彼は助けて欲しいと、そう言って男を見た。 男は薄暗い部屋の中で眼を見開いた。 湿った黴臭い臭いが部屋を満たしているが、既に慣れてしまった。強ばった身体を動かすとあちこちが悲鳴を上げる。 家族はどうなっただろう。妻と幼い子供は。それを考えると恐ろしく、いても立ってもいられなくなる。 彼等は男のやってきた事を知らない。知ったら、どう思うだろうか。 視線を転じた床の上に、夜目にも白いものが幾筋も散らばっているのに気付き、男は痛む腕を伸ばした。毛足の長い純白のそれを一本摘み、目の前に持ち上げる。 『助けて欲しい』 男は小さく笑った。それは自嘲の響きを孕んで暗い室内に散る。 『どうか』 自分達は。 ――自分は、一体何をやってきたのだろう。 そんな事に至るまで、本当に何も考えて来なかったと言うのだろうか。 恐怖に似た感情が身を震わせ、男は身体を抱え込むように蹲った。 『彼女は』 「やめてくれ、聞かせないでくれ」 泣き声に近い響きで振り払うように呟く。 間に合うだろうか。 間に合わなければどうなるのだろう。 もう既に、一歩 「違う」 既に、大きく違えているのだ。 男はもう一度、自らを嘲るように笑った。 笑うしか成す術がない自分を嘲り、低く笑い続けた。 |