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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第一章「春待つ雪」 (三)


 重く水気を増した雪の塊が、枝から崩れてどさりと地上に落ちる。その音に驚いて、薄茶色の羽根をした小鳥が数羽、枝から飛び立った。
 重みから解き放たれた枝は、青い空に向かってぴんと延び、滴を光らせている。
 村はずれの森の中でも、静かに春がやってきているようだ。
 その枝から視線を外し、カイルは隣に立つレオアリスの横顔をじっと見つめた。
 カイルの正面に立ったレオアリスは、眼を閉じ、何かを思い起こそうとするかのように、微かに眉を寄せている。
「――」
 レオアリスの足元には茶色い土が覗き、円形に雪のどけられた土の中央には掘り返された跡が見える。良く見れば土の上には小さな法陣が敷かれていた。
 昼過ぎから始めてもうそろそろ黄昏も近い時刻なのだが、足元の土は何度となくレオアリスの呼び掛けを無視し、ずっと沈黙を続けていた。
 レオアリスは息を吸い込むと、本日数十回目になる詠唱を始めた。
 今、レオアリスは土に植えた種子を発芽させようとしているのだ。この村の最も得意とする土の技。風や炎などのように派手さや破壊力を持つ術式は少なく、生活に根ざす堅実な術式が多い。
 尤も高位の術になれば大地を揺るがす力を持つものもあるが、カイル達はそこまでのものを使えないし、必要もないと考えている。
 レオアリスの詠唱を聞きながら、カイルは次第に眉根に刻んだ皺を深くしていった。
 韻を踏み、言葉を重ね、大地の力を用いる為の要素を幾つも折り込んで――いるが、未だ発動する気配は微塵もない。
 カイルは深々と溜息をつき、ポカリとレオアリスの頭をはたいた。
「何だよっ」
「雑念だらけだから働かんのじゃ! 何を考えとる!」
 頭を抑えて抗議の眼を向けたレオアリスに、カイルは容赦無く再び頭をはたいた。
「ってえ〜」
「土の術式は複雑で集中力が必要じゃ。他の事に気を取られておっては、発動などせん」
(別に、あんまり使いたくないし……)
 心の中で呟いたはずが、またポカリとはたかれた。
「……そんなにポカポカ叩かなくたって」
「何を考えておった」
「何って、――別に、特には」
 レオアリスの漆黒の瞳が宙に泳ぐ。
 術には集中しているつもりだ。でもふと気が付くと、王都までの距離と日数を計っている。
 竜の探し方を。
 宝玉の手に入れ方。相当慎重にやらなければいけない。
 想像でしかない、御前試合の様子――。
 日が経つにつれ、その度合いは増した。
 王都。
 ――王。
 金色の
「レオアリス」
「あ……」
 カイルは呆れた顔で、きょろきょろと辺りを見回したレオアリスの顔を眺めた。
 ここ二、三日、レオアリスはずっとこの調子だ。時折じっと視線を注ぎ、それはここではなく、どこか別の場所に向いていた。
 その様子はカイルの心に、言いようの無い不安を生んでいた。普段は新しい術ともなると嬉々として、乾いた土が水を吸収するように覚える術式にも、気もそぞろになっている。意識を目の前に向けさせるために、カイルは殊更強い口調で理を説いた。
「……いかなる場合も、術を用いる時は気を抜いてはいかんと言っておるじゃろう。法術はたった一つの術式で全てではない。僅か一言の組み違いが術の発現を妨げる事もあれば、思いも寄らぬ反応を引き起こす事もある。だから自分で全て意識して、慎重に術を組んでいかねばならんのじゃ」
「でも、ちょっとした失敗が新しい術になったりするだろ。何事も挑戦って」
「お前のは失敗どころか、発現もしとらんじゃろう」
「……」
 レオアリスを諌めておいて、カイルは改めて孫の顔を眺めた。口には出さないが、レオアリスは、言ってしまえば術士に向く体質ではない。覚えはいい方だし、一度発動されられればかなり大きな効果を得られる。
 ただ、若さ故に集中力もちょっと、足りないが、それよりも体内で術を練り巡らせる、その流れが極端に対象を限定していた。
 風や雷などの大気系は素直に巡るが、土や火、水などの系統は体質に合わないようだった。
 法術士の内にも、得意なその一つの分野を徹底的に磨き上げる者もいるが、通常は土、火、水、大気の四系統全てを使いこなせなければ、法術士として生活の糧にするには難しい。
 レオアリスはその場にしゃがみこむと、胡坐をかいた足首を両手で掴みしかめつらしく肩を竦めた。
「俺はさぁ、土は向かないと思うんだよな。じいちゃん達もそう思ってるだろ?」
「だが土の術式はそれ自体が一番生活の糧となり得る。術を他者に売るのではない、土の恵を生かす大切な術じゃ」
 暫く黙って土をいじっていたレオアリスは、立ったままの祖父を遠慮がちな上目遣いで眺め、言いにくそうに口を開いた。
「でも、俺はそういうんじゃなくて――もっと強い術を身に付けたい」
 カイルの眼がじろりと落とされる。
 『御前試合があるのは知ってるだろう? 出るだけで軍だろうとどこだろうと、すぐ雇ってもらえる』
 ハモンドの言葉は、もう飽きるくらいレオアリスの中で繰り返されてきた。
「もっと強い術があれば、仕事の依頼も増えるだろ? こないだみたいのが月に数件入るだけでずっと楽に暮らせるようになるぜ」
「お前が欲しがる強い術など、生活には大して役に立たんものばかりじゃ。やれ雷撃だ風切りだのと使わんものばかり覚えて何になる」
「使うよ!」
「使わんじゃろ。この村で必要なのは、今お前が失敗し続けている土の術の」
「御前試合に出たいんだ」
 ぽんと口から出たような、だが、強い響きだった。
 カイルは孫が何を言ったのか測りかねて、瞳を見開きレオアリスの顔を眺めた。レオアリス自身は逆に、自分の言った言葉に驚いたように息を詰めている。
 実際に今の今まで、そんな事を言うつもりはレオアリスにも無かった。
 それでも、その言葉はすとんとレオアリスの中に落ち着いてしまった。
 幾度も考えかけては、打ち消し続けていた望み。中途半端にもやもやと心の奥に漂っていたものは、言葉に出すことで俄かに現実味を帯びた。
(そうだ)
 レオアリスの瞳が強く輝くのを、カイルは呼吸を忘れたように見つめている。自身の発見に興奮していたレオアリスは、祖父の様子に気付いていない。
 御前試合に出れば、王都で認められて仕事が手に入る。そうすればこの村で寒い冬を越すのも、ずっと楽になるだろう。
 それよりも、この村に居続ける必要などない。王都や、王都の近くに移り住めばいい。
 もし、万が一、勝ち進めば――王に仕えられる可能性だってあるのだ。
 そう思った瞬間に、心臓は急激に鼓動を早め、全身に血を送り始めた。
 夢物語だ。さすがにそこまでは、現実は甘くないだろう。
 自分でもそう判っていても、――可能性は皆無ではない。
 御前試合に出られさえすれば。
 カイルはレオアリスの面に浮かんだ表情に、ぎくりと身を震わせた。
 何故、こんな顔をしているのだろう。
 確かに彼は早くから大人びて、年齢に不相応にしっかりした所がある。だがそれは生まれてからずっと、カイル達老人ばかりに囲まれて育ってきたせいでもあるだろう。
 自分なりに生活を良くしよう、カイル達を少しでも援けようと、真剣に考えて来た事は、カイルには痛いほど判っている。そうしたレオアリスの思いに胸の痛みを感じる半面、それはカイル達の誇りと喜びでもあった。
 しかし、これほどに、真っすぐに何かを期した瞳をしていただろうか。
 ずっと彼は子供だと思っていた。自分達にまとわりついて、背伸びをするように術を学びたがり止めるのも聞かずに黒森に入っては、カイル達を心配させた。
 それでも、いつまでもそうして、カイル達の元にいるのだと。
「――俺、ずっと考えてたんだ。御前試合に出てみたら、どうかって……」
 改めて、意志を確認するように紡がれる言葉に、カイルは黙ったままレオアリスの顔を見つめ返した。
「王都で、来月開かれるんだって」
 眩暈さえ覚えて、カイルは必死に自分の身体を支える。レオアリスはそれに気付かず、瞳を輝かせている。
「もう正確にはひと月と二十日あるかないかだけど。まずは西のカトゥシュに行ってさ、そこで資格を手に入れて、それから王都へ行って試合に出る。術士の部門てあるのかな。剣と一緒じゃやりにくいけどまぁまずは資格を手に入れるのが第一だよな。でもさぁ、もし一勝でもしたらすごいよな? 絶対、仕事なんてバンバン入って……」
「ならん!」
 ピシャリと叩きつけるような声音にレオアリスははっと口を閉ざした。カイルの眼にはこれまで見たことも無いような厳しい色が浮かんでいたが、何故祖父が怒ったのかが判らない。
 いや、確かに調子に乗りすぎていたかもしれないが。
「王都など、お前のようなひよっこが行くところではないわ。遊び半分も大概にせえ!」
 理由も判らないままの祖父のきつい言葉に、レオアリスは口を引き結んだ。
「――遊び半分なんかじゃない。俺は結構本気で」
「土の技も満足に操れん奴が、王都で通用するわけが無かろう」
「でも、風とかなら俺だって……こないだの仕事はじいちゃんも見たろ?! あのくらいできりゃ」
「自分の実力も測れぬ奴がうぬぼれるでないわ! お前のような奴が己への慢心で命を落とすのじゃ!」
 しんと森まで静まり返る。
 カイルの言葉は容赦が無かった。これほどに強い口調で自分を叱った事など今までに無い。
 返す言葉も無く黙り込み視線を落としたレオアリスを見つめ、カイルは静かに息を吐いた。すっかり気落ちしたレオアリスの姿に、言い過ぎたという後悔の念が頭を掠める。
「……お前にはまだ早い。もっとこの村で学ぶことがあるじゃろう。まずは目の前のことから、一つ一つ身に付けていくことが大事なんじゃ」
 ゆっくりと噛んで含めるように告げるカイルの前で、レオアリスはじっと自分の前のむき出しの土に視線を注いでいる。
「――土を学んで身につければ、王都へ行ってもいいのか?」
 その響きはカイルの心を強く揺さぶったが、カイルは息を吐き出すように静かに告げた。
「……王都へなど行く必要は無い。お前の生きる場所はここにあるじゃろう」
 レオアリスは身を固めたまま黙り込み、暫くして漸く立ち上がると、視線を土に落としたまま再び術を唱え始めた。



 はぁ、と重い息を吐き、レオアリスは落としていた視線を上げた。
 結局昨日は夜まで練習を続けても、一度も術は発動しなかった。
(相っ当土の才能ないんだなぁ俺……)
 自分に辟易して、気を抜くと溜息が零れる。
 確かに祖父の言うとおり、自分は自惚れているのかもしれないと、レオアリスは木の幹に寄りかかって空を仰いだ。
(こんなんじゃ御前試合なんて、無理なんだ)
 今日の空は白っぽくゆっくりと薄い雲を南から運んでくる。視線を下にそらせると、斜面の向こうに白い雪に覆われた世界が開ける。
 低い山の中腹に開けたこの場所からでも、眼下の村と、その周囲に広がる森、そしてそれを縫うように南へ延びる街道の帯が一望できた。山の背後には、黒森が延々と広がっている。
 ハモンドが訪れてから既に七日が過ぎた。王都で御前試合が行われるまで、あとひと月と、二十日ばかり。
 馬であってももう間に合わない。だが、飛竜を借りる事ができればまだ少しは時間があった。
 焦燥が胃の辺りを焦がしている。
 そう何度も飛竜を借りられるほど金はない。それだって、どこかで一度稼がないと手持ちだけでは借りられないかもしれない。
 レオアリスはその考えを振り払うように首を何度も振った。
 行きは厩舎で馬を借りて、いや、せめて乗り合い馬車で西に行って……
「――くそっ、行かないんだ!」
 足が斜面の雪を蹴り付ける。まだ硬い凍った大地の感触が帰った。
 焦燥はずっと消えてくれず、夜も何度か目が覚めた。隣室で寝ている祖父に気付かれないように寝返りを打ちながら、冴えた頭で考えるのは、王都への距離ばかりだ。
 祖父の言った言葉は、レオアリスの上に重く響いている。御前試合に出るどころか、その資格を手に入れることすら難しいだろう。
 レオアリスはもう一度、肺から空気を全て吐き出すように溜息をついた。
「王都なら、いつでも行ける。――行きたきゃ物見遊山だっていいしな」
 その方が気楽でいいかもしれない。
 首を振ってみて、それでも晴れない気持ちを引き締める為に両手で頬を叩いた。
「レオアリス」
 不意に声を掛けられて、レオアリスは慌てて振り返った。見れば山道を登ってきたセトが、のんびりとした様子でレオアリスに手を振っている。手に籠を持っているから、山菜か薬草でも採りに行くのだろう。
 レオアリスは寄りかかっていた木から身を起すと、セトに歩み寄った。
「手伝うよ。何採んの?」
「ムジカが風邪をひいとるからのう、煎じ薬を作ってやろうと思ってな」
「ああ、ニレ草だろ。じゃあ俺が行くよ。あれが生えてる辺りは急斜面だからな」
「わしは翼があるから落ちやせん」
 そう言いながらもセトはレオアリスに籠を手渡すと、並んで斜面を上がり始めた。ニレという薬草が生えているのはもう少し山頂の方だ。
 雪の積もった斜面は滑りやすいが、慣れているし靴も裏に滑り止めを貼り付けたものを使っていて、二人の足どりはまるで雪の無い草地を行くように軽い。
 斜面を登っている間、セトは他愛も無い話でレオアリスを笑わせた。そそっかしいメイが鍋を囲炉裏にひっくり返して吹き上がった灰で部屋を真っ黒にした話や、ムジカが風邪をひいたのは好物のサラの根を取ろうとしてずっと屋外にいたからだとか。
(サラは俺の好物じゃん)
 サラは冬季に雪の下に根を張る植物だ。根を茹でてすり潰して小麦粉と交ぜると固まりになる。火で焙れば簡単にもっちりと柔らかい食感の主食になった。保存食にも適している。サラの根が肥える時期になると、良くムジカが作ってくれた。
 セトの話を聞きながら、レオアリスは改めて、ここが自分の居場所なのだと想い直した。
 ここに居れば、祖父達とずっと一緒に居られる。それを考えると身体の中に暖かい火が灯るような、ほっとした気持ちになる。
 斜面に張り付くようにして数本のニレを引き抜くと、籠に入れながらレオアリスはセトを振り返った。
「ムジカじいちゃんとこには俺が持ってくよ」
「そりゃ喜ぶが、煎じなくては効果は無いぞ」
「煎じるの位できるって。術だけじゃないぜ、身に付けてんのは」
 また他愛のない話をしながら、再びセトと一緒に山を降りた。帰り道にムジカの家を訪ねると、ムジカは横になっていた床から起き出して、嬉しそうにレオアリスの肩を抱き締めた。
「あんまり無理するなよなぁ、年なんだから」
「なんの。今年もサラの根が沢山取れたで、また山ほど作ってやるからのう」
「うん」
 嬉しくて素直に頷いたが、それもやはり、祖父達はあまり食べないものだ。
「――ホントに、無理すんなよな。結構すり潰すのだって大変だろ」
「もちろんお前も手伝うんじゃ。すり潰し係りが必要じゃからの」
「……やっぱり?」
 ニレ草を囲炉裏の火で炒り、パラパラになるまで水気を抜き、それから他の数種類の薬草と併せて沸騰させない程度の湯で四半刻ほど煮出すと、風邪に良く効く薬が出来上がる。作り方はメイから習った。ムジカもそれを思い出したのか、床の上に起き上がったまま掠れ声で笑った。
「そういや、メイばあさんが囲炉裏に鍋をひっくり返したってなぁ。黒い煙と一緒に戸口から真っ黒のメイばあさんが飛び出してきたって、ケイトが大笑いしとったわ」
「ああ、今日は他に泊まるみたいだけど、明日にでも掃除に行ってやらなきゃ。灰煙になっておまけに水を含んでるだろ、あれって中々落ちないもんな」
 ひとしきり、ムジカと話し込んで、それからレオアリスはすっかり暗くなった戸外に出た。戸口で見送るムジカに、見送りと言ってもすぐそこなのにと呆れながら、笑って手を振る。
 ぐるりと頭を巡らせれば、隅から隅まで見渡せてしまうような小さい村だ。
 レオアリスはぶらぶらと、家に向かって歩き出した。
 本当は言う程この村に不満がある訳でもない。どれ程暮らしは厳しくても、十四年間暮らしてきた村だ。レオアリスにとっても愛着は深い。
 それに、彼等を援けて行けるのは自分一人だと、それは王都へ行くよりもずっと重要な事だと、何度も頭の中で繰り返した。
 右足を踏み出す度に浮かぶ思いを、もう一方の左足を踏み出す事で打ち消そうとするように、想いはくるくるとレオアリスの中で巡っていた。





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