わたしと音楽

自発的に熱中した音楽との最初の出会いは、 小学5年生のころに出会ったYMOです。

当時、高校生だった6歳上の姉が学校から 自転車を全速力でこいで帰宅しました。 帰ってきたとたんあわててテレビのスイッチをつけたときに 画面に現れたのがYMOの3人だったのです。 (余談ですが、6歳上の姉からは、ビートルズ、ジョン・レノンに ベイシティローラーズなどを小学校の低学年位の時から 一緒に聞かされていたのが、今となっては良い思い出です。 「Help」や「ヤァヤァヤァ」など のビートルズの映画も一緒に見たり。もしかすると、それもある程度 潜在意識下で音楽の原点になっているかもしれません。)

海外公演を成功させてNHKのインタービューを受けている模様が 放送されていたのですが、ポーカーフェイスの3人の顔。 赤い人民服を着て演奏するテケテケ音、 坂本さんのメークした顔は、 11歳の少女にはカルチャーショックのなにものでもなかったのです。
だってそれまで親から買ってもらったレコードといえば、 小学校低学年の時に買ってもらった アグネス・チャンの2枚組アルバムだったりするのですから。

そんなとき姉がはじめてのバイト料で私に洋服を買ってあげるからといって 二人でお出かけしたのですが、 わたしはYMOのレコードをおねだりしたのです。 それで、アルバム「ソリッド・ステイト・サバイバー」を買ってもらったのです。

それからというもの、YMOにはまり。坂本龍一にはまり。 坂本さん関連の音楽やその他メディアは要チェックになったのです。 糸井氏が司会するNHKの「YOU」を毎週見て、サウンドストリート火曜日は 毎週録音するという中学・高校時代をすごすことになったのでした。 サウンドストリートで坂本さんが紹介した曲やアーティストは一通りチェックする といったちょっとませた10代の多感な時代でした。

残念なことにYMOは私が中学3年生の時に「散開」することになり、 「散開」コンサートへは 高校受験が控えていたために両親を説得できず、泣く泣く断念。 同級生の女の子にスカーフとツアーパンフを 買ってきてもらったのでした。 晴れて志望校に合格したので春に上映された「PROPAGANDA」は見に行けたのですが。 中学の卒業の時のサイン帳に好きな人:坂本龍一と書くわたし。 (ちなみにその時代は「たのきん」と「チェッカーズ」全盛期だったのです。)

そんなことで、 YMO、坂本龍一に始まったわたしの音楽生活
中学、高校とMTVなど色々ビデオに録画して見たものでした。
特に、YMOと坂本龍一の出版物はコレクションとしてほとんど持っています。音源よりも出版メディアのほうに興味を持っていた私ならではという感じですが。 坂本氏も本というメディアには関心が高かったと思います。本本堂という自社出版社も作ったくらいなので。

邦楽だと、矢野顕子 坂本美雨  TEI TOWA 立花ハジメ 大貫妙子 ローザ・ルクセンブルク/ボ・ガンボス(どんとさん好きでした。突然の逝去はとても残念でした。) Bonnie Pink

洋楽は、New Order Talking Heads Suger Cubes/ビョーク ヴァネッサ・パラディ リタミツコ パトリシア・カーズ Enzo Arto Lindsay カーディガンズ Roxy Music Brian Eno その他色々フレンチポップスも大好き

お酒を片手にJazzを聴くことも好き(お酒とジャズという大人の雰囲気に心地よく なってしまう)。「Blue Note」なんて最高の大人のプレイスポットだと思います。 NYの「Blue Note」は、もっと気楽な感じでJazzとお酒を楽しめる場所でした。 実は、日本の「Blue Note」の方が本家のNYよりも敷居が高い感じがするのですが、 何でもすぐに流行を求めて「ティーン・エイジのための文化」になってしまう 日本においては、それくらいのほうがいいのかもしれません。
結婚してからはダンナの影響でPat Metheny や Everything but the girl (Ben Watt, Tracey Thorn)

上記以外のアーティストでも大好きな人はたくさんいます。
私のお気に入りの曲もご紹介