第十一章「剣」 (六)
アナスタシアやワッツ達に見えたのは、砕け散る光の柱、閉ざされていた幕が落ちていくように姿を現わした黒竜と、その正面に立つレオアリスの姿だった。
「あれは」
青白い光を纏う二振りの剣が、その手に握られている。
「剣士……」
誰かが茫然と呟く。
レオアリスの左手から落ちた剣が、地面に突き立って輝きを弱め――するりと溶けて、消えた。
右手の剣も、一度鼓動のように脈打つと、手の中から掻き消える。
息を飲んで見つめるアナスタシア達の前で、レオアリスの身体がぐらりと傾いだ。
「……レオアリス!」
アナスタシアが叫び、レオアリスが地面に膝を付いたと同時に、黒竜が倒れかけていた身をもたげ、吼えた。
「退れ! まだ生きてる!」
咆哮に掻き消されながら、ワッツが叫ぶ。
黒竜は残された力を全て叩きつけるように、開いた喉の奥に光を集めた。
驚愕に飲まれて見つめいていたワッツは慌てて手元の武器を探り、それが全て砕けていた事に気付く。
「くそ、」
ワッツが駆け寄ろうとし、誰かが術を唱える。
それを追い越し、紅い光が走ったかと思うと、黒竜の身体は轟音と共に炎に包まれた。
燃え盛る炎の中で、ずる、と身体が二つにずれる。
黒竜は尚も低く大気を震わせる咆哮を発し――、崩れ落ちた。
炎を纏いつかせた黒竜の巨体が、音を立てて倒れる。
束の間、呼吸を奪うほどの静寂が支配し、ただ炎の燃え盛る音だけが辺りに満ちていた。
誰もが息を殺し立ち竦む中で、一番最初に駆け寄ったのはアナスタシアだ。
長い髪をふわりと残し、レオアリスの側にしゃがみ込む。
「レオアリス! しっかりしろ!」
レオアリスは倒れたまま、ぴくりとも動かない。アナスタシアは蒼白な顔でレオアリスを抱え起こし、それから押し黙った。
「アナスタシア様……?!」
少年の姿に戻ったアーシアが駆け寄り、ワッツも音を立てて走ってくる。
「どうした?! まさか」
アナスタシアは二人を見上げ、泣き笑いのように顔を歪めた。
「……寝てる」
レオアリスの肩を掴もうとしていたワッツがぴたりと腕を止める。じっと瞳を閉じた顔を覗き込み、それから力が抜けたように腰を落とした。
レオアリスはかなり気持ちよさそうな様子で、健やかな寝息まで立てている。
「――暢気なガキだ……」
ワッツは溜息を吐き出し呟きながら、もう一度その顔を覗き込み、それから彼が走り抜けた行程や、使い果たしただろう力に思いを巡らせた。
「当然か」
ワッツは片手を挙げ、埃に塗れている首筋を擦った。
「俺も寝てぇな。それより酒か」
首を回したワッツの眼に、ボルドーが慎重に近付いてくるのが見えた。ボルドーが傍に立つのを胡坐をかいて待ちながら、首をごきりと鳴らす。
ワッツの隣に立ち、ボルドーは視線を落とした。その瞳の中には、何かを懼れる色がある。
「――彼は、どうなった」
ワッツはもう一度首を鳴らした。黒竜の牙により受けたはずの身体の傷が消えていたが、それは言わなかった。ボルドーも判っているだろう。
「見ての通り、ぶっ倒れて寝てます」
「あの剣は」
「見ての通り、消えてますぜ。黒竜は公が焼き払ってくださった、これで一件落着、正規軍の任務も終了です」
アナスタシアの炎が黒竜を焼き尽くし、斃した。
果たしてそうだろうかと、ワッツは炎の中で二つに崩れていく黒竜の姿を思い出す。
あの炎の前に、既に黒竜は致命傷を受けていたのではないか。二つに切り裂いたのは――
(公が斃した。それでいい)
指令部への報告も、ワッツはそう上げるつもりだ。ウィンスターがワッツに告げた、ボルドーのもう一つの任務。それを蒸し返す必要は無い。
ボルドーは何かを言いたげに口を開きかけたが、レオアリスに視線を落としたまま、結局その言葉を振り切るように、長い息を吐いた。
「――上に治癒を使える者がいる。運ぼう」
ボルドーは靴音を立て、ワッツ達に背を向けた。
「無事な者は怪我をしている者を地上へ上げろ! 撤収し、この場所は埋める」
首を巡らせてその姿を追っていたワッツの傍に、クーガーとウェインが近寄った。二人ともワッツ同様埃まみれの姿で、ウェインは胸を覆った鎧がぼろぼろに砕け、血も滲ませている。見回せば、他の兵士達も、術士達も、アナスタシアでさえ同様に頭から砂か土を被ったような姿だ。
だが、その姿をただ眺められる事こそが、今回の戦いの終わりを実感させてくれた。
「――これで漸く、終わりですね」
「治癒の術士がいるなら、チェンバーも少しはましにしてくれるな」
「ああ、ましになる。前より良くなるかもしれねぇぜ」
できればレオアリスが目を覚ます前にチェンバーの傷を癒して、その姿を見せてやりたいものだと、ワッツはそう思いながらレオアリスへ視線を向けた。
森での後処理が終われば今回の任務を終え、ワッツ達は再び第六軍に戻る。この少年にもう二度と会う事が無いとは思わなかったが、次に会った時には、驚くほど変わっていそうな気がしていた。
「おーい、起きろよ。起きろってば」
アナスタシアは地面に横たわっているレオアリスの横に膝を抱えてしゃがみ込み、頬をぱちぱちとはたいている。レオアリスは一向に起きる気配が無い。
「すっごく腹減ってるんだ、いつまでも寝てると食っちゃうぞ。ふつうさぁ、寝る? 戦ってる最中にさぁ。私がいたから良かったようなものの、ホントだったら死んでるぞ。お前、剣でも術でもウカツだよなー」
別に今すぐ起す気などないくせに、ぱちん、ぱちんと頬を叩いているアナスタシアに、アーシアは笑みを零した。アナスタシアを肩に手を置きしゃがみかけ、中腰のまま動きを止めた。
「……アナスタシア様、あれ」
アーシアが指差した先を追って、アナスタシアは深紅の瞳を輝かせた。まだ黒竜の身体を焼く炎の手前に、踊る炎の光を弾くものがある。
「――宝玉だ」
アナスタシアは駆け寄り、足元に転がって光を弾いている宝玉を取り上げ、アーシアの手渡した布に大切に包んだ。
今度こそそれは、アナスタシアの手の中にしっかりと納まった。布の影に在る宝玉をじっと確かめるように覗き込み、それからアーシアを振り返った。
「これを渡しても、あいつ怒らないよね。自分で手に入れたんだもん」
アナスタシアは拾って、保管しただけだ。アーシアが頷くのを嬉しそうに見つめ、アナスタシアはそれをぎゅっと握り込んだ。
「起きたら、渡してやろう」
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