嗚呼!憧れの国勢調査員(第5話)



あれからまた1週間後。今日はついに調査記入用紙回収の日。待ちに待ったこの日。今日全ての記入票が回収できれば、俺の夜の仕事は終わり。全て集まった用紙を丁寧に集計し、役場に提出すれば、後は報酬をいただける日を待つだけ。うわーい。やった。やった。やった。やった。
 でも実際はまだ1枚も回収していないと言うのが事実。でも安易な考え方ではあるが、用紙を配布し終えた時点で、後の責任は全ての世帯。”私はちゃんと配りましたからね。用紙を提出しないのは私のせいではありませんよ”って言ってやりたい。・・・でも役場に自分で持っていく手前、そんな事は出来るはずもないんだけどね。回収して提出するまでが俺の仕事。まだまだ気が抜けないな。
 午後8時。夜のお仕事開始。番号の若い世帯から回収をしていく。俺が思っていたとおり、回収は順調。インターホンを鳴らし、自分が国勢調査員である事を伝えると、すぐに記入済みの用紙が俺の手元に届く。こんな調子で次から次ぎへと、回収作業が進んでいく。中には”ああ、忘れてました!ごめんなさい!今すぐ記入しますので、ちょっと待っていてくれませんか?”なんて言ってくる世帯なんかには、嫌な顔一つせず、”分かりました。他のご家庭を先に回収してきますので、またお伺いいたします”と温厚な対応。数件回収してきた後またその世帯のインターホンを鳴らすと、丁寧なお辞儀と記入済みの調査用紙が戻ってくる。いやぁ、好調好調。
 一時間半ぐらいだろうか。一般住宅の調査票を全て回収。残るはあのアパートだけ。ちゃんと記入してくれているかな?
 アパートの前にそそり立つ。これで3度目。いい加減見飽きた。前から思っていたのだが、このアパート、何だか昔から好きになれない。小綺麗な洋風建築物のくせに名前が”孝夫花道荘”なんだろう。訳わからん。普通、美観と併せて「メゾン・ド・○○」とか「レスポアール○○」とか「ラ・○○」とか「デリカトーレ○○」とか「モンゴレビアンコ○○」とか、つければいいのに。・・・まぁどうでもいいか。
 回収に強い不安を持っていたものの、全ての部屋をまわってみると案外楽に調査票を集める事が出来た。調査票を回収してしまえば、その用紙に個人情報が書かれている為、アパートの部屋に表札やネームプレートが無くても、名前は確認できる。俺自身が記入し、役場に提出する”世帯名簿”という物も記入出来るのだ。まさに一石二鳥。
 アパート総収容世帯数24件の内、18件回収完了。俺の調査区で残るは6件だけとなった訳だ。しかし、いつ来ても電気のついていない5件は誰も住んでいないという事なのだろうか。
 俺は、先程回収したばかりの部屋のインターホンを押してみた。隣接する部屋が、空き部屋かどうか質問する為だ。
ピンポーン。
「度々申し訳ございません。ちょっとお伺いしたいんですけど・・・。横の部屋の方は住んでいらっしゃるんでしょうか?」
 すると、
「ああ、隣の方は先月引っ越しましたよ。単身赴任期間が終わったらしくて、実家の横浜に帰ったらしいですよ」
 聞き込みしてみるものだ。同じセリフでどんどん聞き込みしてみると、住んでいる部屋、住んでいない部屋が全て確認することが出来た。
 聞き込みで得た情報を全てまとめてみると、現在このアパートにある空き部屋は3つ。その全てが、自分が”ここは住んでいないのかな?”と踏んだ部屋ばかりだ。すぐさま”国勢調査員用”世帯名簿”に、該当する部屋番号欄に”空室”と記入。という事は、俺がまだ、住んでいるのにお会いできない部屋、というのが3世帯あるって事だ。
 この3世帯の情報というのが、「一人暮らしの夜勤の方で、夜はいつも留守」と「あそこの部屋のインターホンは壊れているから聞こえないのだろう」と「たまに電気がついている時がある」との事。大分状況が把握出来たな。夜勤の人の場合は昼間に回収に来れば解決。インターホン不通の部屋は、今さっき電気がついていたから、インターホン以外の方法で伝えればいい。問題は最後の「たまに電気がついている事がある」だ。これはどうしよう。方法がないぞ?
 とりあえず、夜勤の人にはお馴染み”国勢調査員特製メモ帳”で対応する。”明日の夜に回収に来ますので、ポストに記入用紙を入れて置いてください”と。こうすれば、明日の夜には回収可能。アッタマいいな!俺。
 続いてインターホン故障の部屋の前。夜分遅いのにもかかわらず、大きめの声で”すみませーん!”と叫んでみた。応答無し。電気付けたまま外出しているのかな?・・・ん?向こうから声がするぞ?風呂場かな?
 耳を澄ませると、水の音と男性の声と女性の声がする。
 ・・・・・・・。
 ああ!こいつら夫婦でお風呂入ってるな!いいなぁ!!でも覗きは犯罪。まぁ覗き込んでも見えないけど。その前に覗く気がないけど。
 風呂場に向かって大声で叫んでみる。ちょっと嫌味風。
「すーみーまーせーん!こーくーせーいーちょーさいーんですけどー!」
 ジャバジャバ・・・。
 お、慌ててる慌ててる。ごめんね。いじめるつもりはないのよ。ただ調査記入用紙が欲しいだけ。許してね。
 「はーい」と男性の声がしたので、玄関で待つ。約3分。旦那ジャージで登場。
 ”一緒にお風呂入ってたんですか?”って聞きたいけど、ほら、それは”プライバシーなんたら”であって、聞いてはいけない。手渡された記入済み調査用紙を受け取り、にやけもせず、ドアを閉める。これで対処してないのは後1世帯のみ。
 さて、ここはどうするか・・・。
 「たまにいる時がある」つったって、対処の仕方がないもんなぁ・・・。やっぱり特製メモ帳かな?夜勤の人と同じようなメッセージで何とかするしかないのかな・・・。
 その部屋の前でメモを書いていると、前の駐車場に1台の車が入ってきた。ベンツだ。グレード高め。しかもオールスモーク。お、怖そうなおじさんが降りてきた。スーツだ。高そうなスーツ着てる。何処の部屋の人かな?あ、こっちに来る!こっち見て歩いて来る!夜中なのにサングラスかけてる!セブンイレブンのビニール袋両手に持ってる!こ、怖ぇ!!ああ!!目の前に来た!!
 この人こそが”たまにいる時がある”って部屋の人か!?どうみても暴力系の人じゃないですか!?な、何か喋らなきゃ!お、恐れる事はない。ぼ、僕は国勢調査員じゃないかぁ!防犯ブザーだって持ってるんだぞ!話しかけろ!俺!!
 そんな事を考えながら、口を開こうとする俺より先に、怖いおじさんの方から話しかけてきた。
「あ、すみません。国勢調査員の方ですか?」
「は、はい・・・」
「用紙出来てますよ。今、カギ開けて持って来ますから、ちょっと待っててくださいね」
「は、はい・・・」
「あ、ごめんなさい。このビニール袋持っててもらっていいですか?」
「は、はい?」
 セブンイレブンの袋を両手に持たされると、怖そうなおじさんは自分のズボンのポケットからカギを取り出し、玄関を開けた。そして電気をつけ、靴箱の上に用意してあった調査用紙を俺に手渡す。
「よかったぁ。いつ来ていただけるかと思ってたんですよね。週に1回ぐらいしかここには来ないんで。でもタイミングよかったなぁ。あ、ごめんなさい。それじゃ受け取れませんよね」
 確かに俺の両手はセブンイレブンのビニール袋でふさがっている。彼が両手をこちらに差し出したので、俺も預かっていた袋を手渡す。この人、別に怖い人じゃないかも知れないな。喋り方も柔らかいし。でもこんな夜遅くにサングラスしているのは何故?
 あまりにも不思議が多い人なので、いろいろ質問してみたいものだが、怒らせると本当は怖い人なのかも知れない。職務質問が俺の目的な訳ではないから、別にどうだっていいが。用紙を受け取り丁寧に挨拶をした後、俺はアパートを後にした。
 そして次の日の夜、夜勤の方の記入用紙をポストから、なんなくゲット。俺の国勢調査担当地区総世帯の回収が無事終了した。
 お疲れさん。俺。
   

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