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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第三章 「癒えぬ思い」】

十二

 懐に収められた二通の書状は、胸の辺りにずしりと鉄を呑むような重みを感じさせる。グランスレイは足早に回廊を抜け、執務室の扉を開けた。
 クライフ、フレイザーが席から立ち上がり、ロットバルトは窓際に寄りかかっていた身を起こした。
 自らの執務机へと歩きながら主のいない中央の机に一度目を向け、振り返るとグランスレイは口元を引き締めて三人を見据えた。
「閣下の許可をいただいた。ヴィルトールが戻り、証拠を確認次第、隊を向かわせる」
 グランスレイが懐から取り出し示した二通の書状――アヴァロンが記した令状に、三人がそれぞれ息を吐き出す。
 令状を前にして、意外な思いすら覚えていたのはロットバルトだ。
 グランスレイにアヴァロンの許可を得るように求めておきながらも、イリヤという存在に対する扱いから考えれば、許可が降りない可能性は高いと覚悟していた。
 だがこれで、アヴァロンは――王は、イリヤの身柄を拘束する事を、認めた事になる。
 それをどう捉えるべきか。
 グランスレイはロットバルトの表情に気付いて視線を向けた。問いかける視線に、ロットバルトは苦笑に近いものを口元に浮かべた。
 判断を任せて欲しいと言いながら、自分が迷っては話にならない。
「――向かわせるのは小隊で不足はありませんが、率いるのは中将を」
「……確かに、それがいいだろう」
 グランスレイが問いかけた事もロットバルトが答えたものも会話通りではなかったが、グランスレイは頷いて顎を引き上げた。
「ヴィルトールは」
「戻りました」
 グランスレイの問いかけに答えるように、回廊側の扉が開く。
「どうだった?!」
 クライフは入って来たヴィルトールに近寄りかけ、彼の手元に気付いて足を止めた。
 ヴィルトールが手にしているのは、掌ほどの大きさの白い壺だ。陶器の表面にはまだ少し土が付いている。
 ヴィルトールはグランスレイの執務机の前に立つと、壺を机の上に置いた。
「出ました」
 グランスレイは薄い緑の瞳を、封をされた壺に向けた。紙を巻かれただけの簡単な封印は、既にヴィルトールの手によって切られたのだろう。
「中身は水晶のような珠が二つ。触れてはいませんが、揺するなどの軽い振動にも特に反応はありません。大きさはこのくらいですか」
 ヴィルトールが革手袋をはめたままの親指と人差し指で、丸い輪を作ってみせる。
「キーファーの手紙には使隷と書かれていましたが……これは触媒か何かでしょうか」
「ビュルゲル、か――」
 グランスレイはその名を噛み締めるように呟いた。
 三の戟。こんな形で名前を聞くとは予想だにしていなかった、西海の大物だ。
 だがどのような力を持つのか、詳しくは知られてはいない。この三百年来、西海はこの国にとって、異界に等しい。
 束の間壺を見つめた後、グランスレイは蓋を取り、それを開けた。
 室内の光が落ちた小さな壺の底に、二つ、淡い乳白色に輝く珠がある。
 硬質な球面のそれは一見してはただの硝子玉のようだが、じっと見つめれば息付くように光が微かに脈動していた。
「使隷として貸し与えたという事は、おそらく変化するのだろう」
 グランスレイは右手を壺の口に差し入れた。
「副――」
 息を呑んだフレイザーの制止の声が終わらない内に、二つの珠の一つが、いきなり形を崩した。
「!」
 素早く引いたグランスレイの手を追って、それは壺の中を伸び上がった。
 壺から突き出したのは水の塊だ。その半透明の手とも言うべき物体は、手首から先を壷の口から出し、その場の者達を嘲るようにひらひらと揺れている。
「副将!」
 中将達が素早く剣の柄に手をかけたが、グランスレイは片手を上げて彼等を止めた。
「待て。――」
 じっと見つめる中、手は暫くの間彼等の視線の中で揺れた後、ぽちゃりと小さな水の音を立てて壺に戻った。
 フレイザーが小さく息を吐く。
「……イリヤ・キーファーを襲ったのはこれでしょうか」
 壺の底にグランスレイの眼が捉えた物は、先ほどと変わらない丸い珠だ。
「形状から考えれば、おそらく―」
 ヴィルトールは手を伸ばして蓋を閉じ、グランスレイの判断を伺うように視線を上げた。
「隊の法術士に分析させますか」
「――いや、これがゴドフリー卿の館に現れたものと同じなら、上将は多少の衝撃を与えた程度では再生すると仰っていた。まずは上将にお戻り戴こう」
 どう変化するかも判らない以上、レオアリスがいる所で、慎重に調査をすべき代物だ。
 レオアリスの名を聞いて、全員が表情を引き締める。
 レオアリスがどういう状況下にあるか、イリヤの手紙からは伺えなかった。
 利用しようという以上、イリヤがレオアリスに対して危害を加えるとは考えにくく、またレオアリスに危害が及ぶ要素など想定するのすら難しい。
 だが、関わっているのが西海なら、状況は変わるかもしれない。
 クライフが壺を睨み付ける。
「キーファーに与えられた使隷は、この二つで全てなのか?」
「手紙には、全て入れたと書いてある。その言葉を信じるならね」
「信じる? 根拠がねェ」
 誰も口にはしないものの、微かに覗く苛立ちの色から、彼等の不安は伺えた。
「クライフ」
 グランスレイの声に、クライフが背筋を伸ばす。
「小隊一つを以ってキーファー子爵邸に向かい、子爵とイリヤ・キーファーの身柄を確保しろ。ロットバルトはクライフの隊に同行し、上将と合流したら状況の説明を」
「私兵もない屋敷に小隊一つってなァ、大袈裟すぎやしませんか」
「形式ですよ。仮にも子爵、伯爵邸を押える以上はね。中将が出るのも形式です」
「またそれかい。全く貴族ってのは面倒だな」
 クライフはロットバルトの言葉に唇を曲げたものの、すぐににやりと笑みに変え、左腕を胸に当て了承を示す。
「フレイザーはフォルケ伯爵邸、ヴィルトールは押収物の警戒に当たれ」
 グランスレイは二通の令状を、クライフとフレイザーに手渡した。
「小隊の準備が整い次第出立しろ」
 全員がそれぞれ複雑な視線を交わしながらも、はっきりと頷く。
 ロットバルトは視線を空席の執務机に向けた。
 今回の件は失策とはいかないまでも、後手に回ったという苛立ちは強い。
 もう少し、レオアリスに注意を促すよう説明すべきだった。
「怖ぇ面してんなぁ」
 ばん、と背中を叩きかれ、ロットバルトは視線を上げた。
「――反省してるんですよ」
「反省か?」
 クライフはにやりと笑って、親指で扉を示す。
「そんな事よりさっさと上将を迎えに行こうぜ。下手したら辿り着く前にキーファー子爵邸がぶっ飛んじまうかもしれねぇし」
「上将を何だと思ってるんだ、お前は」
 クライフの軽口にヴィルトールが呆れた目を向ける。その隣でロットバルトは真剣な面持ちで口元に手を当てた。
「――さすがに、その賠償費は予算計上してないな……」
「そこまで想定して予算取りされたら、上将もへこむよ」
「緊張感失せるわね、全く」
 フレイザーは先に立って扉を開けた。戸口に手を掛けて振り返り、三人を見回して唇を綻ばせる。
「左軍は先に出るわよ。フォルケ伯爵の方が面倒でしょうからね。……上将は任せたわ」
 扉が閉じ、クライフが「キーファーで良かった」と胸を撫で下ろすのを横目に、ロットバルトは再び表情を引き締めた。
 おそらくイリヤは、彼の過去をレオアリスに告げているだろう。
 レオアリスがそれをどう受け止めるか。
 今最も懸念すべきは、その点だった。



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