第4章 嵐の錦江湾

僕の心にある故郷のイメージ。  それは...水は清き川辺川の光景そのものだ。
 人はお金に換えてはならないものがある。
 お金も権力も名声も、一人の人間も本当に救うことはできない。
 一人の人間も、楽しく、強く、幸せにすることはできない。
 それに気がついた時、僕たちの帰る場所、故郷は残っているのだろうか。


『よーし、いっちょうハーモニカを吹いてやろう』

外人さんからブルースハープを借りて、千鳥足の野田さんが立ち上がった。
『小学校の唱歌ね。なんでもいい。リクエストどーぞ』

 野田知佑ハーモニカリサイタルの幕開けだ。
『春の小川〜!』
 リクエストの声がかかると
『よし、それ行こう!』
 人差し指を立て野田さんが答える。
 ハーモニカの懐かしい調べが流れ始めた。
 世界を放浪した氏のハーモニカはしみじみとした情感があって心にしみる。

 花。背くらべ。こいのぼり。富士山。海。椰子の実。夏の思い出。
 懐かしの曲、黄金時代の歌たち。みんなで大合唱。最高の宴になった。
 そして、故郷。

   兎追いし 彼の山
   小鮒釣りし 彼の川
   夢は今も 廻て
   忘れがたき 故郷

   いかにいます 父母
   つつが無しや 友がき
   雨に風に つけても
   思い出ずる 故郷

   志を 果たして
   何時の日にか 帰らん

          山は青き 故郷 
           水は清き 故郷          

 この詩を歌う時に心に描く光景がある。僕の心にある故郷のイメージ。
 それは...水は清き川辺川の光景そのものだ。
 人はお金に換えてはならないものがある。
 お金も権力も名声も、一人の人間も本当に救うことはできない。
 一人の人間も、楽しく、強く、幸せにすることはできない。
 それに気がついた時、僕たちの帰る場所、故郷は残っているのだろうか。

 酔いどれてテントに向かう途中、川原に倒れこんだ。石が冷たくて気持ち良い。
 魚と焼酎の匂いをまき散らして川原でのびていると、
『フハァ、フハァ』
 と近寄ってくる生き物がある。軽快な足さばき。なんとカヌー犬、ガクじゃないか。
 僕の前方1mで立ち止まって様子を伺っている。
 で、トットットッと歩みよって顔をベロベロと嘗めてくる。
 うへえーっ!!!
 奴も何か変だなあ?という感じで小首を傾げる。
(あれっ?とーちゃんとちがう!)
 と不思議そうな顔でトテトテトテと離れていく。
 少し距離をおいて尻を向けたまま、首だけふりかえってじっと俺を見ている。
(でも、魚と焼酎の匂いがしているのに変だなあ?)
 と思い直して、首をかしげながらまたまた近づいてきた。
 再びベロンベロン。口、目、鼻、顔中嘗め回れる。
 くはー、たまらず止めれーと首を掴むと吠え返された。やっと走り去っていく。
 おやすみガクよ...とうちゃん(野田さん)ところへ、ちゃんと帰るのだよ。
 そのまま爆睡。夜明け前の冷え込みと降り始めた霧雨のせいで目がさめた。
 夜露でビショビショになった身体をテントに運んで再び眠りに落ちた。

5月3日(くもりのち雨)〔人吉滞在〕

 本日も寝坊。完璧な二日酔いと、数日続いたパドリングによる筋肉痛に苦しむ。
 もう日は高い。天候はまたまた曇りで時折小雨が舞う。今日もはっきりしない天気になりそうだ。水分をガンガンとって痛む頭をしゃっきりさせた。
 本日は休養日にする。昨日、今日の午後、人吉市内を川辺川ダム反対のデモ行進ををやる事を耳にしたので、参加することにしていたが、気配がなく静かだった。
 昨日の宴会場を尋ねてみる。
 人影はあまりなく、タープの下で野田さんが白髪のおじさんと話し込んでいた。
 人吉市七日町の球磨川べりで球磨焼酎の酒造場を営む鳥飼さんである。
『最近、贋のノダトモスケがいて困るんだ、あるところにいくとみんなノダトモスケ はけしからんと言っていてね。訳を聞いてみるととんでもない罵詈雑言。
 で、ノダがコレコレ言ったとなっている。僕は心あたりが全然なくてね。
 どうやら、僕のマネジャーをまかせてた男が、僕をかったてたらしくてね。
 本人は悪気はないんだけど、どうやら影響されてノダモドキになっちゃたんだね。
 あれには本当にまいったな』
 と、野田さんの言葉がとびこんでくる。

鳥飼さんがにこやかにうなずいている。
『最近、アウトドア関係者がこぞって外人つれてくるけど、あれもよくないね。
 ニコルはいいよ。アレはホンモノだから。けど、ほとんどニセモノだね。
 なんでもカンデモつれてきてたて祭っるのはよくない...』
 鳥飼さんの視線で、背後で固まっていた僕に野田さんが気付いたらしい。
『ああ、もうみんないっちゃたよ、さがしてごらん。町中にいるから』
 頷いてその場を後にする。

 野田さんの影響力は凄まじい。日本の放浪少年少女、青年淑女の神様のようになっている。特に川下りをすると疑似体験ができることもあって、氏の考え方、体験談がまるで自分の事のように感じる錯覚に陥ることがある。自分の意見だと思っていたのが、実は大分前に読んだ野田さんの文章や考え方の焼直しであることに、後になって気付くことも多い。
 たまたま居合わせてたが、さっきの野田さんの台詞はまさに暁光だった。
 放浪して自己のアイデンティを確立することは誰かのサルマネをすることじゃない。
 何にも属さない個性を体現することだ。自分を取り巻く世界、他人とまっこうから自我をぶつけ合って試行錯誤の末に培っていくものだ。
 第二の○○、第二の××になることでは決してちがう。僕にとっても訓戒だ。
(注:このアホバカ日記はあくまでも僕のプライベートなもので論外です)

 『ダムいらんかね〜!!、30年で埋まってしまうダムいらんかね〜』
 町中を練り歩く相模川の先輩たちはすぐ見つかった。
 雨の中を、川辺川ダム反対の横断幕を手に人吉の町を練り歩く。
 路行く人を捕まえては、岡田さんが、
『ねえ、おじいちゃんこのダムもらってやってよ、安いよ』
 と声をかける。今までデモ行進というと、なんだか暗いイメージがあったけど、(実は、予備校時代国鉄民営化反対や国家秘密法、三里塚闘争に顔を出したことがある。ヘルメット、手拭いを支給され、顔を隠せと助言された。国家機関が写真を撮ってブラックリストに載せられるという。綺麗言かもしれないが、それは何かちがうのではないかと、世間知らずなりの考えがあり、一切隠したりはしなかった。これでは、解決できっこないと諦めに似た気持ちを味わったものだ)

 このデモ行進はウィットに富んでいて、明るく楽しかった。気負いやてらいがない。
 悪いことをしているなんて後ろぐらい思いはまったく感じない。
 おそらく、長いドロドロした闘いをくぐり抜けてきた、相模川を守る会の人たちの知恵とノウハウなのだろう。明るく楽しみながらやる。そうでなくては息が続かない。
 雨の中、岡田さん、佐藤さん、倉重さんのかけあい漫才のようなコールが翔ぶ。
 岩館さんや僕の若手大声組も声を張り上げてシュプレヒコール。
 雨が気持ち良い。ぐるりと回って町中のデパート前で解散となった。

人吉市内の『清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会』のメンバーはこれから、勉強会をやるという。僕はテントに帰ることにした。実は夕べ、鹿児島に里帰りしている友人の野元伸一に電話をかけ呼んであったのだ。奴は仲間うちで結成した『オラオラ隊』の潜水班長を勤めていて、野田知佑氏の熱烈なファンなので、来れば逢えるよと伝えておいたのだ。野元を待つことにする。野田さん、相模川の一行はこれから、四万十川の口屋内に向かうらしく、三々五々撤収をはじめていた。

 
 野田さんが車に、アヒルやガクを載せ始めた。
 ついに野元はまにあわなかったか。
 最後に野田さんに別れを告げにいく。
 と、いきなり緑のカッパを着たパッカー姿の野元が現れた。
『おっ、とみうち〜、おったか〜』
 いつもとかわらない笑みを浮かべた野元がいた。
『おお、野元か、後ろ、後ろ』
 と指差す。野元が振り替える。そこには眠たげな野田さんの姿が。
 野元が固まってしまう。カチンコチンだ。俺も経験済みなのでやつの気持ちが、よくわかった。もう車のエンジンはかかっていて、野田さんが乗り込もうとした瞬間だった。たのんで記念撮影してもらう。

3人で記念撮影。

トモやんはしっかり寝ていた。

ノモやんVSトモやんの一瞬の邂逅であった。
 二人で一行の出発を見送った。

 再会を祝って野元とビールで乾杯。風呂あがりの一杯が答えられない。
 さしいれの球磨焼酎を湯割りでのむ。久し振りの友との再会に杯がすすんだ。
 本当なら野元と鹿児島の錦江湾で桜島をぐるりと回りながら、無人島で野宿して、鯛を釣ったり、露天風呂につかったりの海賊ごっこをやる計画だったのが、川辺川・球磨川に惚れ込んでしまった僕のもう一回下りたいと言うわがままに快諾してくれて、わざわざ人吉まで、ファルトを背にやってきてくれたのだ。
 僕の川下りの体験談を目を輝かせて聞き入った。野元もこの川は初挑戦なのだ。

5月4日(晴れのちくもり)〜5日(晴れ)〔廻〜人吉〜球泉洞〕
 朝靄の中を起き出した。近くのテントで朝御飯をたべていた、一人旅女性パドラーの宮沢友実枝嬢を招いて野点(のだて)をする。レギュラーコーヒーの香りが鼻孔をくすぐった。

宮沢さんを囲んでパチリ

 こぎたないオレに比べてこの宮沢さんの清潔なこと。女性って不思議だな。
 コーヒーの湯気ごしにうっとり見惚れてしまう。(お許しください)
 しばし日本の川の情報交換。
 昨日は川辺川を堪能したようで、今日は球磨川本流を下るとのこと。
 こちらは、今日、川辺川を廻から人吉まで下って、明日、球磨川下りをやる計画にしたので丁度入れちがいだね。うーん残念と笑いあう。
 彼女を真ん中に、野元と3人で記念撮影。さよならの挨拶。
 川旅でこんなに女ッけがあったのもめずらしいなあ。

 野元はあいかわらず晴れ男で、2日間の川下りは最高のコンディションになった。
 万感の思いを抱いて、2度目の川辺川・球磨川をほろほろと流れ下る。
 野田さん轟沈地点で野元も見事な沈。ノモやんVSトモやんの軍配は引き分け。
 終点の球泉洞前、川に渡された小さな鯉のぼり達が元気に泳いでこんにちわ。
 五月晴れの中、笑顔、笑顔で川下りを終了。

5月6日(晴れのちくもり)〔人吉〜西鹿児島〜桜島〜沖小島〕

 再び鹿児島へ。野元の実家にたちよる。
 つけあげ、ビールで持てなしをうけ、その足で鹿児島湾へ出る。桜島へフェリーでわたるのだ。今日、東京へ立つ野元と、鹿児島ラーメンを食って別れた。
 またの再会を固く誓い会う。野元と別れた途端、天気が崩れはじめ厚い雲が増えた。
 桜島の浜から、海岸線づたいに漕いで、南下。5km沖の沖小島に上陸。
 島の北西の小さな浜にテントを張る。桜島が目前に大きく広がり大迫力だ。

桜島をバックに

 5月7日(嵐)〔沖小島停滞〕

 一日中雨風が吹き荒れる。青い錦江湾でシーカヤッキングのつもりが、嵐にとじこめられてしまった。テントが吹き飛ばされそうになる。つまらないので歩いて島一周にでかける。反対側は絶壁になっていて巻くのが大変だった。遠くに鹿児島の夜景を眺めながら、大きな焚き火を造った。強風で大きな炎が轟々と真横に流れた。

 5月8日(くもり)
 風が落ちたので、桜島に戻る。温泉につかって疲れを癒し、鹿児島空港へ向かう。
 長い長い、僕の黄金週間(ゴールデンウィーク)は終わりを迎えた。

                          おしまい。本当におしまい。


あとがき