嗚呼!憧れの国勢調査員(第1話)



「淵は国勢調査員をやりなさい」
「は?何です?それ?」
 こんなやり取りから、俺は先輩から国勢調査の話を耳にした。イキナリもいいとこである。
 まず、一人暮らしを長期間したことのない俺にとっては、国勢調査員たるものが正確に何をするのか自体が分からなかった。いつ調査しているのかも理解していない。その前に、国勢調査員とお会いしたことがない。
 そりゃ概要は何となく分かる。住民の世帯数とその人数をアンケートか何かを取ってまわって、市役所や町役場に提出する。それは分かるのだが、その他細かい事は一切分からない。やった事ないからあたり前のような気もするが、その前にまずやる気が起きない。それに見合った報酬が貰えるのであれば、話は別なのだが。
 ここですぐ返事が求められている訳だから、イエスかノーか答えなければならない。「考えておきます」何て言葉を言ってもいいのだが、こんな言い方は、裏を返すと「そんなもんやらねぇよ」と聞き取られてしまう可能性もある。相手を直接傷つけない断り文句と変わらないのだから。
 その他、断り文句は沢山ある。「今仕事の方が忙しいので」とか「うちの母親が体調を崩しておりまして」とか・・・。しかし、そんな事は全然ない。仕事が終われば、何の予定もない日は、家でゴロゴロしながらテレビを見ている。
 やはりこの「国勢調査員」という漢字ばかりの堅っ苦しそうなボランティアをやる気にさせるのは、見合った報酬、「金」だ。現金もらえるのであれば、俺はやる。でもボランティアなら俺はやらない。そこまでいい人じゃない。
 やっぱりこの件を即答するためには「お金くれるの?」って一言が必要。考えてみれば、何も恥ずかしいことではないのだから、ズバっと聞いちまえばいいじゃねぇかよ。そうしようっと。
「で、報酬か何かは貰えるんでしょうか?」
 ズバっと発言の決断をした割には、かなり小声。ジャイアンに質問するのび太の様な声だ。しかし、すぐにこんな答えが返ってきた。
「出るよ。結構ね」
 こちらの小声より更に小声で言う。間接的に「いいから試しにやってみな。損はしないから」とも聞き取れた。まるで飲み屋、スナック街、風俗店街の呼び込みのお兄ちゃんのような喋り方だ。でも、俺そうやって騙された事、俺結構あるんだよね。
 しかし、この国勢調査員を薦めているお方は、数年前からのお付き合いである。とても面倒見の良い先輩で、仕事場でも上司、部下からも好かれ、リーダー的存在だ、とも聞いたこともある。それほどの方が、どこの人間かも知らない呼び込みのお兄ちゃんと一緒の筈はない。信用してみる価値は十分ありそうだ。それに交渉しだいで金額の目安もこの場で教えてもらえそうだしな。
 恥ずかし気もなく聞いてみる。
「ぶっちゃけた話幾らぐらい貰えるんでしょうか?」
 すると先輩。
「調査する件数によって報酬は変わるよ。少ない調査件数だと金額も少ない。では、たくさん調査すると?」
「報酬たくさん!」
 自分で答えてしまった。俺乗り気じゃねぇか。るんるん気分だ。という事は数こなせば、現金山盛り。歩合制って事ね。ははぁん、いいねぇ。断然やる気出てきたぞ。やってみる価値有りだ。
「分かりました。やらせてください。で、いつから何処の地区のお宅にお伺いすればいいんですか?」
 と聞くと、
「まぁそんなに焦らないで。僕が調査する地区を割り当てる訳ではないんだ。こっちは企画課として人材を捜している立場だからね。淵には○月○日に、俺が働く町役場まで来てもらって、そこで説明を受けてもらい、正式な国勢調査員になってもらう。その通知はお前の自宅に郵送しておくよ。その中の資料を説明会前日までに読んでおいてくれ」
 なるほど。俺が国から任命されたって事になる訳ね。納得です。で、その説明会に出席して、担当地区と調査の仕方を教わって、各世帯をまわるって事ね。はい分かりました。
 先輩は「よろしく頼む」というと足早にこの場を去った。きっと他の調査員を勧誘するのに忙しいのだろう。でも報酬の細かい金額聞くの忘れた。まぁいいや。大人同士の会話だしな。「お疲れさん。はい、5千円」って事はないだろう。2万、3万、もしかすると5万円ぐらい貰えたりして。
 数日後、自宅に郵送されてきた資料を開いてみると、その説明会というのが、約1ヶ月後とある。そんな後の事、今言われたって覚えておくのが面倒くさい。とりあえず、事務所の自分のデスク横のコルクボードに張り付ける。○月○日午前9時30分。忘れないようにしないとな。
 忘れないように、なんて頭で考えたって自分の中で重要視していなかった事なんかはどうせすぐ忘れる。この説明会も実はそう。国勢調査の事を思い出したのが、説明会当日の夕方。
 「あ、もう夕方だ」と気づけばまだ救いようがあるが、町役場企画課からの1本の電話で再認識するんだから、どうしようもない。無責任もいいとこだ。呆れて自分を責める気にもならん。
  「役場企画課ですけど、淵 笹次郎さんはご在宅でしょうか?先日ご連絡した国勢調査の件に関する事でお電話したんですけども・・・」
 直接勧誘を受けた先輩の声でなくとも、電話に直接出た俺には、最初の”役場企画課”だけで何の事かすぐ分かった。思いっきり忘れてんじゃねぇかよ、俺。
 ”風邪ひきました”とか”お葬式が出来てしまいました”等と言い訳をして、許してもらおうかとも思ったが、よく考えてみると立場が上なのはどう考えてもこっちの方だ。相手側からすれば、こちらに参加してもらわないと登録している以上、今更困るわけだし。確かに自分からやります、と言った手前、説明会に参加しなかったのは悪かったと思うが、そんなにビクつくほどの事ではない。ここは整然たる態度で喋っていればいいのだ。
「すみません。仕事の段取りが思うように運ばなかったもので。説明会が始まる前に電話しようと思ったんですが」
 もちろん電話する気なんかなかった。だって完璧忘れていたんだもん。すると、
「では、明日のご都合はどうでしょうか?指定していただいた時間に、こちらまで来ていただければ、私が大まかな説明をさせてもらいますので」と言う。
 そんなに丁寧な口調で喋られると、こっちも断れなくなる。断るつもりはサラサラないが、もし感じの悪い言い方の1つでもしてきたのであれば、それを理由にして断る可能性も充分ある。それに比べてこの如何にも公務職、という喋り方。聞き触りの悪いものでもない。実際、今日の説明会をすっぽかしたのは俺の方だし、今度は”明日来い”と先方も言っている。1ヶ月先は忘れても、明日だったら忘れない。これで忘れたら俺は鶏だ。
 ”明日ならば大丈夫”という事にして、役場企画課の話を承諾。時間は午前11時と指定。しっかりと仕事の予定表に書き込んでおく。
 さてさて、こんな俺に国勢調査員が務まるのであろうか。

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