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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第二章 「陰影」


「さて――」
 アヴァロンはその場に集う顔触れを見回した。
「西海から使者が来る」
 室内に降りていた空気が一層引き締まる。みな口元を厳しく引き締め発言する者は無いが、全員の意識がアヴァロンへと向けられていた。
 壁に定間隔に並ぶ高く細長い窓からは、午後の陽射しが差し込み、緊張感の漂う室内を半分照らしている。
 軍議の間に置かれた楕円の広い卓に座るのは、正面から右に向かって正規軍将軍アスタロト、副将軍タウゼン、参謀ハイマンス。東方将軍ミラー、西方将軍ヴァン・グレッグ、南方将軍ケストナー、北方将軍ランドリー。
 左に向かって近衛師団総将アヴァロン、副総将ハリス、参謀長フリード。それから第一大隊大将レオアリス、第二大隊大将トゥレス、第三大隊大将セルファン。
 今この場で行われているのは、近衛師団総将の名のもとに召集する、正規軍将軍及び近衛師団大将級以上で行われる軍議だった。
 そして、通常はこの軍議の参加者ではない者が一人、遠方から招かれていた。
 西方軍第七大隊大将、ウィンスターだ。
 ウィンスターが出席する今回の軍議の目的は、来月末に行われる、西海との不可侵条約の再締結の調印式についてだった。
 アヴァロンはそれぞれの面に浮かぶ緊張を確認し、改めて口を開いた。
「今回、調印式が行われるのはバルバドスの領域内となる。前回と同じ街になるかは西海の使者を待たねば判らぬが――」
 調印式は五十年ごと、西海とこの国の領土沿岸部で交互に行われるのが決まりだ。
 国内で行われる場合は水都バージェスと決まっているが、西海で行われる場合は一定していない。
 何故なら西海の「都市」は、移動している。
 海の中を。
「いずれにしても、王が西海にお入りになる。互いに護衛となる兵数は五十、それ以外は一里以内に近付く事はできぬ」
 頷いてから口を開いたのは東方将軍ミラーだ。
「アヴァロン閣下。陛下の警護は近衛師団の役割であり、それについての余計な口出しはいたしませんが――、先の年末、西海は不穏な動きをしています。懸念が一つ」
 アヴァロンはミラーに視線を向けた。西方将軍ヴァン・グレッグは腕を組んだまま沈黙している。
 ミラーは一度ヴァン・グレッグを見てから続けた。
「西海は一里以内の約定を守るでしょうか」
 レオアリスは出席者達の顔をすっと見回した。同じように周りの表情を確認していて視線の合った者もいる。
 ミラーの今の発言は非常に際どいものだったが、誰もそれに驚いた様子はない。
(それはそうか)
 全員の抱く懸念を、ミラーが代弁したまでだ。
 ただ、日頃穏健派のミラーの発言だという事に、この件に掛かる重みが現われている。
「――守る事が前提の約定――と、今の時点では言わざるを得ん」
 アヴァロンの言葉の微妙な空白は、アヴァロンもまたミラーと同じ懸念を持っている事を示している。
 ミラーはそれを確認した上で続けた。
「一つ、提案がございます」
 他の将軍達は黙ってミラーの言葉を聞いている。ミラーは終始落ち着いた表情だが、発言の内容は依然として際どいもののままだ。
「今回、儀式の場所を我が国に変える事はできないのでしょうか。昨年末の事件を取り上げても、交渉の余地はありませんか」
 参列者の視線がアヴァロンに移る。
「無理だろうな。交互にと、それは王と海皇が交わした、いわば不可侵条約を締結する為の条件だ。多少の事では崩せん」
「多少とは、閣下、お言葉ですが」
 口を開いたのは南方将軍ケストナーだ。普段は気性の荒いケストナーだが、今回は王の守護者たる近衛師団総将の鋭い瞳を遠慮がちに見た。齢六十を超えているが、アヴァロンに老いたという印象は一切無い。
「――王城にまで侵入し、あまつさえ殿下を攫った行為が、多少でしょうか。あの時、王城警護官の犠牲は十名近くに昇っています」
「判っている。しかし私が多少と言ったのは、条約が覆った場合に起こり得る事態に比した時の事だ。西海は既にあの件の対価を払っている。侵入した三の戟、ビュルゲルは海皇に処断された。それ以上を要求するのは難しいだろう」
 レオアリスは視線を落とした。
(ビュルゲルか)
 三の鉾とは、西海、海皇の守護兵団を言い、また三人の指揮官を指しても言う。ビュルゲルはその指揮官の一人だ。
 あの男を西海へ帰還させると決めたのはレオアリスだった。あのまま抑えて王都へ連れ帰る事も可能だったが、あの場で放免したのには幾つかの理由があった。
 不可侵条約の再締結を翌年に控え、西海との間を下手に荒立てる事を避けたのが一つ。
 もう一つは、ビュルゲルの口から、あの件の真相が語られるのを避ける為だ。失われたはずの王子、イリヤの存在を明るみに出す事は、王の意志では無い。
 だが、ビュルゲルはレオアリス達の目の前で死んだ。
 他ならぬ、海皇の手によってだ。
 たった一人で王都を混乱させた、そのビュルゲルの命を容易く奪い――レオアリスの剣風をあっさりと弾いた。
 あのさほど広くない池に、底知れない力が沈んでいた。
 だが海皇の行為はこの国に対する贖罪の為の処断などではない。
 レオアリスは視線を上げアヴァロンを見た。アヴァロンも承知している。
(――)
 ビュルゲルの行動の結果が、海皇の意に添わなかったからだ・・・・・・・・・・・・・・
(海皇の意図――)
 問題はそこにある。
 ビュルゲルの行動は海皇の興を得る為のものだ。余興、と言ってのけた。
 けれど、海皇の意図そのものは?
 このまま、通例に則って再締結の儀式を行うべきなのか。
 それはアヴァロンも承知の上で、あの件に再び光を照らす事を避けている。王の意思――、イリヤの為に。
「あの時、三の戟を捕らえていれば良かったのではないか。海皇が処断してみせたとは言えそれ以降は我が国への何の謝罪も弁明もなく、それで済んだとされても納得はできん」
 北方のランドリーがそう言ったが、彼を睨んだのはビュルゲルの件を持ち出したケストナーの方だ。
「三の戟をここに引っ立てていたら余計面倒くさい事態になったわ。それを盾に難癖を付けてくるに決まっている。あの時点での判断は妥当だった」
けい等を責めるつもりではない、誤解をするな。西海に対して、毅然たる態度を取るべきなのは今に始まった事ではないと言うだけだ」
「だからこそ今、再締結の儀に当たってはただ仕来たりに倣うのではなく、相応の対処をすべきではないか」
「私もケストナー殿に賛成です」
 ミラーは白熱しかけている場を一度落ち着かせるように、言葉を区切った。
「アヴァロン閣下――いたずらに争乱を招くつもりはありませんが、西海の指定の地がどこであれ、今回は少し違った体制で望むべきではないでしょうか」
 ミラーの発言にケストナーを始めとした何人かが頷く。
「無論、それを西海に悟らせる訳には行きませんが、万が一に対する備えが必要だと思います」
(あのミラー大将が、いつに無く切り込むな――というよりそれだけ慎重だからか)
 レオアリスもその重要性は理解していたが、それでもミラーの言葉は認識を改めて深めさせるものがあった。
 アヴァロンは彼の正面、議場の一番奥の壁に掲げられた、一間四方はある織物の地図を見据えた。
 王都から千九百里、西海バルバドスとの境界。遠く離れたその場所での突発的な出来事に対して、瞬時に対応できる体制が必要なのは言うまでもない。
 どこまで天秤を合わせるか、あたかも合っているように見せるか――かと言って西海側が傾いていると見れば、穏当ではない結果を導くのは目に見えている。
 アヴァロンは視線を転じた。
「ウィンスター。西方第七軍はどう考える」
 アヴァロンに問われ、ウィンスターは椅子の上で姿勢を正した。
「私が第七軍の任に就いてから三年が経ちますが、バルバドス沿岸部では何の問題も発生しておりません。至って平穏――しかしこれをどう捉えれば良いか、一概には」
「王都で騒いでおきながら、沿岸では平穏を装うなど笑わせる。ちょっとつつけばすぐ化けの皮が剥がれるぞ」
 忌々しそうに唇を歪めたケストナーに、今度はランドリーが渋い顔をした。
「相変わらず血の気が多い、先ほどと言っている事が正反対を向いているぞ。我等から刺激してどうするというのだ。全く、けいが西方軍でなくて良かったわ」
「刺激するつもりは無いが、相応の対応をすべきという事だ。卿は消極的過ぎる。北の管轄で身が凍っているのか?」
「そういう卿は南に居すぎて血が沸騰しているようだな。代わるか、私と。北ならばその血も冷えてちょうどいい」
 ミラーが苦笑を洩らす。
「そこまでにしてくださいよ、お二人とも。いちいち話がずれてしまう。そもそも南の北のという話を持ち出しては、公と王の剣士が参戦してきますよ」
(そこでこっちに振るのかよ)
 ミラーはちゃっかりレオアリスに視線を送っていて、レオアリスは苦笑を浮かべた。
「この場でなければ幾らでも、北の良さを並べられますが――、さすがに今は控えさせていただきます」
 アスタロトも何か言うかと思って彼女の方を見て、レオアリスは少し驚いた。
 アスタロトはどこか怒ったように眉を寄せている。
「北とか南とか、そんなコトいちいち、持ち出す必要はないだろ」
 普段より硬い口調に、ミラーは一度咳払いをして、ケストナー達を諫めるように見た。
「ほら、公も呆れておいでのようだ」
 アスタロトの様子を見て、ケストナーもランドリーもさすがに口を噤んだ。黙ってやり取りを眺めていたアヴァロンが組んでいた腕をほどき、苦笑混じりに出席者達を見回す。
「突き詰めた議論をするにはまだ少し時期が早かったかもしれんな。再締結まであとひと月と十日ほど、使者が来るにも半月はある。しかし、時が過ぎるのもまた早い。後手に回る事は避けねばならん」
 再び空気が引き締まる。議論をまとめる為に、アヴァロンは傍らのアスタロトに水を向けた。
「アスタロト公。貴方のお考えは如何か」
 出席者達はアスタロトの返答を待って視線を集め――訝しそうに互いに視線を交わした。
「公?」
「――え?」
 アスタロトは自分の思考に沈んでいたのか、少し驚いた様子で顔を上げた。
(アスタロト?)
 レオアリスはアスタロトを確認するように視線を向けた。先ほどからどことなく、心ここに在らずといった様子をしている。たまに視線が合うのだが、その都度慌てたようにさっと逸らした。
 今もアスタロトはそわそわと瞳を泳がせている。
(――落ち着かないな)
「えっと、すまない。私は……今日どうこう決めるには、今回の件は色々影響が大きいと思う。何度か議論をした方がいいんじゃないか」
 声はいつもの通りで、何となくだが、ケストナーやミラー達が安堵したのが判った。先ほどのやり取りでアスタロトを怒らせたとでも思ったのだろう。さすがにアヴァロンは平然と頷いた。
「確かに公の仰る通り、結論を出すには今少し議論を重ねる必要があるだろう。今日の所は結論を急がず、問題点が見えた事でよしとしよう」
「まあ、アヴァロン閣下が陛下の傍に付かれるし、剣士殿もいる。例え西海の領域内とは言え、陛下の御身をお護りするのに不安はなかろう」
 ケストナーの言葉に、ぜひ、と口に出しかけて、レオアリスは喉元まで上がった言葉を抑えた。
 王の守護に第一大隊を当ててもらいたいと、そう思っている。
 しかしまだ、話はそこまでは行っていない。
 ぽん、と背中を叩かれ隣を見ると、トゥレスが素早く片目を瞑って寄越した。
「ま、決まってるようなもんさ」
「あ、いや、そう言うんじゃないんだ」
 顔に出ていたかと気まずさを覚え、レオアリスは自分をたしなめた。
 気が早い――というか、何か少し、自分でも焦りすぎだ。
 西海のあの動き。そのせいだろうとは思う。
 だからどうしても、急き立てられるような気持ちがするのだが――今から焦ってどうなるものでもない。
 実際、グランスレイやロットバルトからは、この件でレオアリスから主張する事は極力避けるようにと、今日出て来る前に言われていた。
『今回は単純な意見表明の難しい問題です。近衛師団内部でも、簡単には決められません』
「この件は今日はここまでだ。さて、もう一つの重要議題――明後日のファルシオン殿下の祝賀式典と城下の行進についてだが。レオアリス」
 アヴァロンの指名を受けて、レオアリスは立ち上がった。それぞれの卓に前もって置かれていた二枚の紙を示す。
「警備計画はお手元に渡っている通り、近衛師団及び当日に配備いただく正規軍全体の計画を取りまとめています。この案で最終的なご審議をお願いします」
 ファルシオンの生誕日には盛大な祝賀式典が行われ、馬車と騎馬を組んでの王都の中の行進も予定されている。
「今日この場でご指摘頂いた点を、全体の了承を以って最終修正とさせていただきたい。明日の朝、陛下にお示しします」
 式典及び行進の警護は近衛師団が担うが、特に王都の行進に於いては、正規軍も協力して警備につく。
 一通りの説明が済んだ後、正規軍副将軍タウゼンが頷いた。
「先日の意見は反映されている、問題ないのではないか」
「我々は計画に従って配置を行う。殿下の直接警護を担う第一大隊を中心に、近衛師団が進めてもらえればいい」
 参謀長ハイマンスも、アヴァロンの面を見て続けた。それからレオアリスへ顔を向ける。
「殿下のお側に付くのが第一大隊大将、貴殿であれば尚更問題あるまい」
「そうだろう。何しろファルシオン殿下からの信頼も厚い」
 そう受けたのはトゥレスだったが、その場に生まれた微妙な空気に、もう一つ付け加えた。
「今回の配置は、殿下のご意思でもあったし――」
 トゥレスは曖昧に語尾をぼかし、またレオアリスを横目に見て視線だけで詫びた。レオアリスも視線で返す。
 ファルシオンがレオアリスを気に入っている事は、それそのものとしては微笑ましいが、レオアリスの立場としてはいい影響ばかりではない。
 王家は最高権力――、レオアリスが剣士であり、剣の主が王だからと、それだけで受容されるものとは違う。
 言ってしまえば今の状況は、権力へ擦り寄っていると、簡単にそうも評される。
 そこを危惧し、再締結に関しても、グランスレイ達はレオアリスからの言及を避けるようにと言っているのだ。
 アヴァロンは厳めしい面を崩さないまま、列席者達を見回した。
「例え殿下のご意思であっても、殿下の御身を安全にお護りする為に、我々は最適の選択をする」
 その言葉は彼等の間に浮かびかけた危うい思考に警告を投げ、列席者達は表情を改めて頷いた。
「他に議題とすべき案件はあるか」
 しばらく口を閉ざして待ち、特に発言の無い事を確認すると、アヴァロンは会議の終わりを告げた。
 アヴァロンが退席するのを立って見送った後、トゥレスは姿勢を崩しレオアリスを見た。申し訳無さそうな色が面に浮かんでいる。
「ちょっと余計な事言っちまったな、悪い」
「いや、何でもないさ」
「やっぱり再締結が気になるか?」
 トゥレスの問いかけにレオアリスは少し迷ったものの、頷いた。
「……まあ、正直気になる。でも第一うちばかりを主張するつもりじゃないんだ。閣下の仰る通り、状況に一番適した配置をするべきだしな」
 トゥレスがにやりと口元を歪める。
「大人しい回答だな。まあ状況がどうであれ、付くのは第一だろう。お前が王の傍に付かないって事はないさ。なあ、セルファン」
 トゥレスの隣に座っていた第三大隊大将セルファンに首を巡らせたが、セルファンは思いのほか冷ややかな瞳を向けた。
 三人の中では一番年長で三十半ばという事もあり、一番落ち着いて穏健なのがセルファンだ。ただ、今日は少し感じが違った。
「そんな事が何で言える。陛下のお決めになる事だ、お前が勝手な事を言うな」
「ま、そりゃそうだが、」
「トゥレス、我々はすべて同じ立場のはずだ。陛下をお守りする為の近衛師団だぞ」
 セルファンは冷ややかなままの視線をレオアリスへ向けた。
「お前一人が陛下をお守りしている訳じゃない。それを良く心に止めておくべきだ、レオアリス」
「それは判ってる、セルファン――」
 レオアリスの言葉を最後まで聞く前にセルファンは背を向け、議場を出ていった。
「あーあァ、機嫌悪いね。最近ピリピリしてやがるんだよセルファンの野郎」
「そうなのか……?」
 アヴァロン閣下の後継の話が出てからなぁ、とトゥレスは溜息をついた。余り楽しい状況では無い。
 セルファンは大将位に就いて一番長い。だから今、近衛師団総将の後継が誰になるか、という周囲の噂話に心穏やかではないようだ、と言ってトゥレスは続けた。
「セルファンもなぁー、意外っつーか、まあ当たり前っちゃ当たり前の反応だが。明後日の殿下の祝賀行進も、直接警護は第一だからな」
 セルファンにはそれも面白くない、とトゥレスがぼやく。
「しかし結局閣下と王がお決めになるんだ、俺達がああだこうだ言ったって始まらんよ」
「……あんたは気にならないのか、トゥレス」
「気にならないかって言ってもね。何にしろアヴァロン閣下の後を努めるのは並大抵じゃないんだぜ。大体お前こそどうなんだ? 実際」
「俺? ……俺は――」
 レオアリスは一度窓の外に視線を転じた。
 正直に言えば、この状況には戸惑いがある。否定をする訳ではないが――
「俺は、王の近くにあって、王の為に剣を持てればそれでいい。どんな立場でも」
 例えば、近衛師団という立場ではなくても。
 それは口には出さなかったが、トゥレスはそれ以上追及はしなかった。
「まあ、お前は剣士だからな。もしかしたら……」
 トゥレスもまたそれ以上言わず、黙ってレオアリスの横顔を眺めた。
 剣士にとっての「剣の主」と近衛師団にとってのいわば「主」は、同じものではないだろう。
 レオアリスの剣の主が王で、今の立場と重なっただけだ。
 この先も、レオアリスにとっては面倒な事ばかりが続く。
 けれど、彼等はそういう・・・・立場なのだから仕方がない。
「さて、先に出るわ。お前は残るだろ、少し」
「え?」
 トゥレスはレオアリスの肩越しに窓際の人物を示した。
「ウィンスター殿が用がありそうだぜ」
 西方第七大隊のウィンスターは、トゥレスに目礼し、レオアリスに片手を上げた。
「ウィンスター大将」
 ウィンスターは楕円形の卓を回り込み、レオアリスへ歩み寄ってくる。トゥレスはレオアリスの肩を叩き、ウィンスターに目礼を返して扉へ向かった。
 ウィンスターはレオアリスの少し前で立ち止まり、軍服を纏うレオアリスの姿を眺め、懐かしさと感慨の入り混じった瞳を細めた。灰色がかった黒髪に冷静さを備えた細い面、歳は四十を越えている偉丈夫だ。
「久しいな。カトゥシュから三年、今や近衛師団大将――それも王の剣士とは、何とも目覚ましい成長振りだ」
「ウィンスター大将、本当にお久し振りです。お元気そうで何よりです」
 会議の前には挨拶をする時間が無かったから、お互い改めて握手を交わした。
 ウィンスターはかつて、西のカトゥシュ森林に黒竜が現われた際、西方軍第六大隊の指揮をった。
 その時の功績を買われ、最も重要な辺境部を担う第七大隊の大将に任ぜられている。
「西方はいかがですか」
「まあ住みやすい」
 一言言って、口元に苦笑に似た笑みを浮かべる。
「しかし私の代に再締結の儀式が巡って来るとは、どうにも因果な星回りだが」
 西方軍第六大隊を率いていた時は黒竜、そして第七大隊では条約再締結と、次々重い役が廻ってくる事をウィンスターは冗談めかして口にした。
「まあそのいずれも君がいるのは、また巡り合わせかな」
「全くです。こうして向かい合うとウィンスター大将もお変わりなく、お蔭で色々思い出しますよ」
 レオアリスとしては、黒竜の一件は、このウィンスターに巻き込まれたと言ってもいいくらいだ。
「今では懐かしい気すらしますが」
「ははは、王都に来て更に口が減らなくなったな。それも成長か。――いや、しかし実際また君がいるのは有難い」
 ウィンスターは声を低く、しみじみと言った。感じているのはあの同じ死地を潜り抜けた者同士、一言では言い表しがたい安心感というものかもしれない。
「今度は一方的に無理難題を押し付ける訳でもないからな」
「あはは。まあ、あの時も結局、自分でやりたい事をやったんです。却ってご迷惑をお掛けしましたし。――今回はいつまでこちらに? 次のこの会議も出席を?」
「十日ばかりか。あまり西方を空ける訳にはいかんが、二点重要な用件があるのだ」
「重要な用件ですか」
 頷いてウィンスターはレオアリスを招き、議場を出て王城の廊下をゆっくり歩き出した。
「当然、明後日のファルシオン殿下の祝賀に参列する事が最大の目的だが」
 そう言った後、僅かに声を落とす。
「それと、ワッツを第七うちに貰いたくてな。第一のゴードンと膝詰め談判をしに来た」
「ワッツ中将を……」
 ウィンスターはレオアリスの心情を素早く見抜いて笑った。レオアリスと西方第一大隊中将のワッツ、そしてウィンスターはいわば黒竜のもたらしたえにしと言ったところだ。
 ワッツは見た目はいかついが気のいい男で、統率力もあり部下や周囲の信頼も厚い。
 レオアリスも初めて会った時から何かと世話になっている。
「そう残念そうな顔をしてくれるな。ワッツが信頼に足る男だという証だが、それだけに今は第七軍に欲しい」
「いえ、俺がどうこう言える事ではありませんし。……けど、やっぱり寂しいですね。うちのクライフも残念がります。飲み仲間なんで」
「二、三年我慢してもらおう。まあ、ゴードンが是と言えばだがな」
 言わせるつもりたっぷりでウィンスターはにやりと笑った。
 話をしながら廊下を歩き、王城一階の大玄関に着いたところで、レオアリスは足を止めた。
 ウィンスターの顔を見た時から、聞きたかった事があるのだ。
「ところで、ウィンスター大将はレガージュへはおいでになった事はおありですか?」
「レガージュか、何度か足を運んでいる。あそこは要所だからな。――ザインか?」
 レガージュといえば剣士ザイン、とすぐ思い当たるようだ。レオアリスも笑って頷いた。
「そうです。手紙を貰って。――父の、友人だと」
「ああ――」
 ウィンスターは遠くを眺めるように瞳を細めた。
「君の父君は、あのジンだったんだな」
「手紙をくれたのは彼の子のユージュからですが、どんな人かと……。もしご存知なら」
「誠実な男だ」 ひと呼吸置いて、ウィンスターは付け加えた。「――バインドとは違う」
 レオアリスは目礼した後、ウィンスターと真っ直ぐ向かい合った。
「――楽しみです、会えるのが。レガージュに招待してくれたので」
「ほう、それは良かった。ザインと会うのは君にとって今後の良い参考になるだろう。西に来たらボードヴィルに寄って、ワッツに会ってやってくれ」
 ウィンスターは気の早い事を言って、片手を上げた。





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