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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第一章 「変わる季節」】


「イリヤ」
 執事に迎えられて帰宅したばかりのイリヤは、まだ外套も脱がない内に、居間から姿を見せた初老の男に呼び止められた。
 手にしていた香木の包みと外套を玄関広間の卓に置く。
 執事が片付けるのを横目に見ながら、イリヤは男へと近寄った。
 イリヤの養父――ラナエの父である、キーファー子爵だ。
 既に六十を超えた年齢で、禿げ上がった頭頂と鷲鼻、細い眼が神経質そうな印象を与えている。
「どうしたんですか、父上」
 少し前まで、イリヤはこの男から疎まれていたと言ってもいい立場だった。それが今、この男を父と呼んでいる事にイリヤは内心で失笑を堪えられなかったが、それは穏やかな笑みに変えただけだった。
 キーファー子爵はまるで、イリヤが帰ってくるのを待ち構えていたようだ。
「こちらへ来なさい」
 子爵はまたイリヤを手招いて、部屋の中を示した。
 居間へ入ると玄関広間よりも冷たい空気が頬を撫で、イリヤはおや、と首を傾げた。
 暖炉を焚いていないのだろうか。
 見回せば、広く明るい室内は冬の冷気が入り込むのも構わず、全ての扉と窓が開け放たれている。
 壁の暖炉には火をくべられていて、その前に置かれた長椅子に一人、客が座っていた。
 椅子の上で、ピンと背筋が伸びている。
 武官のような印象を受けた。
「紹介しよう、フォルケ伯爵――我々の同志となる方だ」
 養父が辺りを憚るように囁いた「同志」という言葉に、イリヤは危うく笑いそうになった。
 滑稽な言葉だ。
 自らの利益と欲の為だけに集まった者の、何が同志か――
 キーファー子爵とイリヤでさえ、全く同じ目的を持っている訳ではない。
 だが表に出しては感じ入ったように瞳を輝かせ、笑みを浮かべて歩み寄った。
「初めてお目にかかります。イリヤ・キーファーと申します」
「これはこれは、貴方が件の」
 フォルケ伯爵も立ち上がり、イリヤへ手を差し伸べる。若い、子爵よりも二十歳は年下の、いかにも貴族としての衿持の高そうな男だった。
 それでいて彼の態度からは、ただ子爵家の養子という身分のイリヤに対して、どこか気遣う様子が見える。
 握手を交わしながら、フォルケ伯爵はイリヤを検分するように見つめた。
「なるほど、これは――」
 そう言った語尾は秘密を囁くように口の中に消えたが、伯爵の瞳は驚きと粘つく影を宿している。
 それから、微かな怖れに似た感情。
 奥底に鈍く輝く疑念。
(半信半疑――いや、まだ二割程度かな)
 イリヤは伯爵が見ている二つの瞳を歪めた。
「……失礼ですが、軍のご関係ですか」
「イリヤ。何を唐突に、失礼だろう」
 慌てたキーファー子爵の咎める声にも、イリヤは動じていない。
「すみません、所作から受ける印象で……失礼しました」
「ははは、鋭い目をお持ちだ、頼もしいな。――イリヤ殿の言う通り、確かに軍の関係ではある。所作は以前将校だった名残かな。家を継ぐ関係で実務からは離れて、今は西方軍第七軍の顧問をしている」
 キーファー子爵は傍らで大きく頷いた。
「伯爵は近衛師団におられたのだ」
「――近衛師団」
 キーファー子爵の老顔、イリヤの二つの瞳、そしてフォルケ伯爵の面に、それぞれ複雑な色彩が浮かぶ。
「それじゃあ」
 勢い込むイリヤの声に、フォルケ伯爵は片手を上げた。
「昔の事だ。私はあまり深くは関わっていなかった――しかし」
「まあまあ、お座りください。イリヤ、お前もそこに。――新しいお茶をご用意しろ」
 キーファー子爵はフォルケ伯爵の言葉を遮るようにして椅子を勧め、扉の外に声をかけた。
 この陽光が差し込む明るい室内では、口にする話ではない。
 フォルケ伯爵もそう思い直したのか、それまで浮かべていた影を消した。キーファー子爵を正面に、イリヤを右に見て座り、物慣れた笑みを浮かべる。
「いや、ご立派なお姿だ。キーファー子爵も良い跡継ぎを得られた」
「何の、まだまだ若輩者で」
 こんな所で通り一辺倒の会話をするのも、イリヤには馬鹿らしく思える。だが二人はにこやかな笑みを浮かべ、互いの受け持つ領地の話などを交わしている。
 いつまでこの空々しい会話が続くのかと、イリヤは次第に苛立ちを覚え始めた。
 今日の所は和やかな茶飲み話で終わらせようとでも言うつもりだろうか。
 彼等が今避けたものこそ、全ての事の始まりだ。それを避けては何も進めない。
 自分の中に焦りがある。抑えるべきだと判っていても、焦りはじりじりと胸を焦がし膨らんでいく。
 イリヤはたった今、王の剣士を見てきたのだ。
 単なる噂話ではなく、間違いなく、現実の存在として、そこに居た。
 焦る思いに駆られ、口を開く為に唇を湿らせたイリヤに目ざとく気付き、フォルケ伯爵はイリヤの拙速を嘲笑うように笑みを閃かせた。
「イリヤ殿は十八か。もう想う相手はおられるのかな」
 唐突な問いに出鼻を挫かれて、イリヤは椅子の上で身動いだ。舌の上まで乗っかっていた言葉が、苦く溶ける。
「――いえ……」
 脳裏に浮かんだ柔らかな顔は、気付かなかった振りをして押し込める。
 イリヤの瞳に過った光をどう思ったのか、フォルケ伯爵は意外そうに彼を見つめた。
「そうか。しかし今後社交の場では、相手を務める者も必要になるだろう。身分ある者が正式な場に一人という訳にもいかない。ちょうど我が伯爵家には適齢の娘もいる、お嫌でなければお相手をさせよう」
「――ありがとうございます」
 こう答えるしか無いのを知っていてよく言うものだと、イリヤは忌々しく伏せた顔の口の端を歪めた。
 キーファー子爵は引きつった笑みを見せないように、伯爵の前に頭を下げている。
 伯爵はイリヤ達を牽制してきているのだ。話を始める前にまずは、誰が上位者なのか、それを示そうとしている。
 元々序列からすれば、イリヤ達子爵家が伯爵の言葉に逆らう事などできない相談だ。
(必要な人材だろうけど、動き出す前からこれか)
 先行きが思いやられ、イリヤは密かに溜息をついた。
 フォルケ伯爵の知っている過去、それこそがイリヤにとって、重要なものだ。今は警戒されていても、いずれ近い内に、全てを引き出さなくてはいけない。
 だがそれも、どこまでこの相手が信用できるかで、関わり方が変わってくる。
 全てを晒した後に、肝心な所で怖じ気をふるわれて手を引かれては困る。
(なら、娘を担保にすればいい)
 その考えはイリヤ自身も気に喰わなかったが、その思いは敢えて無視した。
 イリヤの目的さえ達成できれば、後の事などどうでも良い。
「ぜひ――お会いしたいですね。私のような礼儀作法も身に付いていない田舎育ちでは、逆にお嬢様はお嫌かも知れませんが」
 イリヤが勝手な受け答えをした事にキーファー子爵は一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をしたが、フォルケ伯爵は満足そうに頷いた。
 もしイリヤがフォルケ伯爵の娘と婚姻を結ぶ事になれば、イリヤとの関わりは養父であるキーファー子爵よりもフォルケ伯爵の方が強くなる。
 イリヤは自分を睨むキーファー子爵の視線に気付いていたが、彼の不満などイリヤには知った事ではない。これはイリヤを養子にした時から、子爵本人が招いていた事だ。
 そこが惜しければ、キーファー子爵は伯爵と同じやり方をすれば良かったのだ。
 それが娘を――ラナエを敢えて王城に上げて、二兎ばかりか何もかも手にしようとするから、得るものも得られなくなる。
(違う――選んだのは俺自身だ)
 イリヤは浮かんだ想いを振り払うように瞳を一度閉じた。
 とにかく、フォルケ伯爵の意図は見え透いているが、今ここで気持ちを変えられては後々大きな支障になる。
 伯爵が一言、この事を外部に漏らせば、イリヤの目的は達成されないままに、確実に断たれる。
 だがここから更に一歩踏み込めば――、最早互いに身を引く事はできない。
 栄光か、破滅かだ。
「それで――連判状でも交わして血判を押すんですか?」
 少しだけ、皮肉が籠もってしまったようで、イリヤの言葉にフォルケ伯爵もキーファー子爵も、不愉快そうな色の瞳を向けた。
 若造が、生意気な、と。
 そうした意識を産むのは、イリヤの存在について、キーファー子爵でさえ心底信じてはいないからだろう。
(無理もない)
 イリヤ自身でさえ信じがたい事だ。
(いや――)
 彼等が完全に信じる必要は無い。名目さえ立てば。
 結局誰も真実など知らないのだから。
 もっともらしく、舞台を造り上げる事、それが肝心だ。
(ただの、駒か――)
 都合良く動きさえすればいい、象徴としての駒。
(いいさ。利害が一致する間は、俺も利用するだけだ)
 イリヤの問いに不快を示したものの、二人はそれで本題に入る気になったようだ。
 フォルケ伯爵は顔を引き締め、膝の上に身を乗り出した。
「イリヤ殿が我が意を疑われるのも無理はない」
「疑うなど滅相も――伯爵」
 慌てるキーファー子爵を、伯爵は切り捨てるように睨んだ。
「おためごかしは必要ない。事実、我々の間では多くの事が不確かだ。私もまた、イリヤ殿が真実、あなた方の言う存在か、疑っている」
 口元を歪めてきっぱりと言い放ち、フォルケ伯爵は黙り込んだ二人を見つめた。
「先ずは手持ちの情報を見せ合い、信頼関係を築かなければ、この話は全くの絵空事だろう」
「――」
「……私の母が残した手記――それをお見せします」
「イリヤ」
 キーファー子爵がそれを、優位に立つ為の切り札にと考えているのは判っていたが、イリヤは敢えて無視した。
「私にとっては全ての始まりで、貴方にとっては過去の事実の検証だ」
「今、お手元に?」
「あります。――貴方にお見せして、それが本当に事実なのか、私は知りたい。その上で、我々を信じるか否か、決めてください」
 フォルケ伯爵は暫くじっと計るような視線でイリヤを見ていたが、決意を表すように息を吐いた。
「――ぜひ、見せていただこう」
 イリヤはひとまず自室に戻り、机の奥にしまっていた一冊の日記を取り出した。
 古びた布張りの表紙は、何度となく開いた跡があり所々擦り切れていたが、それでも丁寧に扱っていたのが見て取れる。
 これを何度も開きながら、文字の羅列の向こうに、何を見ていたのか――
 イリヤが眠った後に、一人で。
 イリヤは一度じっと見つめてから、振り切るように踵を返した。
「これを」
 差し出された日記を、伯爵は触れるのを躊躇うように束の間凝視していたが、やがてそっと受け取り、項を繰った。
 そこに綴られているのは、一人の若い女の、こまごました日々の出来事だ。
 繊細でどこか遠慮がちな印象の、細い筆跡。
 片田舎の小さな街の、没落しかけた貴族の家庭に育った彼女は、野辺に咲く小さな花を喜ぶような娘だった。
 代々受け継いだ広い邸宅が、その名誉と同様に、手を入れる余裕もなく傷んでいく事も、嘆くではなく受け入れて。
 いつか出逢う恋人への憧れ、平穏に続いていく日々の僅かな変化に心を弾ませる。
 そうしてずっと続いていくと思われた穏やかな日々が――
 彼女が十八の時に大きく――変わる。
 激動と呼ぶに相応しいある出来事。だが彼女の筆跡には乱れが無い。
 そして――
 伯爵は静かに日記を閉じた。
 丸い卓の上に戻されたそれは、まるでそこだけ、時間が切り取られて置き去りにされているようだ。
 ゆっくりと息を吐いたのは伯爵だったが、イリヤもまた、法廷の審判を待つように息を詰めていた。
 フォルケ伯爵は微かに声を震わせた。
「――なるほど、確かに――。この手記はほぼ、私の聞き及んでいる事と一致する」
「おお――」
 キーファー子爵が血の気の差した顔を、何度も頷かせる。
 だがそれを聞いた時のイリヤは、喜ぶというより何故か、ひどく苦しそうな顔をした。
「この事実を知ったのは、ほんの三月前の事です。真偽の程は定かでは無かったのですが、我々が漏れ聞いていた事とぴたりと一致する。もっとも、あの時ウィネス男爵家廃絶と共に、彼女も死んだと聞いていましたからな」
「そうだ。私もそう聞いていたし、十八年前のあの件については、表向きの全ての公式記録はそう記されている。それを疑う者などいない。当然の――失礼、あの結果以外あり得ない、当然の結果だからだ」伯爵は一度、イリヤに複雑な視線を向けた。「しかしこの手記は、当時を伝え聞いて偽造したと考えるには余りに詳しい。当人しか知り得ない事も多く記されている」
 伯爵は強ばった顔で、キーファー子爵と、特にイリヤを見つめた。
「貴方は、確かに」
 イリヤは一瞬、膝の上に置いた拳を震えるように握り締め、それからにこりと笑った。
「ありがとうございます。そう仰って戴く事で、母も浮かばれます」
「この日記と貴方自身が、確たる証拠になるでしょう。私も、協力は惜しみません」
「なるほど、なるほど。では、」
 キーファー子爵は立ち上がり、暖炉の前を行きつ戻りつしながら、抑えがたい興奮に両手を揉んでいる。
「喜ぶのはまだ早い、子爵。一歩間違えば、我々はウィネス男爵家と同じ道を進む事になる」
 それは元から心得ていて、キーファー子爵はイリヤの傍らに立つと、その肩に手を置いた。
「同じ道ではなく、まずはきっかけを掴んでこの事実を知らしめる事――我々が目指すのはそこです」
「ふむ――。だがきっかけをどうするか……慎重にやらなくては、これは繊細な、半里先の一寸の的を射ぬくような繊細な問題だ」
 矢じりが僅かにぶれるだけで、矢はあらぬ所へ飛んでいく。的以外に突き立てば、それはいずれも自身の喉元だ。
 目の前の過去の日記。
 その素朴さ、密やかさと裏腹に、室内には重苦しい空気が満ちている。
 先ほどの興奮は、足元に広がる現実的な亀裂への怖れへと、ゆっくりと色を変えていく。
 今ならまだ引き返せる、とそんな考えが誰かの脳裏をちらりと掠める。一人だけだったかもしれないし、全員の心を過ったのかもしれない。
 まだ、事実がこの部屋を出ていない今なら。
「――こうしていても始まらぬ。一度改めて、手段を考えた方が」
 イリヤはつと顔を上げ、二人を見渡した。
「その手段の一つとして、私に考えがあります」
 イリヤの声は力強く確信に満ち、二人はつられるように彼を見つめた。
「つい先ほど、デント商会に行ってきました」
 二人はイリヤの言っているものが彼等と何の関係があるのかと、問い返す顔を見せた。だが、次の言葉にぎょっと腰を浮かせる。
「王の剣士を見ましたよ」
 一瞬の空白の後、イリヤの肌を叩くような、厳しい叱責が返った。叱責というより恐怖に近い。
 足元の亀裂が音を立てた。
「馬鹿な、何をやっている! 勝手な行動は許さんぞ!」
「まさか顔を見られては」
 この程度の反応は想定の内だ。イリヤは笑みさえ浮かべそうに頷いた。彼等の安心を引き出す為に、一つ一つ、言葉に力を込める。
 亀裂に橋をかけてみせる。それが薄氷とは気付かれないように。
「すみません。しかしそこまで私も考え無しじゃありません、大丈夫です。それに無目的に動いた訳ではなく、これは前からの私個人の考えですが――彼をきっかけにしてはどうかと思ったのです」
 フォルケ伯爵は呆気に取られて目の前の顔を見つめた。
「まさか。彼には何の関係もない――」
「いいえ。私が思うに、彼と私の過去は少し似ている」
 二人は顔を見合せた。
「良く考えてください。彼の過去と、今の立場を。彼の一族が何を起し、どうなったか。その上で彼が今どこにいるか――」
 イリヤの過去と、王の剣士の――レオアリスの過去。
「う……む」
 二つは確かに重なる部分があり、そしてそのレオアリスが今、近衛師団大将の地位にいるのも事実だ。
 イリヤは二人の顔の上に、ほんの微かな安堵の色が差すのを見逃さなかった。それは熱砂の道を行く者が前方に揺らめく水の影を見つけた時の、その感覚に似ている。
 実際は辿り着けない蜃気楼の揺らめきだが、二人は足を早めた。
「年も変わらず、過去も似通っているなら――恐らく、理解してもらえます」
「しかし――」
 反駁しようとする声も、イリヤの言葉を完全に否定しようというものではない。イリヤにしてみれば全く否定されたとしても独自に動くつもりでいたが、彼等の協力があった方が動きやすいのは事実だった。
「近付ければ、彼から協力を引き出す事は不可能ではありません。少なくとも、他の全く関連の無い相手よりは」
「しかし、彼にどうやって近付く? 近衛師団大将だ。易々とは近付けまい」
 フォルケ伯爵は唸るようにくぐもった声で、イリヤの手の辺りに視線を落としている。彼の指先は忙しなく椅子の肘を叩いて、軽い少しばかり耳障りな音を立てていた。
 イリヤは勢い込まないよう自分を抑えながら、伯爵の視線を捉えるように身を屈めた。
「伯爵、貴方の方面からつてを伝えませんか」
 言葉につられ、伯爵とイリヤの視線が合う。
「――不自然だろう、それは」
 伯爵が乗り気では無いのは、失敗した時の自身への影響を考えての事だ。それまでそわそわと傍らで様子を伺っていたキーファー子爵が、さっと口を開いた。
「では、ラナエを使いましょう。王の剣士はファルシオン殿下の元に度々呼ばれている、ラナエに」
 イリヤの瞳に、一瞬針のような光が過る。
「ラナエは侍従として上がっている。不必要な行動を取ったら即刻怪しまれますよ。そうして結局は父上、貴方に降り掛かる」
 声に抑えきれない微かな刺が含まれ、それを消す為にイリヤは笑ってみせた。
「お二人とも噂でしか彼の事を知らない。私が取った行動はあながち間違いでもないようですね」
「失礼だが、貴方が何を知っていると」
 伯爵の複雑そうな表情に、イリヤは強気を示す為に口元を歪めた。
「デント商会で見た時、彼は随行もなく一人でした。だいぶ自由闊達な人柄のようです」
「それは私も聞いている」
 早口は言い訳のようで、イリヤはそろそろ伯爵を立てなければと口調を緩め、背筋を伸ばした。
「それで、偶然ではありますが、いい情報が入ったんです。その点について、伯爵のお力添えが必要です」
 興味を覚えて二人が顔を見合わせる。
「情報――?」
「彼は三日後のゴドフリー卿の園遊会に出るようです」
「ほお」
 イリヤの意図するところは伝わり、それは二人にとっても十分に価値があったようだ。
「自然に近付くならそこでしょう。怪しまれない程度に、感触を探る事もできる。その席には私は出席できますか」
 伯爵は今度は満足そうに頷いた。
「私宛てにご招待を戴いている。娘の相手役として、イリヤ、貴方に同行してもらおう。キーファー子爵ももちろん」
「お願いします。……彼に――王の剣士にお会いになった事は?」
「残念ながら、姿を見かける程度だな」
「そうですか。では紹介という訳にも行きませんね。伯爵のご交友関係の中でどなたか親しい方は」
「貴方は知らないだろうが、王の剣士は元々ああした場に出て来ない。誰でも同じ立場だろう。それに社交の場で初めての相手と挨拶を交わすのは自然な事だ」
 少し苛立った口調で、フォルケ伯爵はイリヤの無知を指摘してみせたが、イリヤは素直に頷いた。
「なるほど、なら心配いりませんね」
「問題は挨拶の後だろう。その後に繋げられるかどうか――。それに周囲の目もある。貴方は確実に、そこで周囲の記憶に留まる」
「大丈夫ですよ。きっと親しくなれます。年も変わりませんし、それにとても話しやすそうな感じだった。周囲の目に触れない所で自然に、というのが理想ですが、逆に敢えて初対面として見せた方がいいかもしれません」
 フォルケ伯爵は暫く背もたれに寄りかかり、指先を頬に当てて軽く弾きながら、イリヤと、日記と、暖炉の炎を見ていた。
 やがてすっと席を立つ。
「当日、迎えを寄越そう」
 イリヤも立ち上がり、にこりと笑った。
「では、三日後に」



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