嗚呼!憧れの国勢調査員(第2話)



 午前中に軽い仕事をこなし、役場に行く準備を整える。まぁ整えるっつっても説明会通知の紙切れ一枚持って車のエンジンを掛けるだけの事だが。
 役場に到着。正面入り口から入って、スーツ姿のおじさんに”企画課って何処?”と聞くと、”東側の階段を登って真ん中へん”というので、二階に移動。わんさかといるスーツ軍団 をかき分けながら進むと、ずらっと並ぶカウンターのほぼ中央に、天井からぶら下がった”企画課”の看板。看板という表現は正しいのかな?プラカードっていうのかな?まあいいや。
 「すみませーん」と奥に声をかけると、みんな別の用件で忙しいのか、聞こえないのか、誰も相手にしてくれない。誰かと目が合わないかなぁなんて考えて、奇妙な動きで注目を浴びるような仕草をしていると、紳士系のスーツマンと目があった。やってみるもんだな。
 スーツマンが近づいてきて、彼から話し出す。
「淵さんですね。お待ちしておりました。えーっとこちらへどうぞ」
 こちらも丁重にお辞儀をし、客を接待するような応接セットのある所まで案内される。この人、昨日の電話の主かな?とも思ったが、よくある声とよくある容姿で、検討がつかん。でも何で俺が”淵”だと分かったんだ?・・・もしかして国勢調査員の説明会をすっぽかしたのは、俺だけ?
 ソファーに腰を掛けると、彼は”ここでもうしばらくお待ちください”というと、足早にこの場を去る。他の仕事があって忙しいのか、はたまた、”まさかこいつが定時くるとは!”と思って説明資料を取りに行ったのか・・・。なるべく早くお願いしますね。
 1〜2分後、二十代半ばの女性が目の前に現れる。手には重そうな資料の山。もしかしてそれを今から全部読め、というんでしょうか?こんなの全部読んでたら日が暮れちゃいますよ?
 すると、大ざっぱに様々な国勢調査に関する資料をテーブルに並べ始める。そして、
「えー、それではですね・・・、まずこの黄色い表紙の”調査の手引”からご説明いたします」
 ・・・あなたが説明するんですか?昨日の電話の主は、ダンディーな声で”私が説明させていただきますので”と言ったような気がするが。あのダンディーな声はあなた?そんな訳ないな。どう聞いても普通の女性の声だ。まあいい。おっさんより若い女性の方が好きだから。さあ、説明してください。結構わたくし、話飲み込むの上手ですよ。
 話がめちゃくちゃ長くなると思ったら、結構、要所要所を的確に説明してくれるので、気疲れや不明解な言葉などで頭を悩ます事がなく、順調に進む。100ページ近い”調査の手引”も約15分ぐらいで説明完了。この資料が調査についての一番濃厚なものらしく、この役場女性職員からの補足事項や、こちらからの質問などによって、その他の薄っぺらな資料は、次々と把握。”困った時はこの一冊を”って感じだ。そしてこの手引き書も、もちろん貰える。このおねぇさんの説明も上手なので、概要の9割は理解した。もう鬼に金棒でやんす。
 ひと通り説明が完了。でもまだ説明してもらっていない、薄っぺらな本や資料が何冊かあるようだが・・・。聞いてみようっと。
「この本は説明いらないんですか?」
 すると、
「ああ、これは説明するまでもないです。良識のある人でしたら、すでにご存じだとおもいますので。もし、お時間があるようでしたら、ご自宅で目を通しておいてください」
 俺、結構良識ないっすよ?ふーん、でもそういう本なの。どれどれ・・・。本のタイトルは”統計調査を安全に行うために”。サブタイトルは”統計調査員安全対策マニュアル”・・・か。これ本当に必要ないの?
 試しにペラペラと捲ってみる。
「安全面に充分注意しましょう。常に自分の安全の確保を念頭におきましょう。事故や怪我の際はすぐに連絡しましょう」
 そりゃそうだわな。次は?
「転倒・転落事故に注意。道路の段差、穴、溝には注意しましょう。階段の昇り降りは足元をよく確かめましょう」
 分かってますよ。次は?
「犬の噛みつき事故に注意。不用意に犬にさわらないようにしましょう。
 <犬の習性1:犬には自分の縄張りがある!>
 <犬の習性2:犬は逃げるものを追いかける!>
 <犬の習性3:犬は警戒心が強い!>
 <犬の習性4:犬の気持と耳の動き>
 ・・・・・・・・・。
 ・・・ホントだ。読む必要ない。犬の習性は初めて読んだが、おねぇさんの言う通りです。この数多くある資料集の奥深くに封印しておきますね。
 俺の右手の一番近くに、二つ折りになったA4版の小さな資料発見。これは?
「それはですね。今ここで、軽く見ていただければそれでいいですよ」とおねぇさん。
 資料名は”世帯のプライバシーを守るために”。サブタイトル”個人情報保護マニュアル”とある。開いてみると、即納得。これも当たり前のことばかり書いてある。ようするに、”調査で知った世帯の事は、絶対に他の人には話しては行けませんよ”って事でしょ?そんな事はしません。大丈夫。安心してください。
 ほぼ納得したので、後何か重要な事はありますか?と最後に聞くと、
「これとこれを差し上げます」と、一枚の紙と手のひらサイズの小さな箱をテーブルの上に出してきた。
 俺が紙の方を見つめると、
「それは任命書です。お受け取りください」という。内容はというと・・・要するに賞状だな。”淵 笹次郎、あなたを国勢調査員に任命します。期間:平成○○年○○月○○日まで。国務大臣、総務庁長官より”だって。かっこいいな。家の座敷の”小学生健康優良児”の賞状の隣に飾っちゃおうっと。
 もう一つの箱に目をやると、今度はこう言う。
「それは中に防犯ブザーが入ってます。調査中、危険だなって思ったら、このボタンを押してください。こっちのボタンはライトです。襲われそうになった時、押し間違いに注意してくださいね」
 何て適当な・・・。でも国勢調査中にそんな物騒な事あるの?ただ世帯を調査しながら、訪問するだけでしょ?過去に誰か調査中襲われたとか・・・。・・・でも大丈夫だよ。俺、男だし、体デカイし。お気遣いありがとう。ライトとして使わせていただきます。
 全ての説明行程を終えソファーを立つと、紙袋を用意してくれた。青色のその袋には、デカデカと”国勢調査員”の文字。中には”国勢調査員筆記用具”と”国勢調査員特製メモ帳”。全部名前入り。何から何まで揃っているんですね・・・。
 担当地区の住宅地図もコピーしたし、準備万端。後は約1ヶ月後に始まる調査期間までに、世帯名簿と調査区要図を完成させなければ。
 この二種類の用紙が、役場への提出用紙となるのだから、まず住宅地図コピーから調査区要図を作り、各世帯に整理番号をつける。その番号に従って、世帯名簿をあらかじめ作成しておく。調査が始まり、調査票を回収した時点で、即その番号の横に情報を記入。それを約70件こなせば、国勢調査は完了となる。
 簡単なようで難しそう。悪い人や怖い人の家もいっぱいあったりして・・・。
 帰ったらまず、”防犯ブザーの説明書”読もうかな・・・。
    

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