十三
樹々の合間に揺れていたのは村の灯りと、そして良く見れば松明だった。
「何だ? 人が出てるみたいだな」
「夜遅く――っても今何時か判りませんが、変ですね。慌ただしいっつうか」
「村で何かあったのかしら」
何か問題があったとしたら、やはり思い付くのはあの獣の事だ。
「――いってみよう、近い」
松明の方へ歩いていくと向うもこちらに気付いたのか、一つが揺れながら近付いて来た。
樹々の間を支配していた夜の闇が松明の灯りに払われる。松明と共に現れたのは五十代半ばほどの男だった。
「おお、あんたら」
男は少し驚いた顔で、レオアリス達を確認するように見回す。
「あんたら王都から来た軍人さんかね」
「そうです――何故」
知っているのか、と尋ねる前に、男は後ろを振り返るようにして大声を上げた。
「おーい! いたぞー! こっちだ、ここにいたー!」
声は森に良く響き、ぎょっとしてレオアリス達は顔を見合わせた。
静かだった森が賑やかになる。松明が揺れながら急いで近付いてくる。
アスタロトはこっそり囁いた。
「もしかしてさ、私達遭難したと思われてる?」
「……そうかもな……」
と言うか実質、遭難だ。
「もしかしたら、村人総出?」
「……かもしれない」
かなり――情けない。村に何かあったのかと心配したが、心配されていたのは自分達の方だったとは。
そうしている間にも、松明はすっかり集まってきて、レオアリス達の周囲を照らした。森は昼のように明るくなった。何人いるだろう。十人近いか。
「おお、いたいた。全員か?」
「多分なぁ」
「無事で良かったなあ」
意外と早く見つかって良かった、という声も聞こえる。その中に、すこし気になる響きがあった。
「向うの方から来たみたいだぞ」
「あっちは、白毛(しらげ)の」
(白毛? ――ああ)
あの獣の事かもしれない。いい名前だ。
ただ気になったのは、そこに警戒の響きがあったからだ。
獣を、ではなく、レオアリス達がその方向から来た事を。
レオアリスと目が合うと、男達は慌てて視線を逸らせた。レオアリスは引っ掛かりを感じながらも前に出た。
「かなりご迷惑をかけたみたいで、申し訳ありません」
一番初めに現れた男はレオアリスをしげしげ見つめた。
「若いなぁ、あんたが剣士さんだろ。まだ子供だなぁ」
率直な言い方に思わず笑うと、男は慌てて手袋をはめた手を振った。
「いや悪い、じゃなくて申し訳ない、大将殿。無事で良かったです。わしらはついさっきスウェンの旦那から聞いて、探しに出たばっかりだから気にせんでください」
「スウェン?」
「ああ、村長の息子で、今度新しくできた北方公のお屋敷の管理やってんです」
昔王都で勉強してたんですよ、と男は誇らしそうに付け加えた。
「ベールの温泉とこの?」
アスタロトの問いに頷く。綺麗な少女を見て男は照れ臭そうな顔をした。
「そうです。まあほんと無事で良かった、館に案内しますよ。腹も減ったでしょうし、冷えたでしょう。あとちょっと我慢してもらえりゃここはお誂え向きの温泉がありますんでね」
遭難者を探しに来たというより、来客を迎えに来たような口調だ。他の村人達も余り気にした様子もなく三々五々、村へ引き返し始めた。
どちらかと言えば早くこの場から離れたがっているようにも見えなくもない――が、レオアリス達が見つかって安堵した様子は本物のようだ。
「――村は大丈夫ですか?」
歩き出した男に付いて問い掛けると、歯切れの悪い答えが返った。
「え、いやぁ……」
急いでちらりとレオアリス達を見る。
「うちは問題ないよ、いや、問題ないです、特に」
「白毛って、誰か言ってたけど、でかい獣の事ですか。吹雪を呼ぶ」
白毛という呼び名が気に掛かった。
それにはどことなく、親しみが感じられて――
「俺の育った村の辺りじゃ見かけなかったけど、この辺には多いのかな」
男は何かを飲み込んだように立ち止まった。困った顔で口籠もる。
「その、大将殿。そこんとこはわしより、スウェンの旦那から聞いてもらった方がいいですよ」
「――」
森が切れ、目の前に小さな村落が広がって、アスタロトが歓声を上げた。村落のあちこちから白い煙がもうもうと上がり、村を半分覆い隠して壮観だ。
「これ全部温泉の湯気なの?」
「そうですよ、年中こんな状況です」
少し得意そうな口調で言いながら、男は村の中の道をさっさと抜けて行く。
本当に小さな村だ。レオアリスの村とさほど変わらない、高い三角の屋根と土壁の質素な家がぽつりぽつりと立っている。
懐かしい、と思っている間に男はそのまま村を通り過ぎてしまい、意外に思っていると、しばらくして湯気と樹々の向こうを指差した。
「あそこです」
白い湯気と樹々の間から立ち現れたのは上空から見えた村とはまた違う、小振りながら白い石を組んで建てられた、白亜の宮殿といった瀟洒な外観だ。建物全体が湯気の中に溶け込むように見える。
「へえ、すごいな。さすがベール」
アスタロトは見上げて感嘆の声を上げた。
「そうだな……」
そう言いながらレオアリスにしてみれば、この黒森にこんな立派な館は違和感があった。
正面玄関のある棟が三階建て、左側に二度ほど折れながら伸びている翼棟は二階建ての、非対称の造りになっている。
北の果ての小さな村に造られた事から、この辺りの村の家屋がそのまま宿になったのを想像していたが、これは王都近郊で見られるような貴族の狩猟用の邸宅という印象が強い。
「ペイリーさん」
玄関階段の上に立ち声をかけたのは、四十代半ばほどの、身だしなみを整えた男だった。ペイリーと呼ばれた男は「スウェンの旦那ですよ」とレオアリス達へ告げて、階段の下まで近寄った。
「表でずっと待ってたんか、寒かろうに」
「いえ、窓から灯りが見えてね。ずいぶん早かったね」
「ああ、捜しに行こうとしてたとこでちょうど会ってな」
「そうか、ありがとう」
スウェンはほっとした様子でレオアリス達を見回し、深々と礼をした。管理人というよりは邸宅の執事といった印象がある。
「ご無事でお着きになられ、何よりです。予定より遅うございましたので、村の者に頼んで人を出してもらいましたが、余計な事をしたようです」
顔を上げてまずはそう言った。
「いえ、案内してもらえて助かりました。少し――、森を通るのに戸惑って」
そう言いながら確認したスウェンの面には、森で起きた事態を了解している表情が浮かんでいる。
ペイリーに礼を言い、スウェンはレオアリス達を扉の中へ招いた。
「取り敢えずは中へ。身体をお休めになってください。飛竜は厩舎がございます、お預かり致しましょう」
白を基調とした館の内装はすっきりと無駄が無い。外の黒森の佇まいにどこか似ていた。
けれど館の中は吹き抜けの玄関広間も充分暖かく、凍る世界を旅してきた客達にほっと春のような温もりを与えてくれる。
黒森じゃないみたいだ、とまた思った。
「――ここも、何事も無く?」
確認するように尋ねると、スウェンはすぐ頷いた。
「はい」
「カレッサの街ではシュランとの連絡が絶えていると聞いたんですが」
「左様です。ここひと月ほどの間天候が悪く、往来できる者がおりませんでした」
森の外と行き来したのは伝令使だけです、と付け加え、スウェンはレオアリス達を招いて広間の階段を昇り正面にある扉を開ける。
レオアリス達は視線を見合せ、お互いに似たような感想を抱いているのを読み取った。
吹き抜けの広間よりも明るく気持ちのいい部屋で、壁際の暖炉には火が赤々と燃え、長椅子や卓が何組か置かれている。
広い窓は今は厚い日除け布で覆われているが、昼なら白銀の世界が見えるのだろう。それとも湯気の立ち込める眺めかもしれない。
「こちらが談話室になっております。すぐにお食事の支度ができますので、それまでこちらでお寛ぎください。お疲れでしたら先ずはお部屋へご案内しますが、如何なさいますか」
「いや、ここで――」
疲れてもいるし空腹でもあったが、それよりもまずは確認すべき事がある。
先ほどから、どうも感覚が違う。アスタロトやロットバルト達もそれは感じているようだ。
暖かい屋敷の中だからなのか、いや、先ほどの村人達も同じような様子だったからそれだけでは無いだろうが、外で起きている事態とここの空気はかけ離れているというか――、そもそも外部との連絡が絶えていた事さえ余り大したものと捉えてはいなさそうに見える。
こんな状況だ、もっと深刻な対応をされ、こちらにもそれを求められると想定していたのだが。
つまりは何とかしてくれ、あの獣を倒してくれ――、と。
そう言われたらどうするべきかと、道すがらずっと考えていた。
スウェンは退らずに扉の前に背筋を伸ばして立っている。レオアリス達からの問い掛けを待っているのだ。
「……連絡が絶えている間、ここでは何か問題は?」
「その事自体は、さほど。大将殿は慣れておられるかとは思いますが、雪で道が閉ざされるのはこの辺りでは珍しい事ではごさいませんので」
「まあ、そうだよな」
レオアリス達も真冬は村からほとんど出ず、街に行くのは降雪が少なくなりだしてから、それこそ三ヶ月振りという事も珍しくは無かった。
騒ぐほどではないと言われれば、そうも思う。平素なら、という条件付きでだが。
今回はスランザールが疑問を持って、一旦はベールが調査を指示し、カレッサの街でも不安視されていた。
だから普段の状況とはやはり異なるはずだ。
(ん……あれ?)
何かが引っ掛かり、レオアリスは考え込むように腕を組んだ。
「それで納得しちゃうってすごいなー」
呆れた口調で言い、今度はアスタロトが尋ねる。
「でもここはただ雪で閉ざされていた訳じゃなかったでしょ。被害とかは無かったの?」
「幸いごさいません。食料や燃料の備蓄は習慣的にしておりますので。今のところ、かもしれませんが」
「白い大きな獣がいるでしょ、森に」
「ああ、雪獣でございますね」
スウェンはあっさりと頷いた。
「雪獣。あれは雪獣って言うんだ」
アスタロトはスウェンの顔をじっと眺めた。
「この辺りに古くから住み着いている、吹雪を呼ぶ魔物です」
「危険じゃないの? 森を閉ざしてたのはあの獣だよ、今言ったみたいに吹雪を呼んで――事情があるけど」
「お会いになりましたか」
「うん、会った。白い綺麗な毛並みの」
スウェンは一旦黙って瞳を見開き、何かを覚悟したような様子で尋ねた。
「では、貴方様方はあの獣を」
レオアリスと、アスタロトの上をスウェンの視線が流れる。
レオアリスはスウェンの視線の意味と、それから村の人々の様子の意味を考えながら、首を振った。
「――傷付けてはいない。あの子供達も」
スウェンは明らかに、安堵の表情を見せた。
「――」
安堵――。それこそ意外だ。
一番危険に曝されているはずの住人が、安堵をする。
「白毛って、愛称でしょう」
レオアリスは先ほど感じた事を口にした。
親しみさえ感じられる響きからは、種の名称ではなく、愛称だとそう感じられた。
「――その呼び名は、どちらで」
「さっき探しに来てくれた村の誰かが言ってた」
そうです、と言う代わりにスウェンは頷いた。
「……あの獣は、最近ここに来たわけじゃないんだな」
「はい」
アスタロトが瞳を丸くする。
「え、じゃあ前から同じ事があったの?」
「いいえ。これほど荒れたのは初めての事でございます。これまでは互いに境界を守って、共存してまいりました。と言っても本来の共存というよりは、我々が白毛にとって脅威になり得ていないだけだと思いますが……今はおそらく子が生まれて神経質になっているのでしょう」
これまでは。スウェンはその言葉をほんの少し強調した。
「そうか――」
感じていた違和感の理由が、何となく判った。
「あなた方は、この状況を北方公に報告するつもりは無いんだな。少なくとも、積極的には」
「――」
ベールの書状には原因について触れられていなかったのに、この男は初めからこの事態が判っていたかのように雪獣の事を口にした。
ベールは早くから問題視していたが、村からの雪獣に関する報告は無かった。伝令使ならば行き来ができたというのに。
「何故」
レオアリスの問いに、スウェンは困ったような表情を返す。
「迷っているのではありませんか」
そう言ったのはロットバルトだ。スウェンは二度ほど瞬きをしてロットバルトを見た。
「元々、この黒森という土地に暮らすという選択をした以上、厳しい環境も他の種族との共存も、当然のものだという考えがあるのでは? その許容範囲をどこまで持つかは判りませんが――、この場では上将が一番それを理解されているでしょう」
改めて問われれば、それはレオアリスには当然の感覚だった。
特に黒森の生き物は、元々彼等の方がずっと長く住んでいる。
入り込んだのは自分達で、彼等の領域を奪うつもりなどない。
それは黒森に住む者達にとって暗黙の了解だとも言えた。
「かと言って、今の厳しい状況を改善する手段がありながら、好んでその厳しい生活環境を続ける事もない。後から移り住んだ方に全く権利が無いというのであれば、生きるという根底の権利すら否定する事になる」
館の外の厳しい寒さと、春のように穏やかなこの部屋の暖かさは、状況を言い表わしているように思えた。
何も敢えて厳しい寒さの中に身を置き続ける必要はない。
ただ、温泉を資源として活かす事を思い付き、この館を造った時には雪獣の領域を脅かすつもりなど全く無かったのだろうが、その結果、共存するには難しい状況になってしまった。
「一足飛びに結論を提示するなら、共存を諦めて環境を変えるか――共存を選ぶのであれば、ここは閉ざした方がいいでしょうね。そして今まで通りのやり方に戻る」
スウェンは視線を落とした。ロットバルトがスウェンの内心を言葉で補う。
「だが、そう単純に片付けられる問題ではないでしょう」
温泉が資源として成り立つようになり、軌道に乗って定期的な安定した収入が得られるようになれば、暮らしは一気に楽になる。
シュランも、街道沿いのカレッサのような街も潤うだろう。
造られた目的の通り、住人の事を考えれば非常に有効な手段となり得る。
国にとっては辺境の厳しい環境への改善策は急務でもあり、辺境に住む者達にとっても切実な願いでもあった。
「仰る通りです。白毛が道を閉ざした事をどう報告すべきか、我々も迷っておりました。これが唐突に沸き起った問題であれば、全く迷わずに王都へ討伐を依頼したと思いますが……
「しかし言い訳をするようですが、あの雪獣はこれまで一度も人を襲を襲った事はございません。一方では縄張りに入る他の獣や魔物を退けてくれております。そのお陰で我々の村はこの黒森で安全を保つ事ができておりましたので 」
スウェンは日除け布に隠された窓の外に視線を向けた。眼差しにあるのは今なお温かな親愛の色だ。
「つまり隣人なのです。と勝手に思っていると言うのでしょうか、村人も、もちろん私も敬愛し、親しみを感じています。もしかしたら我々の父祖がここに村を作ったきっかけは、雪獣が居たからとも考えられますし――そんな理由から、恥ずかしながら未だに私どもは対応を決めかねているのです」
もしかしたら子供が育てば、白毛もまた落ち着くのではないかと期待しているのですが、とそう言って黙り、しばらくして自分の言葉を否定するように顔を振った。
「いや、いつまでもこのままにしては置けない。もう北方公へお伝えしなくてはいけませんね」
「でも……ベールに言ったらどうなるの? もしかして」
不安を覚えてアスタロトはレオアリスとロットバルトを見た。
レオアリスは困ったような顔をし、はっきりと告げたのはロットバルトだ。
大公のお立場としては、領民の安全と生活を守る為に雪獣の討伐を選択せざるを得ないでしょうね。既に計画を打ち出し、資本を投じ、これから正に事業として成り立つかどうかの入口に立っています。周囲の期待も高まっている。撤収の選択は状況を考えれば可能性として低い」
「そんなの、ひどくない?」
アスタロトはここにはいないベールの代わりにロットバルトに抗議した。ロットバルトが悪い訳ではないが、一番、どうにかできそうなのはここではロットバルトだ。
「他に方法ないの? 獣も傷付けないで、このまま温泉やってこの村の暮らしを良くしてく方法が、考えれば何かあるんじゃない」
「いえ、アスタロト様。私どもは北方公に事業を中止していただくようご進言申し上げるつもりです。この一ヶ月の間、私どもはその事を話し合ってまいりました」
「でも、それじゃ後戻りだよ」
「仕方がありません。これまで我々を援けてくれていた白毛を害してまでという選択は、私どもには無いのです」
スウェンはきっぱりと言った。おそらく早い段階から、それは村人達の間での共通の意思だったのだろう。
「でも」
「いいのです。あなた方にも大変なご迷惑をおかけ致しました。申し訳なかったと思っております」
「それはいいけど」
レオアリスは二人のやり取りを黙って聞いていた。
何だが随分と難しい状況になっている。得意分野とは全く言い難い。
ただ、できることなら力にはなりたい。
レオアリスはしばらく考え込み、思い付いて視線を上げた。
「例えば、この館を黒森の入り口に移して、そこまで温泉を引くってのはどうだ? あくまで一つの案だけど、技術的にできるかな。それにその場合もシュランに利益が上がるかどうか」
無茶を言ったかなと思ったが、ロットバルトはすぐには否定せず、提案を検証するように視線を落とした。
「私はいい案だと思う」
アスタロトが身を乗り出すように頷いた。
「そうしようよ」
言葉では簡単だが、実際やるとなれば並大抵の事では済まない話だ。
「専門ではないので明確にはお答えできませんが――、移築や温泉を引く為の管の埋設などは、土木技術上は可能です。後は費用と土地の権利の問題で、それが一番厄介でしょう」
「そんなもんベールに持たせればいいんだよ。ここら辺を治めてるんだから責任があるでしょ。安全に確実に、事業をやる方法があるならやればいいじゃん。私も手伝うし」
あっさり言えるのはアスタロトならではで、彼女自身の問題なら本当にやってしまうのだろうが――正直それほど単純ではないという考えが明確にロットバルトの面に現れている。
「確かに危機管理を考えれば、そもそもこうした施設自体が黒森の外にあった方がいい。決して悪くはない方法ですが、問題は上将も仰ったとおり、施設を村から離した場合どこまで村の利益として権利を保持できるかですね。
「そうした諸々の取り決めを、口頭ではなく正式な手続きの下(もと)に、証書を以って取り交わす必要がありますし、その際にはまだ目に見えない利益や負荷もある程度算出しておかなくては、後日いらぬ争乱の元にもなります。利権を争って裁判に疲れ果てては元も子もない」
アスタロトは眉をしかめた。
「……それ、ロットバルトがやってくれるの?」
「残念ながらそれはありません」
きっぱりと返事が返る。
「何でぇー?! めんどくさがらないでさ、助言とか資料作りとかやってあげれば」
「関わらないのは当然ですよ。既に所領管理の問題です。北方公の所領に私が口を出したらそれこそ争乱の元でしょう。影も掛からない方がいい。地政院が入って、北方公、シュラン、移転先の土地に関わる者がいればその者も含めて、公式な場で調整すべき筋のものです。もちろん公、貴方も極力口出しは避けた方が無難でしょう」
「それは――」
そうなんだけど、と呟いてアスタロトはスウェンを見た。
「じゃ、村の人達だけで交渉とか全部やるの? それはさすがに厳しいんじゃ」
レオアリスが再び口を開く。
「提案だけなら俺からもできるんじゃないか? 所領は関係ないし、黒森は出身地だし」
「――」
暫らく考え、ロットバルトは頷いた。
「今回の調査結果の報告とシュランからの提案に基づいての口添えという形なら、問題はありません。そもそも大公から依頼を受けている話ですしね」
「えっと、じゃあレオアリスから口添えしてもらって――、後はシュランの皆がやるの?」
「そう致します」
スウェンは厳粛な面持ちで頷いたが、こうした調整を地方の小村だけで進めていくというのは実際には相当厳しい話だ。ロットバルトはもう一つ、助け舟を出した。
「調整役としては、スランザール公に依頼するのがいいでしょう。恐らく我々が徒(いたずら)に関わるよりずっといい結果に繋がると思いますよ」
その名前に、その場の全員がほっとした表情を見せた。
「ここを気に入ってたもんな、スランザール」
そもそもスランザールの記事のお陰で、レオアリス達は今ここにいるのだと言っていい。少しくらい骨を折ってもらってもいいだろう。
スウェンも安堵したようだ。
「スランザール公には先日お越しいただきましたし、私が王都で学問を学んだ時にお世話になってもいます。我々としてもお願いしやすい方です」
ただ、スウェン一人で決められる問題ではないのも判っている。レオアリスは改めて言った。
「あなた方はもう一度、この件に関して話し合いをしてください。村の意志が決まったら、連絡をもらえればいい。そうしたら、出来る限りの力になります」
それでどこまで問題を解決していけるか、それは判らないし、レオアリス達に軽々しく保証はできないが。
「王都に戻ったら一先ずスランザールに状況だけ話しに行きます。具体的な話を持っていくのは、あなた方の中で方向性が固まってからでいいですね?」
「有難うございます」
スウェンは重い荷を降ろしたような表情で、深々と頭を下げた。
「――っくしゅ!」
堅苦しい話の終わりを告げるように、アスタロトは小さくくしゃみして身体を震わせた。
「寒いのか?」
レオアリスが手を伸ばして額に当てる。
「風邪じゃないだろうな」
「――」
アスタロトの頬に、みるみる赤みが差した。
「ち、違うよっ」
「そうか? 顔赤いけど」
「お……」
お前が触るからだ、と言おうとして、アスタロトは慌てて飲み込んだ。
手が触れたくらいで狼狽えるなんておかしい。上手く言えないけれど。
「お腹が空いてるからじゃないかな!」
「はぁ?」
呆れた顔のレオアリスにくるりと背を向け、スウェンを身代わりにする。
「ご飯はまだですか?」
スウェンは館の管理人の顔になり、丁寧に頭を下げた。
「もう支度は整っております。食堂にご案内致しましょう。その後はぜひ、ここの温泉をゆっくりお楽しみください」
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