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王の剣士3 「剣士」
【第一章】

十一

 グランスレイは灯りを落とした室内で、窓際に立つ老将の言葉を待っていた。
 東に設けられたその窓の外には、ようやく仄かな夜明けの気配が漂っている。深い藍色と闇の色とが渾然と重なり混ざる時刻だ。
 ずいぶん長い間、総将アヴァロンは窓の外を眺めたままだったが、やがて東の空に闇を斬るように黎明の兆しが一筋差し掛かった時、漸く振り返った。
「バインドか。古い名だ」
 淡々とした口調には、苦さと、追憶、そして僅かに懐かしむ色がある。
「お前はあの時、やはり一隊にいたか」
 グランスレイもまた何かを透かし見ようとするかのように、窓の外の藍色の闇に眼を向けた。
 少しずつ、しかし確実に、闇は薄れていく。覆い隠されていた様々な形が現れる。王城の甍。王の居城の尖塔の影。
「直前に、一隊の中将に任ぜられました。ですから、幸いと申し上げるべきでしょう。――二隊は、全滅でしたから」
 そう――。
 あの時、第二大隊は全滅した。
 あの男――左軍中将だった、バインド、たった一人の為に。
 第二大隊だけではない。あの戦場にあった北方辺境軍、千余名。
 それから――。
 だが、あの時死んだはずだ。
 いや、そう結論付けられたのだ。どれだけ捜索しても、剣以外、何も出なかったのだから。
 剣を失った剣士は、死んだも同然だ。
 そのバインドが、生きていた。
 剣を、再びその腕に宿したのか。
 不意に問いかけた、黒い瞳。

『お前、バインドを知っているか?』

 何故、今になって、しかもレオアリスの前に現われた?
 レオアリスの問いに、グランスレイは返答を躊躇った。
 その名は、禁忌だ。――特にレオアリスにとって。
 その為に、第一大隊には特に、当時を知らない者を多く配しているのだ。誰もが口にする事を避けているとはいえ、蓋をしたいが故に明文化されている訳ではない。ふとした弾みで耳に入らないとも限らない。
「如何致しましょう。おそらく、再び上将に接触してくる可能性は高いでしょう」
 その問いには答えず、アヴァロンは灰色の瞳をグランスレイに向けた。
「お前は、当時のバインドと、今のレオアリス、どう見る」
 グランスレイは僅かに躊躇した後、顔を上げた。
「……私はあの時のバインドを直接見ておりません。しかし、上将が二本目の剣をお持ちになるところも、未だ見た事がない。……ただ、今でさえ、仮にあの方を本気で抑えよと命ぜられたら、何隊出すべきかは計りかねます」
「……そうだな。そしてそれが、もう一つの不安材料でもある」
 グランスレイは黙って頭を下げる。
「暫くは状況を見よ」
「上将には、何も?」
 それは、少し危険に思える。バインドと出遭った以上、もはや伏せておく事が良策とは思えなかった。
 だが、そう口にしたグランスレイに、アヴァロンは頷かなかった。
「それは、私の一存では決められぬ事だ。……バインドに関しては、レオアリスの指示通り、発見しても手を出さぬよう徹底させよ。正規四軍には私から伝えよう」
 それ以上は何も問わず、グランスレイは左腕を胸に充て深く頭を下げる。アヴァロンは再び、次第に明るさを増していく窓の外に視線を向けた。その先に、王城の尖塔が影のように聳えている。
「王にお伺いを立てねばな」


 総将の執務室を退出し、グランスレイは重い足どりを第一大隊の司令部に向けた。第一大隊の士官棟への回廊の角を曲ると、そこから司令部の窓際にレオアリスの姿が見える。グランスレイは足を止め、窓にかかるその姿を眺めた。
 レオアリスはバインドの口から、何を聞いたのだろう。あの時の事を全て語る時間は、おそらく無かったはずだ。
 だが。
「バインド――」
 右腕に焔を纏う剣を備え、最強と謳われた剣士。
 十七年前のあの場で、敵味方を問わず、全てを切り裂いた。
 切り裂き、焼き尽くし――そして、唐突に、消えた。
 その剣のみを、焼け爛れた戦場に残し。
 王はその名を禁忌とし、暗黙の内にあの戦場は伏された。
 そして、以来レオアリスまで、軍に剣士は存在しなかったのだ。
 王がレオアリスを師団に配したとき、当時を知る者は等しく不安を抱いた。
 十七年。
 たったの、十七年だ。
 あの戦場を直接知る者はいないとはいえ、焼き尽くされたあの地を見た者は多い。グランスレイの脳裏にも、離れる事なく焼き付いている。
 切り裂かれ、焼かれた身体。
 腕、足、胴、首……それらが延々と転がる様。
 戦場を見知った者にとってすら、それは悪夢のようだった。
 同じ剣士――。再び同じ事を起こさないと、誰に保障できる?
 そして、レオアリスは――。
 グランスレイは浮かんだ考えを振り切るように、頭を一つ振った。
 周囲の思惑をよそに、レオアリスの中にバインドの持っていた闇は感じられず、その不安は時を追うにつれ、次第に薄れて行った。
 漸く解消されつつあるその不安に、再び暗い光が照らされようとしている。



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