あとがき
長いおはなしに付き合っていただいてありがとうございます。
すでにワンパターンのキライもある川旅日記の第3弾です。
あしかけ3年越しの話でかすれゆく記憶をたよりに書き上げました。
川辺川・野田知佑氏との出会いが中心となっていますがいかがなもんでしょう。
僕がファルトでの川下りを頻繁に行ったのは1991〜94年です。
川辺川はこの旅日記の翌年、1994年にオラオラ隊を全員集合して、川遊びをしたり、長良川河口堰の淡水化強硬、対人柱作戦の漁船上で知り合ったダイバーと五木村に足を延ばして綺麗な淵で泳いだり潜ったりした大好きな川です。
行く度に進む工事に、濁りゆく流れに、あと何年この川であそべるのか...
暗い気持ちになったのを覚えています。
海、山、そして海外へとフィールドを移していった僕は日本の川から自然足が遠のいていきました。もちろん昨年の長良川河口堰の一件も大きかったのですが。
逃げていたんです。国家あいての河川問題は結局泣き寝入りするしかないと、力のない自分に気付いて自虐的になるのをごまかしていたんだすね。
最近、このニフティのネットワークを通じて、リアルタイムで情報が入るようになりました。川で出会った人々が、今この瞬間もがんばてっいるのを知りました。
河川をとりまく状況は確実に悪化しています。ほとんど絶望的です。
だけど、諦めていない人々がいる。
今年の5月16・17日と相模川シンポジウムに顔をだしました。
この旅で出会った、岡田さん、佐藤さん、倉重さんの姿がありました。
もちろん手弁当で参加の野田さんの姿も。
建設が進む相模川河口堰の橋脚を前にした岡田さんの言葉が、耳に焼きついて離れなません。
『1%でも可能性があるかぎり、諦めません。がんばります』
あの台詞は闘い抜いてきた人のみができる言葉だ。僕は恥じた。心から恥じた。
僕にできることはなにか?小さいことからでも始めよう。署名。宣伝。etc...
そして川旅日記。ほとんど個人的なこの日記を通して、僕の決意表明としたい。
相模川を守る会の方々、川辺川を守る人々、そしてパソコン通信で勇気とエネルギーを与えてくれた方々のこのおはなしができあがりました。まとまりを欠いた話で、たいした話じゃないですけれど(笑)。 ネパールでかかったA型肝炎が僕に充分な時間くれましたし(笑)。これも天佑かもしれませんね。
自分の目で見ず、身体で感じなければ、心を動かされることは少ないですね。
どんどん遊びにでかけ、なにが正しく、なにが間違いなのか感じてください。
それではまた。
1996.6.22夏至 病院のベットにて
たいちょお
参考文献 『日本の川地図101』小学館 斉藤康一・矢野哲治 著
野田知佑 監修
『国が川を壊す理由』 葦書房 福岡賢正 著