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王の剣士 五
【分岐点】


 「まぁー! これは近衛師団大将殿、このような場へお越しいただき光栄ですわ」
 エレノア・コットーナ伯爵夫人は、ふくよかで朗らかな女性だった。アスタロトにとっては母のまた叔母に当たるからだろうか、アスタロトとは余り似てはいない。
 白く肉付きの良い両手を優雅に動かし、下がり気味の目じりを更に細め、少し早口で、言葉を差し挟む暇も無いほど良く話した。
「いつもアスタロトから大将殿のお話は伺っておりますのよ。同い年の友人が本当に嬉しいようで、あのったらこの館へ来るたびにいつもそのお話ですわ。お陰でわたくしも、お目にかかったことがないくせに、王の剣士という存在が非常に身近に感じられておりましたの。今日お会いできて本当に嬉しく思っておりますわ。本当にまぁ凛凛しいお姿。さあどうぞ庭園においでくださいませ。今日は若い方の集まりでもありますし、話題の方がお越しとあっていらしているご令嬢達もとても喜んでいらっしゃるようですわ。せっかくおいで頂いたのですもの、どうぞごゆっくり、色々な方々とお話をなさっていってくださいませ。それにしても貴方とヴェルナー様が一緒にいらしては、他の男性達は今日は一日寂しい思いをされるのではないかしら、ほほほ。あらでも、他の方々も大将殿のお話を聞きたがっていらして、それもあまり気にならないかもしれませんわね。そうそう、アスタロトも既に参っておりますのよ。今は挨拶に出ておりますけれど、落ち着かれたらあのともゆっくりお話をして差し上げてくださいませ」
 ひとしきり歓待の意を示した後、エレノアは優雅にお辞儀をして、また新たに到着した来客の元へと両手を広げて近付いていった。
 レオアリスがその間に発したのは招かれた事への謝辞だけだ。
 去り際にコットーナ伯爵が「失礼した」と二人にしか聞こえないほどの声で素早く言い残して行ったのが、今日一番の印象的な場面になるかもしれない。
「…………すごかったな」
 ひそりと感想を洩らした。
 早くも精神力が削られているレオアリスに対して、ロットバルトは平然としたものだ。
「ご婦人は会話を楽しむ事に長けていますからね」
「会話か……」
 レオアリスは広間を見回した。
 横に長く天井も高く広々としていて、ちょうど正午を過ぎたこの時間は明るい陽射しに満ちている。舞踏会を開催する時はここが会場になるのだろう。
 正面の壁には庭園へ続く硝子戸が八組も設けられ、今は庭園へと開かれていた。四角く切り取られた緑の庭園は、一層明るい陽射しに照らされて緑の色も鮮やかだ。
 来客達はまずこの広間で主であるコットーナ伯爵夫妻に挨拶をしてから庭園へと流れていく。
 レオアリス達もまた、庭園へ足を向けた。周囲の眼が自然と二人の姿を追うのは王の剣士とヴェルナーという要素もあるが、やはり軍人ならではの、貴族達の優雅さとは少し違う、その場の空気を引き締めるような立ち居振る舞いのせいもあるだろう。
「まぁお元気そうなのは何より――。……ちょっとアスタロトの気持ちが判ったな」
 あの勢いで貴婦人、貴婦人と言われたら、アスタロトが次第に美味しい食べ物に思えてきた、と言った心境も判る気がする。
 ロットバルトはレオアリスの様子に含みのある笑みを浮かべ、視線を庭園に向けた。開かれた扉を出ると、広間から続く露台になっていて、その幅と同じ白い石を張った十段ほどの階段が庭園へ降りている。
「あそこまでの能力が必要とは言いませんが、あの十分の一でも持ち合わせていれば楽でしょうね」
 何の、と聞くまでもなく、庭園に集う人々を見れば判る。全員とはいかないまでも、失礼の無いように挨拶を交えるには、かなりの気力を要するだろう。
「華やかな会話は生来女性の得意な分野でしょうが、我々男は努力が必要です」
「……努力か。大変なんだな、皆」
 レオアリスはしみじみ呟いた。先ほどのコットーナ伯爵とか。
「女性の方が社交の能力に長けている。こうした場に夫妻での出席や女性を伴って出席するのは仕来しきたりですが、その理由が判る気がしますよ」



 庭園は館の南側に広がり、まだ時折雪の降るこの季節でありながら小春日和の柔らかい日差しが降り注いで気持ちが良かった。
 着飾った招待客達が料理の並べられた円卓や緑の中に置かれた椅子に集い、楽しげに語り合っている。
 平穏さを感じさせる光景だった。ただしその間を抜けるのは、それなりの苦心と時間を伴ったが。
「レオアリス! こっちこっち!」
 手を上げなくてもすぐにそれと判る。アスタロトの周りに漂う空気はひどく華やかだ。それには周囲を取り巻く青年達の熱意に満ちた様子も影響しているかもしれない。
 アスタロトの装いもまた見事だった。先月の新年の祝賀では正規軍の正装とあって軍服姿だったが、今日は冬のさなかに春を思わせるような、淡く裾に向かうに従って色の変化を付けた藤色の盛装を纏っている。藤の花の房を模した耳飾りと、同じ意匠の腰帯。
 レオアリスは束の間、足を止めた。
 何だかんだと言った所で、アスタロトにはこうした華やかに着飾った場所が良く似合った。
 アスタロトは取り巻いていた青年達の傍を離れると、レオアリス達へと歩いてきた。青年達の名残惜しそうな視線が追っている。というよりは、恨めしげな視線は場を邪魔したレオアリスに向けられたものだ。
「いいのか、話の途中じゃ」
 さすがにレオアリスも居たたまれない気持ちになったが、アスタロトは気にした様子もない。
「いいの。挨拶はもう終わったのに、何か知らないけど皆ずっといるんだもん。抜け出すきっかけがなくてさ。あ、ロットバルト、来てくれて嬉しいよ」
 アスタロトはにこにこと、いつにない明るい笑みを向けた。ロットバルトが瞳を細める。
「――何かありましたか」
「警戒すんなってー。たださっき、お前を紹介してくれって何人かから頼まれてさ。後で話くらいしてあげてよ」
「意外な事をされる」
「だって挨拶するとき、皆言うんだもん。私に言ったってしょうがないとは思うんだけど、皆真剣な顔するから。あ、あくまでも本人が言った場合だよ。親とかに言われてもそれは取り合わないから」
 ロットバルトは曖昧に頷いてみせた。アスタロトが念を押す。
「よろしくね、話だけでもいいから。皆ほんと可愛いよ」
 こうした場所での挨拶がてら、相手の交流のある人物の紹介を頼むのは良くある事だ。
 けれど、今まで取り持つ事など全く頭になかったアスタロトが、そうした少女達の想いに親身になったのは、ただ彼女達が熱心だったからだけではないだろう。
 アスタロト自身、まだ気付いていない気持ちがそれを後押ししていた。
 しかし取り敢えず、アスタロトは約束した少女達への義理を果たし、それからレオアリスへひょいと顔を近づけて口元を片手で覆い、小声で囁いた。
「エレノア叔母はどうだった? もう挨拶しただろ?」
「どうって……、明るくて優しそうな感じだったかな」
 さすがに正直な感想を言う訳にはいかない。何を期待していたのか、アスタロトは少しがっかりしたように首を捻った。
「そお? おかしいなぁ。今日もさぁ、着いた早々服の裾の持ち上げ方から扇の持ち方まであれこれ貴婦人らしくしろって何度も言われてさぁ。叔母上に会ったらお前にもあの気持ちが判るかと思ったのに」
「まさか俺にそれを言う訳無いだろう」
「ちぇ、まあいいや。それより、挨拶ばっかで疲れない?」
 レオアリスもアスタロトもそれぞれ、主のコットーナ伯爵夫妻に挨拶をしてから、およそ一刻ばかりは延々と来客達との挨拶に追われていた。
「疲れた。改めて思ったけど、一種の仕事みたいなものだよな、これ」
「そう、挨拶なんてつまんないよね! だがお楽しみはこれからだ!」
 アスタロトが妙なノリになってきた。
「私が先輩としてお前に園遊会の真の楽しみ方を教えてやろう」
 アスタロトは胸を張り、きりりと眼差しを上げて庭に点在する料理の置かれた卓を見渡した。
「まずは探す」
「はぁ?」
「重要なのは選択だ。選ぶ卓、料理、種類……置かれてるのは全て一律じゃないんだ。だから必ずまず確認しなくちゃいけない。自分の好みの料理がいかにあるか、充分な量と品数か、周囲に敵はいないか。これを誤ればその後数日間後悔する事になる!」
「何日後悔する気だ。大体他を食べれば済むだろ? 充分過ぎるくらいあるじゃねぇか」
「いいやっ! お前はまだこの恐ろしさを知らん! 何てったって私は貴婦人」
(そうか?)
 という突っ込みを心の中だけでこらえたレオアリスは賢明だ。
「卓の間をうろちょろするのは作法に反するからな!」
 アスタロトはびし、と指を突き付けた。
「卓一つ食い尽くすのはいいのか?」
 何かが、根本的に間違っている。何とははっきり指摘したくないが。
「何?」
「いいや」
「じゃ、ほら、よく探して。気取られるなよ。あくまでさり気なく、会話とかしながら自然に卓に近付くんだ」
 何の作戦行動だ……、と口の中で呟く。アスタロトはじろりとレオアリスを睨んだ。
「返事は?」
「はいはい」
「気合い入って無いし!」
「あー」
「ロットバルトも!」
「――」
 ロットバルトは一呼吸の間、視線を逃した。が
「私はそろそろ、退席させていただきます。一通りの挨拶は済みましたしね。上将、このあとは寛いでいただければ結構です」
 にこりと笑ってその場を離れようとしたロットバルトの外套を、レオアリスが引き止めるよりも早く、アスタロトの手が掴んだ。
「待てよ、まだやる事あるじゃん。私が言った事もう忘れたの?」
 律儀にも、娘達との紹介の約束の事かと思いきや、違った。
「帰る前に探して行け。お前背が高いから良く見えるだろ? お菓子がいっぱいあるトコロがいいナ」
「……」
「あ、何その嫌そうな顔、失礼っ」
「人んとこの参謀を妙な事に使うなよ、もったいねぇ」
「何言ってんの、こういう事こそ協力しあわなきゃ」
 会話の内容はともかく、三人が揃っている様子は端から見ればとても華やかな光景に映る。
 少し遠巻きに、その会話の中に入りたいと願う何も知らない青年達や娘達が見つめていたが、その中の二人ばかりの青年がついに肚を決めて近付こうとした時だった。
 一人の男が彼等の横をすっと追い越し、アスタロト達へ歩み寄った。せっかく話かけようとしていた青年達は非難の眼を向け――慌てて視線を逸らせた。
 取り巻いていた来客達の間に緊張が流れる。そして多分に興味も、そこには含まれていた。
 周囲の反応を意に返さず、男はさくりと冬芝を踏む音を鳴らした。
「これはこれは、社交会で今注目の顔ぶればかりが揃って、随分と楽しそうだ。貴重な場に私も加えて頂けるかな」
 言葉の中身を裏切るような酷薄な響きの声がかかり、アスタロトはさっと身構えて振り返った。相手が誰だか、声だけで判る。
「ブラフォード」
「久しくお顔を拝見していなかったが、ご機嫌麗しゅう、アスタロト公」
 長い黒髪を波打たせた、二十代半ばの背の高い男はそう言って、アスタロトとレオアリス達へ笑みを向けた。
 今まで話しかけるために周囲を取り巻いていた他の客達は、遠慮がちに距離を置いている。アスタロト達とはまた違った意味で、近付きがたい相手だったからだ。
 四大公爵家の一角、東方公ベルゼビアの次男ブラフォード。
 元々四大公爵家はこの国の貴族達の中で最高峰の地位にあり、普段から近寄り難い存在ではあるが、ベルゼビア公爵家は一際その印象が強い。
 実際、公爵自身が非常に冷酷な性格の持ち主で、ブラフォードも父親に良く似ていた。
 今この場で親しみを以って積極的に話し掛けたいと思う者はそう多くはなく、ブラフォードが挨拶をまともに受ける者は更に少ないだろう。
 かつて、一時的に、本人の意思とは全く関係ない所で決められた事ではあったが、アスタロトの婚約者だった相手でもある。アスタロトとしては闇に葬り去りたい過去だ。
「――久しぶり、じゃあねっ」
 くるりと背を向けようとしたが、さすがにそうは問屋が卸さない。
「つれないな、挨拶くらい受けて頂かなくては。こうした場の礼儀だろう、公爵」
「――」
 アスタロトが眉をしかめる。ブラフォードはアスタロトの反応を笑い、それから彼女の前に片膝を着くと、恭しく右手を取って甲に口付けた。
「以前よりも一層美しくなったな、お前は」
 賛辞は、正直に言えば聞き慣れている。大体がこうした場での決まり文句でもあるからだ。
 けれど、この男の口から出ると、嫌がらせで言っているのではないかと勘繰ってしまう。
(ヤなヤツだし――)
 取り戻そうとした右手を、ブラフォードの手が引き止めた。
「ちょ」
 ブラフォードの瞳がアスタロトにじっと注がれる。そこにある意外な光に、アスタロトはふと息を呑んだ。
 それまでのブラフォードとは確かに違う――
 唐突に、アスタロトは背後の存在が堪らなく気になった。
 この様子を、何故だか、見せたくなかった。
 そう言えばレオアリスには、ブラフォードの事をどう話しただろう。知っていただろうか。
(べ、別に気にしなくていいんだけど)
 視線を下げるとまだ膝をついたままのブラフォードと目が合い、ふと心の中を見抜かれたような気になって、慌てて手を振り解いた。
「はい、挨拶終わりっ」
「何も照れる事はない。長い付き合いだろう」
「照れてないっ! もう用は済んだだろ、さっさと帰れ」
 そう言いながら何故か後ろを振り向く事ができず、アスタロトは中途半端に顔を反らした。
「まだ全て済んではいない。そこのご友人方に挨拶をしなくてはな」
 いつもの皮肉っぽい見知った様子に戻ると、ブラフォードは立ち上がり、悠然とした態度でレオアリスとロットバルトへ向かい合った。
「いらな――」
 アスタロトが止める前に、ブラフォードは鷹揚に右手を差し出した。レオアリスへ。
「近衛師団第一大隊大将殿。噂はかねがね聞き及んでいたが、こうした場では初めてお目にかかる」
「こちらこそ、初めてお目にかかります」
 レオアリスは差し出された手を握った。
「ただ、私も以前から大将殿には興味を抱いていた」
 ぐっと、ブラフォードの手に力が籠められる。口元の笑みを歪めた。
「大将殿は預かり知らぬ処かも知れないが、ご友人であるアスタロト公は、かつてとは言え私の婚約者だった。あのままであれば今頃、私の妻として傍らに居ただろう。四年前か、君達がまだ出会う前の話だ。君が現れなければそれも少し違う結果になっていたのではないかと、時折考えるが――」
 言葉の内容にアスタロトは驚いてブラフォードを睨んだ。
「ちょ……ふざけるのは止めろよ! もう行こう、レオアリス、構うことないよ」
 アスタロトはレオアリスの袖を引いたが、レオアリスはちらりと視線を向けたものの、すぐ済むというようにアスタロトの手を下ろさせた。
 改めてブラフォードと向き合う。
 その表情に、アスタロトはどことなく違和感を覚えてレオアリスの横顔を見つめた。
「そのお話は聞いています。ただ、アスタロト公は自分の意思ではない婚姻を嫌って飛び出したんでしょう。俺に会う以前に意志が固まっていたと思いますが」
 ブラフォードの言葉は挑発を含んだものだったが、レオアリスの返しも充分、挑発と取れる言葉だ。アスタロトが傍らで不安そうな顔をしたが、止めるきっかけが掴めずにいる。
「私との婚姻を嫌がって、と?」
 ブラフォードは低い囁きと共に口の端を吊り上げた。その顔を、レオアリスは真っ直ぐ見据えた。
「自由意志の無い取り決めを嫌がって、です。しかし取り敢えず、誰にとってもあまり面白くも無い話題を敢えて出すのは止めませんか」
 何となく、違和感の理由が判って、アスタロトはまた息を飲み込んだ。
 はっきりと口に出している訳ではないが、レオアリスは、怒っているようなのだ。普段の彼らしくない少しきつい口調。
 どくん、と心臓が鳴る。
(怒ってるって――、何に?)
 多分、アスタロトがその話題を嫌がっているのを、判っていて――だから。
(それだけ)
 そう、それだけだ。
 ブラフォードはレオアリスとアスタロトの顔を眺め、喉の奥で笑いを転がせた。
「――単なる挨拶代わりの昔話だったが、確かにこれで止めておいた方が無難のようだ。王の剣士を怒らせてもいい事はない。穏やかなたちと聞いていたが、さすがに友人・・ の事には敏感と見える」
 ブラフォードとレオアリスの瞳の色は漆黒、だが違う色に感じられるほどそれぞれ対照的な光を宿している。
「それは、誰でもそうでしょう。俺もわきまえず失礼な事を申し上げましたが」
 ブラフォードは何が可笑しかったのか、また笑った。
「構わん。少し気が急いたのだ、私も。アスタロト公はあの頃よりも美しく成長したからな。まだこれから更に美しくなるだろう」
「――」
「……ちょっと、そこは頷くトコだろ」
 アスタロトがぷくりと頬を膨らませ、黙っているレオアリスの肩をつつく。ブラフォードはにやりと笑い、それからまだ握ったままだった右手を離す代わりに、左手を包み込むように重ねた。
「尤も私としては、大将殿自身にも興味がある」
「俺自身の事なんて面白くはないと思いますが」
「いいや、非常に興味深い。過去の事は水に流して、二人で一晩ゆっくり語り合いたいものだ」
「ああ、それなら……」
 アスタロトは社交会では有名なこの男の趣味を思い出した。要はどちら・・・でもいいのだ、この男は。
「ちょ、ちょっとレオアリス、こっちこっち」
「ん?」
 レオアリスの手を掴みブラフォードから離れ、アスタロトは素早くロットバルトの背後に回ると、ふうっと息を吐きつつロットバルトの背中をぽんと叩いてブラフォードを示した。
「どうぞ」
「――」
 ロットバルトはアスタロトの様子を眺め、軽い溜息をついたものの、アスタロト達に代わってブラフォードに向き直った。あくまで礼儀を保ったにこやかな笑みを返す。
「さすがブラフォード殿、多彩な趣味をお持ちで羨ましい。ですが冗談を仰るのは余り得意では無いようですね」
(ロットバルト、カッコいー!)
 いっそ殺ってしまえ! と拳を握る。
 アスタロトの過激な声援は背中で聞き流し、ロットバルトは穏やかに続けた。
 口調だけは。
「こうした場でどのような話題を提供するかは、ある意味で場を和ませる為の個々の能力次第ですが……先ほどから伺っていると今日はどうも失敗が続いておいでのようだ。せっかく用意された話題とは思いますが、屋敷に戻られてもう一度良く推敲されては。と言っても推敲した上で次に同じ話題が出せるとは、私には思えませんが」
「ヴェルナー。久しいな。相変わらず口の達者な事だ、変わりなくて何よりというところか?」
「そうですね。貴方も相変わらずお変わりなく。ただ、常にご多忙と伺っています。今日もこの後ご予定があるのでは?」
「気にかけてもらって有難いが、今日は他の予定を入れていない。ゆっくりさせてもらうつもりだ」
「それは珍しい。貴方を待っているお相手は数多くおいででしょう」
 ブラフォードが口元を歪める。
「貴卿こそ、最近はこうした場でつれないと女達が嘆いているぞ。師団に入って以来、すっかりどなたかに御執心のようだな」
「生憎、任務をこなす事が第一にならざるを得ません。充実してはいますが、役をお持ちでない貴方の自由さが時折羨ましく思えますね」
 束の間、沈黙がその場を支配した。
「全く、外見は良くても性格が気に食わん。惜しいな、その性格さえなければ違った付き合いができたものを」
「そうですか。今初めて、この性格に生まれて良かったと親に感謝しましたよ」
 ブラフォードの陰のある酷薄な笑みと、ロットバルトの氷のような冷えた笑みがぶつかる。
(寒い……)
 アスタロトは両腕で自らの身体を抱き締めた。
 何故だろう。それぞれ整った面に笑みを浮かべ穏やかな口調で、この二人が並んでいるだけでも令嬢達が騒ぎ立てる状況のはずが、殺伐とした空気が漂っている。
 有体に言えば、仲が悪い。
 アスタロトは引き攣った笑いを貼り付け、傍らのレオアリスを見た。レオアリスは呆れ顔ながらも、少し面白そうな笑みを浮かべている。
「すげぇ性格合わないんだなぁ、この二人。見てる分には面白ぇ」
「……私はお前のそういう意外とのんびり屋さんなトコが気に入ってる、けど」
 それどころではない、というか、自分で振っておいて何だが、アスタロトにしてみれば極寒の地にいるようで耐えがたい。せっかくの小春日和が台無しだ。
 それもこれも、この男を招待したエレノアのせいだ。
「ちょっとごめん。すぐ戻ってくるから! あ、ブラフォードは待ってなくていいからね! てゆーか帰れ!」
 アスタロトは裾を翻し、その場を離れた。庭園を抜けて大広間に入り、すぐにエレノアの姿を見つけて駆け寄る。
「まあ、アナスタシア、どう? 楽しんでくれている?」
「叔母上! なんであんなヤツ呼んだんだ!」
「あんな? 不審者でもいたかしら」
「いたいた、ブラフォード!」
 エレノアはひくりとふくよかな頬をひきつらせ、それをぐっと押し殺した。
「当然じゃあありませんか。何度も申し上げるようだけれど、あなたには相応しい方々とのお付き合いが必要です。アスタロト公爵家を盛り立てていくためには相応しい方と結婚して、あなたの支えになっていただかなくては」
 いつもいつも、飽きるほど繰り返されるエレノアの説教に、少しばかり忍耐力の付いたアスタロトは、ふう、と息を吐き出した。
「じゃ、あいつは相応しくないでしょ。もう一旦断ってるんだし、今更――」
「何を言っているの、あなた。ブラフォード様との婚姻は、破棄ではなく、一時的な保留だったでしょう」
「――」
 きょとん、とエレノアを見つめ返し――アスタロトは世にも奇妙な叫び声をあげた。
「ほひえぇええええーーーーー!!!???」
「アナスタシア……いえ、アスタロト様、貴婦人がそのような声をあげるものでは」
「んな事どうでもい……ていうか……え、何ソレぇ!!!???」
 エレノアはこほんと一つ咳払いをして辺りを見回し、その場を仕切り直そうとアスタロトを隣の小部屋へ連れ出した。
「ですから、三年前はまだ公爵家を継承したばかりで不安定な時期でもあったから、婚姻は先に延ばそうと」
「……そんなの、聞いてな」
「ご説明してますよ、すっかり忘れてしまったの? また数年後、あなたの周囲が落ち着いて来たら改めてお話をしようという事になったのじゃないですか」
「――」
 それが延期という話になるのだろうか。
「もちろん、ブラフォード様に限る訳ではないんですよ。あなたのお気に召した方が一番。ヴェルナー侯爵家のロットバルト様も以前よりも増して素敵な青年になられたし」
「いや、それはマジ有り得ないから!」
 アスタロトは素早く否定した。何故エレノアは常にあの二人が第一候補なのか。
「あんなご立派な方を……変なねぇ」
(変なのは叔母上だっ)
 アスタロトは口をぱくぱくと開け閉めした。
「そうでなければ、ランスデール侯爵の御三男も丁度良いお年ですよ。たしか同じ十七歳だったかしら……ちょっとお若いかしらね。もうお一人、ベロン伯爵家のファヌエル様も今二十二歳でしょう。それと今、正規軍の大将殿でアルノー様も若手の有望株よね、あなたには部下という事になるけど――それはやはりお嫌かしら。そうしたら、商家ではあるけれど、王都で一番手広く事業をされているメヴィナ家などは――あのお宅は一代で財をなしたやり手だし」
「叔母上……叔母上!」
 延々と続きそうなエレノアの言葉を漸く遮り、アスタロトは肩で息をしつつ、大叔母を見据えた。
「――あのさ」
「どうかしましたか?」
「いや……その」
 エレノアの興味を変えさせない限り、この攻勢はとどまる所を知らない。アスタロトは何とかこの状況から逃れる術を探した。
「あ、そうだ。――叔母上、それ一覧表にしてよ。今度見ておくから!」
「まあ、そう? あなたも真剣に考える気になったのかしら」
 エレノアは少し嬉しそうに白い手を頬に当てた。
「考える考える、じゃ、またね〜」
 逃げた。もとい、アスタロトはエレノアの傍からそそくさと離れた。足取りに彼女の憤慨振りが現れている。
(全く、いい加減信じらんない! 結婚なんてまだ全然する気ないって言ってんのに。大体良くあれだけ相応しい相手だのを把握してるよ、単なる趣味なんじゃないの?)
 そこまで考えて、ふと気が付いた。ぴたりと足が止まる
(あれ――)
 エレノアは、アスタロトの婚姻相手に相応しいと彼女が考える相手を並べていた。その中で、名前の挙がっていない存在がいる。
 エレノアの話を聞いている限りは、相応しい地位にありさえすれば相手が貴族でなければいけないと考えている訳でもないし、そもそもエレノアの言う相応しい地位というのであれば、申し分ない地位にいるはずなのに。
 だからこそ、エレノアだって今日招待したのではないのか。
(――何で)
 はっとして首を振った。
 別にいい……。そんな風に考える相手じゃ無くたって、それはいい。
 というよりは、今の状態が一番居心地がいいから、そんな感情を差し挟みたく、ない。
 だから別に――。
(いいんだ、叔母上が名前出さなくて良かった! それよりも、あの凶悪な現場を何とかしなくちゃ)
 もやもやとした気持ちを飲み込み、アスタロトは再びレオアリス達の所へ向かう為に庭園に出た。



 コットーナ伯爵はアスタロトが去って行くのを見送って妻の傍らに寄り、溜息混じりの言葉を掛けた。
「何だね、お前はこんな場所で。公爵も困っておいでだったろう」
「まああなた、聞いておいででしたの。でも大切な事じゃあありませんか、アナスタシアももう十八になるんですのよ、お相手選びを早く進めなくては、ゆっくりしている時間はないのですもの」
「それはそうだが……ご自身のお気持ちもあるのじゃないか。まだご結婚など考えてはおられないようだし」
 生来が穏やかで気遣いの多いコットーナ伯爵は思案げにアスタロトが向かった庭へ視線を投げた。
 気に掛かっているのは、今日のアスタロトの様子だ。園遊会にあの近衛師団の大将が来ると聞いてから、アスタロトはいつもより気持ちが弾んでいたようだ。コットーナ伯爵にも、衣装がおかしくないだろうかと、珍しくそんな事を尋ねていた。
 ようやく年頃の娘らしくなってきたのかと、ただ微笑ましさを覚えたものだが。
「公爵は、お心に止めているお相手がいるのではないのかね」
 エレノアは女性特有の勘の良さで、伯爵の先回りをして眉を寄せた。
「アナスタシアが彼を気に入っているのは判ります。でも、あの二人では結局ご縁がないでしょう。大将殿もいずれ近衛師団を」
「滅多な事を言うものじゃない」
 コットーナ伯爵は妻をたしなめ、周囲を見回した。幸い来客の流れも落ち着き、小部屋の入り口付近には誰もいない。
 それでも、こんな場所で口にする話ではない。
「とにかく、まだ公爵もお若いのだし、もう少し時間を持ってもいいのじゃないかね。我々が一番、あの方を気遣って差し上げなければいけないのだし」
「たがらこそ早い方がいいんですよ、それがアナスタシアのためなんですから。あなたはアナスタシアが辛い想いをしてもいいと仰るの?」
「そういう訳ではないが――」
 エレノアは仕方なさそうに首を振った。
「男の方はこれだから……どうせ言わなくてはいけない事なのだから、想いが募ってから諦めろなんて、そんな事を言う方がずっと酷ですよ」





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