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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第三章 「潮流」


 風が柔らかく草を鳴らして過ぎる。
 閉じていた瞼を上げると、真っ直ぐに太陽の光が落ちてきて、瞳に飛び込んだ。
「眩し……」
 レオアリスは陽に手をかざし、身を起こした。正午過ぎの太陽が少し南に傾くようにして青い空のてっぺんに浮かんでいる。
「どんどん暖かくなってくるな。暦どおりだ」
 花待ちの月も下旬にさしかかり、来月に入れば王都は春の真っ盛りになる。この時期にもう空気が暖かくこうして外で寝転べるとは、王都に来てもう四度目の春になるものの、未だに新鮮な感慨を覚えた。
(おかげで眠いけど)
 と軽く責任転嫁して、レオアリスは芝の上に座ったまま、両手を少し後ろについてまた空を見上げた。
 士官棟の裏庭で寝転がるのはいつもの事、というかちょっとした日課のようなものだ。ただ、今日はいつもと少し違う。
 朝から急に様々な面会の要望が飛び込んできて慌ただしかったから、グランスレイの許可を貰って一時休憩しているのだ。グランスレイの許可を貰っている、という点は重要だった。
(遠慮がいらないもんなぁ)
 いつもは遠慮しているのかは疑問だが、レオアリスはまた芝の上に寝転がった。
 呼びに来られるまで、ゆっくりしなくては勿体ない。
 面会の申し込みは朝から引きも切らなかった。内政官房や地政院、財務院にも軍の関連部署がありそれらが一番多かったが、王都に来ている諸侯や、それから王都の商人や住民からもあり、まるでこれまでのひと月のそうした面会希望を一日に詰め込んだみたいに思えた。
(まあ、正確には俺は何もしてないけど)
 ウィンレット達事務官やロットバルトが捌いてくれた後の、本当に必要な相手何組かと話をしただけだ。
 それもほとんど具体的な話はなく、互いに今後も協調してやっていこうとか、そんな内容だった。
 そして誰一人、近衛師団総将の話など一言もしない。ただ単に、仕事上必要な挨拶をしに来たと、そういう見せ方を作っている。
「大人の世界だ」
 そう溜息をついて、ちょうど向こうから歩いてくるロットバルトを見つけ、レオアリスはまた起き上がり自分から手を振った。もう休憩は終わりのようだ。
「仕方ない、戻るか――」
 肩を竦めて立ち上がりかけたら、呼びに来たのだと思ったロットバルトは、レオアリスの隣に腰を下ろした。そのまま陽当たりの良い芝の上に寝転がる。
「ロットバルト?」
「……ああ。結構解放感がありますね、なるほど」
 感心したようにそう言って、レオアリスがよくやるように、頭の後ろに組んだ腕を枕代わりにしてロットバルトは目を閉じた。レオアリスは一旦口を噤んで、くつろいだ様子の参謀官を見下ろした。なかなか珍しい光景だ。
「……お疲れ。明日、公休取るか?」
 何となく、反省の心が湧いてくる。それは当然、疲れているに違いない。
「いえ――。公休よりここでうたた寝をした方が気持ち良さそうだ。まあ、それはともかく」
 ロットバルトは笑って身を起こした。
「だいぶ賑やかになりましたね、貴方の回りは」
「……ああ」
 レオアリスの戸惑いは、ロットバルトにはもとから承知のものだ。その事に今さら遠慮はしない。
「これまでの要素に加えて、王太子殿下の警護――それは誰しも、貴方が次期近衛師団総将と、そう考えるでしょう」
「アヴァロン閣下はご健在だぜ」
 どことなく怒ったような口振りを嗜めるように、ロットバルトは笑みを浮かべた。
「何もおかしい話ではありません。殿下が王太子として、既に陛下の後を継いで賢政を期待されているように、重要な職務の『次期』というのは必ず話題に上り期待されるものです」
「――。……それは、判った」
 幼いファルシオンを引き合いに出されては文句の言い様も無い。レオアリスは肩を竦め、まだ不承不承ながら息を吐いた。水気を含んで青くなってきた芝が、身体の下で微かな音を立てる。
「まあ……納得行かないのは理解できますが」
 今のレオアリスの周りにあるのは、まだ具体的な話など欠片も出ていない近衛師団総将の後継の話ばかりで、周囲が騒ぐほどにレオアリス自身が距離を置いていくのは仕方ない。
 ましてや王の意図も見えていない中で――。
 王の意図、意志こそが、レオアリスにとっては最も重要なものだ。
(ただ――)
 ロットバルトはレオアリスの顔を眺めた。
 懸念というには大げさだが、気になる事はある。
 昨日、グランスレイと話した事について。先日の王の指示に際して見せた、スランザールとアヴァロンの表情についてだ。
(スランザールは答えてくれるかな)
 ロットバルトは今日の夕刻に、スランザールを訪ねるつもりだった。
 おそらくスランザールが答えてくれたとしても、そこまでがロットバルトの知っていい範囲だというだけの事だろうが――、現状がどの位置にあるのか認識する事はできる。
(スランザールの伏せている事は、予想以上に厄介な事ばかりなのがきついところだが……)
 レオアリスはロットバルトが黙っている事が気になったようで、目の前で二度ほど手をひらひらと振った。
「どうかしたか?」
「いえ」
 スランザールの答えがレオアリスに話せるものであればいい、とそう思いつつロットバルトはもう少し、レオアリスにとっても面白みのある話題を出した。
「それはそうと、明日は一件、貴方にとっても興味深い面会が入りましたよ」
「興味深い? 今日みたいな面会で興味深いのがあるのかよ」
「フィオリ・アル・レガージュの領事です」
 レオアリスは瞳を軽く見開いた。レガージュと聞いて、面会の煩わしさも少し消えたようだ。
「へえ――レガージュか。そうか、領事は殿下の祝賀で王都においでだったんだな」
「明日の夕方には帰途に付くそうですので、午前中に予定を入れさせていただきました」
「判った。他は?」
 警戒した問いに、ロットバルトが笑う。
「ありません。明日は午後に軍議があるでしょう、西海との条約再締結の件で」
 ロットバルトがわざわざこの場で時間を取ったのは、この件を話す為でもあった。面会の件よりずっと重要だ。レオアリスの視線も鋭くなった。
「ああ。まだ具体的な話はほとんど出ていないからな。来月末の再締結までに、この先何回か軍議を重ねるんだろう」
「陛下の警護をどこの隊が行うか、それが決まるのはいつ頃になりそうですか?」
「そこは判らないな――ただ、少なくとも西海の使者が来るまでには決める必要があるから、そうすると来月に入ってから――半月後には決まるはずだ」
 西海の使者は条約再締結の儀式が行われる正式な日時と場所、そして西海の警備体制を記した書面を携えて王のもとを訪れる。
 王は前もってこの国の警護の体制を記した書類を整え、使者に託す。
 例えば示された警護の体制などに不審や不服があれば、改めて書面を交わす事になる。
 再締結の儀式を行うに当たって、一番重要なのが両国それぞれの警備体制とも言えるかもしれない。
 互いへの、目に見える「信頼」の表明――。
 ただ決められた五十名を配置すればいいというだけではなく、配置の仕方一つにも非常に複雑な要素が含まれている。
「上将」
 レオアリスには前もって、注意を促しておくべき事がある。ただロットバルトが口を開きかけた時、レオアリスが顔を向けた。
「ロットバルト。今回の件――俺は、陛下の警護に付きたいと、そう思ってる」
 その眼差しに、ロットバルトは口にしかけた言葉を一旦保留した。
「……何か、懸念が?」
 問いかけにレオアリスは、少しの間考えを巡らせた。
「懸念……、いや、単なる希望だ」
「――」
 レオアリスがこうした望みをはっきり口にする事は珍しい。
 そして間違いなく、今回のこれはレオアリスの中で、最も強い希望――意志だ。
 口々に噂される次期近衛師団総将の地位でもなく、昨日のファルシオンの式典警護の役でさえなく。
 ただ王の傍にあって剣を持つ事、それこそがレオアリスの、ここに居る唯一の理由と言っていい。
「この状況で厳しいのは判る。前にも言われたしな」
 王太子であるファルシオンとの距離が近くなった分、周囲との兼ね合いでそれ以上踏み込めない部分が出てきている。
 近衛師団総将の地位に近付いて見える分、周囲はこぞってレオアリスに接近しようとしているが、レオアリスと王家の距離が縮まる事そのものを歓迎している訳では、無い。
「――貴方は今、自ら陛下の警護に手を上げられる状況にはないのは事実ですね」
 ロットバルトが慎重に言葉を選ぶと、レオアリスは残念そうな、もどかしそうな表情を浮かべた。
「ただ、第一大隊を推挙してもらうよう、事前に話を通しておく事は可能です」
 そう言ってから、ロットバルトは内心で自分に呆れた。
 今後の立場を考えれば、今回レオアリスが表立つのは良くない。今回は自分から辞退してでも避けるべきだと、そう口にしようと思っていた事と、つい違う方向になってしまった。
 ただしレオアリスはその言葉だけでもほっとした顔をしたが。
(――仕方ない)
「確実に、とは行きません。私は再締結について貴方が表に出る事は、極力避けるべきだと考えているので」
「避けた方がいいのは、判ってる」
「そうですね」
 ロットバルトがあっさり頷いた為に、レオアリスは一旦言葉を探すように視線を外した。
「――」
「……ただ、陛下の警護という観点のみを考えれば、王の剣士である貴方がお傍に付くのが最善なのは確かです。どちらを優先すべきかですが」
「決まってる。陛下の御身だ」
 今後の立場とか、そんな事は些細な話だと、瞳がそう物語っている。
(それは、そうだろうな)
 本来、レオアリスは自分がどの地位にいようと関係が無い。
 剣士はあるじに剣を捧げるだけ、それを制限する地位など、実際は煩わしいとさえ思えるだろう。
(組織には向かないと、そう言ったのだったか――)
 去年の秋、そうロットバルトに告げたのは父であるヴェルナー侯爵だった。
 ただロットバルト達にすれば、向かないから仕方ない、で済ます訳にもいかない。
 レオアリスの剣の主が王である以上、組織や決まりの中に収まっていかなければいけない事も厳然たる事実だ。
「――判りました。何人か、話をしましょう。ただし、私や副将が問題が少ないと考える範囲でです。それでよろしいですか?」
「充分だ。――いつも面倒な事ばかり頼んで、悪いな」
「面倒な事などありませんよ」
 しかしどちらかと言えばロットバルトは、軍議が何事も無く進めばレオアリス――第一大隊が王の警護に決まるだろうと考えていて、だからこそ逆に辞退も視野に入れていたのだ。
 だがレオアリスには、少なからず焦りがあるらしい。
 それはただ、昨日ファルシオンの警護の役を担った事で周囲が急激な反応を示し、ロットバルトの考えるように辞退の必要性すら生じてきたと、それが原因と言うだけでも無さそうだ。
「――懸念とまでは行かなくても、気に掛かる事があるようですね」
「――」
 レオアリスがすぐに答えを返さないのは、隠そうとしているというよりは自分自身も迷っているからだろう。
「以前の三の戟の一件ですか」
「……それもある。あれで全て終わったのか、はっきり見えてないからな。だからって締結の儀式の場で何かを起こすとは、それこそ考え難いが」
 自分でそう口にしながら、レオアリスは、何がこの漠然とした、喉の奥に引っ掛かるような感覚の理由なのかを考えていた。
 去年の西海の一件。
 そして、昨日のエアリディアルの言葉。
 昨日からどうしても、あの時掛けられた言葉が思い出される。
『陛下の御身を』
(不安……? 何に――)
 王の身辺について、この王都、いや、この国で、王の身辺に不安があるとは考え難い。
 不安に思う要素があるとしたら、今度の条約再締結の儀式なのではないか。
「エアリディアル王女が貴方に何かを仰った、その事で?」
 ロットバルトの言葉にレオアリスは少し驚いた顔を向けたが、すぐに頷いた。エアリディアルについては直接的ではないものの、昨夜レオアリス自身が口にしている。ロットバルトなら結び付けて考えるだろう。
「確かに、俺が一番引っ掛かってるのはそこかもしれない。ただ、王女は具体的に何か仰った訳じゃない。だから全く根拠なんて無いんだ。本来は憶測で軽々しく動くべきじゃないんだろうが……」
 エアリディアルの言葉は一通りの決まり切った挨拶と変わらず、不安など何もないのかもしれない。
 ただ単に、西海との条約再締結があるから過敏になっているだけなのかもしれない。
 ロットバルトはレオアリスの様子を見ながら立ち上がった。
「いえ、それが何よりです。単なる懸念で終わるのが。僅かにでも気に掛かる事があるのなら、踏み込んで確認するのも近衛師団大将としての務めです。放っておく方が問題は大きい」
「そうだな。――結局は単なる懸念だったと判るのが一番だ」
 レオアリスも今度こそ立ち上がり、執務室に戻る為に歩き出した。ロットバルトは傍らを歩きながら、レオアリスに視線を落とした。
(上将がここまで気に掛かるものがあるなら、立場ばかりを言ってもいられない。再締結の警護については問題の無い範囲で根回しをするか。それでも状況によっては、逆に他の大将を推して貰う事になりかねないが――)
 何か一つ、具体的に見える懸念材料があれば確実な根回しもできるだろうが、そこはどうしても天秤にかけざるを得ない。
 どちらに転んでも対応できるように――
 この先はより一層、そうした準備が必要になりそうだった。





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