第5章 プラットホーム

何を言っているのか自分でもわからない。アネゴもわからないようだ。 相変わらず???という不思議そうな顔。
言え!言うんだ!勇気を振り絞るんだ!


荷物をパッキングして帰途に付く。大きなカヌーは着払いで送ることにした。
アネゴがVT250Fでなかよしキャンプ場から、バス停までピストンで送ってくれる。
タンデムシートから、そっと手を回した腰はとっても細かった。

『アネゴ....痩せたねえ....』

バイクから降りるとき思わず口にでた。
『何いってんのよ..バカ!..』

言い残して、今度はBOYをピックアップに向かう。
二人がやって来ると丁度バスがやってきた。
『ついでだから水戸駅までついていくよ』

とアネゴ。
バスの後部座席にBOYと座って、アネゴが追いつくのをまった。何度かふりむいたが、一向に追いついてこない。そのうちいつのまにかまどろんでしまう。
気付くともう市街地に入っていた。後ろをみるといたいた、Gジャン、Gパンに革のベスト、そしてブーツ、今では珍しいフルカウルのVTにまたがったあの女性が。
俺たちの策略にはまってずぶぬれになったGパンは乾いたろうか。

自ら川に飛び込んだアネゴ。

交差点で停止して目があうたびにアネゴはうひゃあという笑い顔になる。
トクン。 胸がときめく。
とうとう水戸駅に到着してしまった。
BOYとキップを買う。
駅の改札口で別れ。
手をブンブン振りながらBOYといっしょにホームへと続く階段を下りる。
改札の向こうで大きく手を振っているアネゴの姿が視界から消えてまった。

平日の昼下がり。ホームには人影もまばらだ。
急に気が抜けてしまう。
心の中で声がする。
このまま帰ってしまっていいのか?
階段を駆け上がっていけば、そこにあの女性( ひと)まだいるかもしれない。
今なら...まだ...間に....
『どうしたんスか?隊長?やっぱまだ、調子が悪いんじゃないすか?』

急に黙り込んだ俺を気づかってBOYが声をかけてくる。
まあ...
いいや...
後悔するだろう。だけど...明日旅立つこの男を差しおいて...
その時、BOYの顔が驚きの表情を浮かべ、次に満面、笑顔になった。
その視線を追ってて振り返る。
『!!!』

信じられない。階段を下りてくる姿。あの女性だ!
『アネゴ!』
『アネサン!』
俺とBOYがハモる。
『えへへ・・・。入場券、買っちった。だって、出発まで、まだ時間あるじゃん』
と照れながら答える。
『・・・・・・』
言葉にならない。

『そうかあ〜、BOY!ほんとにいっちゃうんだね〜』
近づいて、BOYの背をつんつんつつく。
『ハイ!いっちゃいます。まだ実感わかんですけど』
『外国かあ〜、いいなあ〜。そうだね。わたしもやっぱりいくよ。うん。いかなきゃ』
『・・・・・』
『いって、どうなるてもんでもないけど、うん、とりあえずいこう。きめた!』
まるで、自分に納得させようとして言葉にしているみたいだ。
アネゴ・・・、いくなよ。いくんじゃない。
喉まででかかった言葉をのみこんだ。
上がりの列車がホームにはいってきた。
あたまがカーっとなる。
背負った荷物がぶつからないように身を低くしてドアをくぐった。
すばやくBOYが自分の荷をおろす。
俺もおろさなくては...
振り返った。
そこに...
あの人の姿があった。
寂しそうなあの人の。
その瞬間すべてが視界から消えた。
あの女性(ひと)の...アネゴの姿しか見えなかった。
その瞬間、僕の頭からアンデスもヒマラヤも、そして太平洋もぶっとんだ。
僕のすべてを、この女性(ひと)にささげててもいいや!
....だけど...そんなことは…できっこ…
ああ...ゆくのか...
俺はこのまま...この女性を残していくのか...
この胸の想いを伝えられないまま...

『アネゴ...』

一瞬、?っという顔をしてアネゴが一歩近寄った。
まっすぐ見つめる瞳。
すべてのものを見通すような澄んだ目。
心臓が口から飛び出しそうだ。
言え!言うんだ!
今、言わないときっと後悔するぞ!
カッコつけるのはやめるんだ!
もう、幸せにね...なんていわないぜ!もう俺は!

『アネゴ...』

チョコンと、可愛く小首をかしげる。

『???』

その仕種はまるで幼い少女のようだ。頼む!口よ!開いてくれ!

『アネゴ...』

そのキラキラするひとみを見つめかえした。

『行くなよ...気がすすまないんなら、行くなよアネゴ...』

何を言っているのか自分でもわからない。アネゴもわからないようだ。
相変わらず???という不思議そうな顔。
言え!言うんだ!勇気を振り絞るんだ!

『いつでも...ってやるから...俺でよかったらいつでも迎えにくるから..』

?何いってんの?この人?という困った顔になった。
あちゃあ〜、だめだあ、こりゃあ!
っと、突然アネゴが

『!』

っとなって顔を伏せた。
斜め下を一心に見つめている。少年のような横顔。
瞳がせわしなく動く。
何を思うのか...

列車はまだ出ない。
実際には数秒なのだろう。
だけど俺にとってはむしょうに長い時間に感じられる。
もういいやあ。
優しい気持ちになる。
とりあえず、伝えたんだ...
本当にもういいやあ。
アネゴに届くかどうかはわからない。けど、伝えることはできたんだ...
出発のアナウンスが流れた。

アネゴがはっと我に返って顔をあげた。
BOYの方を見る。
いつのまにか隣にBOYがやってきていたのだ。
『じゃ、BOY...気をつけて...ちゃんと帰ってきな!』

『ハイ!アネサンもお元気で...』

ニカニカして答えるBOY。
アネゴの瞳が俺を捕らえる。
優しい微笑みが浮ぶ。
こんな素敵な微笑みを今までみたことがない...
オレはただ見つめかえすだけだ。
その目がまた下を向く。
またこちらを見つめる。
うなずいた。

またBOYの方を見る。
アネゴが顔の横で小さく手を振った。

俺を見る。
俺にも小さく手を振ふる。

目をそらす...

けど、また見つめてくれた!

ドアが閉まり、ゆっくり列車が動き出した。
アネゴの姿が後ろに流れはじめる。
角度が小さくなる。
淋しそうなあの笑顔が小さくなる。

アネゴ.....

BOYがぺったりドアにくっついて手を振っていた。
俺は小さくなっていくアネゴを見つめるだけだ。

ただ、見つめるだけだった。
抱き締めたいくらい愛しかった。
いつまでも、アネゴの顔が、澄んだ瞳が見えるような気がした。

『たいちょう....』

『.....』

『たいちょう!...』

BOYの声にふっと我に返った。

『コレ、移しましょう』
と俺の背負ったバックパックを下ろすのに手を貸してくれた。
『BOY....』
『エッ?』
『BOY...すまんな』
『ええっ!どうしたんスかタイチョー、なんであやまるんすか?』
ニカニカのBOY。
『ああ...そうだな...』
『そうですよ、しっかりしてくださいよ!タイチョー!』
しばらくはそのまま立ちっぱなしだった。
車内はそれほど多くの乗客を乗せてはいなかった。
BOYと並んでシートに身をうずめる。
なんとなく気が抜けてしまった。不思議な虚脱感に襲われる。
言ってしまった。とうとう言ってしまったんだ。
旅立つBOYをさしおいてという感もあったが...
あのまま、俺たちのアネゴをみすみす他の男に渡してしまうことはできなかったのだ。
『BOY...』
『へっ?』
『アネゴ....いい女だよな...』
『ハイッ!イイッスねえ、惚れ直しちゃいました!』
ケレンミがないいつもどおりのBOYがそこにいた。
上の空でボーっとしていた俺は恥ずかしくなってしまう。
『なあ、BOY!アネゴを俺たちで取り返そうぜ!』
『??????』
『....いやっ....あかんな。どうやら惚れちまったみたいだよ』
『いいじゃないスか!隊長なら....ガンガン行ってくださいよ!』
『いけってオマエ...、オマエ....いいのか!?』
『いやっ、イイッスよ。自分にはアネサンは、その...もったいないッスよ!
オレ、隊長とアネサンなら...』
そこで言葉を飲み込んだ。
やわらかい午後の日差しが車窓から入り込んでくる。

ゆっくりと疲労感が襲ってきた。しばらくウトウトしてしまう。
ふと目覚めて、BOYを見ると真剣な横顔がそこにあった。
『BOY...本当に明日行ってしまうのか?』
こちらを向いた顔が青年から少年の笑顔に変わる。
『ハイ!!行ってしまいます(笑)! でも、不思議と実感、わかないんスよ』
『ユーコンかあ...いいなあ...ちくしょう!いいなあ...
先にやられちゃうのかあ...』
本当にいいなあ。俺はもう4年間あきらめつづけているのだ。
『なにいってるんスか、タイチョ〜!隊長だってアンデスがあるじゃないスか!』
そだなあ、あるなあ(笑)』
『はい』
西日暮里の駅が近づいた。俺はここで乗り換えて、新宿から松本へむかう。
別れの時だ。下りる直前にBOYのワキ腹に軽くパンチを入れる。
『生きて帰ってこいよ!』
『ハイ!隊長も...』
『おう!』
背の高いヤツの姿が両側から閉じる扉に遮られた。
動きだす列車を追い駆けながら叫んでいた。
『ちゃんと帰ってこいよ!このやろう!』
BOY...頑張れ!
ニカニカ笑いのBOYが消えていった。
しばらくホームに立ちつくす。
拳を握りしめた。体の中からポカポカしたものが沸き上がってくる。
くるりと向きをかえ歩きだす。
よおおおし、いくぞ!俺も!
まってろよ!アルパマヨ南西壁!

3人の放浪者の物語がふたたび…動き始めた。