのか、ただこっちに手を振り返すだけだった
 彼を見送り、Tさんのカヌーのパッキングを手伝う。カヤックはパッキングが時間が掛かるのだ。Tさんはカヌーの前室に頭を突っ込んで奥に細かく仕分けた荷物を押し込む。

 カヌーを水に浮かべる。カヤックに腰だけ入れ足は外に投げ出し、彼もまた行儀の良くない恰好で、岸を離れた。フェリーの起こす波に揺られながらも、ゆっくり旅立った。先を約束された日本での生活をエイヤと飛び出した彼はだんだん小さく、米粒になり、水平線へ見えなくなった。

つい2時間前まで一緒だった面々がまたそれぞれ一人になった。
いい旅を。
 熱く胸にこみ上げるものがあった。

急に閑散としたテント場で一人テントを丸め、ザックに詰める。収納袋にちゃんと畳んで入れる(今まではしていなかった)。久々に天気がいい。大きなザックを担いで、靴紐をきちんとしばる。

 ドーソンで、おいしいベーグル(シナモンレーズン、少し焼いてクリームチーズを付けたもの)を一つ買って、それを齧りながらアラスカハイウェイを一路歩き始める。 歩きながら時々サム・アップする。ヒッチハイクで南下だ。先にバンクーバーに戻った松田さんはここで3時間頑張ったが駄目で、バスで帰ったらしい。

 車が来る。手を挙げる。運転手がダメダメと手を振る。普段はそこでただ手を下げるだけだが、今日は滅法気分がいい。運転手がダメと手を振ると、サム・アップをパーにして手で挨拶する。そうすると向こうもバイバイと手を振ってくれる。

 だいだい僕も普通のヒッチハイカーとすこし違った恰好をしているので、嫌でも向こうが意識しているようだ。ウエスターン・ルッキングのつばの広い帽子を被ってザックから突き出した釣り竿には、Tさんから貰ったカナダ国旗がはためいている。松田さんの話では中には中指を立てたり、親指を下げられたこともあったそうだが、そんな人は誰一人としていない。

 町のはずれで歩きながらヒッチハイクしていた僕に一台のワゴン車が止まった。

 「町から1キロ程のシェル石油に行くけど、そっちの方が捕まえやすいだろ。乗ってくか?」と乗せてくれた。ドーソンには似合わないとてもハンサムな白人青年だ。

夏の間にドーソンに出稼ぎに来ているそうだ。後ろに寝ている犬が僕を警戒心一杯の目で睨んでいる。

 「ヒッチハイクをする人はこの辺りでは多いの?」と聞く。

 「多くはない。でもたまにいるね。だいたい今行くシェル石油から向こうで捕まえているようだよ。どこまで行くの?」

 「ホワイトホース。まだホワイトホースでは何をするか決めてない」 

 まだ決めていない。と言うところで、煙草の煙をゆっくりはき、目を細めてこっちを向き、「カッコイイな」と言った。

 決まった道を進まないという事自体、世界中の大多数の青年の心を引きつけるのだろう。ガスステーションで下ろしてもらった。

 「ありがとう。助かったよ」 

 「いい旅を」 

 そこからまた、とぼとぼと歩く。

 車が近づく。手を挙げる。ダメダメ。バーイ。

 サム・アップ。ダメダメ。バーイ。いい一日を!

 助手席のオネーサン、オバサン、子供が手を振り返してくれる。旅しやすいいい国だ。

 この国はまた来るなと確信を持って思う。

 この国に始めて入って、川を下り始めたとき、僕は自分がカナダに来ていることが信じられなかった。まるで隣の山に釣りにきた様な気分だったからだ。「なんという贅沢だ」。としみじみ感じた。旅は楽しいけれど、どこか悲壮感のある時がある。今回はそれがないように思うからだ。確かに惨めな気分になるときはあるけれど、それが悲壮感とは別なのだ。自分が精一杯一日を過ごし、充実しているからだろう。 何かしたくても出来ないという焦りが無いからだろう。

 「10年後、20年後の自分がどうなっているか楽しみだ」。と南雲さん、Tさんと良く話し合った。

「しかし今の日本でそうやって楽しみに出来る人間はどのくらいいるだろう」。と言うのも3人の意見だった。一人旅は一人でざくざくと世界を開拓してゆく快感がある。その分シビアな時もあるけれど、やろうと思えば何かはできるのだ。文明の中での生活もしかり。やろうと思えば何かはできるのだ。何でもできるのでは無く、何かはできるのだ。今の時点でも選択は山ほどある。どれに手を付けるかだ。

 15分ほど経過しただろうか。車が続けて4台程来たので手を挙げていると、その中の一台が道に逸れた。40代程のおばさんだ。乗せてくれるとは思わず、始めは戸惑った。しかし乗ってみると、冷たそうな感じのおばさんは少しづつ色々な話をしてくれた。

彼女はカナダ政府でコンピューターの仕事をしているそうだ。オンタリオに住んでいたが、人が多くて嫌になりホワイトホースに越したそうだ。じゃあ人が嫌いなんだね。と僕が聞くと、「人は好きだけど、ただいい(ナイスな)だけ」。と言う返事だった。良くないと言う意味だ。ドーソンの友人に会いに行った帰りだそうだ。

日本人を乗せたのは初めてだと言い、色々な会話をした。

「日本の若者では公務員は人気のある職業?」

「公務員の種類による。でも一般的には詰まらない単純な仕事だとあまり人気は無い」 

 「カナダも同じね。でも休暇がしっかり取れるわ。日本はどう?」

 「公務員はどうかしらないけれど、ジャパニーズ・ビジネスマンに休暇と言う言葉は無い。カナダはどうなっているの?」 

「カナダは勤労年ごとに休暇が増えてゆくの。大抵の会社もそうよ。20年努めれば、

 「カナダが羨ましいよ。日本の経済は確かに強いけれど決して生活は豊かでは無い

と思う。だから日本が本当の文明国だとは思わない」 

 「川下りは良かったでしょ。私も今年も下ったわ。熊は大丈夫だった?」 

 数日前の熊の話をする。すると、「気をつけた方がいいわよ。つい数日前にブラックベアーに殺された人がいるのよ。一家で温泉に出掛けた家族だけど、娘と母親が殺されて、娘の父親が銃で射殺したそうよ。熊も病気だったそうだけど。ブラックベアーでも危険なのよ」

 平然と、別段変わったことでも無いと言う口ぶりで言うので、こちらが怖くなった。

ヒッチハイクはその土地での生の話、情報を聞くことができるので、ただ移動するだけでは得られない情報が沢山得られる。

 以前から疑問であった事、ユーコンの車は皆ボンネットの前からコンセントが突き出ているのだが、それは何の為かを聞いてみた。やはり想像していた答えが帰ってきた。冬はエンジンオイル、バッテリーが凍結して動かない事があり、コンセントのオスはボンネットの中のヒーターに直接つながっているそうだ。夜のうちに刺しておか

ないと、次の日は車が動かないそうだ。もっと酷い時はタイアの空気が縮み、タイアが変形し、走るとボコボコ揺れるとも言った。

 道路が数年前に大きな山火事の跡の中を通過する。山火事は雷で起こる事があるけど、大抵は人の不注意で起こるらしい。一端燃え始めると山火事は広範囲に及ぶ。火力は激しく、道路を越えて山火事になるらしい。すぐに道路は通行止めになるけれど、運悪くそこを通ると、それは恐ろしい時間だと言う。しかし雨の上がった山火事の跡はいいキノコが取れるという。

 「キノコは沢山あったけれど、僕は毒キノコが心配で食べれなかったよ」。と言うと、ユーコンのキノコは殆ど食べれるとの答え。このあたりで毒があるのは、ある種のツタだけだそうだ。

 と言いながらも実は南雲さんが「このキノコは絶対マッシュルームだ。マッシュルームに違いない」。と自分に言い聞かせる様にとってきたキノコを僕も食べた事があった。ベーコンと炒めるとそれは大変美味だった。

 山火事の跡には、キノコの他に美しい花が咲く。その名の通り、ファイアーウィード(火の草)と言い、ピンク色の花びらを付ける。焦げた木々が点在する林の下草が一面ファイアーウィードと言う光景を良く目にした。

 数時間車を飛ばす。ティンティナ断層がある。

 また数時間車を飛ばす。北極へ行く唯一の道の分岐点がある。

 車を飛ばす。ドキドキして下ったファイブフィンガーラピッツがある。それを山の上から見る。

 中間地点であったカーマックスへ寄る。

 山火事の跡が一面に広がる林を延々抜ける。

 悔しいが僕が半月かけた距離を、車のヤツは7時間で戻ってしまった。途中で要所要所、おばさんは車を停め解説してくれたので今日は少し遅いそうだが、普段は6時間でドーソン−ホワイトホースを走るそうだ。

 

「もうあと一週間程で紅葉が始まるわね。ユーコンの紅葉も素晴らしい光景よ」

 「僕はそれを見逃すなあ」 

 「残念ね。多分次回」 

 「その通り」 

 また来なくては。どんな形であれ。

 8月19日

 町から40分程歩いて「ホワイトホース魚道」を見に行く。ユーコン川をせき止めたダムが発電用にあるのだが、そのダムの魚道だ。

ドレ。カナダの魚道がいかにリッパか見たろうやない。そして町を抜けること40分歩いた末、大ショックを受ける。確かにここで力果てる鮭も相当いる筈だが、魚道が機能している。サケが人間が作った、怪しげな水路を戸

惑いながらも登っている。それを覗く観察室もある。

文明と原生自然は両方必要だ。最終的には共存という方向にしなければならない。

アメリカで百年以上前から議論されてきたことだ。このまま、自然保護と口先だけで言う資本主義を貫けば確実に地球規模で破滅する。だからこそ資本主義の中に余程注意をした「環境」と言う言葉を入れなければならないのに、それはなかなか出来ない。

でも、ここにはあった。たしかにこのダムは人間だけのもので、鮭の遡上はこのダムにより激減しただろう。しかしここにあるのは原生自然を精一杯考慮した文明だ。

 欧米の凄いところは、権力、お金のある人がそこを理解している点だ。ここでもそれを見ることができた。今の日本の社会があるのは世界中の自然を犠牲にしてあるということを日本の為政者やお金をもった人達は知らない。知らないのではなく知らない振りをしている。

「ナニ?環境はそんなに金が掛かるのか!それをなんとか妥協できないかね」。

そうやって中途半端な、「環境」という言葉が組み込まれる。

 そうでなければ日本の自然がこんな状態になるものか。

 いよいよ嫌になって、この日は映画を観て、ベーコンサンドを食べて、シャワーを浴びて寝た。

 8月20日

 ドミトリー式の部屋で起きると、隣で寝ていたイスラエルの親父は早々ドーソンへ向けて出発していた。僕が昨晩「ドーソンはいいぞう」。と教えたのだ。イスラエルで経済学者をしていたそうだ。今は辞めて、溜めたお金で世界一周の旅をしているそうだ。旅を始めて6ヵ月らしい。男ならそうありたいものだ。

 久々にボウとしてみる。2、3時間寝袋を頭から被っていると、とても不思議な気分になった。

 文明は果てし無く詰まらないものだけど、堕落しても生きてゆけるところだな。と思う。ただ、どうしてこの堕落できる文明の中で頑張らなくてはならないのか。そんな下らない事を考えていた。もう2、3日もすればすっかり文明に毒され、疑問を抱かなくなるのが分かるので、今考えておかないと。

 宿で洗濯をして、荷物をまとめる。明日もうホワイトホースを発つのだ。カヌーピープルへ顔を出す。川下りの話をすると、「川を充実できる人間と出来ない人がいるけど、君は充実できたみたいだね」。と言われた。そして「夜にシーカヤックのコースがあるけれど、参加する?」と誘われた。

 このまま帰るのも味気ないと思っていた所なので参加する事に。

 昨日見に行ったダムでできた湖だ。湖の規模は大きく、水も澄み、動物も良くいるそうだ。基本的なカヤックの漕法を教えてくれた。講習生は10人前後。初めての人が多い。

今までカナディアンカヌーで旅していたので久しぶりのカヤックだ。グラグラする感覚が懐かしい。操縦性能が極めて高く、そして速い。

町を一歩出ただけの湖でも静寂であった。人間が機械を持ち込んでいない自然だ。

気分がいい。遠くでバチャ!バチャ!と激しく水面を割る音が湖の上で響く。そちらの方へ漕いでみる。黒い物体が水面下に沈む。大きなマスかな。と思って更に立木を抜けて行く。すると、インストラクターの一人がビーバーの巣を見つけていた。

泥と苔、そして小枝、丸太を巧く組んでドームにしてある。巣の入口はご存じ、水中にある。巣から無造作に枝が出て、その下にまだ青い樹皮のついた直径10センチ程の木が水中に浮かばないようにしてある。インストラクターが言う。

「この樹皮を冬場食べるんだ」。僕はビーバーはダムを作って魚を取るとばかり思っていたので、とっさに「嘘でしょ。ビーバーは魚を取るんだよね」。と言う。すると彼はムキになり、ビーバーの巣の回りにあった樹皮が綺麗に剥がされた木を拾い、「彼らはベジタリアンだ」。とそれを僕に手渡した。その木は樹皮だけ綺麗に歯で捲

られ、食べられていた。事実、水中に沈んだ木は樹皮が残っており、外に捨てられた木には樹皮が無い。へえ。

そのうち、またさっきと同じバチャ!バチャ!が聞こえてきた。今度は近い。良くみると、なんとビーバーではないか。こっちを警戒して尻尾で水面を思い切り叩いているのだった。カヤックで近づくと、水に潜ってまた遠くでプカンと浮かぶ。そしてバチャ!をする。川下りでもビーバーを生では見れなかったので、驚いた。町からそう離れてないが本当に原生自然が濃く残っているのだな。

ユーコンの夏は短く、全てが美しく輝いているのだった。

あ・と・が・き・

 ホワイトホースから僕はアメリカのサンフランシスコへ向かった。半年ぶりに知人に会いたかったのだ。ホワイトホースから先ずバンクーバーへ飛び、そこからバスでアメリカ入りしようと思っていたのだ。

 しかし、ラッキー続きでバンクーバーの高級ホテルで一泊でき、バンクーバーからサンフランシスコまで飛行機で行くことができた。

 こんな訳だ。

 ホワイトホースからバンクーバーまで乗るはずだった飛行機がオーバーブッキング(予約取りすぎ)で、ボランティアで夕方の便でバンクーバー入りした。ボランティアにはCD$100ドルか、カナディアンエアのCD$200のクーポンが支給され、僕はカナディアンエアのクーポンを得た。それでバンクーバーからサンフランシスコの

飛行機のチケットをディスカウントして買ったのだった。

バスでバンクーバーからサンフランシスコまでが25時間掛かることを考えると飛行機は2時間でサンフランシス

コへ着くことができ、滞在を2日増やすことができる。日本への帰りもサンフランシスコからバンクーバー経由で帰れる訳だ。

 しかし乗るはずだった夕方の便も遅れ、バンクーバーからサンフランシスコへ飛ぶ便への乗換えが危うくなった。近年新しくなったバンクーバー国際空港は広く、乗換えも30分以上かかるそうだ。

 どうなるかと言うと、乗り降りが他のお客よりもスムースに行く席、つまりビジネスクラスに座らされ、巨大な荷物も機内持ち込みにしてもらった。始めて座るビジネスクラス。特別待遇でバンクーバーに到着。美味しいお肉とワインを沢山体内に入れて気分がよかった。そして、案の定、サンフランシスコ行きの飛行機は飛んで行ってしまう。

「ミスタータナカ。申し訳ありませんが今晩はバンクーバーで宿泊して下さい」。

と素晴らしいホテルの素晴らしい部屋が辛うじて確保でき、繁華街に近く、窓からは一面にバンクーバーのハーバーが広がるロマンチックな部屋に泊まることになった。

一日だけVIP(とても重要な人)になった気分だった。

ホワイトホースの小さな空港で時間を潰すため、買い物をしているとき、僕は一つ蜂蜜の瓶を落としてしまった。それがきっかけで店のオネーサンと話をした。一日の便数が少ないので彼女も暇だったのだろう。

 「割れてない?」

 「割れてはいないみたいだけど」 

 「良かったわ」 

 「でもこれをもらうよ」 

 「割れてなければいいのよ。どこから来たの?」 

 「見ての通り日本から。ユーコンをドーソンまで下った所だ」 

 「そうそう、今日新聞にリアカーを引く日本人が載っていたけど知ってる?」

 「うん。僕の友達は実際ホワイトホースで彼に会っているよ。でもそれは一週間くらい前の・・・」

 「その彼よ。彼がその後交通事故に遭ちゃったのよ」 

 「知らなかった。その新聞ある?」

 「この辺りにあるわ。ほらここ。ホワイトホースの病院に入っているみたいよ。酔ったドライバーに跳ねられる人がたまにいるのよ」 

 「命に別状が無いならよかった」 

 「そうね。それにしてもいい時計してるわね」 

 「スウォッチだ。安いけど悪くないよ」 

 「私もスウォッチ好きよ。また免税店で買わなくちゃ」 

 「ここではない所?」

 「ここにはスウォッチは無いわ」 

 「ブラブラブラ・・・」

もっとゆっくり会話をしたかったが、悔しくも発たなければならない。到着した時に会っておけば良かったのに。チェ。

 一日後、サンフランシスコでは不思議と懐かしさが無かった。ただ、自分が何も迷う事無くバスに乗って、地図を持たなくとも行きたい所に行けるのが不思議だった。

確かにここで生活していたんだな。インターンをしていた環境保護団体へ顔を出すとみんな驚いていた。5ヵ月ぶりだが、それ以上会っていないようだ。以前ホームステイしていた先に今回もお世話になった。

トッドさん一家には新しい居候のお客がおり、部屋が無かったので庭にテントを張って寝た。数日後トッドさんの両親がやって来て、家はますます賑やかになった。この家は人の出入りが激しいのだ。オハイオに住む、アウトドア好きの彼らにユーコンの話、僕の持っているアウトドア道具の話をすると、感心し、感服していた。今度は

オハイオに来いと誘われる。オハイオもいいな。

 今年もまた大学の海洋実習のために夏休みの丁度真ん中に日本に帰らねばならなかった。駿河湾の上にぷかぷかと浮かび、海中の各種の測定、プランクトンネット等を

引いて、見えない海中を統括的に把握しようというものだ。実習自体は詰まらなくないが、それを大人数のローテーションでするので、だんだん面倒臭くなる。ただ、海は限りなく大きいので甲板で本を読んでいると気持ちがいい。

 サンフランシスコでも楽しみ、帰る日がやってきた。サンフランシスコは将来的に住みたいと思っている場所だ。気候が良く、その上僕が望むものが多い。日本とここを行ったり来たりできたら最高だ。

 サンフランシスコからバンクーバーへ飛び、その足で成田へ向かう。バンクーバーから出る飛行機はアラスカのアンカレジ上空を飛ぶ。窓からは氷河に削られたU字谷がとても美しくみえる。

 人は飛行機に乗っている時間が最低と言うが、僕はこの時間が嫌いでは無い。そのためにはウインドウシートにしなければならないが、僕の中では世界で一番贅沢なカフェだと思っている。晴れた空、白い雲、青い海、山が飽きることなく次々と現れ、消えて行く。そうやって眺めていると10時間など何でもない。

サンフランシスコを朝発ち、昼の3時に成田に着いた。ずっと太陽の下を移動していた事になる。成田からはすぐに清水に帰った。その次の日に海洋実習があるためだ。

ユーコン川に浮かんでいた事を考えると、時間の速さが信じられない。その中を行動している自分にも。

 成田に到着した時は、暑さ、狭さ、人の多さ、色々な物に、色々な意味でムッとした。日本は狭いのではない。ただ人が多すぎで、他人に干渉しすぎる国だ。今回改めて感じたこと。

 また大学が始まる。前期、僕の成績はAとCしか無かった。好きな科目とそうでない科目の差が激しいのだ。最高の旅をしてしまったので、後期はそれを思い出し、勉強に集中できないだろう。ただ少しづつ専門科目が増えてきて興味はある科目が多い。

勉強はほどほどにして、色々考えて、世界中を見たい。僕の大学時代の目標だ。今のところ山あり谷ありでも、それは充実していてこの生活に不満が無い。でも、いつまでも自分の中で満足ゆくもの、納得できるものが無い。悟ってしまい、6畳から出なくなる事もできるが、それでは何かは見つからない。要は自己満足の度合いだ。ただ今は貪欲に地球の上を歩きまわってやる。

 さて、冬はどの国へ飛ぼう。

                         1997年秋

                         田中 洋行