Den Ersten Tag in Wien -1-



ウィーン1日目−その1−





遥かなるウィーン


足が地についていない乗り物はどうも苦手だ。遊園地のさまざまな乗り物に始まり、船にしろ、モノレールにしろ、宙に、もしくは水に浮かんでいるものはひっくり返ったり落ちたりする危険がある。その極みが飛行機だ。あんな鉄の塊のような重いものがなんで空を飛ぶのか?自然の理に反している。いつか報いが来ると思っている。でも外国へ行くには、それも島国日本から脱出するには水路か空路しかない。たとえトンネルを掘って地下に潜ろうと、危険度はたいして変わりはしない。まあ水嫌いなものには、溺れ死ぬより、墜落か爆発で一瞬のうちにあの世へ行く方が楽だろう。

墜落の危険の確率は万に一つかそれ以下らしいが、そのほかにも必ず乗越えねばならない面倒がある。飛行時間の多少にかかわらず、どうしてこんなに早く空港に行かなくてはいけないのだろう。最低2時間前に行ったとして、いろいろ手続きはあるものの、ほとんどは待ち時間である。国内旅行だと飛行時間より空港にいる間の方が長いということになる。この点だけ何とかなればもっと気軽に乗れるのにと思うのは、旅慣れない人間だけなのだろうか。

たまたま成田から乗るのは初めてなので物珍しく、広さにあきれたり、面倒な手続きにうろうろしたり、退屈はしなかったが・・・。とにかく人が多い。自分のことは棚上げにして、よくこんなに大勢の人たちが海外へいくもんだとあきれかえる。

そんなことを考えながらぶらついていると、いきなり愛さんが、「あっ、忘れた!」と声を上げた。パスポートかお金か、はたまた着替えか、大事なものを忘れたか、それとも火を付けっぱなしできたかとぎょっとする。が、最後に入れようとテーブルの上に置いたまま、カメラを忘れてきたという。別にどうしてもいるものではないのでいいじゃないの。目のレンズで見て、心のフィルムに写しておけば…。他の人に撮ってもらえることだし。ただ、愛さんは写されるのが嫌いで、この旅の間中カメラを向けられると逃げ回っていた。



やっと機中の人!


予定より少し遅れて午前11時過ぎに離陸したが、もう乗ったとたんに気分はわくわくで、気持ちは飛行機より速くウィーンに飛んでいた。成田からウィーンまで直通で12時間あまりの飛行。二十数年前にハワイまで飛んだほかは、国内でせいぜい1時間半ぐらいの経験しかなく、よる年波で少々ガタのきている腰が心配だった。特に同じ姿勢を長時間続けるのはよくないといわれたし、実際座っているのも、立っているのもつらいものである。自然の呼び出しがなくとも2、3時間に一度はトイレに立ち、行儀が悪くとも足を上げたり下げたり、伸ばしてみたり縮めてみたりしてしのぐ。物理的な面はそれで解決しても、退屈というのがこれまた心配だったが、日ごろ鍛えた舌戦で難なく乗越える。しゃべる相手はお互い2人しかいないのに、たまたま席が離れてしまったのだが、おしゃべりのネタには困らず、時々席を移動しては時の経つのを忘れる。

全日空に乗る事になっていたが、実際はオーストリア航空との提携便で、機材はオーストリア航空のもの、乗組員の少数が日本人というものだった。おかげではじめからドイツ語と英語のアナウンスに時々日本語が少し入るという言語環境で、日本人乗客はほとんど聞いていない。何か事故があったらどうなるのかと少し不安になるが、幸いにもごく順調に航行した。何度もヨーロッパに行ったことのある真理さんによると、いつになくよく揺れたそうだ。そういえば時々まるで電車のように揺れたっけ。レールもないのにあんな揺れ方をするのは確かにおかしいことだが、何だったのか。知らぬが花なのかもしれない。



通じるかケイのドイツ語?


学生時代にかじったドイツ語が通じるかどうか、ウィーンで試してみるつもりだった。が、運のいいことにたまたまオーストリア航空に乗り合わせることになり、チャンスは意外に早くやってきた。

とはいえ、学生時代は机上の勉強がメインだったし、一週間に1、2時間あったL.L.授業は苦手で、クラスメートがらくらく聞き取りするのをうらやましくひがんでいた方だった。しかも学校を出てからウン?十年たった今、会話の勉強など全くしたことがなく、仕事で少しはドイツ語を使っていたとはいえ、日常会話とはほど遠い専門用語の羅列を眺めているだけでは何の役にも立たない。

さて、高度も落ち着いて順調に飛行するうちに、ドリンクサービスの時間になった。お酒の大好きな真理さんが、食事の時間を聞いてくれという。もうすぐ食事ならワインにするし、そうでなければ他のものを頼むからという。スチュワーデスが回って来るのを待ちながら、胸の鼓動が頭の中に反響するのをなんとか無視して独作文をする。記憶の断片をたぐりながら、ちゃんと通じるかしら、通じなかったらどうしよう、通じても相手の言うことが聞き取れるかしら、といろんな不安が頭の中に渦巻く。

美人のスチュワーデスがにこやかに会釈して、飲み物は何にするかと聞いてくる。これは英語だ。というより、「コーヒー?ティー?ジュース?ワイン?・・・」式の羅列語。

「Wann werden wir zu Mittag essen(ヴァン ヴェアデン ヴィア ツ ミッターク エッセン)?」 ヴァン(何時)とミッターク・エッセン(昼食を摂る)だけでも通じれば何とかなるはずだ。

美人はニコっと笑って、いきなりべらべらしゃべり出す。さあ大変だ。大事な所だけは聞き逃せない。顔を引きつらせながら、必死になって相手の目を見ながら聞く。目は口ほどに物を言うというから、言葉は分からなくても通じるはずだ。がそうは問屋が卸しません。相手の言葉の半分以上は聞き取れず。でもそこは昔とった杵柄だか、杖の柄だかをつかって、大体大事な部分が来そうな所に集中する。「・・・in fuenfzehn Minuten(イン フュンフツェーン ミヌーテン)・・・」 これだけ分かればしめたものだ。
とにかく15分ぐらいで食事になるらしいと分かる。これでめでたく真理さんはワインにありつく。一件落着、よかった!

もう一回、座席の前のポケットにある雑誌を持って帰っていいかと聞いてみる。これもこっちの言うことは通じるし、相手の答えも逐一は聞き取れずとも、言ってるらしいことはわかる。ここで了解事項一つ。下手にドイツ語を使わないこと! こちらが言葉を理解すると思わせて、いきなりべらべらやられても分からないし、頭の中はパニックになる。片言の英語で話していれば、相手も一応外国語だからかなりゆっくり話してくれるし、ドイツ語なまりの英語は聞きやすい。ドイツ語は一つ一つの音をはっきり発音するのでジャパニーズ・イングリッシュに慣れていても、聞き取りやすいのだ。

街頭の看板や表示、美術館の説明、メニューなどの字が読めることでかなり気分は楽だ。後でフランスに行った時は、耳から入ってくる音は分からない、文字を見ても分からないしで、手掛かりがないと本当に不安な気持ちになるということがわかった。たとえ地名でも知っている言葉に出会うとほっとするから、言葉というものは不思議なものだ。
たまたまこの旅の道連れは、パリ在住6年で英語よりフランス語の方がやさしいという愛さん、英語でおしゃべりするのが得意の真理さん、昔ドイツ語をかじったケイというメンバーなので、鬼に金棒とまではいかなくとも、「鬼に杖とうちわ」ぐらいにはなるだろう。ということで、ウィーンでは看板や表示や説明の解読はケイの役目、英語のばあいは真理さんにゆだね、フランスでは愛さんに全面的におんぶすることになり、まことにいい具合に旅は続いていく、はずである。



ウィーンは近い!


オーストリア人のスチュワーデスは背が高く美人だが、毅然とした感じでちょっと近寄りがたい印象を受ける。日本人スチュワーデスがやさしそうでこちらの頼むことは喜んでやってくれそうな感じがするのとずいぶんちがう。席を移動するときに後部座席の後ろ側をまわると、最後部にあるスタッフの仕事場の椅子で男女の乗務員がタバコを吸いながら談笑していた。話し掛けるとぱっと立ちあがって愛嬌をふりまいてくれたが、そうでないと知らん顔して談笑している。 二十数年前に初めて国際線に乗った時は、座りっぱなしでお腹も空かないのに次々と食事が出てきて、まるでブロイラー状態だった記憶があるので、今回もさもありなんと思っていた。が、最近の不況のせいか、航空会社の経費節減の策か、はたまた乗客側の需要なのか、回数も量も少なくて、空腹で乗ってくる人は困りそうだ。

心行くまでおしゃべりをし、日本未公開の映画を鑑賞する。時々モニターで飛行状況を見て、高度1万メートル以上、時速500〜900マイル、外気温はマイナス50度前後としる。これでは密航者は凍えてしまうと感心している間にウィーンに到着。成田からはるばる9166キロメートル飛んできた。

−つづく−



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