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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第十一章「つるぎ」 (四)


 黒竜の牙がレオアリスの身体を咥えたまま、高く振り上げる。
 吹き出した血が雨の如く降り注ぎ、見上げるワッツ達の上にばたばたと落ちた。
 ワッツは顔に落ちた血を拭わないまま、頬の上を流れるのを感じていた。それはぬるりと温かい。
(おい……、何やってんだ、俺は)
 ウィンスターの言葉を否定しながらも、ワッツは知らぬ間に、期待していた。
 レオアリスが剣士なら、またその身に危険が迫ったとしても、宿営地に黒竜が現われた時のように、何か――起こるのではないか。
 レオアリスが黒竜の注意を引き付けるのを、その期待のもとに、本気では止めようとしていなかったのではないか。
(何やって――)
 何故、彼をもっと早くに、この地から離さなかったのか。思い起こす全ての場面に、その機会は充分にあったのではないかと思えた。あの森の宿営地で。黒竜が現れた時に。レオアリスが意識を失い、天幕に横たわっている間に。
 たった今までは、封術の成功を彼のお陰だと単純に喜んでいた、それにすら歯噛みする程の後悔と憤りを覚える。
 黒竜の頭は高くもたげられ、最早ワッツ達には届かない位置にある。レオアリスに意識があるのかも判らない。手や足は人形のように投げ出され、力は失われている。
 ぽたり、ともう一筋、ワッツの頬に血が滴った。
 どうする手立ても思いつかず、それでもワッツが剣を握る腕に力を込めた時、背後で白い光が湧き起こった。
「なん……」
 振り向いたワッツは、それが法陣の光だと気付いた。十人目の術士の足元で封術が最後の一点を結び、完成している。術士達でさえ戸惑って立ち昇る光を見つめ、或いはその顔を十人目の術士、――ボルドーに向けていた。
 ボルドーは真っすぐに顔を上げ、黒竜を睨んでいる。このまま黒竜を封じるつもりなのだ。
「――ふざけんな! 何……何考えてやがる!」
 ワッツはボルドーに掴み掛かり、胸ぐらを掴んで引き倒した。ボルドーは簡単に地面に倒れたが、法術は止まらない。次第に光を増し、一本の柱となり黒竜の姿を包んでいく。
 ワッツは倒れたボルドーの上に馬乗りになり、襟首を掴んで乱暴に引き起こした。
「術を止めろ! まだあのガキがいるんだ! 判ってんだろうが!」
「――止まらない」
「何だとォッ?! ふざけてんじゃ」
 頭上が輝きを増した。振り仰いだ先、頭上の丸い空に光の輪が浮かんでいた。それは静かに、立ち上がる柱を目指し降りてくる。
 ボルドーは襟首を掴むワッツの手首を抑え、白い光にくっきりと影を落とした顔で彼の眼を睨み返した。
「既に地上の術も発動した。ここで法陣を切っても術は止まらない。第一、止める事によって引き起こされる危険を考えろ」
「貴様」
「ではお前は、自分があの立場だったら止めろと言うのか」
 ボルドーの言葉に、ワッツは吐き出しそうなほど顔を歪めた。
「犠牲は付き物だ。国を守る為に何が最優先か、軍人であるお前に判らないとは言わせない」
 ボルドーの指摘は的を突いている。ワッツ自身がああして死にかけていたとしても、おそらく法術を止めろとは言わないだろう。ワッツは喉を突いて込み上げるものを、一度ゆっくり噛み砕くように飲み込んだ。
「――確かに、俺は軍人だ。軍ってのは、国を守る為にある」
 ワッツはボルドーから手を放し中腰になると――力一杯殴り付けた。
「だからって、ガキを犠牲にする軍になるつもりはねぇ!」
 ボルドーは避ける事も、ワッツに非難の眼を向ける事もしなかった。
 ぎり、と奥歯を噛んでワッツは立ち上がった。振り返ったそこにクーガーと、クーガーに支えられながら立つウェインがいる。既に彼等の背後で、上空から降りてきた光の輪が、地底で光る柱に巻き付いて閉ざそうとしていた。
 更にもう一本。天に光る輪が生まれると、柱に向かって降下を始める。
 地底と地上からの、二点による強力な封術は、黒竜の姿も、レオアリスの姿も、もはや完全に覆い隠している。
「……どうにかしてこじ開けるぜ」
 ワッツの無理難題に異論も唱えず、二人は頷き、柱を睨み付けた。


「――アナスタシア様! アナスタシア様!」
 祈りに似た切迫した声で、アーシアはアナスタシアを呼んだ。必死になって壁を掘る。早くアナスタシアをここから出して、その炎で黒竜を弊し、レオアリスを救けてもらわなくては。
 唯一、アナスタシアにだけ、それが出来る。
「アナスタシア様! レオアリスさんが、死んじゃう――!」
 天空から降りてくる金色の光の輪がアーシアの青い鱗を照らした。封術はレオアリスごと、黒竜を封じ込めようとしている。
「――っ」
 アーシアは身を翻し、レオアリスを取り戻そうと黒竜へ飛び掛かった。青い翼が、光の柱に易々と弾かれる。黒竜の姿もその柱に覆い尽くされ、アーシアの瞳にはもう光る柱しか見えなかった。
 封術が、完成する。
「待って」
 叫んだアーシアのすぐ後ろで、壁に灯っていた炎が大きく揺れた。
 どろりと岩が溶ける。まるで火口から流れ出した溶岩の如く、触れた岩を焼きながら壁を伝った。
「――」
 見る間に溶け出した岩は壁にいびつな口を開き、ぶつぶつと沸騰しながら煙を上げた。
 その赤く溶ける口から、すっと腕が伸びた。溶けた岩に、手が掛かる。
「ア……」
 アーシアは彼女の名を呼ぼうとして、言葉を失った。
 その白く華奢な指は、火箸を掴んだように赤く爛れ、あちこちに血が滲んでいる。
 指先にぐっと力が籠もり、アナスタシアの身体が壁に開いた穴から押し出されるように現れた。アーシアが大切に梳いてきた黒く長い艶髪もあちこちが焦げ、腕や頬も火傷を負っている。
 アナスタシアはあの場所から出る為に、炎で岩を焼き溶かし、道を造った。そのあまりに強く凝縮された炎が、彼女自身をも傷つけたのだ。
 そうして全身に傷を負いながら、アナスタシアはアーシアを認めると、ふわりと笑った。
「泣くなよ、アーシア。……私が救けてやる」
 ふらつき、倒れかけたアナスタシアの身体をアーシアは急いで背中に掬い上げた。アナスタシアは愛おしそうにアーシアの青い鱗の首を抱き締め、疲れ果てた者がするように、長い息を吐く。
 ほつれた髪の零れた頬を上げ、封術による光の壁を透かし見るように見つめた。
「……あいつまだ、生きてるな」
 アーシアの背に手を付き、立ち上がろうと肩に力を籠めた。
「待ってろ……私が、」
 がくんと肘から力が抜け、アナスタシアはアーシアの背にくずおれた。自らの炎にあてられ、アナスタシア自身も限界に近い。
「アナスタシア様……っ」
「へいき」
 アナスタシアはもう一度、アーシアの背にぐいと手を付いた。
(助けるんだ、私が)
 彼は、出会ったばかりのアナスタシアの為に、ここまで来てくれた。
 もう一度王都で会おうと、そう言ったのだ。
(助けるんだ――絶対に)
 アナスタシアはアーシアの背の上で、ゆっくりと立ち上がった。
 既に二つ目の光の輪も柱に到達すると、それぞれ底と上辺の二箇所に巻き付き、煌々と縦穴の中を真昼のように照らしている。
「!」
 唇を噛み締め、アナスタシアは自らを叱咤して立ち上がった。手のひらに炎を作り出す。それは火傷を追った手を追い打ち焦がした。
 だが、レオアリスを救け出そうとすれば、アナスタシアにはあの柱を焼き払う以外に方法がない。
 焼き払う自信はある。
 ただ、もし柱の中にいるレオアリスごと、焼き払ってしまったら――
(しっかりしろ、迷ってる場合じゃないんだ!)
 憤りと焦り、不安にかられながらも踏み出そうとしたアナスタシアの瞳が、アーシアの背に残された袋に吸い寄せられる。
「何……?」
 確かレオアリスが持っていた袋だ。それは強い封術の光に薄められ微かに揺らぎながら、内側から透けるように光を発していた。
 手を伸ばし、アナスタシアはその袋を開いた。
「これ――」
 光っているのは鎖の切れた石の飾りだった。青い小さな石だ。それが自ら光を放っていた。
 取り出したその石の奥に、何かの影が見える。
 交差された、二本の剣――
 良く覗き込もうとした時、柱が震えた。





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