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王の剣士 
Intermission5.5 
〜王太子ファルシオン、お忍びで劇を観る〜


 「殿下のお席はこちらですね」
 小声で告げて最後列の通路から五番目の席を示すと、ファルシオンはこっくり頷いておごそかに席に近付き、申し訳程度に綿が入った固い座席に座った。座ったとたん舞台の方へ身を乗り出し金色の瞳をきらきらと輝かせる姿には、幕が上がるのを待ちきれない思いが溢れている。
 昼に居城に迎えに上がった時にはもうファルシオンの瞳は期待に輝いていて、それから全く色褪せる気配がない。
 今日という日が決まってからは毎晩なかなか寝付けないほど楽しみにしていたのだ、と、来る途中にハンプトンがそう言っていたが、何となくその様子が想像がついてレオアリスは思わず笑みを零した。
 レオアリスは左隣の通路側の席に腰掛けた。ファルシオンと共にいるにも関わらず軍服ではなく完全に私服で、耳を覆う形の帽子を被り、襟を引き上げてさりげなく口の辺りまで隠している。
 ファルシオンもぱっと見るだけでは少しいい家の子供だな、と思う程度の服装だった。この格好なら、端からは歳の離れた兄弟か親戚くらいに思われるだけだろう。
 二人が座ると一列前に座っていた男が振り向き、「おや、こんにちは」と軽く会釈した。顔見知り程度の挨拶を寄越したのはヴィルトールで、隣に座っている小さな女の子は彼の四歳になる娘に違いない。
 レオアリスも「賑やかですね」と他人行儀に返し、ついでに左右と前二列の席もほぼ埋まっているのを確認する。
 改めて辺りを見渡せば、三百席ある客席を占めているのはやはり殆んどが小さな子供とその親達だ。子供達はこれもやはり男の子が多いが女の子も三割近くはいるだろうか、非常に賑やか、というか騒がしい。
 追いかけっこをして階段状の通路を走り回っては興奮した高い声があちこちで上がり、それを追ってまた親の呼び戻す声や叱り付ける声が響く。
 わあっとどこかで火のついたような泣き声が上がったと思ったら、それにつられたのか別の場所からも泣き声が響いた。
(はは、すげえ……。盛り上がってんなぁ)
 感心、というか圧倒される。
(ま、何だかんだこんな状況なら、周りなんか気にする暇はなさそうだ)
 レオアリスはそう独りごちて、まるで運動場と化している場内を眺めた。そういえば何故小さな子供は隙あらば走り回るのだろうと単純な疑問が湧く。かくいう自分も、小さい頃は雪の上やら樹々の間やらさんざん走り回った記憶がある。
 ふと気になって横を確認すると、案の定ファルシオンも周りの子供達に触発されたようで、走り出したくてウズウズしていた。
(あーあぁこっちもか。そういやいつも庭を走っておいでだ、刺激もされるよな)
 レオアリスは苦笑してファルシオンの顔を覗き込んだ。
「お帰りになるまで我慢してください。それにもうすぐ始まります」
「うー、――うん」
 ファルシオンは多分彼の中で湧き上がっている衝動をぐっと堪え、こっくり頷いた。
「お隣、失礼しますよ」
 明るい声と共にレオアリスの右隣に座ったのは――クライフだ。この親子連ればかりの場内に大人の男一人、明らかに浮いている。それが照れ臭いのかクライフは座席の背に両腕を預けて凭れかかり、わざと大きな声を出した。
「いやもーすんげぇ楽しみ、早く始まんねえかなぁ! おっ、ボウズ、弟と一緒かーいいなあ仲良くて」と通路を挟んだ隣に座っていた男の子に声をかけ、七、八歳くらいの男の子に胡散臭そうな眼で見られた。
(黙ってりゃいいのに)
 まあそれでもグランスレイやロットバルトがここに居るよりは目立たない。ある意味場に馴染んでいるとも言えなくも無い。
「何だよ、兄ちゃん彼女もいねぇの、かっこわりぃ」
「かっこわるーい」
 弟が繰り返す。クライフは子供にからかわれ、何故か得意そうにふんぞりかえった。
「何言ってんだ、こーいうのは男の楽しみなの! まだお前等小さいからわかんねぇだろうけどな」
「彼女と来いよー」
「こいよー」
「モテないんだー」
「もてなーい」
「うっせ」
(――取り敢えず、他人のふりかな)
 レオアリスは襟を引き上げて笑いを堪えた口元を隠すと、顔を前に向けた。
 ここではクライフやヴィルトールとは知り合いでは無い。
 今日はファルシオンのたっての願いで、レオアリスはファルシオンと共に王都中層の南、カルハリ地区に建つ古びた劇場に来ていた。
 ここで行われているある演目が子供達に大人気なのだ。
 様々な演目がそれこそ日替わりで立つ王都でも、子供という層を中心的に取り込んだこの劇は爆発的に売れた。
 演目は絵本にもなり、それは侍従達の噂話になって王城の奥で暮らすファルシオンの耳にも届くほどの人気ぶりで、ファルシオンもハンプトンに手に入れてもらった絵本を見てすっかり虜になってしまったらしい。
 次は当然のごとく劇を観たがったファルシオンはハンプトンに頼み込み、エアリディアルに頼み込み、母である王妃や、最後には父王に直接頼み込んでやっと、待望のその劇を見に行く事が許されたのだった。
 という訳でレオアリスは王からファルシオンのお忍びの護衛を命じられ、今こうして劇場の席に座っていた。
 王はレオアリスに指示を下ろした時、何故だかにやりと笑った。
『その劇、おそらくそなたにも興味深かろう』
 理由を尋ねたが王は笑って取り合わなかった。
(――何でだ……?)
 しかし真面目な話、お忍びとは言え王太子の警護にレオアリス一人というのは、近衛師団として対応が不充分だと思われた。しかしあくまでもお忍びなのだし、しかも客層が客層なだけに、隊士を周囲に配置する訳にもいかない。


『なら副将とロットバルトが付けばいいんじゃないですか』
 官位的には条件満たしてるし、とクライフが言ったが、間髪入れずダメ出しが入った。
『止めた方がいいわよ、その二人は』
『何で。殿下の護衛だろ』
『良く考えてご覧なさいよ、周りは親子連ればっかりなのよ。似合わないにも限度ってものがあるでしょ』
『――あー、そっか、そうだな、そう言やそうだ。』
 と言ってクライフは一度眼を閉じて黙ってから吹き出し、膝を打った。
 『それ見てェ〜! 見てェヨ〜! マジ見てェ〜!』
『それはまあ面白いと思うけど、却って目立って任務も何もあったもんじゃないわ。ぶち壊しよ。劇場から雰囲気が台無しだとか言って文句が出そうだし』
 結構な言われようだが、ロットバルトは肩を竦めただけで特に異論は無さそうだ。まあ親子連れの真っ只中に入りたいなどとは微塵も思っていないのだろう。グランスレイもンン、と喉を鳴らしたきり黙っている。
『じゃ上将一人か? 実質問題ねぇけど、組織としちゃあんま示しがつかねぇよな』
『かと言って隊士も目立つのよね、やっぱり』
 ロットバルトが席から立ち上がり、書類をレオアリスの前に置きながら口を開いた。
『お忍びであれば周りの席を関係者で埋める程度しかできないでしょう。隊士ばかりで違和感があるのなら、子供がいる隊士に子供を同席させて、私服で周りを固めさせてはどうです。幸い場所も危険性という面での心配は少ない、問題は無いと思いますが』
『そうだね。なら私が娘を連れて行くよ。ちょうど見たがってたし、喜ぶなぁ』
 ヴィルトールは後半が本音かもしれないがグランスレイもそれで承認し、一応クライフにも同行を命じた。
 一段落して、レオアリスは疑問を口にした。
『陛下はこの件をご命令になった時、俺にも興味深いだろうと仰ったんだが、どういう事か判るか?』
『今回の興業について、そう仰ったのですか』
 グランスレイは首を傾げた。『陛下には何か意図がおありなのか……。ロットバルト、お前は何か心当たりはあるか』
『王がそうお考えになる理由ですか。――そもそも今回の興業の中身を良く知りませんから、何とも』
 ロットバルトが考え込んだのを見て、クライフは何やら喜びを抑えきれないように口元を震わせた。
『あれ、知らねぇの? ほー、へー、あーいやま、お前は知らねぇよな? こういうのはよぉ〜。興味ねぇもんなァ〜。つかそういうの駄目じゃね? 情報は常に偏り無く取っとけみたいな事言っててよぉー』
 また自分から矢の雨に飛び込むような真似を、と誰もが思ったが、ロットバルトはただ冷めた視線を向けただけだ。
『仰る通りです。反論は無いな』
 一言だけ返し、また机に戻る。クライフは勝ち誇った顔のまま固まった。
 レオアリスはロットバルトの普段通りの顔を横目で見つつ、込み上げた笑いの発作を堪える為に机の上に置いていた拳をぐっと握り込んだ。
(……こいつ絶対、明日の朝までには調べ上げて売れてる原因とか分析までやってそうだな)
 見かけと違って負けず嫌いな性格だ。
 と思った瞬間視線が合い、レオアリスはごくりと笑いを飲み込むと、極力業務用の声を出した。
『――ま……まあ、判ったら教えてくれ』
 これならすぐに判るだろうな、と思っていたら、昨日も今日の朝も何も説明は無かった。
 出てくる前にロットバルトを捕まえて『何か判ったか?』と尋ねたが、ロットバルトはああ、と呟いた後に口の端に笑みを浮かべただけだった。
『まあご覧になれば判りますよ』


(何なんだ)
 そんなこんなで今、ファルシオンの周りの席にはヴィルトールやクライフを含め、私服の隊士達とその子供達が観客として座っていながら、互いにそ知らぬふりをしているのだった。
 当然事情を知らない子供達は舞台の幕が開くのを待ちきれない様子ではしゃぎ、その空気が親達に伝播したのか隊士達も普段練兵場で見る顔つきと大分違う。
 ついでにレオアリスの前に座ったヴィルトールは娘にメロメロだった。激しくメロメロだ。
(護衛になってねぇ……)
 まあそれは構わない。護衛がなければ危険な内容であれば、そもそも子供達を連れてこさせない。
(と)
 ふっと場内が暗くなって、見回せば壁際にある燭蝋に係員が蓋をかぶせて回っているところだった。天井から数本吊り下がっていた大燭蝋が、全てガラガラと鎖の音を立てて引き上げられていく。
 藍色の幕が揺れ、舞台端に男が一人、歩み出た。一度客席に向けて頭を下げ、良く通る朗々とした声を張った。
「本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。お待たせいたしました、まもなく幕が開きます。お坊ちゃまお嬢様方もどうぞお席にお戻りください!」
 それまで耳にじんじん響くほど騒がしかった子供達はたちまち席に飛び込み、見事なまでに一斉に、しんと静まり返った。
(訓練よりすげえ)
 まさに号令一下だ。
(でもまさか陛下はこれを見ろって仰った訳じゃない……よなぁー。訓練の参考にしろって言うにも)
 うーんと腕を組み、レオアリスは舞台を閉ざしている幕を見つめた。全ての明かりを落とし終え、客席は互いの顔がぼんやりと見える程度だ。
 幕が静まり返った劇場に滑車の軋む音を響かせ、左右に開いていく。舞台から零れた光が薄白く客席を照らした。
 初めの場面は家族連れが遊ぶ公園だった。街でも実際に良く見る光景だ。子供達はつい先ほどまでの客席さながら、舞台の上の公園を走り回っている。
 そこに舞台上手から二十歳前後の青年が登場すると、観客席の子供達だけでなく、母親達からも歓声が上がった。役者名だか役名だかが方々から飛ぶ。
 青年は子供達とかくれんぼをして遊んでいて、流れからするとどうやら彼がこの舞台の主人公のようだ。鬼の役の彼は隠れた子供を探して舞台上をあちこち歩いていく。
 レオアリスは舞台の進行を片目で眺めながら、意識をファルシオンの周囲に向けた。
 客席の観客、特に子供達はじっと舞台に見入っていて席を立つ者は一人も無く、問題は何もない。ファルシオンの表情も真剣そのもので、もうすっかり物語に入り込んでいるようだった。
 王城の外に出て、王太子という身分から離れて舞台を見る――、そういう機会など滅多にないファルシオンにとって、相当貴重な経験だろう。金色の瞳の中に舞台がすっかり映り込んでいるのを眺め、今日ここに来れて良かったとそう思った。
 突然舞台が騒がしくなり、レオアリスは視線を上げた。
 ばらばらと奇妙な一団が舞台袖から走り込む。全身黒づくめのぴたりとした衣装で顔まで覆った男達で、高い叫び声を上げながら家族連れに襲い掛かった。のどかだった風景は一変した。
 男達は次々と親や子供達を捕まえて行く。狭い舞台上は逃げ惑う人々や悲鳴で騒然となった。舞台からだけではなく、客席の子供達からも悲鳴が上がる。
「この公園は我々が占拠した!」 と黒づくめの一人が舞台の中央に立ち、客席に向かって叫んだ。
「お前達はこれから、我がカイオウ帝国の奴隷となるのだー! わーははははは!」
(カイオウって……)
 レオアリスは苦笑いを浮かべた。舞台では捕まえられた子供達はひとまとめにして大きな籠に入れられて泣き叫び、子供を取り戻そうとする親が殴り倒されて呻き、演技とは言え中々荒っぽい。
 一般人抑えられてると鎮圧が難しいな、と、こういう状況で隊をどう動かせば被害が無いか、つい真剣に考えてから我に返り、レオアリスはまた苦笑した。立場上のクセだ。
 しかしだから興味深いという話なのかと、そう思ったところに、「止めろ!」という鋭い声が響いた。
 舞台にうずくまる大人達の中から、一人の青年が駆け出した。先ほどかくれんぼで鬼の役をしていた青年だ。青年は黒づくめの男達を睨み据え決然と言い放った。
「子供達を放せ!」
 場内が一転、子供達の歓声で埋まる。ファルシオンが身を乗り出す。
 誰かが何か名前を叫び、子供達からまだ言っちゃダメだよ、しいぃっ、とたしなめられた。それが観覧の決まりらしい。
 徒手空拳の青年は果敢に黒づくめの男達に挑みかかった。初めの一人を見事殴り倒し、だがもうそこで乱闘だ。
 青年はすぐに多勢に無勢で押し戻され、倒れ込むようにして舞台袖に消えた。先ほどの黒づくめの首領らしき男が客席を向き、高らかに笑い声を上げる。
「見ろ! 抵抗しても無駄だー! ここは俺達が法術で決界を張ったから、軍隊も入れないのだ! 周りからは俺達の姿も、お前達の姿も見えていない! 誰も助けには来ないぞー!」
 説明力満点だ。
 舞台上の子供達がわっと泣き出し、客席の子供からもあちこちで怖がる声と泣き声が聞こえた。
(のめり込んでるなぁ。つうかこの位の歳だとごっちゃにもなるか)
 傍らの親達は可笑しそうに笑いながら我が子をあやしている。
「ほらほら泣き叫べ〜!」
「セイバー、助けてー!」
 どこかの子供が叫び、首領は客席に手をかざした。
「おっ、そこにもまだ子供がいるなぁあ?」
 捕まえろ! と大声を上げて客席を指差す。黒づくめの男達はばらばらと舞台から客席に降りてきて、通路を跳ねるような動作で歩き出した。
 客席の子供を抱え上げる仕草をすると、怯えた子供から悲鳴が飛び出す。
 黒づくめの一人が最後列までやってきて、脅かすように両手を高く広げ、通路側に座っていた隊士の隣の男の子を覗き込んだ。男の子が堪らずうわあああっと泣き出す。
 黒づくめの男は身体を起こし、クライフと、レオアリスと、その向こうの席をじっと見た。
 奥まで入ってくるかと、レオアリスは役者に視線を向けた。
「子供は一人残らず帝国に連れて帰るのだ!」
 客席の真ん中で一人、子供を抱え上げる。
 それを合図に黒づくめはクライフの前まで入り込み、腕を伸ばした。伸ばした腕がファルシオンに近付き、ファルシオンが思わず身体を縮めてレオアリスに身を寄せる。
 レオアリスは黒づくめの男の手首を掴んだ。
「悪いが、ここは外してくれ」
 黒づくめの男は驚いて覆面の下の瞳を瞬かせ、少し間をあけた後、ぺこりと頭を下げた。
 男は通路に出ると、また跳ねるような動作で通路を歩き出した。レオアリスの周囲で隊士達が緊張を解いたのが判る。
 客席に降りた黒づくめ達は何人かが客の子供を抱え上げ、悲鳴や泣き声の中を舞台へと戻って行く。
「待て!」
 唐突に、客席の通路の真ん中に男が立ち上がった。
 すぐ横にいた黒づくめの男から子供を奪い返し、同時に黒づくめの腕をひねって鮮やかに床に倒す。
 わあっと歓声が上がった。
「カイオウ帝国め、これ以上の乱暴はこの俺が許さん!」
「むむ、何者だぁ!」
 どうやら声からすると先ほどの青年なのだが、正体を隠しているのか広いつばの帽子を深く被って仮面を付け、長布で身を隠すように覆っている。
 客席の子供達はとたんに総立ちになった。「セイバー!」
 いよいよ待ちに待った場面らしい。
「貴様等の好きにはさせん!」
 変身! と叫ぶと、青年は狭い通路で器用にくるりと宙返りをした。
(へ?)
 変身だ。
 身体を覆っていた長布を剥いで宙へ投げる。
 布が通路に落ちる間に、青年は舞台に駆け上がった。
 二度軽やかに宙返りをして舞台中央に降り立ち、客席へ向き直る。
「この街の平和は、俺が守る!」
 左膝を深く沈め、左手を引きながら右腕に拳を固めて前へ突き出した。
 白いぴったりと身を覆う衣装の上に赤と黒の二色に染めた革の胸当てや手甲を装着している。足にも同じ色合いの革鎧を着け、顔には先ほどとはまた別の、どことなく昆虫を思わせる仮面を被っていた。
 腰に巻いた赤と黒の装飾的な革帯がきらりと光る。
 子供達の興奮が一気に最高潮に達する。
「セイバー!」
「ロードセイバー!」
 子供達が興奮し、きゃあきゃあと声を上げながらあちこちの客席でぴょんぴょん跳ねる姿が見える。
 青年は腕を交差させて革鎧の胴の下に滑らせ、それぞれの手に何かを握って引き出した。
 剣の柄だ。柄だけで刃が無い。
 引き出しざまに一振りすると、がしゃりと音を立てて白刃が伸びた。
(へぇえ、いいなぁあれ)
 ああやって刃が収納できたら携行に便利だ。長剣より少し短いが間合いに問題は無さそうだし、特に今日のようなお忍びの時とかには充分役に立つだろうと思った。
 使ってみたい。
 舞台では剣劇が展開され、それも相まって、レオアリスはちょっとウズウズして瞳を輝かせた。
 それはさておき、劇場内はますます興奮が高まっている。ロードセイバーは一番手前にいた黒づくめを、二人同時にばさりと斬って倒した。踏み込むたびに流れるような動作で黒づくめを倒していく。
「ええい、何をしている、さっさと奴を片付けてしまえ! 一斉に掛かるのだ!」
 舞台袖から黒づくめ達がわらわらと現れる。ロードセイバーが大勢に囲まれて危機に陥ると、声援は益々大きくなった。
「ずるーい!」「あぶない!」「セイバー、がんばってー!!」
 とあちこちで子供達の懸命な応援が飛び交う。既に半数ほど敵を倒しているロードセイバーの後ろで、黒づくめの一人が剣を振り被った。
「後ろだよー!」
「後ろ後ろー!」
「あぶないよー!」
 振り向いたロードセイバーの肩当てに黒づくめの剣が落ちる。ロードセイバーはちょっとよろめいた。
 隣でファルシオンがそわそわしてるな、と思ったら、次の瞬間ばっと立ち上がった。
「がんばれー! ロードセイバー!」
 小さな拳を握り締め、周りの子供達にも負けず、懸命に声を張り上げる。レオアリスは驚いてファルシオンを見つめた。
(あ)
 ファルシオンは舞台に夢中だ。
 紅潮した頬ときらきら輝く瞳。
 見覚えがある。
 レオアリスに剣を見せて欲しいと言う時の瞳。
 剣を持って戦う姿が、どれほど格好良かったかを懸命に語る時の瞳。
(ああっ)
 いきなり何かバチリと納得が行った。
(こ………………ッ)
 王の笑みが過る。
 あの笑みの――いや、含み笑いの意味がようやく判った。
(これか―――――――ッ!!!!)
 ファルシオンがレオアリスを大好きな理由と、ここで舞台を見て瞳を輝かせている理由と。
 根っこが。
 根っこが同じだ。
 それを判っていたから王はレオアリスにも興味深いだろうと言ったのだ。
(俺もある意味変身か? 変身モノてヤツか……?!)
 舞台でロードセイバーが敵を薙ぎ倒すごとに、きゃあきゃあと歓声が上がる。ファルシオンも飛び跳ねて手を振り、とても嬉しそうに声援を送っていた。
 ふとクライフを見ると、クライフは何を堪えているのか引き締めた頬をぶるぶると震わせながら拳を握り親指を立て、レオアリスへぐっと突き出した。
「……」
 舞台上では既に、立っているのはロードセイバーと首領だけだ。
「終わりだな、カイオウ帝国!」
「くそう、こうなれば奥の手だ! 出でよ、妖獣蛸魔人〜!」
 首領が両手を広げるとぼわんと舞台中央に煙が上がり、ガラガラという音と煙の中、八本の足を持った赤い大きな物体がせり上がるように現れた。
 丸い頭というか身体というか、てっぺんは大人の二倍ほどの高さがある。足にはでこぼことした吸盤がついていた。
(うお、あれスゲ)
 レオアリスも思わず身を乗り出す。
(タコだ)
 いつだったか図鑑で見た。
「妖獣蛸魔人! ロードセイバーをやっつけろ! 街を破壊するのだー!」
 妖獣蛸魔人が八本の足をぐにぐに振り回すとあちこちで火花と煙が弾け、きゃー、と悲鳴が上がった。突き出した口からぶしゅうっと黒いものを吐く。墨に模した黒い布だ。
(蛸魔人スゲー)
 ロードセイバーが避けた足元がどかんと煙を上げる。何故か黒づくめ達まで墨を浴びて倒れ逃げ惑い、舞台上は大混乱となった。
 妖獣蛸魔人の振り回した足が黒づくめを二人まとめてなぎ倒す。
(おいおい)
 客席は大受けだ。
「そこまでだ、妖獣蛸魔人!」
 舞台中央に設けられていた低い塔の上にロードセイバーが駆け上がり、暴れる妖獣蛸魔人へ右手の剣先を向ける。
 派手に音楽が掻き鳴らされ、ロードセイバーは上から吊されていた縄を掴み、蛸魔人のいる舞台の真ん中に飛び降りた。飛び降りると同時に器用に身体を捻る。きらりと白刃が光った。
「必殺! 回転乱舞斬り〜!!」
 わああっと拍手が湧き上がる。
「うぎゃあああ!」
 蛸魔人は盛大に身を捩り、どんな仕掛けか見事に八本の足を切り離して舞台のあちこちに飛ばすと、ばたりと倒れた。
「く、くそう……、覚えてろー!」
 捨て台詞を残して首領が駆け出し、後を追いかけて黒づくめの男達がよろめき逃げ去る。
 客席が拍手と歓声で埋まる中、ロードセイバーは籠に入れられていた子供達を解放し終えると、客席に向かって大きく手を振り、拍手の中を爽やかに舞台袖に消えた。
 幕が閉まり、興奮醒めやらぬ場内は子供達の賑やかな声に満ちていた。親が中々席を立とうとしない子供の手を引いて扉に向かい出す。
 ファルシオンは頬を上気させ、夢から覚めたように溜息を吐いた。途中からずっと座席の前に立ちっぱなしだ。
「はぁあ、カッコよかった! 満足だ」
 思わず笑ってしまうくらい本当に満足そうで微笑ましい。
「今日ご覧になれて良かったですね」
「うん!」
 色々衝撃を受けたりもしたが、ともあれファルシオンがこれだけ嬉しそうなのだからそれで何よりだろう。それに中々仕掛けが凝っていて、レオアリスも見ていて楽しめた。
(蛸魔人……あれすげぇ)
「他の客が大体出たら、我々も出ましょう。もう少しお待ちください」
「うん」
 ファルシオンはこくりと頷き、それからどことなくもじもじと視線を落とした。その様子が気になって問いかけようとした時、「上将」、とクライフが素早く囁いた。
 レオアリスが顔を上げると、男が一人急な傾斜の階段を登って来たところで、クライフのいる左側の通路に立ち、明らかにレオアリスに用があるように顔を向けた。
 見た感じ三十前後の、頬から顎に髭を蓄えた気持ちいい雰囲気の男だ。
「失礼ですが、もしや近衛師団の」
 レオアリスはファルシオンの姿を隠すように立った。「いや――」
 違うと否定する前に、男が嬉しそうに手を打つ。
「やっぱり! 良く演習場で拝見しているんですよ」 演習場? とこれまた問い返す前に話が進む。
「私も大将殿が大好きで――剣士というのがもういいですよねぇ! 昔っからそういうのが好きで好きで、それが高じて話を作るようになって、まあ今回はこんな話になったんですが」
 言葉からするとどうやら男はこの劇の作家のようだが、話しながらさかんに手を振り瞳を輝かせ、何とも言えず子供っぽいというか、先ほど舞台に夢中になっていた子供達と大差無い。
 この劇があれだけ子供達を夢中にさせる理由を見た気がして、レオアリスもクライフも何となく感心した。「はー」
「劇は楽しんでいただけましたか?」
「それは、とても」 ファルシオンの喜びようを思い出して頷くと、男はまた手を打った。
「いやぁ良かった! 実は勝手に大将殿をこの劇の参考にさせてもらってたんで、怒られたらどうしようかと」
「えっ」
 思いがけない言葉にレオアリスは瞳を瞬かせた。
(……妖獣蛸魔人?!)
 戦った事はない。
「剣ですよ、やっぱりねー。中々思うようにはいきませんが」
「あっ、ああ」
「いやそれでさっき、役者の一人がそうじゃないかっていうもんで、こりゃあ確かめなきゃと急いで来てみたんです。あ、申し遅れました、私はこの劇団の主宰のバウアーと申します。本当にどうも光栄です、あの王の剣士殿がわざわざこんな小さな劇団の劇を見に来てくださるとは! 一同大喜びでして、これからも頑張ろうとか楽屋が盛り上がってしっちゃかめっちゃか」
「ちょ、静かに」
 レオアリスは片手を上げて止めたが、バウアーはその手を握ってぶんぶんと上下に振った。
「ぜひまたお越しください! 剣士の貴方に観ていただけるなら」
「バウアーさん、取り敢えず、少し声を」
「上将、もうマズいっす」
 レオアリスははっと辺りを見回した。
 まだ残っていた子供達が周りに集まっていて、興味津々レオアリスにじいぃっと視線を向けている。
「剣士だって」
「ホンモノ? ホンモノ?」
「――ほんとうだ」
「見たことある」
「すごぉい」
 まだ先ほどの興奮も冷めていない子供達の瞳がまたきらきらと輝き始め、期待に満ちてくる。
(しまった)
「あっ!」
 クライフは唐突に大声を上げて舞台を指差した。
「ロードセイバーだ!」
 その名は効果絶大で、子供達は一斉に振り返り、「どこ?! どこ?!」と舞台に駆け寄った。
「――申し訳ありませんが、急ぐもので、これで失礼します」
 レオアリスはバウアーに一礼すると、左手を伸ばし、舞台の方に身を乗り出していたファルシオンをひょいっと抱え上げた。
「セイバーは?」
 真剣に尋ねられ、レオアリスは苦笑した。「今日はもう帰らなくちゃいけません、また次の機会に」
 バウアーとは反対側の客席は機転を利かせた隊士達が通路に出て、既に無人になっている。レオアリスはファルシオンを抱えたまま通路へ抜けると、素早く後方にある扉から待合室に出た。クライフも後に続く。
 その次には前の列にいたヴィルトールや他の隊士達も軒並み駆け足で待合室の扉へと消えていった。
 取り残されたバウアーは、レオアリスと二列の客達が一瞬で立ち去った後にできた空間を束の間ぽかんと見つめた。
 見事なまでの撤退ぶりだった。いや、それよりも、レオアリスが抱え上げたのは少年だった――さすがに一人で来る訳がない――ちょうど五歳くらいの、銀色の髪の――ぐるぐると考えていたバウアーはそれまで開けっ放しだった口を更に大きく開けた。
「……えぇえ、まさか」


 レオアリスは待合室にいる親子連れの間を縫って素早く劇場を出ると、劇場前の小さな広場からすぐ細い路地に入り、そのまま早足で歩いた。
 路地をついて来るのはクライフとヴィルトールだけで、他の隊士達は万が一後を追う者がないように路地の入り口前に留まった。
 腕に抱き抱えたままのファルシオンは、初めて眼にする少し裏寂れた路地の壁を好奇心に満ちた眼差しで見回している。
 幾度か壁に沿って折れ曲がると路地が終わり、先ほどとは違う広めの通りに繋がる。レオアリスは迷う事無く通りを渡り、その先の角を曲った細い通りに止まっている馬車に近付いて、馬車の横に立った。クライフとヴィルトールがそれぞれ前後に立つ。
 馬車の扉が開き、ハンプトンが顔を出した。
「おかえりなさいませ」
「ただいま、ハンプトン」
 溌剌とした声を聞いてハンプトンはにっこりと笑った。
「お気に召されたようで、ようございました」
「うん! 楽しかった! すっごくカッコ良かったのだ」
「ずっと夢中でご覧になってました。本当にお好きなんですね」
 レオアリスはそう言いながらハンプトンに頭を下げ、彼女の前の座席にファルシオンをすとんと降ろした。
「まあ、それは本当によろしゅうございました。殿下、大将殿にお礼をお伝えなさいましたか」
 ファルシオンは大きな瞳を瞬かせ、レオアリスを見上げた。
「レオアリス、今日は連れて来てくれてありがとう!」
「お役に立てて光栄です」
 微笑んでそう返し、レオアリスは扉の木枠に手を掛けて身を起こした。
「では、俺は御者台におりますので、何かあれば」
 ファルシオンがレオアリスの手を握る。まだ小さい手が掴むのは指くらいだ。
 ただ手を握った後しばらく、ファルシオンは俯きがちに黙っている。
「殿下?」
「あのね、セイバーはすごくかっこいいんだけど」
 ファルシオンはもじもじと視線を逸らした。そういえばついさっき、劇場でもこんな素振りを見せたな、と思い出したところでファルシオンは思い切ったように顔を上げ、さらにぎゅっと握る手に力を込めた。
「でも、レオアリスが一番かっこいいぞ。本当だ」
 一番好きだ、とそう言った。
「ほんとうに私を守ってくれるんだもの」
「――」
 どうやらファルシオンはファルシオンなりに、気になっていたらしい。レオアリスが気分を悪くしているのではないかと、幼心にそう思ったのかもしれない。
 まっすぐ向けられる純粋な瞳を見つめ、吹き出しそうになるのを堪えながらレオアリスもにこりと笑った。
「当然です。俺は殿下の事が大好きですから」
 ファルシオンが喜びに瞳をきらめかせる。レオアリスの手を握ったまま、伸び上がって顔を寄せた。
「ねぇ、レオアリス、あのね、お願いがあるんだ」
「お願いですか? 何でしょう」
「うん、あのね」
 ふっくらした頬を紅潮させ、ファルシオンは期待に満ちて待ち遠しそうに告げた。
「今度、必殺技を見せてね」
「――、ありません」
 ぶは、とクライフが吹き出した。




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