バサリと空気を掻く翼の音に、レオアリスは顔を上げた。 祖父が帰ったのかと思ったのだが、見上げた空を駆けていったのは白い翼の大きな鳥だ。 幼い頬の上に落胆の色を浮かべ、レオアリスは家の戸口の前に座りなおした。 まだ三歳ほどの幼さの彼には祖父達の手伝いはできず、彼らが表仕事に出ている間はいつも家で一人で留守番だ。 と言っても普段なら持ち前の好奇心であちこち動き回り、時に村の周囲に広がる深い森に入り込んでは祖父達を心配させていたが、最近それよりもずっと気になる事があって、森の事も忘れるくらいだった。 祖父達には黒く艶やかな翼があるのに、自分にはない。 祖父達の顔は羽毛で覆われ、尖った黒いくちばしがあったが、自分はそれとも全く違う。 まだ幼い思考で、レオアリスはここのところそればかり考えていた。 何で違うのだろう。森で出会う生き物達でさえ、家族は同じ姿をしているのに。 大きくなったら、ああなるのかも。羽もくちばしもちゃんと生えてくるのかもしれない。 そうじゃないと、淋しい。 だって姿が違ったら、自分だけその内一緒に暮らせなくなるかもしれない。 (――そんなの、いやだ) 考えただけで悲しくなって、込み上げてきた涙を慌てて拭いた。 同じものは何だろう。顔でもないし、姿でもない。祖父達とレオアリスの共通点といえば。 そうだ、と手を打たんばかりに顔を輝かせ、レオアリスは思いついた。 髪の毛の色。真っ黒なこの髪だけは、祖父達の真っ黒な髪や翼と同じ色をしていた。 家の前に積もった真っ白な雪の上にしゃがみ込み、少し考えてから仰向けに寝転がってみた。 白い雪の上なら、黒い髪は際立つ。この色だけでも同じだと、祖父達に分かるはずだ。 (――早くじいちゃんたちみたいになりたいな) 森で会う動物達も、小さい子供はちょっとだけ違う姿をしている。色が薄かったり、とさかが無かったり。それとおんなじだ。 いつ羽が生えるのだろう。もしかしたら明日かもしれない。 そのうち羽が生え始めて、くちばしもできて、きっと何回か寝たらすっかり祖父達と同じ姿になるのだ。 そう考えると嬉しくなって、レオアリスは目を閉じた。 雪の上に寝転がるのは、意外と寒さを感じない。次第にうとうとしてきたところで、ひょいと身体が持ち上げられた。 「何をやっとるんじゃ、お前は」 目を開けると目の前に祖父のやさしい眼があった。 「じいちゃん、お帰り!」 「ただいま。寒かったろうに、こんなに手を冷やして。ほれ、早く家に入ろう」 笑いながら小さい身体を抱え直し、冷えた手をさすってやりながら、祖父のカイルは粗末な扉を押し開けて家の中に入った。 囲炉裏の脇にレオアリスを下ろすと、小枝に種火を灯し、いろりの真ん中に置かれた炭の間に差し込んだ。 竹の筒を取り上げて口元にあて、ゆるゆる風を送っているカイルの姿をじっと見つめていたレオアリスが、疑問を口にする。 「じいちゃん、オレはいつ羽が生えるの?」 意表を突かれ、炭を吹くのを止めて、カイルは孫の期待に満ち溢れた顔を見つめた。黒い大きな瞳がきらきらと輝き、カイルの答えを待ち構えている。 カイルは一度考え込んでから、あっさりと首を振った。 「お前には、羽は生えんのう」 衝撃に満ちた顔で、レオアリスがぱかんと口を開ける。 「――何で?!」 「お前が翼を持たない種だからじゃ」 レオアリスはその言葉に打ちのめされたように、暫く口を開けたまま凍り付いていたが、また何か思いついたのか、きっと顔を上げた。 「じゃあ、じゃあくちばしは?」 その慌てた様子に、カイルはさも可笑しそうに声をたてて笑った。 「嘴も生えんのう」 ひとしきりからからと笑っていたが、レオアリスの小さい肩が震えているのに気付き、首を傾げる。 「何じゃ」 「オレも羽ほしい」 カイルが目を見開いた先で、レオアリスは項垂れたまま、足首を掴んだ両手の上に視線を落とした。そのついでに大粒の涙もぽたぽたと落ちる。 「……じいちゃんたちと違うのいやだ。オレにも羽がほしい」 小枝の火が下の方の炭に移り、次第に暖かさを増していく。 カイルはどこか悲しそうな色を宿しながらも、包むような暖かい笑みを浮かべた。 「――お前は、わしらの大事な者達にそっくりじゃ。わしらに似んでも、わしらの大切な宝じゃ」 「――じいちゃんたちと同じ方がいいよぉ……」 ようやく持ち上げられた顔は、納得行かないように頬を膨らませ、眉はぎゅっと寄り、涙でくしゃくしゃになっている。 慰める言葉をかけようと探したものの、そのあまりのくしゃくしゃな泣き顔にカイルはたまらず大笑いを始めた。 驚いたレオアリスは、とうとう声を上げて泣き出した。 「うああぁあっ。じいちゃんのばかぁー!」 ひとしきり笑ってようやく、カイルは笑いを収めた。 「やれやれ、どうしようかのう」 大泣きしているレオアリスの様子をまだ笑いをかみ殺しつつ眺め、カイルは顎に手を当てて束の間考え込んでいたが、ふと面白そうに頷き、立ち上がる。 道具類の置かれた壁ぎわから何やら持ち出し、レオアリスの横に座り直すと、膝の上にレオアリスを抱え上げた。 「そんなに泣いては笑われるの」 誰に、とは言わない。 「翼もくちばしも生えてはこんが、尾羽ならできよう」 カイルが自分の尾羽を示すと、まだしゃくりあげたまま、それでも泣くのをやめてレオアリスは黒い瞳をじっとそれに注いだ。 「――しっぽ?」 「そうじゃ。どれ、そこに後ろを向いて座りなさい」 レオアリスは目を丸くしたまま、カイルの膝から降りると、ちょこんと座って後ろを向いた。カイルは手を伸ばし、少し伸びすぎていた髪を掬う。 「ほんとに生えるの?」 「すぐにできる」 首を捻って無理やり振り向こうとするレオアリスの頭を真っ直ぐ前に向かせ、それからカイルは取り出してきた鋏を手に取った。 「そら、できた」 期待と好奇心にもぞもぞと落ち着き無く据わっていたレオアリスが、カイルの一言にパッと振り向く。 「どこ、どこ?」 けれど覗き込んでも服をまくって見ても、尾羽はどこにも無い。足元に黒い髪が散っているだけだ。 カイルは期待に満ちていた表情が急速にしぼんでいくのを面白そうに眺めていたが、漸く手を伸ばしてレオアリスの背中から、黒い髪を持ち上げる。 「これじゃよ」 レオアリスは目を丸くして、髪を切った分軽くなった頭と、首の後ろに一筋だけ長く残された髪を不思議そうに手で触った。 「お前の尾羽じゃ」 子供騙しではあったが、幼い子供には十分効果があったようだ。 祖父の尾羽とそれを見比べて、レオアリスはとても嬉しそう笑った。 「おや、さっぱりされましたね」 執務室に入ると、レオアリスの髪に気付いたロットバルトが顔を上げて笑う。少し前髪を切りすぎたようで、額がすっかり見えているせいか、年齢より少し大人びて見えた。 「ちょっとクライフ、切りすぎよ?」 立ち上がってレオアリスの髪をまじまじと眺め、フレイザーがクライフを睨む。クライフは首を竦めたが、レオアリスは苦笑を浮かべた。 「前髪なんてすぐ伸びてうっとおしいんだから、どうせ切るならこの位が丁度いいよ」 「そうですか? ……あら、でも後ろは残されたんですね。良かったわ」 フレイザーの手がレオアリスの背中にかかった黒い髪を掬い上げる。少し先を揃えて短くなってはいるものの、変わらずに残されていたことに、フレイザーはにっこり笑った。 「何かやっぱ慣れっていうか……昔から爺さんが切ってくれてたからな」 「きっと素敵な理由があるんですよ」 「そうかなぁ」 「でも、今のお姿も落ち着いた感じに見えて、お似合いですね」 「俺の腕だよ、腕」 フレイザーににやりと笑って、クライフは自席に着いた。二つ離れた執務机の向こうから、ロットバルトが意外そうな視線を向ける。 「貴方が切ったんですか?」 「まぁな! 結構腕いいだろ。何ならお前のそのうっとおしい前髪も、ばっさり切ってやるぜ? 俺みたいにさっぱり刈っちまえば?」 「どちらでも」 クライフとしては冗談じゃないと慌てる姿を期待したのだが、ロットバルトはどうでも良さそうに書類に視線を戻した。 「つまんねぇ……マジで刈っちゃろか」 「止めた方がいいわよ。あの前髪を掻き上げる仕草が憂いがあってステキ、とか女に人気なんだから。女性陣に恨まれたくないでしょ」 「けっ、余計やりたくなるっつーの」 そうは言ったものの、やはり女を敵に回すのは避けたい。師団にも少なからず女性隊士はいるのだ。 ロットバルトの髪を切るのは諦めて、クライフはもう一人の絶好の標的に身体ごと向き直った。彼の灰銀色の髪は、背の半ばまである。 「そんじゃヴィルトール、お前のだらだら長い髪切らせてくれ」 ヴィルトールは呆れ顔でクライフの期待の篭った顔を眺めた。 「何にはまってるんだ」 実家では何人もの弟妹達の髪を切ってきただけあって、どうも一人分だけでは物足りないのだろう。クライフは椅子を斜めに傾かせながら、ヴィルトールへと身を乗り出す。 「いいじゃねーか。邪魔だろ?」 「とんでもない。ただでさえ最近遅い時間に帰ってて娘と顔を合わせてないんだからね。この上、髪を切って帰ったりしたら、娘に泣かれるじゃないか」 「ちぇ」 クライフはつまらなさそうに身体を戻し、執務机の上に頬杖をついた。 ふと見ると、立ったままグランスレイと何やら話をしているレオアリスの肩に、いつの間に現われたのか、彼の伝令使の黒い鳥が止まっている。 その後ろ姿を見て、クライフは思わず小さく吹き出した。フレイザーが怪訝そうな瞳を向ける。 「何?」 「いや、ほらあれさぁ」 「……あら、お揃い」 クライフの指差した先を見て、フレイザーもくすりと笑う。 レオアリスの背の半ばまである黒髪の束と、伝令使の長い尾はとても良く似ていた。 |